詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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諸葛孔明の洞察力
三国志(演技)での英雄、諸葛孔明。

姓が諸葛
名は亮
字を孔明
という。

兄弟はみな優秀で、
長男:瑾
呉の大将軍

次男:亮
蜀の丞相

三男:均
蜀の長水校尉

均はとくに目立たないが、瑾と亮は非常に優秀。

一族のもとは諸葛豊にはじまり、予章太守の玄(亮の叔父)が黄巾の乱によって殺され、そのときに、兄弟が逃げる。

このときに亮は英雄にしか仕えないと心に誓ったとされる。

そして、三顧の礼によって、劉玄徳に迎いいれられる。
このとき、劉玄徳は諸葛孔明を手に入れたことを、水魚の交わりと呼んだ。

劉玄徳(蜀漢照烈帝)、
姓は劉
名は備
字を元徳
という。

玄徳は徐元直(徐庶)に孔明のことを教えてもらい、
司馬徳操(司馬徽、水鏡先生)にその詳細を聞く。

三顧の礼とは、玄徳が三度、孔明の庵を訪ね、孔明がそれに感慨した、というもの。
ただし、この迎え方でしか孔明は動かせなかっただろうが、家臣の反発も強かった。
つまり、君主が、三度も訪問したことに対して、孔明に嫉妬、あるいは、玄徳にないがしろにされている気分を味わったことだろう。

孔明の初陣は博望坡の戦い。
敵軍孤立と火計。

その後は天下三分の計に向かって、213年、ついに実現させる。

ここまで、ほぼ完璧に計をたて、落ち度を見せなかった、

ここまでの落ち度といえば、
荊州を玄徳に強く勧めなかったこと、
魏延を処刑しなかったこと、
くらいだろうか。

だが、三分の計が実現してから、孔明はミスをするようになる。
一番致命傷だったのが、街亭の戦いである。
計略自身にミスはなかったが、人選という大事な局面で、馬幼常(馬謖)を選んでしまった。
その前にも、荊州を関雲長(関羽)しか大将として送り込まなかったとか、その弔い合戦を止め切れなかったとか、ミスがある。
劉公嗣(劉禅、阿斗)を皇帝にしてしまったのはまあ仕方ないだろうが。

そして、結局、死後、内乱により、29年後、蜀は滅びる。
滅びた理由は内乱が主だが、人材がいなかった、というのも大きな理由である。

結局、孔明は計略自体にミスはほぼなかったが、人選ミスが目立った。

そして、孔明という大黒柱が崩れた瞬間、蜀が崩れ去るというのは、いかに孔明が偉大だったか、ということも示しているが、死後の調節を仕切れなかった、ということでもある。


さて、由衣さんが今朝投稿してきたわけでありますが、
ええ、当然誰かはわかります。おそらく人の名前を勝手に語ったのか、それとも一人芝居をしている人でしょうね。
今朝直接話したのですべて決着はついていますので、このような公共の場所で書くことではありませんので、深くは突っ込みませんが、
(ここで、数行削除)
はい、感情を抑えることは難しいですね。
私は、地道に責任を取っていく覚悟ができました。
それだけです。

ほかの人からみると何言ってるのかわからないでしょうな。
大変失礼しました。
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