詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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常識との差
家族で出かけた時の話です。
以下の私の考えには、反論、共感、いろいろあるでしょうが、私自身の考えなので、読み流してください。どうしても突っかかったらコメントしてくれてもいいです。

はじめ、話題Aがでました。

そして、その話題から発展やら別の話題に飛んだりして、話題Bになっていました。

そのとき、祖母がいきなり話題Aの話に戻しました。

1母「そんな時の話されたってもう覚えてないよ」

2私「僕はなんのことか分かったけどね」

3父「ついていけるのはお前だけだな」

4私「昔の話も覚えてないと」

5父「昔って昭和20年の話か。それを言うなら前の話だろ」

6私「言葉の彩だよ」

7父「いや、お前が非常識なだけだ」

8私「比喩表現ってやつだな」

9母「もう反抗するのはやめなさい」

ここで話題Cに移る

ここまでの進行。
もちろん、昔というのは、何年も前のことを指すことは誰でも知っています。
私はあえて、前と言う言葉を強調するために昔、という言葉を使ったのですが、そこを突っ込まれてしまったわけです。
私は、この表現は、間違いだとは思っていません。
ただ、失敗はあると思っています。
6で、「言葉の彩だよ」と言う表現が、少し悪かったのです。
5で、「昭和20年」という具体的で少しオーバーな表現をしているので、そこにユニークな発言を持っていくのが、上手な話し方ですね。
ただ、この一瞬の間におもしろい発言を考えるのはなかなか至難です。
たとえば、6で、
「それくらい前の話に感じるよ」
とか、そういう発言のほうがまだよかったか
すると、7で、非常識だ、という発言につながりにくくなります。
5の話を否定してしまったのがまずかったのですね。
ただ、7の発言は最悪です。
この発言は喧嘩を売っている行為であり、もっとも好ましくない状況です。9の発言によって、双方とも止められているものの、このまま喧嘩になってしまえば、あきらかに悪いのは7の発言です。
ただ、ここで、喧嘩腰にならずに、なおかつ昔という言葉を否定するのは難しい。
ただ、6の発言に対応するのは難しいですね。
なんと返せばいいのでしょう・・・。
「前といったほうが適切なのは確かだよ」
といえば、いいのかな。
すると、実際これに反抗する手立ては、6の発言をもう一度持ち出すしかなくなります。
ただ、会話で同じことを繰り返すのは禁忌のようか感じがするので、やはり、8の発言に持っていくしかないかもしれません。
すると、今度はこっちが喧嘩を売ってしまっています。
これではこっちの負けになってしまいます。
喧嘩を売って負けるよりは、素直に投じたほうが綺麗なので、
「それは確かだね」
として、この会話は打ち切りにするでしょう。
おそらく、父の勝ちにはなりますが、双方合意できるところだと思います。

結局、この会話のいけない部分は、6と7にあります。
6で、ユニークな発言を返せなかったこと、ここで一気に不利になってしまいました。
7は、そこで、一気に話を終結させようとせず、喧嘩腰になってしまって、最悪です。
8の発言に対する、父の言葉は結構楽しみに待っていたんですが、9の発言に止められては仕方がない。
8の発言の意図は、相手に7の発言を繰り返させて、一気に有利に持っていこうとしたものです。
同じことを繰り返すのは基本禁忌なので、別の言葉で返さなくてはいけません。
返されたとき、危機になるのは、こっち側で、言葉の彩、比喩と二回、同じようなことを言っているので、3回目に同じようなことをいうと、さすがに喧嘩腰になってしまうので、まったく別の表現をしなくてはいけません。

・・・と会話について考え込んでしまいました。
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鉄道の実体
鉄道を恐ろしい勢いで練習中。
右手が指定速度についていけるようになるのはまだまだ先の話。
途中の4声体っぽいところも相当きつい。
そもそも自作の楽譜だから、間違いがあったりして、見にくい。

とりあえず、アルペジオの練習と音階の練習は必須のようです。
特に、変ト長調のアルペジオの練習をしたほうがいいようです。
黒鍵に親指がくることがざらにあるので、それになれる意味を含んでいます。

フィナーレを久しぶりに弾いたらだいぶ弾けなくなってた。
これってやっぱり毎日練習しなきゃいけないのかな・・・。
協奏曲3楽章はそこまで落ちていなかったが、一番弾けいていたときに比べるとひどいものだ。

今までに練習したもの、しているものは
大ソナタ
短調5,6,7,9,10,12
長調3,5
エスキスいっぱい
鉄道
大練習曲全部

こんなもんだ。
もちろん、こんなけ毎日練習するのは、事実上不可能。
これだけで、5時間以上はかかってしまいますからな。
練習というのはただ弾くだけじゃないですから。

他にもベートーベンのピアノソナタとかリストのハンガリー狂詩曲2番とかやってるのに・・・。

1日24時間は短すぎる。
36時間くらいあってもいい。

もっというと一生30000日は短すぎる
50000日くらいあってもいい。

両方の望みがかなうと人生2.5倍か・・・。
どうにもこうにも
じつはこのブログ、当初は将棋のことばっかり書いてたんですよね~。
半年くらい前はばか詰などを専門的に作っていたんですが、最近は全然だめですね。

新聞の将棋欄などは見ているし、興味0ってわけでもないんですけど、昔ほどの熱意は感じられない。
中学二年の夏休み、将棋会館に通い詰めだったころがありました。
多分夏休み中に30回は行ったでしょうし、向こうの人に客や受付の人まで含めて名前を覚えられたものです。
懐かしい思い出ですね。
当時始めた頃は完全に全敗、そんななか、ある人に一勝だけできて、13級を貰ってましたね。
それが夏休み終わる頃には4級、賞品も結構たまってます。

多分、この夏休みが小学1年から高校2年の今まで、一番充実していたのでしょう。
目標を追い続ける日々はいいものです。

しかし、私は16年の人生のなかで最大の誤算をしてしまいました。
これはもはや家の血統からいって仕方ないことなのかもしれませんが、
賭博生活になってしまったんです。

麻布将棋部最悪の時期とまで評されそうな、2004~2007年
先輩と後輩の間に大きな壁ができた2003年。
私は、ひとつ上の先輩までは結構知っていますが、二つ上はまったく分かりません。
名前を聞いただけだったり、何度か会ったことがある程度の人ならいますが、親しい人はいませんね。
そして、問題の2005年、
私は中三ですね。
いわゆる悪い先輩(おそらくこのブログを見ている人とか)たちにいろいろなことを教われました。
そして、2006年、この年は本当にひどい。
賭博のレート最高沸の時期、10000~20000はあたりまえ。
140000なんて数値もたたき出しましたが、あっさり踏み倒されました。
10000超えの勝ち負けは当たりえ過ぎて、覚えてるだけでも4~5くらいあります。おそらく10回以上はあったんではないでしょうか。
この時期になると、私は人間にあるべき良心をどんどん失っていきます。
その過程で鬱状態になることもしばしばでした。
そして、一番良心を失った時期が、2006年12月~2007年1月の冬休み。
そう、忘れもしない2007年1月5日、この日の自分はいま考え直しても、なんのための日だったのか、よくわかりません。
麻雀において、1000点900という謎のレートは、
-30000→+150000までたったの1時間半です。
しかも、その大半は、イカサマ(不正行為)によるものです。
しかし、私は平気な顔をしていました。
最悪ですね。
結局その中の40000だけ受け取り、残ったのは、心にのこる深い傷のみ。
その後、将棋部部長でありながら、将棋部から身を引きます。
つい最近まで名目上の部長でありましたが。

そして、私は、高校一年3学期、クラスの普通(それでも結構変わってる人達だが、きわめて善良な)の友達に出会い、
その世界から抜け出すことに何とか成功しました。
男子校なんで、恋愛なんてものはまったくないのは当然として、私の中学~高校にかけての青春はまるで薄汚く汚れて、悲しい限りです。

時を戻して、私がアルカンに出会ったのは中学2年のときだったかな。
リストのハンガリー狂詩曲をYoutubeで調べていたときに、Mark-Andre Hamelinの演奏からリンクでアルカン協奏曲3楽章にたどりつく。
このとき、アルカンなんて名前すら知らなかったので、その音楽とアルカンという名前が非常に新鮮に感じられました。
もちろん、技巧の難しさもありますが、何か、他の作曲家には感じられないものを感じ取りました。
完全な一目ぼれですね
そして、銀座のヤマハでCDを探す。
アルカンの協奏曲のCDは無いか、と
尋ねたものの、結果は無い。
そこで受付の人が持ってきてくれた、アルカンのグランドソナタ、ソナチネ、バルカローレ、イソップの饗宴が入った、Mark-Andre Hamelinの演奏。
これを、とりあえず、目的の物とは違うが、購入。

そして、レート高沸のあの時期に、銀座の山野楽器で、アルカンのCD6枚を一気に買い込みました。
その時期でなければ買えなかったかもしれません。
合計で15000円くらいで、今の私にとっては、絶対躊躇してしまいます。
しかし、その時期の私にとって15000円は1時間で動かせる金額に他なりません。
そうしてアルカンライフが始まったわけですね。

忘れることのできない2007年1月5日の悲劇から、私は、即座に音楽に身を移すことを決心します。
音楽を本格的に習ってみたい。
ということを親に話したのは、2007年1月7日です。
その話は、私の知らないところで肥大化し、そして、話はだんだん大きくなります。
私は、ピアノの腕に関しては、そこまで自信が無かったので、作曲方面の話になっていったわけですが、当時はもちろん何にも知りません。

2006年11月30日、アルカンについてピアノの先生に話します。
どうしても弾きたい、ということを伝えました。
先生は喜んで承諾してくれて、アルカンの大ソナタを習うことになりました。
11月30日は実はアルカンの誕生日でもあります。
この日、レッスンのあと奇跡のような出来事が起こっています。
先生はラジオでアルカンの誕生日記念として、アルカンの大ソナタ、悪魔のスケルツォがMark-Andre Hamelinの演奏で、流れたのです。
先生はそれをすぐに録音をし、何度も聞いたそうです。
そして、楽譜のコピーを渡すと、そこに書いてある読みにくい字などをほとんど解析してくれました。
もう70歳くらいの先生でしたが、すばらしい先生です。
そんなとき、1月25日に、作曲を習ってみたいと、話します。
それでは、さすがにアルカンをやっている時間はない、基本的な音楽をやらなくてはならない、といわれたので、バッハのインベンションなどから徹底的に鍛えていきます。
もちろん、アルカン大ソナタという超上級から一気にバッハのインベンションという初級までレベルが飛んだりして、いろいろ大変です。

私の叔母が琴を習っているそうです。
その曲は叔母の先生の友達の眼龍義治という人の作曲した曲だそうです。
叔母自信、眼龍先生と、結構仲がいいらしく、私のことを話してくれたそうです。
眼龍先生は、私に作曲の先生を紹介してくださいました。
紹介して下さったのは、野田暉行という人です。
芸術大学の副学長でもあるそうです。

私のピアノの先生は、この人に師事できるのはめったにありえない、おそらく、野田先生から、よい先生を紹介していただけることだと思います、
といわれました。
そして、6月はじめ、野田先生のところに訪問しました。

さまざまな雑談のなか、中国象棋の話がでてきました。
どうやら中国人に友達がいて、中国象棋のセットを貰ったそうです。
私は中二のころ、将棋にはまっていた時期に、さまざまな将棋を調べていました。
中将棋に一時期はとてつもなくはまり、7級をもっていたりします。
そして、ルールを完全に熟知したのは、中将棋と中国象棋の二つ(もちろん普通の将棋も)でしたが、ここで、完全に話が一致します。
結構野田先生にも好印象になったようでした。
(それが原因というわけではないが)野田先生は当然のように、来週から通ってきなさい、と仰ります。
そして、まずは、基本の和声から教えてくれることになりました。
現在はその延長上にいることになります。

この行為は人生における賭けであります。
私は、普通の大学に行くことをここで完全に捨てています。
でも、あまり迷うことはしませんでした。
中三~高一の賭博生活において、多少の強気は勝ちに結びつく行為だと身をもって知らされていたからです。
平穏に行動しているだけでは、場代を失うだけです。
勝負に行かなければいけないこともあるのです。
私は、そもそも、あまり勉強の能力に恵まれているわけではありません。(小学校のころはよかった・・・)
このまま普通の生活になっていては仕方がない、人生という場所で賭けをしたくなったわけです。

私の机の上には、現在、PCのキーボード、作曲の課題、楽譜、アルカンのCDなどが散らばっています。
アルカンは私の一番の趣味であります。
アルカンは絶対に排除する気はありません。
できれば、作曲を習った先に、アルカンの全てを見てみたい気がします。

私の中学、高校はいろいろな出来事が無駄なく混じりあっています。
なんだかんだいって、奇跡のような環境におかれているのかもしれません。

私は自分を信じて、このまま先に進んで行きたいと思います。
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