詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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音楽化
今、ユーゴーの死刑囚最後の日を音楽化している。

金曜日、即興でやったこの音楽化があまりにも成功してしまったため、これはせざるをえなくなったのだ。

しかし、だいぶ違うものになってしまった。

さあ、完成するかな?
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まったたまたまた
またまたまたまた
「芸」
  「大」
    「現」  「代」
 「音」   「楽」 
           「か」


といいたいところだが、たしかに悪い曲もあったが、名曲があった!

よくこんなの学生のうちから作れるなあ!むしろ学生だから作れたのかな?
終わり方もめちゃくちゃかっこよかった!ってここで言ってもだれもわからないか。

旧一年生の二重奏作品演奏審査ってやつで、一年の修了作品の演奏を全員やるわけです。

その感想。
集中力?
音楽を聴きながら作業すると、集中力が落ちる。いや、知っている曲だと集中力が落ちる。

やっぱり次どうなるか、とか意識しながら聞いちゃうからだろうなあ。

音楽は音楽だけで楽しむのが一番良いのかもしれないが、目をどこにおいておけばいいのかよくわからなくて、楽譜が無い場合、CDの音楽だけに没頭するのは少々難しい。

ブラームスのピアノクインテットは結構良い曲。怪しい感じがする。ブラームスの旋律を作る力ってものすごいよね。
中世音楽やばい
最近中世音楽にはまっている。11~13世紀くらいの西洋音楽。
グレゴリア聖歌の流れを汲んで、並行オルガヌム~3声、4声オルガヌム。
声部が少ないほど、重厚になる気がする。多くなると、華やかな分、軽くなる。
重厚なのが聞きたいと思ったとき、やはり1声が一番重いが、2声のほうが音楽的喜びが大きいと思う。よって2声のほうを聞いちゃうかな。
3声になると、軽くなっちゃって、グレゴリア聖歌の神秘性は薄れているが、今度は和声的な響きも楽しめる。
4声である必要は無いと思う。声部は少ないほど良い。
つまり落としどころが3声なんじゃないかな、といった感じ。
3声になくて、4声にある音楽的喜びというのはあまり無いから。
3声はものすごく立体的だから。

困ったことに、この時代の音楽を聴くと、バロック音楽が華やかな音楽で、重厚さを欠いているように聞こえてるのだ。
時代が進むほど、華やかになり、軽くなっていく。教会から世俗へと進んでいく。神秘さから華麗さへと移っていく。
このおとしどころはやはりバロック音楽かロマン派な気がするが、突き詰めた音楽として中世音楽は聞けると思う。
まあまあ
マーラー交響曲6番聞きにいった。

その前にウェーベルンやってたけど、これははっきりいって理解できない。

理解できないというのは、ちょっと複雑な事象であって、

音楽的な理解はできるが、芸術的な理解はできない、といった感じ。

理解で分割されることが許されるのならば、音楽の理解は3分割される。

音の理解と音楽の理解と芸術の理解だ。

音楽を聴いて、ただ単純に、音が綺麗だ、とか、劇的だ、とかドラマチックだ、とかそういう感覚を抱くのが音の理解。耳に心地良いとか、そういう感じの。

音楽を聴いて、それが、どういう主張を持っているのか、どういう考えがあるのか、ということがわかるのが、音楽の理解。この感覚をもって、感動できれば、それは深い感動が得られる。

音楽を聴いて、さらに奥が見えるというか、音楽という域を超えて、なんらかの核心に迫れるものを感じるものが芸術の理解。この理解をもって、感動したとき、うまく言葉で説明できないか、言葉で言いあらわせられない感覚になる。
この感覚を得た音楽は3つ、バッハのマタイ受難曲と、ベートーベンのミサ・ソレムニスと、ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏15番。

何を言ってるんだと思うかもしれないね。

自分でもよく分からないんだけど。

とにかくウェーベルンはそういうことだった。

マーラーも同じ。

ただ好き嫌いのことを大げさに言ってるだけかもしれないし、そうでないかもしれない。
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