詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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面白げな話。
今日の朝、テレビで。

明日から、後部座席のシートベルトの着用が義務付けられます。
そもそも、シートベルトを(後部座席で)着用していたのは、1割にすぎませんでした。
自動車事故で死亡する人の8割は、シートベルトを着用していないと統計もあります。

みたいなかんじ。

100人、事故にあって死亡したとすると、20人がシートベルト着用、80人が不着用
事故死亡率(怪我は除く)を10%(これはどうでもいい)とすると、
シートベルトを着用している人は、100人、着用していない人は、900人。
着用別の死亡率は、着用20/100=0.2、不着用80/900=0.089

着用すると、死亡率は2倍以上になります。みなさん、シートベルトを着用しましょう。

ただ、怪我率を書いていないので、この結果にも統計の罠が隠されている可能性は有る。(車が完全に破壊されるような事故ばかりが死亡につながるとすると、シートベルトは関係なくなり、シートベルトの安全性は保障される→シートベルト不着用だと、怪我が死亡になる、無傷が怪我になるものだとするとか)


円周率の2乗は、約10といいます。実際は9.89くらいだったはず。
昔は、10の平方根(3.16くらい)を円周率としていた地域もあった。(実用レベルでは十分)
22/7(3.1429くらい)を円周率としていた地域もあります。これは非常に近似している上、単純なので使いやすい。

しかし、ものすごく近似しているものを見つけました。
31の立方根=3.14138・・・
誤差、約0.000212というものすごい精度を誇っています(使い道がないのが傷である)。

ただ、円周率の3乗が、31.00まで正確にでるというのは、発見であろうと思われる。

追伸(23:43):3020の7乗根=3.141549・・・
追伸(23:47):9000万の16乗根=3.141522・・・
追伸(23:52):865億5600万の22乗根=3.14159264・・・
追伸(23:57):8105兆8000億の32乗根=3.141592644・・・
追伸(23:56):8京の34乗根=3.1415914・・・
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いやー体の調子が
今日は学校を休みました。

何故かは不明です。

いつもより体の調子がいいし。別に用事があるわけでもなし、と。

ただ、起きたら11時だったというか、まあ、6時半に起きたあと、また寝たら、11時だった、とまあ、そういうわけで。

何故寝たかというと、眠かったからに相違ありません。
紆余曲折
紆余曲折はあったものの、なぜか5月は1日1記事以上の[割合]の更新率となった。

割合を強調したのは言うまでもない。1日1記事以上の更新なんてできていないからである。


割合といえば確率、確率についての話。

最近本当に身に染みて感じるのは、確率の揺らぎの可能性は相当高いということだ。

たとえばさいころを2回振ったときの合計値の最頻値は7だ。間違いない。

だから、確率では、7がでると予想するのが一番確実であるという。

しかし、6回に5回は揺らぐ。一番で難い2と12ですら、どちらかがでる確率は、1/18である。

2がでたあとは、さすがに2回連続で2なんてでないだろう、という心理が働くが、真理ではない。(洒落)

2が2回出る確率は、1/1296であって、こんなの出る確率は殆ど無いような気がするのだが、実際に1/1300は出る。

そもそも2が出たあとには、2が出る可能性が1/36である以上、相当な確率で出るのだが・・・。

0.1%が出にくいと言われるのは、一発勝負の場合だからであって、何回もその可能性に挑戦するときは、それが出ることはたびたびあるのであって、良い場合には幸運であるが、悪い場合には、不運ではなく、必然と考えてもよいくらいのものである。

つまり、大体、このブログの更新頻度は、85%くらいであるが、1週間連続で休む確率は約0.00017%ほどもあり、これが起こる可能性も確率の揺らぎの範囲内であるのだ。決して奇跡ではない。

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当浜地です。 今日のテーマは、「苦手な音ってありますか?」です。 夜も暖かくなり、最近はチラッと窓を開けて寝ている私・・・すると、ンギャーぎゃーギャーー!!!と狂ったような赤ちゃんの声!?何!?おばけ?!コワい・・・><しばらーくして、よく聞い・..
FC2 トラックバックテーマ:「苦手な音ってありますか?」



FC2ブログのテーマというものにも、少しは干渉してみようと常々思っていたが(←嘘)、少しだけ面白いテーマだったから書いてみる。

嫌いな音楽って、2通りに分かれると思う。単純に表せば、

①理解できない曲
②理解はできるが、好きじゃない曲

①の場合は、それを聞いた人が、良い曲か悪い曲かを議論することはできないと思う。するのならば、曲に内容があるのか、無いのか、という議論になるだろう。
僕が聞いた曲のなかで、①に当てはまるのは、メシアンの曲たちだ。
世の終わりのための4重奏とか、主の降誕とかは、まあ、いいんだけど、ピアノ曲はよくわからん。
世の終わりのための4重奏がすきなわけでもない。

②は、いくらでもありふれていると思う。理解できるというのは、なにも深く解析するなんてことじゃなくて、それを音楽として聴きとめられる、くらいのことでいい。
僕が聞いた曲のなかで、よく当てはまるのは、たとえば、ヴィラ・ロボスの曲たちだ。
野性の詩とか、3つの星の第2曲、第3曲とかはいいんだけど、基本的に好きになれない。

嫌いな曲ってどこらへんが嫌いなのか、①での嫌いさは、もはや、どう嫌っていいのかすらわからない理解不能なところが嫌いなので、わかりやすいのだが、②だと、さすがに説明しなければならないだろう。

僕は、基本的にトーンクラスターは嫌いだ。嫌いというより、苦手だ。
5半音くらいまでが重なるトーンクラスターは使い方によっては綺麗だと思うけど、グジャってなるのは好きじゃない。
といっても、レオ・オーンスタインの使うクラスターは、クラスターの破壊性を野蛮性と置き換えているのは、見事だと思うし、ジェフスキーの不屈の民10変奏にでてくるクラスターはあまりにも綺麗だ。
アルカンの使うクラスター(イソップの饗宴、小悪魔たち)は厳密な意味のクラスターとはいえないが、その異様な雰囲気は聞き応えがある。

あと嫌いなのは、完全四度だ。
二つの旋律が、完全四度をなすのは、とても嫌だ。単音で鳴らされてもいやだ。
まあ、これにも山ほど例外はあって、ラヴェルのボレロとかは、気持ち悪くもあるけど面白い。

あと、短9度(増8度)音程も嫌い。
ちなみに短2度や長7度は大好き。もちろん減8度も大好き。


なんかはじめ、何の話をしてるのか忘れたからおわりでいいや、記事を登録しちゃえっ、えいっ
こういうのはちょっと考える。
長崎市長が殺された事件で、犯人に死刑が宣告されたそうです。

事件のことに関しては、まったく詳しくないので、おいといて、死刑の理由。

民主主義を根本的に覆す殺人事件であるから

だそうな。
僕は、完全な死刑反対主義者ですが、それは、民主主義の上に立った上での話であって、それを覆される事件がおきて、そこにも死刑反対の主張をいれるべきなのか、そうでないのでしょうか。

そもそも、民主主義を作り出したのは、もちろん殺人を含む暴力的な革命であることは確かです。
作り出したのが、殺人によるならば、防衛するのが殺人であってもよい、、理屈は通ってますね。

法があるのは、民主主義の中だけの話だと思いますし、もちろん、日本全土にわたって民主主義が乗っかっているわけであって、反対の人たちは、国外逃亡するなり、革命おこすなりすればよいわけで。まあその法が正しい(どこから見て正しいのかもすでに謎である)かどうかは置いといて。

まあ。

不思議な事件です。

殺されたのが、市長の隣に居た民間人だったりしたら、まず絶対に(とまでは言い切れませんが)死刑にはなりませんからね。
その、人の違いによる差別のようなものがあるのも不思議です。

ただ、盲目的に死刑を反対するだけでなく、すこし進行を見ていきたい気もします。
ぐわわわ、、これぞ嫌がらせ!
エリックサティのヴェクサシオンが、ニコニコ動画たる場所に、打ち込み?で落ちていたので、拾った。

それをmp3だけ抜き出すと、13時間ちかくカットされるバグがおき、flvのまま再生すると、14時間ちかくカットされるバグがおきるので、mp4に変換。

1.6GBという重く、16時間55分という長い動画ができあがったのである。

これをiPodにうつしたところ、実に1%以上、1.1%ちかくも容量を食われてしまった。
ただでさえ、残りが24GBくらいと切迫しているのに、こんなことをしてもよいのだろうか(反語)
亀の甲5
亀の甲1
亀の甲2
亀の甲3
亀の甲4

朝が来た。
曇っている。今にも雨が降り出しそうな気配。
一番始めに起きたのは柊。

「ん・・・やっぱりこんな環境じゃよく眠れはしないわね・・・」

柊は、あたりを見回し、苺の木まで歩いていく。

「まあ、土があるだけましかしら・・・」

続いて松が起きる。

「えっとここは・・・、あれ?」
いつもと違う光景に、少し戸惑った松であった。記憶が錯綜し、ようやく、自分の置かれている立場が理解できた。隣で寝ている杉に気づき、起こした。
「おい、起きろよ!」
「ん・・、、あれ?」
「ここは、あの壁の中だよ」
「お、そうか」

「あら、みんな起きたのね」
「おう」
「これからどうするの?」
「まずは、腹ごしらえをしないと話にならんな」
「食料はどれくらい残ってる?」
「ちょっと見てみる」

「3人で、あと2日分くらいならあるかな・・・」
「食料があっても、水がなきゃだめだが・・・」
「それなら、苺があるからなんとか持つだろう」
「どちらにせよ、どうがんばったって3日が限度ね。それを過ぎると、あの死体のようになってしまうわ」
「しかし、どうやって天井までとどくんだ?」
「空が見える穴から、もしかして脱出できない?」
「そもそも、外から見たとき、穴なんてあったっけ?」
「穴は見えなかったけど、すこし突起した場所があったから、多分そこに通じてるんだろう」
「ああ、あの湖の上か」
「湖なら、飛び込んで助からない?」
「無理だね、深さは3mくらいしかないし、そもそも相当高いから、水に落ちた時の衝撃が強すぎないだろうか」
「う~ん・・・」

そのうちに雨が降ってきた。
雨は、部屋のなかに振り込んでくる。
「お、雨は振り込むみたいだ。これで水の心配は少しなくなったかな」
「ここで生活することを考えてはいけないと思うけど・・・」
「だって、どうやって抜け出すんだ!ここに残っていたって、あいつが帰ってくるはずがない!」

「壁をぶち破る、どうだろう」

「え?」
「壁を、、どうやって?」
「骨はいくつ残ってる?」
「えっと、16本」
「それで、壁を削る」
「なるほど、最終手段としてはありかも・・・」

話し合いは続いたが、なぜか、2人が土台になってもときた道を帰るという案は全くでなかった。

「結局、壁を毎日掘っていくのが地道だけど、ただひとつの道だな」
「どれぐらい厚いのかしら」
「わからないけど、10mも無いはずだ」
「ちょっとためしにやってみてよ」
「よし、わかった」

カーン、カーン

「すこしはぼろぼろ崩れるな」
「3日で大丈夫?」
「3人でずっとやり続けてれば、3日でなんとかなるだろう」
「よし、そうしましょう。その前に食事を・・・」
「うん、そうだな」

雨は、うまく部屋のくぼみにたまり、まるで、生活するのを助けているかのようでもあった。

「雑草は食料にはならない?」
「無理だろうけど、ちょっと掘ってみようか、なにかあるかもしれないし」

掘ってみるとそれは芋だった。

「雑草どころじゃない、立派な食料だ!」
「それにしても、こんな芋、この島にあったかしら」
「森の中から種が飛んできたんじゃないかな?」
「芋って種で殖えるの?」
「あれ・・・?まあいいや、どちらにしろ、これで5日は大丈夫そうだ」
「それにしても、芋って普通秋にとれるはずだったような」
「ここは暖かいからもしかしたら季節が狂ってるのかもしれない」

食事をとりおわった3人は、壁を必死に掘る
「結構進むわね」
「うん」

しかし、その日進んだのは、1mくらいであった。もし、壁の厚さが10mあれば、助からないことは確実であるのだが、3人はそんなことを考えない。1m進んだのが、見た目では、相当進んでいるように見えたからである。

そして、夜が来た。3人は、昨晩と同じ位置において、横になった。

<<続く可能性は、ある>>
誤解・・・
ちょっと誤解を招いてしまう事態がおきた。

ことの発端は、2日前の記事である。

「どうも・・・」

の記事。

このブログを古くからご覧になっている皆様は、もう慣れているかも知れないが、最近のこのブログをおしえた人に、刺激?が強すぎたとでも言おうか、まあ、そういう事態なってしまった。

つまり、どういうことか、というと、記事が荒らされてるから注意したほうがいいよ、との注意を受けてしまったのだ。


このブログは普通のブログとは、どうも性格が違いすぎるらしい。もちろん、僕自身は、考えたことを率直に載せているのを基本としているため、あまり意識はしていないのだが、他人から見れば、相当特殊な状態にあるらしい。

そんな状態にあるのに、結構評判はよくて、内心うれしいのであるが、もちろん、意味なくして意味不明の文章を書いているのではない。

前衛音楽にも、ちゃんと伝えたいことがあるように、変な文章でさえ、伝えたいことはちゃんとあるのである。それを読み取るのは難しいかもしれない。なぜなら、伝えたいことを隠すために、文章で紛らわせているのだから。
伝えたいことを伝えにくくするのは、一見おろかなことであるが、僕は、逆にそれを考えてもらう、もしくは想像してもらうことで、いろんな楽しみ方をしてもらいたいだとか、一種の照れ隠しのようなものもあるので、結構すきなのだ。

そんなことを書く僕は変人か?

自分で自分を変だと認識することは困難である。なぜなら、自分自身が変になろうと意識して行動しているのであれば、自分の中心においては、自分を客観的に「正常な」視線で見ることができるからである。
自分が変でないのに、他人から変に見られているのであれば、もとから自分を変だと認識することはできない。

面白いのは、僕が普通でないことを前提にして、僕が自分自身を変だと思っていたとして、本当に変なのであれば、自分が変であることを認識することができるだけの才能があることになる。いわゆる無知の知の発展形である。
もし、実は変ではなく、賢いのであれば、自分自身では変だと思っていながらにして、賢いのであって、それだけの能力を持っていることになる。
普通でない人は、自分を変であるということが認識できるのであれば、それが本当であれ、嘘であれ、その人が類稀なる能力を持っているのであろう。

普通でないとはどういうことか?それは特殊な状態である、ということだとすれば、あとは、いままでの文章の前半に任せる。


さて、なにを考えているのかがわからない人にも、わかる人にも、「どうも・・・」の説明を試みてみようと思う。

僕が何を考えているのかが、少しでもわかっていただければ、幸いである。もっとも、そのときのあなたは不幸かもしれない。

>プルトニウムって名前がプルプルしてるもんだから、
>プルプルプルトニウムってなんか語感がいいよなぁ、いや、どうでもいい話。

>ネプツニウムとかこれはこれも語感がいいなぁ。

>太くて短くて、柔らかなのに弾力がある感じの名前?よくわからん。

この文章は、頭のなかに、「プルプルプルトニウム」という言葉が出て、それが振り払えなくなったから、ブログにただ、書き込んだ。このとき、どのように発展するかは想像がつかない。
それから以前、ウランとプルトニウムは有名なのに、その間(周期表において)にあるネプツニウムはあんまし有名じゃないよね、という話をしたのを思い出して、ネプツニウムと書く。なんとなく「プツ」っていうのがよくて、説明しようと試みたのが、その下。なぜこうなるかは、脳内秘密である。

>あー、広い。

>どこまでも続くようだ!

>兄さん、あの星はどこまで輝いているの?

>それは、九州鹿児島のあたりじゃないか?

ここから、文章流榎システムとでも言うべき、独特の文章がはじまる。
「あー、広い。・・・輝いているの?」
までは、そのまま頭の中に思い浮かんだ言葉をただ書きうつしただけである。
もちろん、書いたからにはそれに答えなくてはならない。なるべく文章に整合性があっては、よくないので(なぜよくないかは、脳内秘密である)、結果、遠くて、それでいて語感がいいもの、「九州鹿児島」である。

>ずいぶん近いんだな、兄さん

>もちろん、森の中だ。

なるべく整合性を無くす方向に持っていくだけの文章。特に意味はない。ただ次の、

>あー、だんだん、泥が入ってくる。

につながる。ここで、会話が終了していることにも気づくべきである。

>快感だ!

>うわぁ、もう止められない。

>この文章は止まらないよ、加速する!加速度は四次関数的に増大する!

いったん我に返って書いた文章といえよう。この文章自体を客観的に見ているのである。
ちなみに、加速度という、すでに微分されているものの増大のしかたが四次関数という、少し複雑な構成にして、文章を読み飛ばさせようとする作戦もある。

>狂え!狂うのだ!おもしろいぞ!世界が青銅になる!

>超伝導?すばらしい!風が吹き荒れる!

僕の第二の人格?性格?との対話。
世界、青銅、超伝導、風などの言葉は、ただ単に頭のなかに浮かんできただけで、深い意味はない。
ただ、青銅に関しては、次の文章とかかわりを持つ。

>白は銀になり、赤はセピアになる!この関連の無さがたまらない調味料となって、形を引き立てる水となる!



>ねじれている!文章がねじれている!どこまでもねじれている!それは超越的な次元を見ているようなものだ!

白と銀、赤とセピア、少し似ているものの関連付け、その関連を次の文章にもっていくのだが、
「この関連のなさが」ここで文章をねじって
「たまらない調味料となって」ここで文章をねじって(意味が通らないようにする)
「形を」さらにねじって
「引き立てる」もっとねじって
「水となる!」ねじりきった感じ。

それをその後の文章において、説明する。一種の対話である。ねじっているのがメビウスの輪やクラインの壷を思い出し、実際は3次元なのに、2次元的な図形のメビウスの輪などで、超越的な次元という言葉に結びつく。

>大変だ!

>知識を得ることは最大の善だが、知識の使い方を知らないのは最大の悪だ。

大変なのはもうわかりきっているといってよかろう。
その後の文章は、この記事の一番の聞かせどころである。
それ自身でみれば、もっともな主張のようにも見えるであろう。わざわざ、「!」を使わず、最後にきっちり「。」を打っているのも、このためである。

>四分割しよう。切符

>愛しい熱。

>ぽおお

>許せ。

もちろん、これは、ただ単に脳裏に浮かんだ言葉を書いただけである。「切符」は、四分割しよう、のあとに「。」を打ってしまい、その上の文章の「。」の存在感が薄れてしまうために四分割しように並べた。
そのあとは、僕のよくやる手法であるのだが、
上から綺麗な曲線を描いて文章が終わりになっているように見えるであろう。
このような、終わらせ方によって、低温太陽的な文章は終わりを告げるのである。

低温太陽が何であるかは、脳内秘密であるが、そろそろわかった人も居るんじゃないかなぁ。。。
対斜
対斜は本当に綺麗だ。

もちろん、古典和声の間違いで出てくる対斜の汚さは言うまでも無いことだが、
近代対斜はすばらしい。

対斜とは、半音関係(とくに増1度)が別の声部に連続すること。

コードネームで言うところの、C→F♯といったとき、ドイツ音名で言うところの、CとCisの間に対斜がおきる。F♯をG♭とみたとして、GとGesの間にも対斜がおきる。

ねじれた和声、たとえば、
C→G→C
といくところを
C→G♯→C
といくような。

8分の12拍子で、
E - - G - G Es D C - - -/E - - G - G Des C B - C D /E - -
という旋律(ドイツ音名ね)に、C→C→G♯→G♯/→C→C→F♯→G♯/→C
みたいな和音をつける、と。

でもねじれるのは、連続3回までが限度だなぁ。
ねじれるカデンツ?を使った場合は、Ⅴ度→Ⅰ度進行のさい、どちらかが絶対にねじれないと気持ち悪い。両方ねじれるのはかまわないけど、次かその次には普通のにもどってくれないとね。



な~んてことを考えるのも面白い。
どうも・・・
プルトニウムって名前がプルプルしてるもんだから、
プルプルプルトニウムってなんか語感がいいよなぁ、いや、どうでもいい話。

ネプツニウムとかこれはこれも語感がいいなぁ。

太くて短くて、柔らかなのに弾力がある感じの名前?よくわからん。

あー、広い。

どこまでも続くようだ!

兄さん、あの星はどこまで輝いているの?

それは、九州鹿児島のあたりじゃないか?

ずいぶん近いんだな、兄さん

もちろん、森の中だ。

あー、だんだん、泥が入ってくる。

快感だ!

うわぁ、もう止められない。

この文章は止まらないよ、加速する!加速度は四次関数的に増大する!

狂え!狂うのだ!おもしろいぞ!世界が青銅になる!

超伝導?すばらしい!風が吹き荒れる!

白は銀になり、赤はセピアになる!この関連の無さがたまらない調味料となって、形を引き立てる水となる!



ねじれている!文章がねじれている!どこまでもねじれている!それは超越的な次元を見ているようなものだ!

大変だ!

知識を得ることは最大の善だが、知識の使い方を知らないのは最大の悪だ。

四分割しよう。切符

愛しい熱。

ぽおお

許せ。
死の電車
変な夢を見た。

はじまりは、デパートの駐輪場である。
とある女性とともに、駐輪場から自転車を出してくると、スロープつき階段のところに自転車が絶妙なバランスで立っていたが、もちろん、耐え続けることなく転がり落ちた。
だが、壁などにあたるにつれ、体勢をたてなおし、ついには、出口の少し右側に、こちら向きに向いて立っているのだ。
私は、その女性とともに、「なんという奇跡だろう!」ということを話しながら出て行った。
自転車で家に帰ることとなり、ある男性と合流し、3人で家まで向かっていく。
女性は、私の家のすぐそばまで一緒だが、男性は、その少し手前で別れることになるのだが、
男性と女性がさっさと話しながら先に進んでしまう。
必死に追いかけるが、その速さは恐ろしいものだった。
私は猛スピードで、車や段差などの危機をやり過ごし、男性が別れた直後のところで、女性においついた。
その女性は、赤ちゃんを背負っていた。

・・・(ここでなんらかのやりとりがあったが忘れた)

「この赤ちゃんの母親とあなたの母親は同じ?」
「もちろんそうよ」
「17歳以上も離れているの」
「今では普通のことよ」
「そんなに違ったら、もう、時代も違う・・・」

・・・(この後のやり取りも忘れた)

私が、女性の前を走っているときは、ゆっくりだが、ひとたび女性が前に出ると、猛烈な勢いで進む。
そして、そのまま別れ、(もちろん男性と別れた場所と、ここで女性と別れた場所は非常に近い)自分の町にたどりついた。
そこにはたくさんの猫や、少年たちがたくさん居た。

新しい柵や、木の葉などに阻まれ、家に到着。門が壊れた。

そこにやってきた姉。笑いながら門を元に戻そうとする。

・・・(ここで重要なやりとりがあったが忘れた)

母が出てくる。
私は、門を元に戻そうとするが、笑いで力が入らず、また壊してしまう。
「なにやってんの!」
などと怒られていると、後ろに、異常に冷ややかな視線を持つ、私の全く知らない青白い女性が青い小物入れをもって立っていた。

・・・(夢の飛躍)

満員電車の中。

この電車の終点はあるのか無いのかわからないが、間違いなく死に向かっている。
抜け出す方法はあるのか?それすらもわからない。

一番最後尾に乗っている私は、人ごみにまぎれながら、その駅名を見ていた。
ゲテものさ
遠い幼稚園
懐かしい青さ
・・・(詳しくは覚えていないが、こういう感じの駅名だった)
人はたまに降りたり、乗ったりしている。

外には、赤い空気と青く光るながぼそい何かが浮遊している。
直感が降りてはいけないといっている。
駅名は、
永遠の戸惑い
だとかそんな感じだった。
「永遠に生きることができる?」とかよくわからないが、そう考えた人が降りたが、全員ドアを出た瞬間悲鳴をあげながら消滅した。

・・・(夢の中の記憶シーン)
古いものを集めて商売する人がいる。
その人は、ろくなものを売らないが、その商売術のうまさに、客はよく集まる

電車の中に、傘が落ちていた。それを拾った老婆が満員電車にもかかわらず、風呂敷を広げ、40本程度の傘を売り始めた。
人は何か、とたかっていく。私はそのすきに、電車の中を移動して、2両目が見える位置まで来た。
2両目にも人は居た。

席に座っていた人が、老婆の商売を見に、立ち上がった。
その隙に、私はその席に座った。

老婆の商売に集まっていた人達は、全員いつのまにか居なくなった。
目の前に、家の前で会った、異常に冷ややかな女性が居た。
私の隣に座っている、家に帰るさい追いかけていた女性が、冷ややかな女性から青い小物入れを買おうとしていた。
私は、絶対に、これがこの電車から抜け出す方法と関係している、と思った。
私の手には800円が握られている。
となりの女性が声をかける。
「手にすごい汗が」
「そりゃあ汗もでますよ。正念場ですからね」
冷ややかな女性は、私にそっと750円を差し出した。
お金を持っていないほうの手で、それを手とともに握りこんだ。
「800円で、その小物入れを売ってくれませんか」
「その小物入れは貸すだけです。その後返してください。もちろん、800円は返します」
「わかりました」
「ただ、その800円を私が返さなかったらどうしますか」
「え?」
「私が800円を返さなかったら、あなたはどう責任を取るか、と聞いているんです」
・・・沈黙
「結婚してくださいますか」
750円とともに女性の手をつかんでいる右手は、異常な汗となった。
私の頭はよく整理できないうちに、
「わかりました、約束が破られたら結婚しましょう」
と言った。(ここで約束といったのは、その約束の内容が理解し切れていないから、具体的な行動を言わなかったのである)
青い小物入れに触ったとたん、ある記憶がよみがえる。

地面に突き刺さった剣。
紙。

紙には、意味不明なことがかかれている。

絵とともに、チキンサラダ、にんにくきゃべつ、おおさんキャベツ、・・・

次の駅の駅名は、
泥の中
その駅に次の駅命が書いてあった。
キャベツだおう
・・・(詳しくは覚えていないが、キャベツと3文字ひらがなが並び、そのひらがなの始めは濁音だった)

キャベツ!

「おい、みんな!どこかで聞いたことないか?」
「?」
「あの、1番、なんとか、2番、なんとか、と書かれている紙は?」
「ああ、これだ!」
「キャベツだおうの次の駅は「にんにくご」だ。なんとなく一致している!」
そのとき、向かいの路線から、死にそうな顔をした人たちが大量に乗っている電車とすれ違った

キャベツだおう駅到着
「ここか?」
「だおうの意味がわからない!おいそれと降りることはできない」
キャベツだおう駅を発車
次は、にんにくご駅
全て食べ物が並んでいる紙にひとつだけ謎のもの。おおさんきゃべつ。
これが謎の鍵であるような気がした。
「もしかしたら、昔の人が抜け出したときに、ヒントを残して行ったのかもしれないな」

しかしどうしても解けない
次の駅で降りるのが正解かもしれない、しかし、にんにくの入った言葉は3つほどあったが、全くわからない。
おおさんきゃべつ!これは何なんだ!

急に音楽がなり始め(旋律もよく覚えている)、にんにくご駅到着。急に音楽が止まる。
おおさんきゃべつを考え続けていたところ・・・


目が覚めた。


いまだに謎は解けない。もしかすると、おおさんきゃべつを着目することが、目が覚めることによって助かるという方法だったのかもしれない。
一緒に電車に乗っていた人達は助かったのだろうか。少なくとも、私は、この死の電車から抜け出すことができた。
今週は許していただきたい。
今週はいろいろ切羽詰っているので、惰性だけで書かせていただく。


う~む、えっらそうな響き。

まあ、言葉遣いはともかく、今週はいろいろ切羽詰っているので、惰性だけで書きます。


あ~、一日のズレが非常に重々しくのしかかってくる感じがする。

ところで座右の銘ってなによ。

「低温太陽の輝きとともに」
とでも書けばいいのか?
お使いの・・・
お使いのiPodは、再フォーマットする必要があります。いますぐしますか?
はい いいえ

みたいなウインドウが出てきてあせった。

はっきり言って、今年一番あせったかも。

しかし、何事も無く終了。

一時の涼を得ることができた。

それにしてもiPodのソリティアで、賞金総額を$10000突破した。いかに暇すぎるかを証明するに十分な値である。なお、プレイ回数は、550回程度である。
指が~
指が、、、もう限界です。

交響曲の譜面を清書するために、相当でかいサイズの五線紙を用意して、書いたのはいいんだが、シャーペンの芯は猛烈な勢いでなくなるし、指の浪費が激しい。学校でも書けるように、明らかにわかる部分は飛ばして、MIDIから写している。それにしても、健康に悪い。

それより、MIDIに銅鑼が無いのが致命的なんだが。
更新頻度が
更新頻度が悪すぎる。
なんとかせねば。

う~ん、しかし書きたいことを書くだけの気力はない。

やっぱやめよ。

まあ、こんな愚痴かいてても仕方ないんだけどさ。

やっぱやめよ。

やっぱ病めよ。

とか変換されてる時点でもういろいろと堕落を感じる。
とか書きながら、矢印の向きがなかなかうまく決定できなくて時間を費やしたことにさらに堕落を感じる。

あー、21世紀だなあ。起源からあと少しで2^11年とか。
まあ、起源って言ってもそれほど始まりといった感じがしないのだがね。

結局キリストの誕生年でもないし。
書き上げた。
交響曲の1楽章(予定)を書き終えた。

今まで作った曲のなかで一番クラシカルだと思う。

長さは8分強。短いかな、とも思うが、まあ、ひとまずこれでよし。
と言っても打ち込み終わったというだけで、紙に書いてはない。早く書き写さなければ。

それにしても計9時間くらいかかったなぁ。疲れる。
むむ、、、時間がかかる
今必死に交響曲書いてる。

どうも時間がかかる。4時間かかって実際は2分ほどしか進んでないとかざらだ。

まあ、その時間だけに見合うものが作れていると信じたい。

それにしても楽器の音域把握をちゃんとしないときついなぁ。
うちゃっ・・
あまりにもうれしすぎる事態がおきた。16ヶ月にわたる不満が解消した。
しかもそれは一瞬の出来事であった。

うお~、、今までの苦しみは一体なんだったのだ!

・・・というか、あまりにも自分がおろかだったとしかいい様がない。

むしろ、うれしさより悔しさのほうが大きいような。。。

いや、もうなんともいえない。素直に喜ぶぜ!
和声の吹雪
今、学校内で和声を流行らせている。決して悪気はない。

実際、友達の作っている曲を聴くと、旋律はとてもいいのに、伴奏がすこしぬるい、ということが多い。

もともと持っている感性でも、それなりの和声付けはできるんだけど、絶対に正解にはたどり着けない。よほどの天才なら話は別かもしれないが。

しかし、解説するときにどうも困ったことがある。

Ⅴ←これを五度、と呼んでいるが、五度が音程の五度と勘違いされることがよくある。
まあ、これはドミナントと言えば済む話である。
Ⅵ←これを六度と呼ぶと、音程の六度と勘違いされる。必死に弁解するが、Ⅵの概念が存在しない人に説明するのは困難だ。


まあ、ぼちぼちと。

ところで、この学年、作曲する人多くね?
人の問い
問:神様はいるか?

答:人と人との関連の中であまりにも確実で姿の見えない虚構の存在として居る。
愚行権
人間には、その一部だけ、愚行をする権利がある。
亀の甲4
「いつになったら戻ってくるのかしら。もう日がしずんできたわ」

少女の言うとおり、部屋の内部は薄暗くなり、天井が夕焼けに染まって赤黒く光っていた。

「もしや、崖を降りるときか、登るとき、何かあったのでは・・・」
「まさか、逃げ出したんじゃないでしょうね」
「そんなこと無いとおもうけどなぁ」

沈黙が続く。
天井は群青色になり、ついに夜になった。

「夜になっても暖かいのか」
「そうだね、不思議」
「もう戻ってくるのは期待できない、なんとか3人であがる算段を考えないと」
「そうだけど、夜に動くのは危険だ」
「うん」

あたりは完全に暗闇となった。

「ねえ」
少女が声をかけた
「何?」「何?」
「ちょっと不安になって。ここは、初めて来た場所だし、家族いないし、挙句の果てに死体まであるのよ、なんか怖い気がするの」
「明日になったら3人でなんとかしなきゃいけないんだから」
「でも、4人がかりでようやく1人この部屋から脱出できたのよ、3人じゃ、出られるのかしら」
「なんとかなるでしょ」
「たとえば、1人助かって、2人助かって、最後の1人は上から手を伸ばしても届かないのよ。誰か1人犠牲になんかならないでしょうね」
「そんなことは無いよ・・・きっと」
「は・・・」

不安がよぎる。周りは異常なほど静かなのに、それを感じていることをできないくらいの不安。

「ねえ」
「何?」「何?」
少女は、暗闇のなか、片方の少年のほうに向かって、手を触れた。
「あなたは、どっち?」
「どっちって、何?」
「私以外に2人いるのよ!区別が付かないじゃない!」
「俺は、ここに入ったとき、最後尾だったよ」
「なんで区別をつける必要があるんだい?」
もう1人の少年が言った。
「私は、今、誰かのすぐそばにいるのに、その相手が識別できないって、恐ろしいじゃない!」
「?」
「あなたたちは、片方が女で、もう片方が男だからはっきり区別がつくわ!でも、私は、2人の明確な区別ができないのよ!この恐ろしさは、あなたたちにはわからないわ!」
「・・・そうかもしれない」
「よく考えれば、私たちは今まで村で識別することが無かったのよ。みんな過剰なほど平等だったわ。でも、今は、一人一人の役目、能力の違いがはっきり必要なのよ。なんとか区別する手段が欲しいわ!」
「しかしどうやって?」
「たとえば、木を識別するとき、私たちは、杉とか松とか柊とか、そう名前をつけて呼んでいたわ。私たちにもそういう"名前"をつければいいのよ」
「確かに、誰かを明確に区別できるのは便利だ」

少女に触れていた少年は、少女の手をとって、言った。
「俺は、杉になろう」
「じゃあ、俺は松になる」
「私は柊ね」

夜も更けてきて、3人に眠気が襲ってきた。

「ねえ、杉」
「なんだい」
「私、あなたの隣で寝ていいかしら」
「ん」
「松もこっちに来てよ」
「うん・・・」

こうして"杉" "松" "柊"の3人は、眠りについた。


<<多分続くね>>
亀の甲1
亀の甲2
亀の甲3
とぽろじー
今日、午後1時から3時まで、マクドナルド広尾店にて、ずっと話をしていたわけであるが、、、

その後半の1時間くらいはトポロジーの話だった。

トポロジー!
ひねったりまわしたり伸ばしたり縮めたりしてできる図形は同一のものとする概念!
電車の路線図などに応用されている。

ちぎったり丸めたりくっつけたりするのは禁止。
ドーナツとマグカップはトポロジーでは同じだとされる。もちろん粗く見た場合だ。

さて、中に空気が入っている球に、穴を開けるトポロジー的にどういう図形か?
これは、球と同じ図形である。
もちろん、立方体や三角錐や、鍋みたいにへこんだ形とも同じだ。

では、浮き輪に穴を開けると?

このような考えは、空間把握能力をものすごい勢いで試される。
自分の頭のなかで、その物体を、回転させたり、伸ばしたり、いろいろなことができる必要があるからだ。ちなみに、浮き輪に穴を開けると、ドーナツと同じ形になる。多分。

そんなこんなで、メビウスの輪(厚さを0とするねじれた平面図形)の話になったりして、
中央からきっていくと、ひとつの大きな輪になる。これは4回ねじれている。2回転しているともいう。
メビウスの輪を横に切って、輪に沿ってすべらせていくと、二重構造のメビウスの輪ができる。
出会ったところをつなげて、広げれば、4回ねじれいている輪になる。
メビウスの輪の幅の3分の1のところにそってたてにきっていくと、4回ねじれた輪と1回ねじれた輪(メビウスの輪)が鎖状になる。4回ねじれた輪は1回ねじれた輪の2倍の長さである。

そんなことも、トポロジー的に把握できる。すばらしいことだ。
亀の甲3
降りていくと、だんだん暖かくなってきた。
4人は緊張や疲れで、感じてはいなかったが。

坂道はだんだん急になっていく。
ついにはロープを両手でつかまなければ降りていくことはできなくなった。
2番手は松明を持っていたため、片手しかロープをつかむことができず、松明を落としてしまった。

「わあっ」
「おい!」
「これじゃあ真っ暗だ!」
「いや、まって、わずかに光があるわ!」
「え?」

確かに奥から光が見えている。
さらに奥へ行くと、急に床が無くなった。
不意をつかれた一番手がロープから手を離して落ちてしまった。

ドン!

「痛たた!」

「おいっ、大丈夫か!」

「大丈夫だ!それよりも、ここには太陽がさしこんでいるぞ!それにずいぶん暖かい!」

「どうなってるんだ?」
「私たちも行きましょう」

4人が降り立った場所は、直径20mほどの円形の部屋。
斜め上に開いている窓から太陽はみえた。4人がやってきた、天井の穴は床から3mと少しくらい離れている。
下には草が生えていた。

ぽろっ

ロープの切れ端が落ちてきた。
「おいっ、ロープが切れたぞ!」
「なんだって!」
「ということは私たちはもう戻れないの?」
「なんとか脱出方法を考えるんだ!」

4人は部屋を探索した。
「おいっ!死骸だ!」
「例の3人のか!」
「3人というか、2人しか居ないが」
「あと1人は?」
「見当たらないみたい」

部屋の中にはほかに何もなかった。
じゅうたんのように敷かれた植物と2本の苺の木以外は。
死骸は半分ミイラ化していた。

「3人で土台を作れば、一人は外に出られるね」
「そうだけど、後の3人はどうするんだ?」
「下からちょっと土台を作って上から引っ張りあげればいいだろう」
「すると最後の1人が」
「ロープを持ってきて、引っ張りあげればいいんじゃない?」
「それもそうか」

「誰が先に出る?」
「一番背の低い人がいいんじゃないかしら?」
少女が言った。
「一番背の低い人は・・・」
「あんただね」
少女が指された。

「一番力の強い人が良いんじゃないかな」
降りてくるときの2番手が言った。
「一番力があるのはあんただろうね」
2番手が指された。

「言い合ってもしょうがない、まずお前があがってくれ」
2番手が一番先に脱出することになった。

それはスムーズにいった。

「だめだ、ここに足場が無い!これじゃあ引っ張りあげられない!」
「どうにかならないの?」
「無理だ、急な坂で体勢を保っているので精一杯だ!」
「じゃあ、ロープを持ってきてよ」
「それより、そこにロープあるんでしょ?」
「無い・・・」
「えっ?」
「無いってどういうこと?」
「ここにロープは無い・・・無くなってる」
「じゃあ、持ってきてよ」
「どこから?」
「荷物にもうロープは無いし・・・君の家から」
「うん、そうする」
2番手は上に上がっていった。

「ロープが無くなってるっておかしいと思わない?」
「うん」
「まあ待つことにしよう」


待つこと2時間、まだ2番手は戻ってこない。


<<続くといいなぁ>>
時間が伸びればいいのに
一日が27時間くらいだといいのにな、って思う。残りの三時間をこう使うんだ。

(中略)

もともと一日は21時間しかなかったんだよ。それが、やさしいカミサマのおかげで24時間になったのかも。

最近そういう思考が多くなってきた。
山椒より小粒でもピリリと辛いもの。
最近、ピリピリした人間関係を見るのが多くなってきた。

別に時期は全く関係ないんだろうけどさ。

自分の主張同士をぶつけ合って戦うのは、それなりの正当性があると思うんだけど、近頃はストレスとか、気の乱れが多そう。

今、僕は17歳で、身体的にこれ以上成長しないところまで来ていて、精神もそこまで軟弱では無くなった自信がある。
もうここ数年くらいキレたことが無いし。

この状態はいつまでも続いたらいいなあとは思うんだけど、50~60台にかけて、自分の精神を理性で抑えられなくなる時期がくるのは仕方ないらしく、もし自分がそういう状況になってそのときにストレスを他人にぶつけていると嫌だな、と思う。

ただ、この年代には、精神的に欠点があるだけでなく、また、心の切り替えが早いという長所も持っているようだ。

僕なんか、一度些細なことでも気になると、3日くらい悩んじゃうことだってあるし、結構長期にわたってしまうけど、年をとると、30分くらいでコロッとなおってるんだから。

気は短いというけれど、本当に短いらしく、自分に不都合なことが入ってくると、すぐに怒りを発散させてしまう距離的な短さと、その怒りの蒸発の時間的な速さがあるらしい。
(ビーカーの中に水を入れるような感じを想像している)

そうそう、時間の短さといえば、、

時間ってひとつの次元であるって言った人がいたけど、アインシュタインだったかな?
時間って本当に軸があるのか?という疑問再燃。

時間が一定方向にしか進まないような感じを受けるのは、エントロピー増大則があるからである(←これも本当かよ、って疑問があるんだが、そういうことにしておく)

つまり、拡散しているから時間があるように感じるのか。

現在と一瞬先(そこまで短くなくていいよ)の可能性があって、どれかを取って進むんだが、
そのときに、あまりにも拡散しすぎた樹形図みたいなのを想像して、次の段階にリンクしているのが時間だとすると、確かに時間軸はあるな。
しかし、それは想像の産物でしかないような気がするし、どうなんだろう。

考えながらこの文章書いてるから、どう結論付くんだかわからんが進めよう。

多分僕が何を迷っているのかというと、ものさしとかで時間を計れないからだろう。
時間を空間と同じ性質を持たせて考えると、時間を長さで計るためには、時間軸において10cmくらいのものさしをつくればいいわけだ。
1秒⇔299792.458kmなんて変換する装置もあったけど、面倒だから、1秒分のものさしの長さを1光秒とでもしますか。
時間軸のない4次元で、1光秒のものさしをw軸と平行に置いたとしよう。
w軸を時間軸として、動かしてみると、3次元に住んでいる人のところにいきなりものさしの断面が現れて、1秒後に消えたことになる。
今僕の目の前に消しゴムがあるけれど、これは、地球が止まっているとすれば、ものすごくw軸に長い物体だ。今、その断面(もはや断体といいたいな)をみているのか。

なんか今、ものすごいくだらないことを言っていることに気が付いた。

結局、軸なんて何でもとれるわけだ。温度だって波長だって、人口だって軸になる(マクロな観点からしか無理だけどね)。
温度があるからこの宇宙は5次元で見ることもできないわけじゃない。まあ、この場合、時間軸と同じような性質を持つだろうけど、多分フラクタル次元みたいになってるんじゃないかな。
1次元に見えるけど、実際は0.1次元くらい、とか。
なぜ空間に加えて、時間だけが参加できたか、というと、時間が一番ミクロな点から見れるからだ。
人口が1人増えるのを1秒とする、とかできないことはない。
でも、それは、あまりにマクロな観点からしか見ることができないし、人は一人一人区別できない(世界中の人の変化は不可逆)のに、人口として可逆みたいにしているから"不便"なだけなんだ。

↑これ結構発見だった。

つまり、結論はこうだ。元の問いの答えになってない気がするが、

ファインマンダイアグラム便利すぎ。
うわ~、、、、
わーふ、、

ブログを書く気が久々に起きない。
現在23:56だし、長文を書く時間がないのも原因のひとつである。

むー

チャッ

何書こう。

あいうけお
かきくせこ
さしすてそ
たちつねと
なにぬへの
はひふめほ

ってすごく言いにくいよね。っていうネタでも載せておこう。母音がeの時だけ、五十音順の次の子音になる、というもの。

んじゃ、グッドナイト。僕は酸欠の夢を見てきた。
恥ずかしさで一杯。だがそれがいい。
このブログのアドレスをとある人達(3人)に教えて3日後、少なくとも2008年2月17日の記事までは読まれたことが発覚し、「女性不信になるよ」とか言われたのだが、そもそも、2007年7月7日の記事に代表されるような、低温太陽な文章もあるわけで、いまさら恥ずかしいもなにもない。

さらに昔に行くと、まさに学校生活の暗黒部分に触れたり、詰め将棋とかばか詰とか中将棋の世界に入っていったりする。

そういえば、今まで作った曲とかも結構あったりするかなあ。
ヤマタノオロチ:蛇の頭が8つあったりする。最後は不本意
ピアノ五重奏:この中で一番良いと思うが、チェロの音域を越えている
もーつぁるとのばかぁ:ふざけすぎた
即興連弾:試みはひとまず成功だが・・・。
人生観カノン:下をカノンにした
人生観:歌詞つき。2007年11月9日の記事参照。アニメーションが付く予定だが。。。
和声と対位法:対位法はちょっと不本意だったりする
秩序と形成:これと、「旋律とリズム」、それと上でセットになっていたのだが、、あれ?
四重奏:あまりよくできていない。
QuasiSatie:同じくよくない。
恐ろしく難しい練習曲No.1:リズムが複雑。じつは弾けるんですよ。練習しだいで。きっと。
黒鍵エリーゼ:原譜をみながらの即興。いずれ清書したい。
国歌変奏曲:文部省の音楽の教科書を見ながらの即興。ひどい。
狂気のプレリュード:ずいぶん昔のだが、音楽性が無くは無いと思う。
鬱病のための狂詩曲Ⅴ:3楽章形式だったっけ。
鬱病のための狂詩曲Ⅳ:確か高速。今にしてみればひどい曲。消し去りたい。
鬱病のための狂詩曲Ⅲ:ゆっくりなやつだったかな?
無題Ⅱ:すごくながかった覚えが。
無題Ⅰ:初めて作った曲。たしか小4。
変奏曲:よく覚えてないが、終わりがすさまじかったような。
榎の短調Ⅲ:なんだろう。
榎の短調Ⅱ:わからない
榎の短調Ⅰ:なんだろう。
永久の洞窟:15分ほどの長い曲。110小節ほどだが。
ポーカーのテーマ:ひどい曲。おもしろいという声もあったが。

それにしても、・・・ああ、言いたいことが上手く伝えられない。まあ、これでいいか。
待っていますか。
あなたはそこで待っていますか。

あなたはそこで待っていてくれますか。

あなたは何のために待っていてくれますか。

あなたは待つことを苦にしていませんか。

あなたはいつまで待っていてくれますか。

あなたは理由がどうであろうと待っていてくれますか。

あなたはどのようにして待っていますか。

あなたにしか見えないその対象のために、私を待つことに意味があると思っているのですか。

それでも、あなたは私を待っているつもりですか。

また、待機の呪縛から放たれたいとは思いませんか。

そして、時間の無為を感じませんか。

なぜ、あなたの対象としての私を、私のための対象として待っているのですか。

しかし私もまた、あなたを待つことになるでしょう。

私の対象としてのあなた無しでは、私を対象とするものがなくなってしまうから。


無限の関係性と、わずかな時間。

私とあなたは距離は隔たれていても、時間は同じ位置に・・・
文系?理系?そんなものは。
昨日、家に帰ってくるなり倒れこんで、気づいたら、今日の3時。3時といっても午前。
基本的にこのブログは24時制であらわしてますから。

しかし、風呂に入っても無く、夕食も食べてなくて、着替えてもいません。ひどい状況です。


話は変わって。

日本なら殆どの高校でそうだと思いますが、理系と文系ってわかれてますよね。
大学だとさらに細分化されて、まあ、それはいいですが。

文系って、全くと言っていいほど、数学や物理や化学などの探求をしなくなる。
もちろん、勉強はする人も多いでしょうが、結局は、大学受験のためだとか、試験のためだとか、そんなわけであります。

それが良いことなのか悪いことなのかは置いといて、
学問の探求をやめる理由が、文系だから、とか理系だから、とかそんな理由でやめるのはおかしい。

学問は、何を目指しているのかと言えば、それは、人間の未知なる部分を解き明かし、人間全体の知識として確立されることでしょう。
学問の究極は、すべての問いに答えられるようになることだと思います。
それを目指しているはずなのに、文系だから、積分についてはよくわかりません、とかいうのは、そもそも理由になっていません。

こう答えるなら理由になります。
私には、積分には全く興味ありませんから、知りません。
私の仕事には、積分は全く必要ありませんから知りません。

前者の興味がないというのは、つまり、学問の探求への無関心です。
つまり、その人の目的というものが、自分の安定した生活の確立なのでしょう。
もっとも、孤児たちを救いたいんです、なんて人もいるかもしれませんが、結局、それは誰かの利害に関係するものを目指していることになります。

学問は、誰かの利害なんかを目的としていない。
また、当然、高校で習うことの大半もそうでしょう。

日本の教育制度では、そのように、高校で学問の探求を目的としたことを教えているようにみせかけながら、理系文系と分けることによって、専門外の思考を停止させることを余儀なくさせています。

このパラドクスをどう説明するつもりですか。
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