詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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年度末。
今日は年度末。あんまり実感は無いかもしれませんが。

今年度気になった曲を紹介していく。同じ曲はかぶらないようにしているので、純粋にBEST3ではないので注意。

何があっても名曲だBEST3
①アルカン:大ソナタ
②ショスタコーヴィッチ:弦楽四重奏3番
③ベートーベン:ピアノソナタ21番(ワルトシュタイン)
→ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏は何度聴いたかわからないほど再生をかさねた。
→大ソナタはCDはアムランに及ぶものはなさそうだが、森下唯のコンサートは最強だった。

心のそこから震えた名曲BEST3
①ショスタコーヴィッチ:交響曲11番(1905年)
②ジェフスキ:不屈の民変奏曲
③ベートーベン:ピアノソナタ1番
→ベートーベンのソナタ1番はフィナーレが神がかっている。弾いているときに鳥肌がたった唯一の曲
→ショスタコーヴィッチの交響曲11番は、電車の中で聞いてたら、二楽章の最大の盛り上がりで心が崩れそうなくらい感動した。

あまりにも難しかった曲BEST(WORST?)3
①アムラン:練習曲12番(プレリュードとフーガ)
②アルカン:短調による練習曲10番(ピアノ独奏のための協奏曲3番)
③アムラン:練習曲7番(スカルラッティを讃えて)
→すべて練習曲が並んだ。
→すべて、それらしく、雰囲気だけは伝わるくらいにはなったものの、完成までは程遠い。

いろんな意味で感動した曲BEST3
①オーンスタイン:ピアノソナタ8番
②アルカン:練習曲(鉄道)
③アルカン:大練習曲2番(右手のための)
→オースタインのピアノソナタ8番の終楽章、規律と即興はすごいです。旋律もすごい。
→鉄道は本当にヤバイ。
→右手は、なぜ右手だけであそこまでできるのか、それがすごい。

素直に感動した曲BEST3
①アルカン:大練習曲3番(両手、無窮動)
②リスト:スペイン狂詩曲
③アルカン:作品番号15-1(私を愛して)
→大練習曲3番は、もともとユニークな構成で、ふざけているようにも感じるが、音楽的内容はいたって真面目で感動的。
→スペイン狂詩曲は是非弾いてもらいたい。
→私を愛しては、弾けるものではないが。

面白かった曲BEST3
①アルカン:短調による練習曲12番(イソップの饗宴)
②アルカン:エスキス23番(木靴を履いた男)
③ショスタコーヴィッチ:弦楽四重奏4番
→弦楽四重奏4番は、ただ単に3番の次だから自動的に何度も聞いててはまった、というのは間違いではない。



まあ、現代音楽&クラシックしか並んでないけど、他のジャンルだった聞いてないわけじゃないです。

にしてもショスタコーヴィッチとアルカンが多いなあ。
多分ランクし忘れが絶対あるが、この記事は、2008/3/31-19時現在ですからね。印象に残っているものだけです。
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今起きた・・・えええ?
そう、起床したのは10分くらい前、
時計をみたら、下を向いている針しかない。
僕は目が悪いんで、長針と短針の区別がつかないんだが、両方の針が下のほうを向いている。

上のほうを探しても、針らしきものはない。

まだ眠かったが、急いで起きた。
50記事達成。
月間50記事を、まだ1日のこしているのに達成してしまった。

前回の記事の文字数は3906文字。原稿用紙10枚分。

まあ、こんなけ書くのに50分くらいかかったわけだが、それにしてもパソコンは早いなぁ。

しかし、苦労して書いたとしても、誰も読んでくれなさそうなところが弱点ではある。

まあ、だから読めってんじゃなくて、エントリーナンバー666番が3906文字という長分になったことがおもしろいのだ。

664記事目なんだけどね。ということは次は666記事目!なんか不吉なこと書けばいいのかな?
ラーメン一杯の命
ええー、数日前に親から聞いた話。母親のほうです。

彼女は、今の夫とは違う人と、見合いをしたことがあるそうです。いや、これ自体は問題じゃない。

その人は、さる会社(猿会社ではない、念のため)の社長をしていたそうで、一回食事をおごってくれたそうです。

それが、ラーメン屋さんだったそうです。

彼女はひどく失望し、破談にしたそうです。

社長様は、何故振られたのかがわからず、(もはや結婚前提だったらしい)文句を言っていたそうですが、はたまた女心とはわからないものでございます。

ねえ、おいしいものを食べてなにが悪いんでしょうねえ、>社長


そんな話をするためにこの話を書いたのではない!

もし、社長がラーメンではなく、一級のレストランに連れて行ったら、社長と彼女が結婚していたのでしょうか?
そう考えると、恐ろしい気がします。

考えても見てください、自分という存在は、まさに母と父の唯一の関係においてしかありえないわけです。
女性の体から生まれてくるとはいえ、結局子供の遺伝子は二人の遺伝子を対等に分かち合っているのですから、もし母と父が出会わなければ、自分という存在は根っこから否定されます。
もし、自分という存在が必ずあるものだと仮定した場合、地球上の生物の数はだんだん増え続けていることによって否定されるでしょう。
また、いつかはすべての種が絶滅する(太陽が滅亡すればそこまで、もっと遠い話では、宇宙が静止すればそこまで)でしょう。
そのときには、自分の魂(と呼べるかどうかはわかりませんが)を受け入れる命(体)が無いのですから、自分の存在は否定されます。

また、これは死というものとも同じ想像ができます。
死んでしまえば、自分はこの世界から消滅する。もちろん、生きている人には死ぬことは想像できませんが、自分が脳で考えているという実感がある以上、死ねば自分は間違いなく消滅する。
それが、5感のすべてを失うということだとか、気絶しているときと同じような状態が永遠に続くのだとか、いろいろ想像はできますが、結局真実(が存在するかどうかさえわからないが)はわからないのです。

親の話に戻りましょう。
兄弟というのは不思議な関係です。同じ条件で生まれたにもかかわらず、人格は絶対に別々になっているのです。
一人っ子の人が、自分の絶対化を図ったとき、それは否定される可能性も持ちますが、さらに親が子供を生んだときのことを考えてください。
自分の絶対化とは、宇宙の中において、自分だけが唯一の観測者であって、他の人は自分の世界で動いているだけ、というような感覚です。誰でもそういう考えになったことはあると思います。
自分の絶対化を除いて、話しましょう。

兄弟というのは、年齢に1年以上は間があるものですから、自分というものを確立させることはできますが、双子の場合はどうでしょう。

とくに一卵性双生児を考えてください。
両方に違いはあるのでしょうか?
もしあるとすれば、精子の違いでしかありえません。
ただし、その二つの精子に含まれる情報は、書き誤りが無い限り、絶対に一緒であるはずです。
原子一個レベルまで同じとは言いませんが、人間を作るのに必要な除法としては全く同じ。
人間の細胞をつくる卵子まで同じ。
ここまで対称的な二人の人間が、何故同じ人格にならず、二人の人格を持ちうるのか?
やはり、そこには何かの違いがあるのでしょう。その差をXと呼ぶことにしましょう。

双子でなくても、理論的には、双子になる可能性は誰にでもあったはずです。
奇形などを除いても、一度に卵子に出会う可能性のある精子は何億といることでしょう。
もし、隣の精子が人間を形成しようとするとき、今の自分の人格はなかったのでしょうか?
もちろん、無かったはずです。
その隣の精子と今の自分を形成している精子が同時に卵子に出会った場合は、自分と同じ人格と他人ができあがるに間違いないのですから。

ここで、また脱線しますが人格形成の成り立ちを考えて見ましょう。
生物が生物になるときはいつか?
卵子も精子もそれ自体では生物ではない。二つが出会い、細胞分裂を始める瞬間、このときにもう生物になっているのでしょうか。
単細胞生物がいるように、この状態で生物と呼んで差し支えはありません。
しかし、人間の"魂を受け入れるだけの体"にはまだなっていない。
魂が受け入れられるのは、やはり、外部の情報を記録することができるようになってから、でしょう。
つまり、脳が形成されてからです。
そして、そのときにようやく外部の情報を"記憶"できるようになったときの過去の自分と今の自分は同じ生物でしょうか?
長い時間を経て、別の人格になってしまったのではないでしょうか?

―生――――――――今――――

ここで私は不思議な感覚に捕らわれました。今の自分は決して過去にもどることはできません。
あたりまえなのですが、それでは一瞬前の自分と今の自分では別の人間なのではないでしょうか。
しかし、それを考えるには時間が足り無さすぎる!
時間が止まって、間違いなく"今"の自分を実感しているときにしか、それを実感として捉えられないし、考えられない。
時間の進むなか、すでに起こっている事象を自分の人生の長い間のほんの少しの場所で考えればいいのですが、それが非常にやりにくいのです。
今の自分と少し前の自分を同じ人格だと"錯覚"もしくは"実感"させているのは、記憶です。
人は記憶なしでは自分を自分として保つことができません。私が散々使ってきた、「魂」とい単語は記憶を"複雑に"言い換えただけのものかもしれないのです。
また、記憶も絶対のものではなく、消去されたり、追記されたりすることがある。魂が記憶と同値であるのならば、魂は常に一定ではありません。
これは、「自分」を否定します。
今、"実感"している自分とは、今の記憶、過去のすべての記憶を含み、また、未来も起こりうるであろう記憶をすべて一体とした何かであるような感じがします。
それもまた自分の経験と予測によって破壊されるでしょう。
"今"の自分が記憶していない部分(必ずあるはずです)の"外見的な"自分を今再生できるとしたら(不可能なのが考えるのに厄介なところです)それを自分と知覚することは、やはりできないこともあるでしょう。
知覚できなくてもそれは自分かもしれませんが、そもそも自分とは感じている自身のことのようなニュアンスですから、自分ではない自分がいるという矛盾が出てしまうのです。
自分は、自分の記憶だけあるなら、"外見的な"自分の"多く(時間軸においての)"が自分でありません。
その自分でないところから、何故自分がうまれてしまうのか、自分はやはり過去によって生まれてきたのではなかったというわけにはいきません。
結局どうとっても逆説がでるのですが、自分の記憶が自分であるとしたときの話で、人間はすべてを記憶していて、普段使わないだけで、取り出そうと思えば(普通の思うではないが)取り出せるのだ、とすると、それはありえそうな気がします。
催眠術で、あらゆる回想ができる、などという話を聞きますが、つまり、それで全部覚えているということです。
もしそれが本当なら、母の胎内にいたときのことすらも思い出せるといいます。
つまり、胎内の自分はまさに自分です。
双子の人が催眠術を履行しても、兄弟のほうの記憶は回想できないでしょう。(できない・・・と思う)
ようやく話がもとにもどってきました。
つまり、双子の兄弟はやはり自分とは違う存在、さかのぼって、二つの精子はやはり違います。
X(人格の違いに関係する精子の違い)は存在した!
これによって、一人の男性の精子には、どの組み合わせをとってもXは存在するということになり、
もちろん卵子にもXと同じようなものが存在したとすると、

母と父が出会うことが予定調和だとしても、また自分ができる可能性は何兆分の1とかいうことになります。(また、ここで不確定性原理(宇宙の未来は絶対に予測できない)によって、これは確立の分数になりうる)卵子と精子が出会う時期はもちろんのこと、体勢によってまでそっくり自分が生まれてくるためになりえた、あまりにも完璧な偶然の受精が行われたのです。


この偶然の説明は人間原理でも用いないと無理です。
しかし、人間原理を用いると、それは反証ができなくなります。そこで思考はストップしてしまうのです。
非常に残念なことですが、ここまでで思考をストップするしかありません。

しかし、母と父がめぐりあった奇跡、その母と父を形成することができた奇跡、またその祖先すべてにおけるただひとつの糸をたぐって、西暦2000年近くになって、自分を形成した。
そのことは、計算すれば、10の何百乗とか、何千乗とか何万乗とかでさえもあらわせない確立になります。
この宇宙ができた可能性が10^500分の1であるという説はありますが、そんなのとはかけ離れた、まさに数学的数字の確立で、自分が形成されたのです。

このことはなんと神秘的で不思議なことでしょう。


ラーメン一杯の社長さん、あなたがもしラーメンではなくもっと高級なものをおごっていたら、それだけで私は形成されなかった。社長さんの行動は、今まで何億年もたどってきた、その細い確立の糸を切断することなくつないでくれた。

また、過去の人達すべてに感謝しなければなりません。
当地の人は大変かもしれないが。
今日初めて知ったことだが、ジンバブエが面白すぎる。

今のところ、インフレ率が、年間100000%(1000倍)になってるとか、一部の情報では、150000%になってるとか。

1USA$($の記号は数字の前につけるのが普通だが、この記事は日本人にとって直感的に、数字の後につけることにした)は40000000(4000万)ジンバブエ$(以下Z$)が今のところのレートらしく、
10000000(1000万)Z$札が発行されたそうな。
wikipediaでは、為替レートを通常のグラフでは表せず(表すのを適当とせず)、対数グラフで書いている。
それでも大体加速度的に上昇している。(それも3次とか4次関数的な)

卵ひとつが5000000(500万)Z$、レストランで食事をすると、1000000000(10億)Z$にもなるとか。
もっとも、1000000000(10億)Z$を日本円に直すと、約2500円、0の数に圧倒されるだけで、たいしたことはないんだが。

白人の激減によって、産業は成り立たなくなり(経済成長率-14%)、国民の生活はもう大変。
石油1ℓを買うのに、ちょっと前まで150000000(1億5000万)Z$だったのに、すぐに900000000(9億)Z$になったとか。

政府は、政治家に払う給料を作るために、お金を発行し(この発想が神)その額、1000000000000(1兆)Z$
もっとも1000000000000Z$といってもたいした額ではなく、$25000、日本円にして、2500000(250万)円である。政治家一人を半年も持たせられない。
大統領は、さらに、1000000000000(1兆)D$を発行すると言ってるようだ。

大統領選は目前らしいが、何しろ現在年率100000(10万)%のインフレ、そして、年率も加速度的(1年前は年率1280%くらいだった)に増えているのだから、もし1年たったら、1$=1000000000000000(1000兆=10^15)Z$くらいになるのは、自明である。
もし、新しい紙幣を発行しないと、最高の紙幣が10000000(1000万)Z$であるから、
ただでさえ、レストランで食事をするのに100枚の紙幣を並べなくてはいけないのに、一年後は、500000000(5億)枚の紙幣が必要となり、紙幣の厚さを0.1mmとすると、50kmの高さを積み上げなければならず、これをレジ代の上に置くのは不可能である。
紙幣に使われる木の伐採も半端な量ではない。
もっとも木を1本切り倒すのにかかる費用が絶対に木の体積より大きくなるから意味がないのだが。

笑えるのは、最小単位は1ジンバブエセントであるということ。

もっとも使うわけには行かず、(レストランで食事するときに、これだけで払うと1000億枚、重さは1枚2gとして、200kt(20万トン)も支払わなければならないのだから。)このセントは、カジノのコインとして使われているらしい。

現在にもそんな国があると思うとびっくりだ。

なんと数学的な国であることか!

(面倒くさいのは承知で、0を並べた。実際のジンバブエの店の感覚を味わっていただきたかったのだ)

追記:このジンバブエドルは、実は数年前まで、USAドルよりも価値が高かった。
画面。
私のブログ、、まあ、このページのことですが、、、

全体的に画面が暗い。

別に何の問題も無いんだろうが、私は、目の保護のため、ブライトネス30%、コントラスト57%で見ているため、非常に見づらい。というか、見るのは不可能である。

しかし、あまり背景を変えないのがポリシーなのでまあ、かえるつもりはありませんが。

それにしても朝から二連続更新。今月47記事めかな。
形成とでも言おうか。
最近、、いやずっと前からだが、文章をものすごい速さですっ飛ばして読んだときに、ある単語が見えたような気がするのだが、探してみると見つからない、ということがよくある。

不思議なのは、その見えたような気がする単語がその文章の隠れた意味になっているから不思議。
一瞬で文字を見て文章を理解することなんか不可能だから、経験的に印象的な単語から作り出しているだけかもしれない。

こんな風になるのって誰でもあるの?

文字を一体としてみることができなるくなるのをゲシュタルト崩壊と呼ぶなら、この現象はゲシュタルト形成みたいな感じかな(ゲシュタルトは人の名前じゃありません。念のため)。
終わりからが長い
4月まであと2日もありますね。
意外です。

まあ、どこかの国の政府の人達は、あと2日が百倍くらいになればいいのに、とか考えてるかもしれませんが。

この一週間は途轍もなく早かった。気づいたら木曜日だもんね。

やはり外出しないのは良くない。
タト出どころか家の中で動いてすらいなかったからなあ。

とりあえず、残りの春休みは、せめて漫画を読むくらいの行動カは見せなくては。


ところで、上の文章に少しだけ細工をしました。気づく人はどんなけ暇なんだか。
2箇所細工をしましたが、特に前のほうは見つかるわけがないでしょうな。見つけても何もあげません。
こんな時間=6:18
こんな時間に書き込んでいるということは当然徹夜?

いや、実は徹夜と睡眠と両方を兼ね備えたような状況でございます。

嘘です。。。やってしまいました。。。

ん?なんかおかしいぞ?(表現が)

気のせいか。

いや~、頭がさえている割には文章がめちゃくちゃですな。

しかし眠くない。
よしっ!!
毎日新聞にメールを投稿してみた。

相手はマスコミ相手だから、いつも使ってるメールアドレスとは違うメールアドレスで送ってみた。

怖いもんね。

向こうからなんか反応してくるのが楽しみ。反応なくてもそれはそれであきらめるけど。
月間第二位
この記事で、今月42記事目、2008年1月の41記事を抜き、第二位となりました。
一位は、2007年8月の46記事で、これを抜くのは、まあ、ほぼ無理でしょう。
テスト期間がある月にもかかわらず40を超える記事を書くというのは一種異常で、
よほど暇だったんだろうな、と思います。

そして、今は書くことが無いんです。
あることはあるんだけど、、、忘れちゃった。
頭痛が・・
頭痛がやまない。

理由わわかっとる!

パソコンの画面の見すぎだ!


さすがに新しい画面ほしい!
開く前に必ずお読みください
曲を書いた。

アップするが、次の項目に該当する人、およびしない人がどのような感情をもたれても、私は責任を負わない。

①モーツァルトが途轍もなく好きな人
②現代音楽~前衛音楽を理解できない人

もーつぁるとのばかぁ

もちろん、この曲を書くのに30分もかかっていない。
ゲシュタルト崩壊
ゲシュタルト崩壊。
まあ、あまりにも有名なので、みんな知っているかとは思いますが・・・。

全体像を全体として認識できなくなること

らしいですね。
自然のものは、たいてい、単純な構造のものが組み合わさって複雑なものを作り出しています。
たとえば、ダイヤモンドは、炭素から作られていますが、別の組み合わせ方をすると、鉛筆の芯のようになったりして、いろいろ複雑なことができます。
ゲシュタルト崩壊は、その鉛筆の芯を芯として捕らえることができず、炭素として捕らえてしまうこと、のようです。

↑のように書くとわかりにくいですが、同じ文字を100個も書けば、簡単に実感としてつかめますね。

ひらがなを書くときに、私にとって難関なのが、「む」と「ら」の二つで、どうしてもうまく掛けません。
「む」をずっと練習していたときがありましたが、当然のようにゲシュタルト崩壊を起こしました。
私がよくゲシュタルト崩壊を起こすのは、「て」という文字。この文字がからどうしても意味が抜け落ちてしまう。

「借」という字がゲシュタルト崩壊を起こしやすい文字の筆頭として言われていますが、見続けるだけでは私は6分くらいかかりました。
起こりやすいといわれている所以は、3つの部分に分かれていて、バラバラに見やすい、直線が直角に絡まっているのが大部分、この文字の形に意味が無い、というようなことからだと思います。

そこで、深く調べていくと、音楽のメロディーにもゲシュタルト崩壊を起こすことがあるとのこと。

全く気にしていませんでしたが、よく考えれば、私は常にゲシュタルト崩壊を起こしている気がします。
全体として音の塊をとらえるのではなく、個別に、音を捉えるのはよくあることです。
ただ、全体の雰囲気は、崩壊の起こしようがないです。明るい旋律はどう聞こうと明るい。これに間違いはありません。

さらに調べていくと、鏡の中の自分の瞳を見ながら、「お前は誰だ」というと、自分自身の全体像を捕らえられなくなるゲシュタルト崩壊を起こすとのこと。
これは、ネット上での単なるうわさなのか、実際にある現象なのか、今ひとつよくわかりません。
私の検索技術の低さもありますが。
ただ、自分の全体像を捕らえられなくなるというのは、頻繁にあることだと思います。
たとえば私がピアノを弾いているとき、なぜ複雑な指の動きができるのかが全くわからなくなることがよくあります。
特に、何度も練習し、弾きこなせる非常に難しい曲を弾いているときに、自分の手が自分の脳で動かされていないかのような感覚が出てくるときがあります。
私が小学生の時は、このような感覚に陥ったとき、急にミスタッチが出てきて、しばらくその曲が弾けなくなる、という現象までありました。今はありませんが。
逆にこの現象を利用したこともあります。
壁に強く手をぶつけたとき、少しおくれて激痛がやってくることがありますが、
そのときに、この手は自分のものではないかもしれないという、自分を全体と捕らえないゲシュタルト崩壊を起こし、痛みから逃れたことがあります。
このとき、痛みを感じるというより、痛みを感じていることを考えている、というような奇妙な感覚に捕らわれます。実際、それほどの苦痛ではなくなるのです。

さて、鏡に向かっての、自我のゲシュタルト崩壊、やってみたい気がしますが、また、非常に恐ろしい気もします。
なぜなら、このブログと、実生活の私を見たりしてわかるように、自分の人格がまだ一定してないと感じているからです。
私はたまに狂ったような行動をします。
理性的な行動もするでしょう。
私が狂っているような行動をしているとき、おそらく他の人からみれば、こいつは、自分とは全くちがう脳の構造をしているに違いない、みたいな感覚になっていると思います。
ボケはじめた老人を相手にしていると、うまく言葉が伝わらず、相手はどんな考え方をしてるんだ、みたいな状況になることと同様に。
一方、こちらからは、自分の頭のなかに浮かんだ言動像を表現せずにはいられなくなり、それを実行しているだけなのですから、自我はしっかりとしているはずなのです。
しかし、その自分を見ている冷静な目の内部の自分と、狂った行動をしている実際の自分がいるわけで、少なくとも、二重の人格を併せ持っているように思えます。
自分がひとつ(全体)の人格ととらえることができていないゲシュタルト崩壊を起こしているのは、確かなのです。
もし、鏡に向かっての実験を行って、人格が完全に分断されたら・・・恐ろしいことです。
自分の人格がなくなるのは、つまりは現在の自分にとっての死とおなじことなのですから・・・。


3:40追記
よく考えれば、崩壊ってあるものが別のものに変化すること、だよな・・・。
ゲシュタルト崩壊は全体像が部分的なものに変化する、ということか。
考察の対象が広まった。
五文字の言葉
どうしても頭にこびりついて仕方ないので、ここに書きとめておくことにしよう。

ミステイク
うおぅ
今年に入ってから、もう104回目の更新だ。

今回の春休みは、やるべきことが多すぎるのに、やることが無さ過ぎる。

無駄だ!無駄すぎる!

とろけるほど無駄だ!

時間は有限なのに、暇は無限だ!

なんかうそだ!
衝撃の夢
長い夢を見た。今回は、全く断片的でなく、すべてが滑らかにつながってて、全く不自然なところが無かった。
だからこそ余計に衝撃的だった。

夢って本当に自分の脳内だけで作られているのだろうか。
それを疑うような夢だ。

内容は少し恥ずかしいので書かないが、登場人物のきめこまかな設定や、自分の心理を(本当の心理かどうかは別にして)すべてさらけ出されたような台詞と物語には、恐ろしささえ感じた。


その話と関連して、だけど。
自分の伝えたいが、言いたくない(抵抗がある)ことって日常生活に頻繁に出てくると思う。
また、相手から聞き出したいが、聞き出せない(抵抗がある)ってこともよくあると思う。
そういうときに、どうしても言いたいので、始めの部分だけを言って、止まってしまうような状況を想像してみてほしい。
このときに、相手は次の4つの行動をとるだろう(ほかにもあるけど)
①何?と追い討ちをかける
②無視する、別の話題を掛けて話しを逸らす
③こちらの言いたいことを代弁してくれる
④こちらの言いたいことではないものを代弁してくれる
ここで③をとられたときの、焦りと上昇感はヤバイものがある。(話の内容にもよる)
なんと、自分が「はい」と答えるだけで、言いにくかったことがすべて伝わってしまうのだから。
まあ、ここで「いいえ」と答える選択肢は無いように見えて、“間違って”言ってしまうこともあるのだが。まるで④をされたときのように。
この束縛から解放されたときの安心感というのは、言葉だけによってもたらされる、最も大きい幸福のひとつかもしれない。
約束=プロミス
約束しよーぜ!Oh!プロミース

そこの不思議な紙に、印を押しNASAい!!

拇印でいいすか?カモカモかもねぎぃ

ぬるいぜ、まだまだ話は終わっちゃいない!

ともすれば、永久不滅の銀河を駆け巡るハリケーン!

氷のように冷たい心と太陽のように熱い心を併せ持つ、禁断の神の登場だ!

おお友よ、落ち込むな、次世代ユーザーは待っている!!

あまりにもデジタル化された未来はいらない!テーマはまだ決まってない!

自由だ!俺たちは自由なんだ!柔軟なんだ!

亀の甲より年の功!かってに変換してくれるぜ!やってみろ!

亀のー甲ーよりー年のー功ー

でな!

ハイスペックだぜ!!

妥協しない3コウのように奏でるシンフォニー、

永久に続く不埒な文章!

淫らな呼吸と焦燥感漂う空気、

この世の終わりまであと少し、少しでも楽しまなきゃ損!

また孫にも言うだろう、あなたは溺れている、と。

車のなかで流れる音楽は、悲しみのラプソディー。

油で滑って転んでさあ大変、そんなの気にしないのが一番!

人生は遊び、遊べないやつは生きる価値無し!

なによりも先にまず考えろ!

なぜこうなったのかを!

狂ってなんか無い!すべては計算済みなんだ!理性はそこに落ちている!

ねじを締めろ、ハチマキを巻け、ネクタイが解けそうだぞ!

中途半端なのは嫌いだ!一刀両断にしてしまえ!

犬もあるけば棒にあたるんだ、お前も一緒。

毒が回って瀕死の重傷、いつまで持つかも運次第!

なら立ち止まって前を見て、赤信号でも渡ってしまえ!

俺には罪は無い!

すべての罪を背負ってくれる人がいるのならば、その人から罪を買い取れ!

その値段こそ、魂の価値・・・。
暑い・・・。
さて、、やはり涼しいのが快感なのは良い。

窓を開けて、すっきり。あまりあけ続けると寒くなるが、寒い中で布団にはいる幸せもまた一興。涼しいのとあったかい快感を同時にえることのできる季節は今くらいだろうな。
ゲーム理論で政府を責める!!
さて、日銀総裁の座が空席になったそうで(反応遅いが)。

この事態をゲーム理論で扱えるよう単純化する。

player1:与党
行動:総裁の人物を財務省出身かそうでない人で提案する
player2:野党
行動:与党の提案を通すもしくは通さない

利益を表にすると以下のとおり。首相いわく、「野党が反対する理由はわからない」だが、どうも財務省出身が日銀総裁になるとまずいみたい。
非ゼロ和2人ゲーム与党→野党



与/野賛成反対
財務1/-1-2/-2
普通-1/1-2/-2

おそらくこうだろう。与党は日銀総裁が空席になるよりは普通出身の人が総裁になったほうがましのはずだ。
ちなみに、実際には、2回戦、3回戦とあるみたいだが、
野党側に、1回戦:財務省出身=反対を選んだとき、n回戦(n≧2)のときに与党が財務省出身を選んだとき、賛成しにくくなる。
これを表にしよう。
非ゼロ和2人ゲーム与党→野党、野党が反対を選べば、次回戦に突入



一回戦与/野賛成反対二回戦与/野賛成反対三回戦与/野賛成反対
財務1/-1次へ財務1/-5-1/-1(次へ)財務1/-4.5-1/-1(次へ)
普通-1/1次へ普通-1/1-1/-1(次へ)普通-1/1-1/-1(次へ)


回数を重ねるごとに、反対になったときの被害が甚大になっていく。3回戦以降は賛成になったとしても空席ができてしまうことにより、利益は低くなり、損害が大きくなる。また、あまり野党が意地を張るのもおかしいことになる。
一回戦、与党は、プラスになる可能性がある財務省を選ぶだろう。これは至極もっともである。
これで野党が賛成を選べば損をすることになる
損をせず、次へ進み、得をする可能性にかけるうのももっともであるといえるが、-5になる可能性を含む、いわば賭けである。
が、このままだと与党にも被害が及ぶぞ、という、心中する覚悟の脅迫を見せることによって牽制しようという行動でもある。
実際は与党はこれに気づき、-1でやめるのが正着であろう。
飽和点は、二回戦与党普通・野党賛成である。

だが、実際は三回戦突入となってしまった。野党に利益なく、与党に損害の普通・賛成を選ぶか、野党甚大被害、与党に利益なしの財務・賛成を選ぶか。
もしくは、さらに被害を拡大する財務→反対にするか。
4回戦の財務・賛成を1/-4とし、その後も1/-3.5・・・としていく(-0.5以上にはならない)ならば、両方とも意地を張り続けたときに、9回戦くらいで野党が折れることになるが、それまで待つのか。
そのときには、-8というひどい数字がでていて、これでは共倒れである。つまり、日本の崩壊を意味する。
ま、そういうこっちゃ
今日は終業式。今日の記事は別に書きたいことがあったのだが、目が痛いので、延長するなり中止するなりしよう。

仮進も多かったそうだが、100点超えも結構あったそうで。

裏で160点とることもできたし。もうちょっと本気だせば250点も取れそうだったかな。
コンクール
今日は千葉県のピアノコンクール伊藤楽器主催に行ってきた。

全体的にレベルは高くなかったと思う。
一人くらいダントツの人がいても良かったと思うが・・・。

見たのは小学5~6年の部と中学高校の部。

ゲストのピアニストの演奏もあったり、表彰式とかもあったが、そんなのには興味がないので見なかった。
所詮審査の時間稼ぎ用ピアニスト、ショパンとリストの有名どころしか弾かない。

もうちょっと気の利いたものを弾けば良いのに。

そう、気の利いたものといえば、中学高校の部で、カプースチンの演奏会用練習曲3番を弾いている人がいた。内容はともかく弾こうってのがすごいね。もうちょっと速く弾いたほうがいいと思うが、限界だったか。
ショパンのピアノソナタ3番のフィナーレを弾いた人もいた。結構気が利いているが、内容がちょっと・・・。


やはり、コンクールなんだし、もっと技術を評価させやすい曲、たとえばジュール・マスネの狂ったワルツとか弾けばいいのに。


最後になるが、決して僕が出演したわけではない。
機嫌・・・。
今日、(さっきの記事も今日と書いているが、日付じょうは昨日だな)

自分がこんなにも幼かったのか、と思った。

ちょっと自分の思い通りに行かなくて、ふてくされてしまって、なんとかそれを抑えようとがんばっていたのだが、一気に自分の思い通りに行くようになって、一気に機嫌が直った。

自分を客観的に見ると、なんとまあ単純なことなのか。

逆にそれが恥ずかしくてふてくされてしまいそうになるくらいだ。
神奈川
今日は神奈川県まで行ってきた。
ちなみに僕は千葉県民。
横浜、というとそう遠くない気がするが、神奈川というとすごく遠い感じがする。
おそらく東京都と横浜のアクセスのしやすさが同じくらいだからだろう。
といっても、やはり横浜まで3回は乗り換えなくてはならない。

出かけたのは、16:30
こんな時間に県外に行くというのでもすごい違和感だ。

なぜ出かけたかというと、僕の作曲の先生のコンサートがある、ということだからだ。
ちなみに、駅から出たら、目の前に会場があったにもかかわらず、それを会場と認識せず、そこらへんを歩き回っていた。
雨が降っていたものだから、ぬれてしまった。

内容は、(ちなみに入場料は無料)
CDでは何度か聞いたことのある、ピアノのためのオードカプリシャスを聴いて見れたというのが一番の収穫だった。
フルートとピアノによる日本のメロディ(名前忘れた)はなかなかしゃれてて面白かった。
やはり編曲は、原曲にはないものを付け足さなければならない。
編曲にしかないものがあって、それを行うために、原曲の一部を犠牲にする価値がなくてはだめというものだ。
アルカンの編曲、バッハのシチリアーノなんてもってのほかだ。なぜあんなにくだらないことをするのだろうか。こういう編曲をするのはろくでもない作曲家である。
良い編曲というのは、
アルカンの編曲、ベートーベンのピアノ協奏曲3番みたいなものを言うのだ。原曲を再考案し、原曲を殺さずに自身を前面にだせる、こういう編曲は真にすばらしい。こういう編曲ができるのは類稀な才能をもつ作曲家である。
日本のメロディの編曲はとてもすばらしかった。

最初に演奏された、湘南の合唱はいろいろ感じるものはあったものの、その演奏を聴いている人にしかわからないような感想しか浮かばなかったので、ここでは、美しかった、ということで終わらせておこう。


ちなみに交通費は2800円ほどでした。
即興連弾。
暇だ。

ということで、
てきとーに弾いたのち、その上にてきとーに重ね録音、
つまり、即興連弾を一人でやろうということを思い立って、
しかし、適当にやるのではめちゃくちゃになるだけ、ということで、
リズムだけをパソコンに取ってもらい、打ち合わせ(自分との)も何もなしでやってみた。

即興連弾

3分程度なので、すべて覚えるのは無理でも、少しは覚えていられる。
とはいえ、めちゃくちゃになるのは運命である。

下声から録音して、なるべく交差しないようにした。

ちなみに、僕の電子ピアノは、僕の精神状態を常に反映しているので、こういうものが鳴っていることは多い。
小問題集
次の問題に答えたければ答えなさい。
制限時間30分

問1(20点)
四つの違う漢字A,B,C,Dを二つずつ組み合わせて熟語を作ると、次のようになった。
①すべての組み合わせ方のうち、
AB
AC
DB
DC
が熟語になった
②熟語になった組み合わせのうち
BC
だけ読み方が違った。
ABCDにそれぞれ当てはまる漢字を答えよ

問2(個数×4点)
「かえる」という単語を考え付く限り漢字に変換せよ。

問3(個数×5点)
次の数列はひとつの数式だけで一般項を立てられる無限数列である。
1、□、□、8、・・・
空白に思いつく限りの数字の組み合わせを入れ、それがどのような一般項になっているかを答えよ。
空白に同じ組み合わせの数字が入る場合は一般項が違ったとしても、ひとつと数える。




ええ、100点超えたらすごいと思いますよ。
最後の問題、ひとつずつ、数字を指定していってフィボナッチの拡張みたいなことやればいくらでも作れるけど、さすがに4項間漸化式の一般項とか求めてられないでしょ。

18:50,問題の一部を修正
ぎゃぁああ
目がすごく痛いです。

ブラウン管の画面を数時間見続けていたからかもしれません。
すごく画面がほしい。
ネットめぐり
私の最近のネットめぐりの仕方

お気に入りから適当にマウスでクリック。別に何が出てこようと関係ない。
見新しいものがあればチェック。

それだけ。

まあ、普通は10分もあればすべてのサイトを巡ってしまうので、そこからは暇だ。

もうちょっとお気に入りも増えればいいのだろうが。
今日(昨日)の感想
みかんうるさい。
円周率の日
今日って円周率の日じゃん!

ということで、3/14,15時に書き込んでみる。

円周率ってすごい半端な数の癖に無限の概念を使うといくらでも出てきてすごい不思議。
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