詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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うぬぅ
今日の一度目の文章、文字数1800字強、原稿用紙5枚分。
結構短めに書いたつもりであったが、しかし、文字数で見ると多い。

今日、朝、同性愛者はどのくらいの割合でいるか、と聞かれて、
1割程度だ、という意味で答えた。
しかし、これは、なんとなく嘘のような気がしてきた。

フロイトによるところから解釈すると、愛情(恋心のほう)は次のような状況ではもうすでに芽生えているらしい。

自分より優秀な人を、嫉妬するはずなのに、尊敬の念を抱き、半ば盲目的に、その人の言うことにしたがってしまう状況
や、
自分より劣等な人を、軽蔑するはずなのに、自分より優秀であると見立て、尊敬してしまったり、したがってしまう状況、すくなくとも劣等であることを欠点として見れず、逆に利点であるように感じてしまう状況
など。

もちろん、これは本物の恋愛ではなく、恋愛の転移によるものらしいが、転移であろうとなんであろうと、それはまぎれもないものであることには違いないはずだ。

さて、心当たりは無いだろうか。
無い人のほうが少ないはずなのだが・・・。

なお、フロイトによれば、男子が父親に反抗するのは、母への恋愛感情からくるらしい。
母への肉欲を邪魔する最大の敵は父親であって(当然のことである)、そのことによって父親を倒したい、殺したい、というような感情を得るそうな。
なお、フロイト自身は、姉を母だと思い込んでしまい、姉の夫にたいする敵対感はあったらしいが、父親に対する敵対感は無かったらしい。どうにも不思議な現象である。
まあ、だから、反抗期は思春期と一致する、ということで、つじつまは合っているのだが、どうもイマイチピンとこないのは当然である。
こんなこと、道徳的に言っても、そもそも自分の信念からして、拒否したくなるのは当然で(しないほうがおかしいと思う)、だからこそ、フロイトは医学会からのけ者にされるのだが・・・。
しかし、母親への恋愛感情の抑圧は防衛機制によってまた説明できてしまうから、もう逆らいようが無い。

ということは、小学校低学年の時、女性の先生にむかって「お母さん」などと呼んでしまって恥ずかしい思いをした人も多くいると思うが、いい間違いは無意識でありながらも、ちゃんと無意識という意識化にあるものからの発生なので、母親から先生への転移が起きてしまっているため(この部分は納得できる)、先生への恋愛感情も起きているということに。
(長い一文だった)

小学校低学年に、恋愛感情などあるものか、ということもあるだろうが、フロイトによれば、3歳の幼児から、立派に性欲はあるそうな。


しかし、突き詰めると、性的なことにしかたどりつかないフロイトなので、抵抗する人も多いことは容易に想像できる。
だから、逆にフロイト分析でフロイトはそういうことを考える癖があったのだ、みたいなことになっているが、そのこと自身フロイトは気づいていて、すでに論文にしてあるし、多くの精神患者にあてはめているので、そんなことはわかっているワイ、みたいな感じなのかもしれない。
そして、否定するのは、どうせ防衛機制からだろ、みたいなことになるのでは・・・。

心理学おもしろー
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科学的
昨日の記事にコメントがありました。

>反証できないものは科学じゃないってよく言うよね

そもそも科学には未だ判らないことを解明しようとするものも含まれているのだから、科学的ではないというものは存在しないことになる。

たとえば、人間原理は成立するか?というときの反対意見として、
反証不可能なので科学的ではないという人がいるが、
宇宙が人間を作るためにパラメータを微調整したことの反証できないことをどうやって証明するのだろうか。

ぶっとんだ話になれば、この宇宙は仮想的な世界で、その想像主なるものが存在し、精密に計算されたパラメータで動かされているかもしれないのだ。
もちろん、このこと自体が(この想像主が宇宙をストップさせない限り)反証不可能なので科学的ではないが・・・。

反証不可能なことが科学的でないというのは科学的なものに対する反論である以上、その仮定が科学的であることを示してほしいものだ。
なぜなら、反証不可能なこと自体が科学的でない、ということ自体が反証不可能であるとすれば、それ自体が矛盾してしまうから。

ちなみに、私は、反証不可能だと科学的でないということは、実験によって直接見ることが不可能なので、反証不可能であって、上の命題は不成立だ、という自論を持っているのだが、これに対する反論を聞きたい。


話は変わって、
マクドナルドで、考えいたのだが、科学とは、未知のものを知ろうとする行為が含まれているので、未知の実験は結果が絶対にわからないのではないか、という説を打ち立ててみた。

たとえば、(これは既に知られていることであるが)水を0℃以下に冷やすと凍りはじめて固体となる。
これが未知であるとしよう。

いま、水を0℃以下に冷やしたらどうなるのか、という実験をする。
どうなるのかは未知であるので、この実験がはじめてこのような状況をつくりだしたのだとする。
0℃以下にする方法は、吸熱作用によって簡単にできる。
そして、冷やし続けたところ、観察者の目には、水が、表面(冷やしている部位に近いところ)から順に結晶のような物質になっていった。
(ここで何故?という質問は禁止←あまり科学的ではない問いかけ方になってしまう)
どのようにして水が固まったのか、と観察者は考えるだろう。
これはまったく未知の話であって、観察者はいろいろな説を打ち立てることはできるが、正解をつくことはできない。
たとえば、水の分子の運動が冷えたことによって遅くなり、分子をばらばらにしようとするエネルギーが減って分子間力によって分子が整列し、固まった、と考察する。
理論的に正しそうだ。
ただ、もしかしたら次のような状態かもしれないことに注意しなくてはならない。
水が0℃以下に冷えると、なんらかの原因によって、観察者の神経に被害をあたえ、固まっているように見えるのかもしれない
という可能性があるのだ。
つまり、水が冷えている実験と観察者は完全に隔離された状態ではない(実際に可視光線が観測者に入っていることから確認できる)ため、その実験結果が観察者に影響を与えても全く不自然というわけではないのである。
たとえ、その現場を写真で撮って、そのあと観察者が見ても、写真に影響を与えたのかもしれない、などという堂々めぐりになってしまって、絶対に真実はわからないのだ。
つまり、この実験によって得た結果は、
水を0℃以下に冷やしたら、観察者には水が固体となったように見える状況になることがある
ということだけなのだ。
もし、部屋を明るくしたら、暗くしたら、水を増やしたら、減らしたら、気圧を上げたら、下げたら、観察者を二人にしたら、ビーカーを大きくしたら、熱を下げる方法を変えたら・・・などの方法によって、結果が変わるかもしれないのだ。

つまり、未知の実験は、観察者に未知の影響を与える可能性があり、永久に何が起こったか判らない、ということになる。


もちろん、こんなことを考えていたら、科学は成り立たなくなる。
今のところ、観察者は絶対的な立場であるという状況を仮定している実験がほとんどで、それが問題にならないようなので、現在の科学観になっているが、シュレディンガーの猫の実験など、観測者が存在することも実験に影響を与えるようなことが多くなってきて、現在の科学観が上のたとえ(水を凍らせる)のような話で全てが破綻してもおかしくないのだ。

これに対する反論も聞きたい。

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