詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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殺すということ
よくある、「何故人を殺してはいけないの」という疑問。
今回はこれについて検討してみる。
さいきん自分の思想ばっか載せてる感じのブログになってきた。
まあいろいろ思うところはあるわけです。
ここで、よくある、やっぱり人を殺してはいけなかった、という答えを安直に出すのはつまらないし、かといって人を殺してもいいという結論にあたるのも微妙。さて、結論はどうなるのか。

まず、人を殺しても法律に引っかからない場合を考えてみる。
①戦争中
②死刑
③正当防衛
④安楽死&尊厳死(これは微妙か?)

思いつくのはこれくらい。
このなかの殆どは、当然警察沙汰とか裁判沙汰とかになるでしょうけど、とりあえず実刑が打たれなければ法律に引っかかるとはいわないでしょう。
では何故上記の場合は人を殺してもいいのか。
①戦争中
国家のためだから?敵国を倒さなければ自国が滅んでしまうから?
敵国を倒して、自国を豊かにしたいから?報復?
いろいろあるでしょうが、そのすべてに国家が絡んできて、
国民達の一人単位が小さくなってしまうから、何十人殺そうと、功あれど罪はなし、と。
国民が国家の細胞となって少し死んだくらいでは痛手ではないと。
よくわからない。
②死刑
死刑が実行される国は、日本、中国、アメリカ、トルコ、このくらい?
意外と少ない。おそらく(いや絶対)上記の国意外にも死刑制度がある国はあると思うけど、EU加盟国とかは死刑制度があってはいけなかったりするので。(だからトルコもそのうち廃止とか。もう廃止されたっけ?)
何故死刑を実行していいのかというと、その人間は明らかに社会にとって価値がないから。居たところで害があるから。
というのが根本的な理由でしょう。
もちろん、TVとかでは何人殺したとか、反省してないとか詳しい内容が流れるでしょうが。
人ごとに、死に対する価値は違うとおもうので、15年の懲役よりは死刑のほうがまし、とか思う人もいるかもしれないので、刑としてあるのはどうかと思います。それに、死刑は冤罪の対処が絶対に出来ない刑であり、懲役は、人生において大切な時間を相当無駄に浪費して、精神的にもくるということがあり、修復は厳しいとはいえまうが、はっきりいってお金による対処が不可能なわけではない。そういう点でも死刑はだめですね。
③正当防衛
自分が殺されるから相手を殺す。何が悪い。
この一見正論にきこえる理論。しかしそれが成り立つ場合は本当に少ない。
なぜ自分が殺されるくらい相手を怒らせたのか。
なぜ相手を殺せるだけの用意をしていたのか。
強盗などの防衛により人を殺した、などということは、確かに許せることではあるかも知れませんが、なぜ人を殺せる準備をもとからしてたの?と聞きたくなります。
でも首を絞めて殺すことは可能かもしれないので、ここには余り突っ込まなくていいでしょう。
問題は、相手が明らかな殺意を持って攻撃してきたことの反撃の正当防衛。これはたしかに相手が殺してきたのだからその人に罪があるのは当然。しかし、いわゆる喧嘩両成敗の考えで、正当防衛側にも罪はあるはず。
④安楽死&尊厳死
もう病気であと何日も命が持たない。苦しいのを見るのは嫌だし、本人に意識がなければ、費用もかさんで、だめ、こういうときに安楽死や尊厳死が登場します。
これに対して、倫理的な問題が絡むのは当然です。
たとえ、安楽死を家族が認め、医師も治すのが不可能だとしても、命を絶つという行為にはかわりない。
しかし、私が思うに、安楽死は認められるべきだとおもいます。
もちろん、本人が望み、家族も承諾し、医師も治す見込みが無いと判断したときに限りますけど。
まあ、これにたいしては良いとして、本人に意識がないときが問題。
こういう場合、家族の判断と医師の判断さえあれば安楽死はあってもよいわけで、ほかの人が人道に反するとして出てくるのは何かおかしい。
反していたところで、誰がそのせいで損をしたり苦しんだりするのか?
家族は了承済み、本人はもう思考できない。むしろ死んだほうが楽になれる(死んだあとのことは経験したことないんで本当に楽になるのか知りませんが)。これは問題ないでしょう。

というわけで、①②③は何かしら問題がある。
しかし、これは人を殺してはいけないという前提で成り立つ問題。
人以外に目を向けてみます。
たいていの哺乳類は共食いをすることはすくない。
仲間意識というものかな。
つまり、簡単に共食いが起こってしまうと、そのグループの命の重さがなくなってしまうということ。それはグループの崩壊を招くのは当然。
お互いに助けあっていかなければ、生きていくことは不可能なのだから、互いを殺したりは絶対にしない。
もし殺すことがあったとすれば、その存在が圧倒的に邪魔だった、殺さないと生きていくことが不可能だった、ということでしょう。

これは地球規模でもおこっていることです。
だから、食物連鎖があるんです。

と、案外簡単に結論がでました。

人を殺してもいいとなると、人の価値が薄れていき、国家の崩壊、人間という人種の崩壊を招く。
これを阻止するために、人を殺してはいけないんです。自殺も同様です。
命は重いものでなければいけません。これは人間の文明が続くための絶対条件なんです。
殺させないために、道徳で縛り、法律でも決めてあるのはこういうことなのですね。

どこかの宗教が言ってるように、人を愛しましょうというのは、憎しみを実行させることは、人間の崩壊を招くから。
だから、人を殺してはいけない。
戦争はもちろんだめだし、死刑は駄目。命が軽い国だと思われる。正当防衛はなんとも言いようが無いが・・・。
安楽死に限っては、命は重い。しかし、その重さに耐え切れないための行為。しかし、自然に人が死ぬもので、それを抑えるのもまたおかしなはなし。殺すというよりは生を終えさせるといったほうが正確でしょう。死ぬものをとめる必要はありません。

殺すことがないほどの連帯感、愛情がなければ、人間という存在は崩壊してしまうということです。

以上。
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