詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
最近ちょっとおかしいね。
最近、私の感情規制に異常が出て来た気がする。

いや、べつに興奮しすぎる、とかそういうことはない。
むしろ無さ過ぎるくらい。
もう数ヶ月、いや数年くらい怒ってない気がする。それはそれで問題もあろうが。

まずひとつ、涙もろくなった。
べつに悔しくて泣くのではない。
そこに悲しみ、喜び・・などの感動があれば、それにつられて泣いてしまうことが多い。
さすがに、今日自転車をこいでる途中感動して涙がでてきたのには自分ながら焦った。

そして、喉の奥が締め付けられるように鳥肌がたつことが多くなった。
あまり例はないんだけど、戦慄が走るって感覚に似てる。

三つ目に、胸が締め付けられるような感覚が多くなった。
別に恋愛をしているわけではないが、それに似た感覚。
ひどいと、食事もろくにとれなくなったりする。
この場合、外的な感動というものは一切なくてもこういう状況になるからこまる。


この記事はここで完結してもよいのだが、一日3記事はまずいので、続行する。

なんと、最近夢を操作できるようになってきた。
方法は至って単純。
何かを考えながらそのまま眠ることだ。
というか、何かを考えていたら、考える(つまり計算だな)ことはできるんだが意識がないという状況にまで持ち込める。
すると、視覚にその考えていることが投影されて夢となる。
逆に、夢を起きた後も見続けられる。
起きたあと、夢を見ている=考えていることを続行する。
自分の表面の意識を介入させず、なすがままに考えていく。
だんだん現実の情報が多く入ってきて、夢を処理しきれなくなると終わり。

さらに、意識が明瞭なときでも、目を瞑って夢をみることができる。
自分で、なるべく表面の意識を使わずに場面設定をし、そのままなすがままに考える。
これが難しい。
訓練しだいだな。
これに気づいたのは、今日、電車に乗っていて、音楽を聴いていた。
すると、突然違う場面から再生しだしたのだ。
しかし、全く今寝ていたという感覚はない。
でも、よく思い出せば、そのときに、考え事をしていた。
普通、無我になって何かをして復帰するときは、なめらかになるものだ。
そこに違和感はあまりない。
しかし、突然途中から再生されたように音楽が流れ出し、リズムを元に直すのに苦労したほどだ。

この先どんどん訓練を続ければ夢を自在にいつでも操作できる楽しそうなところまでたどり着けるのだろうか。
ただ、夢と現実の区別がつかなくなることは避けたい。
スポンサーサイト
音楽を家に見立てる。
まあ、誰かがやってそうなことだが。

音楽を家に見立ててみる。

和声→土台
対位法→柱
装飾→装飾&家具

古典~ロマン、印象も含むかな、和声は絶対的なものだ。
もちろん、構造や旋律などを考えて、それに和声を付ける、というのが普通なのだが、
つまり、どのような家の構成にしたいか、というのを考えて、土台を作るのと同じだ。

もちろん、土台だけあっても、それは全く意味をなさない。その上に、構造を作る必要がある。
ただ単純な構造ではつまらない。立体的に複雑に入り組んだ柱や板、これが音楽の対位法にあたる。
対位法には、壁などもふくまれる。基本的な構成、それを家としてみることができるだけの構造を持ったもの、それが対位法だ。

和声と対位法だけつけば、たしかに、それは家(音楽)としてみなすことができる。
しかしそれは全く実用的なものではない。
生活するにしても、公共広場にするにしても、最低限の家具は必要だし、外観が情けないと、見栄えが悪い。それを綺麗に直すのが音楽の装飾にあたる。
もちろん、不要なものは除いたほうが美しい場合が多い。


現代~前衛の音楽では、特殊な対位法や和声が出てくるが、
それはつまり、
へこんだ土台に、ゆがんだ木を立てていくようなものだ。
下手な人がやれば、それは誰がみても、ごみの山にしか見えないだろう。
だが、そこに、数学的な美しさや、逆に無秩序な美しさを見出すことができるのならば、それは名曲となりうる。
もちろん、その家とも呼べない物体は、実用性は全くないものであるだろうが、芸術性を見出すことは可能なのだ。
copyright © 2005 詰まった!! all rights reserved.
Powered by FC2ブログ.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。