詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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今日。良い日だ。
ベートーベンで目覚め。

第三交響曲「英雄」が鳴って目が覚めた。
そのまま全曲聴きとおした。なんとすばらしい目覚め!

そのあと、バッハのブランデンブルグ協奏曲を聞きながら着替え。

登校中は、バッハのマタイ受難曲。

最近、バッハとベートーベンに目覚めた。とくにバッハは良いね。

ちなみに、自転車は買い換えたのだが、ちょっと慣れない。ハンドルも取られやすい(余談あり)

ちなみに、マタイ受難曲は、学校について、2時間目がおわるまでずっと聞いていたが、すべて聞きとおすことはできなかった。

そして、音楽室に直行。
アルカン:5拍子の歌
アルカン:大ソナタ
アルカン:大練習曲
ギンペル:海兵隊賛歌
ジェフスキ:ウインズボロ製綿工場のブルース
カセッラ:2つのコントラスト
を弾いた。
なかなか体力がいる曲ばかり。

6時間め。
このためだけに来た体育は、事業開始時、6人しかいない。ソフトボールはたしかにできる。
サッカーもたしかにできる。
そんな話をしている最中に、10人、15人、22人、24人となって、ゲーム成立。

放課後は、もちろん5組によらずに帰る。

帰りは、ベートーベンの第九交響曲「合唱」を聞いて帰ってきた。

電車のなかだけじゃ全て聞きとおせないのが不満。
でもいい曲。


そして、かばんの重さを量る。7.8kg。自転車を買ったとき、最大積載量5.0kgとかいてあった。

ハンドルもとられるわけだ。
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耳の医者
今日、作曲の授業でぐにゃ~な評をもらった。

(最後のやつが)
なんだこれ?今までこんなことしてきた人ひとりもいないよ。音痴だね~。耳の医者行ったほうがいいんじゃない?

もはや耳鼻科ですらなく、耳の医者である。ぐにゃ~

で、

初めてにしてはよくできたほうかな。でも(最後のやつで)こんなことやっているようじゃ心配だね~


本当に最悪ですね。

教訓=夜中の3時にやってろくに見直しもしないとひどいことになる。
低温太陽再び
ヤツが来た・・・!

目の前に広がる広大な砂漠。空に雲もなし、白熱の地獄。

いや、違う。空にひとつの黒い点がある。

それは、78℃の低温太陽。

――全てを破壊するに十分な低温太陽――

・・・それが現れた。

周りの物は全て凍りつく。その圧倒的な威圧感。

不自然なほど、周りは沈静化していく。

砂漠に生き残る微かな生物は皆死にいたり、感覚の無い世界となる。

・・・俺は、低温太陽と戦っても負けるだけ。

・・・ここに至っては、ヤツを取り込むのみ。

低温太陽は、俺の頭上を通りすぎていった。その瞬間、恐ろしいほど勢いのつよい風が、

俺をはるか遠くの地へ運びさった。


これは、悪魔の悪戯か、神の怒りか、それとも、俺の狂気がなす幻覚か・・・。


ふと気づけば、回りはいつもの都会。しかし、俺の体のみは低温太陽によって、粉砕されたまま。

そこから吹き上がる血飛沫は周りの平和に影をさし、その冷たく凍りついた体はさらに温度を下げていく。

低温太陽がそこから姿を消したとき、僕はまた、いつものとおり、その都会を歩き、夏の暑さにうんざりしているだけだった。
ごめんね
今日は学校休む!!

マクドナルドのクーポン使おうみたいな話あったけど、それは守れませんでした。ごめんね。

図書館にもよりたいけど、母が、明日学校休んでくれたらたくさん寝れて楽なのに、とか言ってたので休むことにしました。

なにげ、自転車がないと、交通費が高すぎるというのも理由のひとつだなぁ。

自転車はいま、両輪パンクして、直せないとか言われたので、救いようがない状況。
第九交響曲!
今日、楽譜を見ながら、ベートーベン:交響曲9番「合唱」を聞いた。

間違いなく世界で一番有名な曲!

いろんな楽章が混ざる部分があることからもわかるように、各楽章の関連性が非常に強い。

それでありながらも、楽章ごとに音楽的に十分に成立していて、構成からいってもすばらしい。

スケルツォはティンパニが良い味を出しすぎ。どうやったらこんなの書けるんだか。(これを書いているころってもう聴力は失われていた?)

全体的にやっぱりすごいのはバイオリン。ゆっくりなところでも、速いところでも、十分にその美しさを引き出している。


で、合唱。

もう、これは言うまでも無く感動的!

あの有名な旋律(Fis Fis G A A G Fis E D D E Fis ~)が終わったあと、一変して宗教的なコラールになるのも良い!

あそこで聞こえる、2度(たしか短2度)のぶつかりは、これ以上になく絶大な効果をもたらしている!


やっぱり音楽をみんなで楽しむという原点にあるような曲だ!

その偉大さの前に、この曲を聞き終わった後は、他の曲が全部色あせる感じ。

ずっと余韻に浸っていたいような。


さすがにベートーベン、天才だと思う。



ちなみに、それよりずっと前(今日の朝)にモンテヴェルディのコラールを聴いていたが、これも良い。

なんか発見!名曲!みたいな感じだった。

やっぱり、人間の声って他の楽器にはない豊かな音色があるんだなぁ、って思う。

・・・でも、あんなに音をはずしているように聞こえるのは何故?
歌い方の問題?それともああいう技法なの?音がピッタリ合って聞こえないとちょっと気持ち悪い・・・。

コラールは全く気にならないけど。
へんなこと~
たまには変なこと書きたいなぁ。

と思う。

今、常日頃、四六時中という言葉が頭の中に浮かんだ。

→すばらしいことだ!

これ、いつものパターンじゃん。なんかもうあきた。うんざりだ!

ポケット、そう、魔法のポケットなんて話があった。

お金をポケットに入れておくと、なくなってしまう。それは洗濯したからだろう。


どのみち二つになるもの。

さて、九死に一生とはいうものの、休止に一生を終えたくないと思われる常日頃。
もちろん、急死に一生を終えるのも嫌であるが、
旧師に一笑されるというのも嫌だし、急使に一章というのは、なんだか残念な気分になれる。

旧市に一勝するくらいの気合は見せて欲しいのだが、球史に一勝しか刻めないのは悲しすぎる。
莫大な給紙に一升のインクというのは使いすぎだ。

さて、生半可な言葉ではおわりませんよ。

10%もあるし。


作り笑い一世。裸の王様。

入れ知恵の妙。

絶えることなき瞳。

尊敬するべき人と、その隣にいる悪魔。

年寄りを敬えという人は山ほどいるが、男尊女卑を唱えるひとは、最近少なくなりつつある。
日本では、黒人と白人の差別など、まるで存在しない国だ。それに対して思い入れもあるわけでもなし。
これは良いことなのだろうか。

もし、これは悪いことだといえば、僕の身は、明後日には粉々に砕け散り、社会のごみとして抹殺されるだろうか。

男尊女卑を反対する人が、こう言ったとする。
「女にも、男と同等またはそれ以上の仕事をする能力を持っている場合が数多くある。対等に扱うべきだ」
なるほど、もっともである。綺麗にこう置き換えることもできよう。
「若者にも、老人と同等またはそれ以上の仕事をする能力を持っている場合が数多くある。対等に扱うべきだ」
後者のほうが、よほどもっともである。

残念ながら、社会通念の常識なんて、すこし見てみれば破綻だらけ。
綺麗に編みあがったと思ったかごは、じつはあまりにも不規則に絡みあっただけの竹の塊。
ただ、使えるという点において、その差はない。


自分が悪人だと思っている人などまずいない。もし、自分が悪人だと思うのならば、その人には、一切の言い訳はありえない。もちろん、開き直ることもしない。

「なぜ人を傷つけたのかね?」
「もちろん、傷をつけることによって、被害者が苦しむからです。自分はそれが悪いことだと思っています」
「はぁ?」

みたいな問答ができる人が悪いと思っている人だ。もっとエスカレートするだろう。

「被害者に謝罪する気はないのかね」
「それじゃあまるで良い人みたいだ」
「確かにお前は良い人ではないが、まずは、謝罪しようとするのが普通ではないのか」
「なるほど。俺は常識というものを守る気はないが、被害者を目の前にしたら、Fuck youとでも言うだろう」
「おい、俺たちを嘗めてるのか?」
「もちろん」

弁護人は、精神に異常があると判断するだろう。しかし、精神に異常はないのである。
もちろん、本人は、悪いことだと思ってやっていて、それを正当化する気がないのであるから、悪いことを悪いことだと判断できる社会的常識人なのである。

もちろん、その悪い人は、無罪を主張する。そのからくりはこうである。

俺は悪いことをしたが、それを償う気はまったくない。よって、無罪で、社会に釈放され、さらに悪事を続けるのである。

社会は、そのものに対して、厳罰を要求するだろう。だが、本人は、全くそれに従う気がない。

社会に逆らうことが悪いことだからだ。

悪い人は、監獄内でも決して反省はしない。悪いことだと思っていながらにして、正当化させる気もなく、ただ、自分が悪いことに染まっていることが信念なのだから。

このような、手に負えない人は、いまだに存在しないだろう。

恐ろしきかな良心。自分の生活に満足しているものは、悪い人になることはできない。どうしても、自己弁護してしまうだろう。

「社長!賞味期限改ざんですか!」
「もちろん。全て私の指示です。そっちのほうがもうかるじゃないですか」

みたいな問答が無いのもこのためだろう。もちろん、嘘をつくのは悪いことであるので、このように素直になるのは、逆に良い人なのではないか、と思われるかもしれないが、もちろん、会見でこんなこと言ったら、嘘をつくよりも顰蹙(ひんしゅく)である。
その場の空気が凍りつき、一瞬にして、爆発するだろう。

悪い人、恐るべし!
なかんずく
「なかんずく」ってどういう意味だっけ。

なんかよく聞くような、聞かないような。まあ、聞かないんだろう。

今日は、いろいろと面白かった。

銀座の山野楽器で、ベートーベン「交響曲9番」、ショスタコーヴィッチ「弦楽四重奏4~6」、バッハ「マタイ受難曲」の楽譜を入手。
本当は、ベートーベン「ミサ・ソレムニス」が欲しかったのだが、一番安くて4000円ちょっと、これは手がでない。
あと、バッハ「ブランデンブルグ協奏曲」も欲しかったけど、上の3曲を優先させた。

しかし、マタイ受難曲は、CDと楽譜が半音ずれている。これは非常にやっかい。
絶対音感とかいらねーっって思ってしまう。(ホ長調とかだと普通に読めるのにねーっ)

そして、ソルフェージュにて、バッハ風の曲を自由に解釈して演奏しろ、との指示。
ただ強弱や歌の構成を変えるだけではつまらないので、独立した声部を開発。
なんとも勝手な行為をしてしまったおかげで、練習する間もなく、時間も延長して本番。
歌ってくれた、Yさん、Oさん、Hさん、あと先生には感謝しています。

そして、その後は、メシアン「世の終わりのための四重奏曲」の主題(?)を聴音。
非常に厄介。音は簡単なのだが、なにせリズムが・・・。

メシアンは、一番わからない作曲家だ。現代音楽の作曲家のなかで、クセナキスとメシアンは僕のなかで意味不明の存在(クセナキスのほうがもっと謎か)。
だが、スコアを貸してもらって、電車の中で聞きながら読んでみると、案外面白かった。
速い部分は殆ど無いので、暇といえば暇だし、繊細な響きは電車の中だと効果が薄れてしまうので残念だが、ちょっとは見直した。

ソルフェージュの最後のほうに、クラリネット奏者登場。前回一回だけの登場かと思いきや、今回も登場。僕の作った曲が、上手く吹けなかったこともあって、二回目の演奏に来てくれた。
ピアノは、先生が弾いた。今回は、ものすごく上達して帰ってきていた。とてもありがたい話。

一番初めの、Ges Des As F C G は、今までにも書いてきてあったが、僕の作った渾身の和音。
なかなか良く響いてくれたなぁ。


うん。充実している。
死線
今日(狂)、間違いなく、死線をくぐってきた。

もうヤバイ。

このことにはあまり触れたくない。そう、夢だったのだ。

精神的重圧からも解放され、後に残るのは、安堵と、反省のみ。


それでは、僕は、今日から、普通の学生になることを宣言する。

もちろん、普通というのは、ひどく常軌を逸しないということだ。

僕が普通だと思っていることも、他人から見れば奇妙にうつることもありえるだろう。しかし、そのようなことは、この際どうでもよい。

僕は、自分の身の保身のために全てを冷たい視線で見ることは決してないだろう。それは今日証明された。

しかし、僕は、相手への同情のために、自分の身の保身を捨てるまではできないのかもしれない。

それができないことは、真の信頼が揺らぐことを意味する。


過去に、非情な裏切りを経験したことがあるのが、人間不信にはつながらないとは思う。

しかし、信頼に対する信頼が揺らいでしまうことはあるかもしれない。

だが、今日、悟ったのは、信頼に対する信頼は、根拠はないが、それでも、存在しうるということである。


全ての人間関係に幸あれ!たとえ、それが逆説を含むものだとしても、幸福な終わりが来ることを信じて。
からまわり
「からまわり」って語感が良い。

落ち着いて言わないと、呂律(ろれつ)がまわらなくなる。
なんか、いかにもからまわりしそうな語感。

そういえば、昔、「瓦割り空回り」っていう早口言葉を作ったことがあったっけか。

まあ、実際、「瓦割り」を3~5回繰り返すだけで難しいのだが。

ちょっと、今、精神的に大きな負担がかかっていて、踏み込んだことを書けん。

天井裏に潜む巨大な岩を押しのけたい気分。

まあ、そこに巨大な岩がないのが非常に残念である。

では、good luck!
不純
「ブログをみたら、普段接しているのと全然違う人だった。あんなに純そうだったのに」
みたいなことを言われた。
いや、面と向かって言われたわけでは無いような気がするが、まあ、ともかくそんな話をされた。

さて、ここで、問題は、このブログの閲覧者層なのだが、僕の頭のなかでは、完全に3分割されていて、どのようにこのあと話題を発展させていけばいいのか、非常に困るところである。

まず、実際に会った僕と、ブログの中の僕は全く違う人物だと思う人にはこういっておこう。
ブログの中の僕は、理論の僕であって、実際に会った僕は、実践の僕である。
理論とは、何にも邪魔されるいわれは無い。思ったことをストレートに出せるものである。
ただ、結構隠すことは多いので(直接わかったら問題なものもあるし、たいていは恥ずかしい)、逆に変な誤解をされることも多いみたい。
もちろん、そういう誤解は大いに結構である。もっと誤解してもいいくらいだ。

さて、実際に会った僕と、ブログの中の僕が大して変わらないじゃないか、と思う人にはこういっておこう。
まさにそのとおりである。飾ったりするいわれは全くない。
もちろん、ブログの中でも、至極まともだし、実際の僕も、平凡そのものである。ちょっと頭が足りないと思う人はいるかもしれないが。
しかし、僕の頭が足りないと思っている人は、頭脳をスカラー量で見ているのだ。実際は多次元空間のベクトル量で、相対的なものであることを知らないのだ。

さて、実際の僕がどんな人であるかを知らないという人へ言っておこう。
このブログでみられるように、まさに、平凡の人が、だらだら書いているブログである。
おもしろいところは、何も無い。
ただし、つまらないところも何も無いのであって、
普通なところも何も無い。
では、何もないのか、というと、何も無いのも無いのであって、結局あるのである。
そのまま、の、文章を見てみよう。
わけがわからんですな。


ふっ、まあ、ざっとこんなもんですわ。

しかし、僕を不純と見る人は、おそらく、特定のワードを誤解しているのではないか?

ほらあれだ。全く別の話になるような気がするが、「eros」というのは、昇華するんだ。
下のほうでは、「sex」、上に行けば、「philosophy」になるのだ。
つまり、肉体から精神の解放をする際に、どうしても、「sex」に触れてしまうわけだ。

とまあ、それっぽいことを言ってみたが、基本的に一番誤解を招きそうなのは、「キス数」だよなあ。
同時にn次元人は何人の人とキスができるか、という非常に難しい問い。
数学的に言い直せば、n次元球は最大いくつの同じ大きさのn次元球に触れることができるか。
n次元の球とは、ある点からn次元座標空間内の等距離の点集合。
1次元のキス数は2
2次元のキス数は6
3次元のキス数は12(この問題が解かれるのに200年ちかくかかった)
4次元のキス数は24
5次元のキス数は40~45
8次元のキス数は240
24次元のキス数は196560
計算が楽なのは、2次元、8次元、24次元。次元の中に格子を書くことができるからだ。
2次元の格子は正六角形をしきつめた状態。
3次元は、正十二面体をしきつめられないように、格子を書くことができないから、異常に計算に時間がかかってしまったわけだ。
この格子がつくれる次元の8と24に2を足した、10次元と26次元が超ひも理論において、非常に重要な次元。
数学的にも物理的にも意味のあるキス数の説明。

とまあ、こんなところか?
はーー、困る。
今さっき、変な夢をみた。

こういうのは、いつもの変な夢とちがって非常に困る。

はー。

どうしようもないなぁ。これだから人間は・・・。


その前の夢で、ある人に地下につれいていかれる夢をみた。そこは、絵画教室みたいなところだった。

まず、習字セットを渡され、紙を渡され、何か適当に書いてみろよ、といわれた。

まず、墨絵といったら竹だろ、とか思って適当に書くが、なんかひどい絵になってきて、別の絵に切り替えようとして、適当に線を動かしていたら、雲っぽくなったが、そのまま書き続けていると、花畑になった。
狭い中での二つの飾ってある花と反対側には花畑。どういう構図なのかよくわからん。
評価は「正義の中で正しいでしょう」という"最低評価"。

いったい何を思ってこんな夢を見るのやら。
クラリネットのための
クラリネットのための小品を打ち込んだので、公開します。

初演に立ち会った人も、どんな曲かよくわからなかったと思うので。

クラリネットのための小品

特に重要な部分だけエクスプレッションをかけてます。

ペダルも適当。

カデンツァは、ピアノと共鳴させるのが目的ですが、もちろん、そんなことはMIDIにはできません。

さらに、再現部は、リズムが幼稚な部分があって、そこを何とかしたいのですが、そのまま載せてあります。

この曲に限っては、無断転載絶対禁止。
最近の知りたいこと。
2つあります。

ひとつは、相対性理論と量子論。(2つじゃないかとか言わんでください。量子論を知るためには、まず相対性理論を知っておかなければならないということを、前の本で痛感したのです)
やっぱり、ニュートン力学とちがって、一見直感的でないものを説明する手段を知るというのはおもしろい。
結局相対性理論もドップラー効果のような感じで捕らえることはできるらしいが、けっきょくドップラー効果だって、救急車の音がだんだん下がっていくという、やっぱり直感的でないことがおきている。
そんな宇宙の不思議を解明していくのは、何事にも変えられない喜びがありますね。

もうひとつは、科学哲学ならびに哲学。(まあ、これも2つのような気がするが)
やっぱり、学問って、その内容を知る前に、その意義と定義を知る必要があると思うのです。
何が学問たりうるのか?もし、生活に必要の無いものだったら、社会から抹消してもいいのでは?
とまあ、こんな素人教師が解説したくなるような疑問の答えが、本当に正しいのか?
そういう根本的な問にたいする、自分としての答えが欲しい。

こういうことは、小学校のうちからやっておきたかったけど、やはり、小学校では、それを受け入れるだけの器を養成させきれないのでしょうな。やはり、真の学者というのは、根本的な問を解消した後にまた、柔軟な思考ができる人でなければならないと思うのです。そんな人が存在可能であれば、の話ですが。
なんだっけ。そう。
この世の全てのものは、12と26からなると思うよ。

すごいだろ。

もちろん、びっくりだよね!!

ピンポイントな数字。

林檎。

あー、もちろん3のときに限るけど。

あと、ぷにぷにしてたらだめだね。

もちろん、究極なぷにぷには26になると思うけど。

何気ない話だった。

それにしても、環境とはそんなものだ。

もちろん、別の方向にいける可能性はあるよ。

明るいじゃない。だって、

失礼だと思わない?

でも、暑苦しくても、いいんだよ。

そんなキスしたくなる話。

実際は無意味だけどね。
ものすごく強烈に響いた言葉たち。
二つあります。
一つ目は、多世界解釈は、意識のある自分の不死を予言するかもしれないということ。
詳しい説明はちょっとまとめる能力が無いので無理ですが、意識のある自分は次にいく宇宙を選ぶことができないが、他の宇宙に行ったら、その宇宙に行った事に気づく前に自分を殺してしまえば残った宇宙の自分だけが意識をもつため、それを連続的に繰り返せば、永遠に生きていることになる、ということ。(だいぶ違う気もするが、こんな感じ)
しかし、重要なのは、これはこの宇宙では、僕にしか通用しない話だってこと。
つまり、お前たちは死ぬんだよ!俺だけ不死だぜ!ワッハッハーとかいうことを言いたいわけではなく、
この宇宙では自分からみて自分だけが唯一の観測者であるから、意識があると自覚していると観測できる人なら全員に適用されます。(僕からみたら僕だけなんだけどね)
まあ、自分が生き残っても、他の人の殆どまたは全員は普通に死んでいくから、そういうことを考えたり、自分以外は意識がないと認識する必要にせまられると、自分が孤独に感じたりするかも。

でも、僕と同級生や、年が近いこのブログの閲覧者は、こういう文明が発達しすぎた現代に生まれたのは、不死の技術が生まれてくる年だから、というような整合性がとれないだろうか。
つまり、余命が短い人達というか、不死がもう絶対無理だって人は、意識がないということになるのだが、もしかしたら、本当にこの世界での意識はないのかも。(まあ、それは僕意外の全員に言えることなのだが、他宇宙でも意識がないのかもしれない)

まあ、つまり、年寄りは腑抜けだろ、とか言ってるようで、失礼みたいだが、そのことに関連することで、二つ目。


思考の自由は常に確保されるべきである。ただし、実践知のあるものに限る。

いままでの学生生活の中で、一番心に響いた教えかもしれません。これを聞いた瞬間鳥肌がたつような感動を覚えた。

なぜ、こんなことを教えてくれる先生が今までいなかったのだろう。多分、その教えは、実践知のあるもの以外には教えてはいけないと思っている先生と、もともと、そういうことを考えていない先生しかいなかったのだろう。(そして、大半は後者だと思う)

この教科の一番始めの授業で、教室内は、社会とは別空間であるべきだといっていたが、その意味がとてつもなく重要であるということが今になってようやくわかりはじめた。

そして、ネット上は、社会であって、思考と発言が束縛されるところであるということもまた事実なのかもしれない。不特定多数の人が見れるようなところで自由な思考と発言をすることは、非常に危険だからである。

だが、それを隠す才能のある人はその限りではない。その篩(ふるい)は、間違いなく多くの大衆を取り除いてくれるだろう。
とても感動的な経験
昨日言っていたクラリネットの曲を吹いてもらった。
楽譜が読みにくかったらしく,速い部分は曲になってなかったような気もするが、ゆっくりな部分はなかなか効果的に演奏できた気もする。
それにしてもクラリネット譜にヘ音記号を使わないとは初耳である。

カデンツァの部分も、即興的にやってくれたので満足。

~別の話~

あと、言っておきますけど、僕、学習なんてしてないですよ。ただ、あんなふうに馬鹿にされたら悔しいじゃないですか。

と書いておかなくてはいけない話。
昨日言ってたこと
昨日言ってた音列を使って、ピアノとクラリネットのための曲を書いた。
まあ、なぜクラリネットかというと、明日が水曜日だからである。いや、多くの人は理由がわからないだろうが、気にしない。

いつも曲を書くときは、なにか新しいことをいれないと気がすまない性質なので、いつものことながら、中間部で実験しまくった。
まあまあ、成功したとはいえ、ちょっと汚い音がまじっているのが残念。

どうせクラリネットが主役なので、クラリネットの完全独奏をいれてみた。ピアノはほぼ無音だが、ペダルを踏む指示を入れた。クラリネットの音がピアノの弦と共振してくれれば、神秘的な響きが聞こえるだろうが、それができるかどうかは不確定である。



不確定ということばで、不確定性原理の話を思い出して、ちょっと前考えていたことを思い出した。

ことの始まりは、ある台詞による。
「生まれたときから、左手の小指に赤い糸がついていて、誰かとつながっているのよ。その糸はどんなに人ごみのなかでも絡まったりしないし、どんなに離れても切れないの」
みたいな。
もちろん、つながっている人と結ばれるわけであるが、これは、非常に量子論的な話だ。

面倒なので、世界の人口を6人にしてしまおう。
赤い糸に名前をつける。xとyとz。これを男性のX,Y,Zと対応させよう。
全ての女性は、結婚するまで、自分が何の糸であるかはわからない。将来の相手を決めるためには、糸を確認すればよいだけなのだが、その確認する唯一の方法は結婚することであって、未来を確認するのは絶対に不可能となる。
この場合、結婚に対して、自分の意思は尊重されるのだろうか、糸の力が絶対なのであろうか。
多世界解釈では以下のように決定づける。
世界は6つある。誰も結婚していないとき、全ての世界は干渉することができる。だれか1人が結婚した場合、3つの可能性が消えて、3つの世界が干渉する。そして、2人目が結婚した場合、全ての世界は干渉できなくなる。
どの世界にいくかは確率である。(糸の種類は不確定)

ここで思ったんだが、人間の寿命を80歳きっかりとして、一組の女性と男性を80光年より離すと、絶対に結婚できなくなるため(遠距離結婚は禁止)、80光年はなれた時点で、二つの世界は干渉できなくなるのか?
さらに80光年離れた二人のちょうど中央に4人いたばあい、このなかで一組ずつ結婚することはできない(赤い糸は生まれたときより全員についているのだ!)。そのときに、二人を結婚させると、残った男性は残りの女性と出会うことが運命づけられてしまい、行動半径が縮まってしまう。

あー、なんか変だなと思ったら、光速だしたら、本人はほとんど時間感じないから、80光年の距離を光速で出会いに行けば、観測者は死んでいるが、二人は無事結婚できるのか。
さすが相対性理論といわざるを得ない。
綺麗です。
今日、音楽室のピアノで、適当に弾いてたところ、やっぱり長七の開離配置は綺麗すぎるな~とか思って、それを元にいろいろいじくっていた。最終的に、ある12音音列にいきついた。基本をDesでやってたけど、ここに書くのは、基本をCに移動する。

まず、開離の長七を作る。
C-G-E-H
一番高い音の完全五度上を鳴らすと、結構澄んだ音が鳴ることに気づく。
C-G-E-H-Fis
さらに、この上に短六度上を鳴らすと、ちょっと陰りがでて、感動的になる。
C-G-E-H-Fis-D
旋律的な考えで、さらにこの上に完全五度を鳴らすと、澄んだ響きになる。
C-G-E-H-Fis-D-A
基本の長七から、下の方に完全五度をつけても綺麗な音になる。
F-C-G-E-H-Fis-D-A
長七の七度音とはすこし相容れない部分があるが、下に完全五度をつけても、あまり違和感はない。
B-F-C-G-E-H-Fis-D-A
さらに、下に五度をつけ続けていくと、次のようになる。

Des-As-Es-B-F-C-G-E-H-Fis-D-A

これが最終形。綺麗に、12音全部を使い、増音程も無理な臨時記号もまったく見られない。
さらに、連続した6つの音を同時に鳴らしたとき、(B-F-C-G-E-H)を除けば綺麗な響きになる。
さらに、BとHが共存しないという前提では、7つ同時に音がなろうと綺麗になる。
このBとHの位置も対照的なこともあって、相当美しい音形だと思う。
とくに、(F-C-G-E-H-Fis)は、下三つと上三つが半音ずれている関係なのにもかかわらず、響きは綺麗だ。
なお、(C-G-E-H-Fis)の形はHを抜けば、(C-G-E-Fis)となって非常に感動的な響きがする。
Hが入っても邪魔なわけではない。
この音列をつかって、新しい曲を書きたいな、と思う。

追記:上のほうにつけていった過程で、C以上の全ての音を鳴らしたとき、Aより上の音を鳴らしても綺麗なものはない。
下限はないも同然だが、あくまで、基本がC-G-E-Hの形であるので、それに離れすぎた音があるのはナンセンスである。(さらに、この時点で12音すべてが出ているのでそれ以上書く必要もないだろう。)
悪法は悪なり
校則の話。

まあ、僕の高校では、校則は、不文律で、下駄の禁止と麻雀の禁止だけでしょう。

外部(あるいは内部)に甚だしい迷惑をかけた場合において、罰則が科せられることも稀に。


まあ、他の学校は、これよりちょっと厳しいくらいかな~、とか思ってたら、ひどい話を聞いた。

校則において、男女間の行き過ぎた交際の禁止とかで、校門を男女が並んで通ったらそのまま職員室に連れて行かれるらしい。う~む、どう考えても、男女間の"交流"の禁止である。

さらに、ロッカーを壊した人が1ヶ月の停学だとかいう話も聞いたが、その人を停学にする前に、まず、僕のロッカーを直して欲しいものである。さすがに、ロッカーの扉が無いのには困っている。


厳しい校則は何のためにあるのだろうか。
生活態度の引き締めということもあるだろうが、おそらくは、生活態度の指定である。

指定しなければ、何をやらかすかわからんという、生徒を思慮分別のない動物扱いをしているのであるのではなかろうか。

そもそも学校にとって、本当にやめて欲しいのは、外部を巻き込む揉め事である。学内の窃盗とかは、親とかも巻き込むから、もちろん、外部を巻き込む揉め事となる。

これは、学校の評判の低下にもなるだろうし、事態の沈静化にも手間(ひどいときにはお金も)がかかるので、やめて欲しい。

もちろん、そんなことは、たいていの人は、幼稚園あるいは小学校、親の教育の前において、その程度の分別はついている。それができない人が、罰則を食らうのは知ったことではない。(もちろん、罰則の前に指導が入るべきである)

校則は、学内の揉め事にたいするものとして定められるべきものであるのだが、また校則を定めるのは、教員や生徒がそれさえ守っておけば(守らせておけば)よいという甘えであるような気もする。

それから、服装や髪型に関する校則は、憲法で定められている、健康で"文化的"な生活の保障に反するのではないかとおもうのだがどうか。まあ、髪型は、付近の住民が嫌がることはあるかもしれないが。
(女子のスカートとジーンズの禁止というのも聞いた。一体何を履けばよいのであろうか)
ブログを守れっ!
最近、広告コメントが多くなってきた。非常に迷惑である。

まあ、自分のサーバであるわけではないし、文句は言えないのかもしれない。

最近は、広告のアドレスの一部を拒否ワードにかけているのが多くなった。

拒否されたコメントがどのくらいあるのかは記録されないので、どのくらい効果があるのかはいまいちよくわからないが。


それと、10月のファミリーコンサートでは、多分海兵隊賛歌を弾きます。今から練習すればまにあう"はず"です。
間に合わなくてもなんとかします。
学校の講堂で演奏するのは初めてですね。
夢との干渉
たとえば、幼い子供がピアノの鍵盤を、がんがんと叩いたとしよう。何も考えずに(←重要)。

それは、どのような偶然であっても、音楽的に成立しないのだろうか。

つまり、表現者が、深く考えずに表現したものが、実際には、深い内容を持つなんてことがありうるだろうか。

少なくとも閲覧者が、それに深く考え、その解釈が表現者の思いの寄らない方向にいくことはあると思うが、それは果たして真実だろうか。


真実だとしよう。

今日、
劇場版うる星やつら ラム・ザ・フォーエバー
を見た。

従来のうる星やつらとは非常に(異常に?)かけ離れていて、殆ど恋愛シーンはなく、またSF的な部分もそうとう捻じ曲げられていて、全体的に不気味な構造になっている。

さらに、物語性が殆どなく、場面同士の関連性も(見た目上は)殆ど無い。

アニメとしては、全く失格であるといえる。なぜ、こんなものがamazonで6350円もするのかがわからない。
まあ、そんなのはどうでも良い。

この話は、描写に対する説明が希薄すぎて、閲覧者に対する挑戦を通り越して、放棄までしているような感じだが、個人的にはいろいろ感じたことがあった。いま、量子論の本を読んでいるのにも関係あるかもしれない。

~ここからの話は見てないと殆どわからんかもしらんね~

始まってから、少し経つと、音の意味についての話が出てくる場面がある。
小鳥に対してラムが、昔は会話できたのに、今は何を伝えたいのかよくわからない。もう17歳だし、みたいな台詞を言ってるシーンがある。
強調して描かれているため、どうしても記憶に残るのだが、これは、僕の考えでは、自然との関係が切れ掛かっていることの象徴である。この場合の自然とは、町のこと。
ただ、もうひとつは、成長することによって入ってくるさまざまな知識が、小鳥の声から意味を感じ取ることを弊害している、ということもあると思う。

いま、あなたは音楽を聴いていないとして、周りの音の全てに意味づけをすることができるだろうか。
何の音かを全て解釈することはできたとして、それがどういう意味を含んでいるかどうかに気づくことができるだろうか。


全編を通して、町が見ている夢として書かれているのだが、この90分にも及ぶ話は、うる星やつらの世界のなかで、実際に起きたことなのだろうか、それとも、ただの空想=夢であるのだろうか。

おそらく、この疑問は、疑問になっていない。
ここでは、多世界解釈(エヴェレット解釈)を引き出すのが正当なような気がする。
ある瞬間から、町が夢を見るという可能性の宇宙へ飛ばされる。
町は(まるでGAIA仮説のように)意識があるとされ、その意識の世界と過去の世界が干渉する。
互いに触れ合うことはできないが、確認はできるという、状況(アニメの中のエスカレーターのシーン)は、多くの世界があることを意味していると思う。
町の意識(現在)と過去の世界(過去)が干渉することによって、現在のラムが過去の町に引き連れられて町の意識へと連れ去られるという話だ。
ここで、一瞬のシーンだが、水に入る直前、酸素飴(本編に一度だけ登場。148話かな?)を舐めている。
こんな場面をわざわざ入れたのは、ラムが生きている=現実であることの象徴だと思う。

なぜラムだけが連れ去られたのかというと、本編による、もはや救いようの無いほどの破壊を町にもたらしたからだろう。
町の意識のなかで、登場人物(写真も含む)からラムの記憶を消そうとしたのもそういうことが関連していると思う。町があきらめて、ラムを消し去るのではなく見守ると変化を告げた変化の象徴が無いのが気になるが。

町の破壊活動と、走ることによる記憶の充足で、徹底抗戦する町の人たちに負けたのだろうか?


終わりは、夢オチであるように(テレビの中の話であった)描かれているが、その前に、またいつもの生活が始まるのね、とか、同心円を描きながらもすこしずつ進んでいく、とかそういう台詞もあるため、町が破壊された宇宙とこの話自体が無かった宇宙がいずれ融合(この時点で過去が二つできる)するのだろう。

まったく不思議な話であるが、製作者は一体なにを考えていたのであろうか。ネット上でも評判はものすごく悪いし、実際、シナリオとはかけ離れた形で製作されたらしいし。
まあ、本編の(101話かな?)わけわからない話はただ単に不気味さを誘っただけだと思うが、これは、多分意味はあると思う。

以上。
不思議。
さっき更新したはずのブログの記事が抹消されていることに気づいた。

IEの履歴を調べても、確かに更新した跡がある。

不思議。

統計の罠について語ってたのになぁ。
真のブログのあり方
真のブログのあり方は、やはり、日記であろう。もちろん、偏見。

で、日記の真のあり方は、やはり、一日を振り返ることであろう。もちろん、偏見(←同じ言葉を二回使いたくなかった・・・。思いつかなかったからしかたない)

5:30 起床 これは異常である。最近、7時起きが続いていて、いつも学校に遅刻していた中で、いきなり5:30起床である。

8:45 学校に到着。 早い。

8:50~9:30、学校で五線紙を買ったものの、廊下の机の上に置き忘れて盗まれる。クラスのみんなに配布されていた。150円損。

12:00 音楽室の取り合い合戦があったが、戦線離脱。悔しい。

14:45 倫理。この授業だけが高三で一番受けて(興味的な)意味のあって(受験的な)意味のない授業である。いや、受験に意味のないのは物理も同じだが。しかし、授業中、AVの話をされてもついていけない。なんだかしらんが感動的らしい。

15:40 図書館へ。

まあ、ここまでは、どの学校でも見られるような、ごくごく普通の出来事であった。

15:50頃 ~うらもんへーさ~
明らかに、高二のように見られる人たちが、威圧的に裏門から生徒を出さないように見張っていた。
しかし、この学校には、後輩か同輩か教師しかいない。もはや、僕たちを止めるものはいない。

16:25 幼稚園に着く。まあ、早すぎ。量子論おもしれーとかずっと言ってた。

17:40 「今日はみんな眠そう。何の日だ?」「私の誕生日です」みたいなやり取りがあって、ハッピーバースデーの曲に和声付け。今振り返ればもっといいのがつけられたなあと思う。一部メロディーを変更して本人に進呈。

19:30 いきなり電車のなかでたけのこにょっきをやりたい、と言い出す人がいた。もちろん、結果はひとつである。


いや、誤解しないでいただきたい。いきなり電車のなかで変な行動をしだすことは、いかにわれわれでも自重した。


21:30 親と死刑論争。8割がた勝った(もちろん反対派)


もう寝る。その前に風呂にはいるけどね。
さて。
さて、量子論でもやりましょうか、ということで、今日、量子論の本を借りてきた。

ブルーバックス:量子力学の解釈問題~実験が示唆する「多世界の実在」~:コリン・ブルース

まだ50pくらいしか読んでないけど、わかりにくい例をわかりやすく書いているような本だ。→もともとある程度の知識が無いと読むのはつらいと思う。
すでに自分のなかでの常識が2,3個くらい破られているけど、なるべく拒否反応を起こさないように吸収することが大事だ。

超ひも理論の本を読んだ時に食らったものすごい衝撃は忘れなれないし、そういうのがあるから科学はやめられんな~。まあ、実験しているわけじゃないし、科学しているわけじゃないんだけど。
小学生でもわかる話。
小学生でもわかる、、て、それじゃあ小学生が馬鹿みたいだけど、実際小学生にしかわからないことって多いと思う。

まあ、今からする話は小学生が一番覚えていることかもしれない。(と思ったが、知識は中学の範囲が必要だ・・・)

マクドナルドで、1人1日1kgの二酸化炭素を削減しようキャンペーンみたいなのをやっていたが、それってどうなのよ?っていうことを検証してみる。

人間はデフォルトでどのくらいの二酸化炭素を消費するのか。一回1ℓの呼吸で1分に15回するとしよう。
一時間で900回、一日で21600回の呼吸をすることになる。つまり、吸って吐いた分は21600ℓ、まあ安静にしていたりすることも多いだろうし、20000ℓとしよう。

吸った気体の内訳は、酸素21%、窒素78%、二酸化炭素0%、吐いた気体の内訳は、酸素14%、窒素78%、二酸化炭素7%なので、二酸化炭素が7%増えている。つまり、人は一日に1400ℓ二酸化炭素を作ることになる。

二酸化炭素は22.4リットルにつき12g+8g+8gの重さがあるわけで、1400ℓでは計算が面倒なので、一回1ℓがちょっと多い計算だとみて、1108ℓを一日の製造二酸化炭素量だとすると、50×28、すなわち1400gの二酸化炭素を作り出していることになる。
まあ、大体1.5kg、1人が呼吸で二酸化炭素を出しているという計算。
激しく運動したりすると、軽く20%くらいの増減はあるから、相当不確定。

で、日本の1年の二酸化炭素排出量は、12.5億トン、ちなみに日本の人口は、1億2000万人として、
1億2000万×365×1.5kg=657億kg=0.657億トン
まあ、5%は、人間の呼吸によるものだということだ。


あ~、昨日布団のなかでした計算とめっちゃ食い違ってるけど、二酸化炭素に過敏になるのはあまり意味がなくて、メタンガスとかフロンガスとか、そういう温室効果が二酸化炭素の数倍も数十倍もあるようなもののほうが危険なんじゃねえの?って言いたかったんだけど、この結果だとそうも言い切れんな。
主張点がなくなってしまった。寝る。

でも、太陽の黒点周期(11年)とかの関係で暑くなるのは仕方ないんだよ、とかも念頭にいれるべき。

まあ、それにしてもそれ以上に異常気象のほうが強いってことは確かのようだ。
うええ、
体育のためだけに出るはずが、体育をさぼって(学校で)遊んでた。
余計謎である。なんのために学校に行ったかというと、図書館でCDを借りたかっただけである。

そして、今日、ついにうる星やつらを全部見終わってしまった。まだ劇場版やOVAは残っているけど、ショックである。

また新しいものを見始める気にもならないし(魅力的なのがないという理由で)、ようやく受験(期末試験のこと?)体勢に入れるのかもしれない。

どうでもいいことだが、昨日、浦安駅についた瞬間、アニメの中で、千葉県浦安~とかいう台詞が出てきたりして面白かった。
10:48
10:48、今から学校に行く。

だって2限の物理とかでても仕方ないし、出席になる可能性も60%ちかくあるからね。

体育のためだけに行くのも謎だけどさ。
長年の謎
コードネームで、
A♭→B♭→C
っていうのがよくポップスに使われてたりする。
和声学では一見解釈できないようだが、転回するとできるようになってびっくり。

ということで、転回してみましょう。

A♭/A♭→B♭/F→C/C

B♭が第二転回形になっただけ。
しかし、これは実は二転ではなく、基本形だという驚愕の事実。

これは、A♭の前にドミナントがあって、偽終止したという設定で、和声記号をつけると次のようになる。

V→oVI→oⅣ+4→I

oは準固有(長調と短調を入れ替えた)。
IV+4は、IV度の付加4、つまり、F A C に、Dを加えたのが、付加6、それにHを加えると付加4、この場合、準固有なので、F A H C Dは、F As B C Dとなる。
さらに、As(第三音)、C(第五音)を省略すると、F B Dとなって、元の目指していた和音ができあがる。
第三音省略になっているのはあまりよくないので、BはAsを経過してGに行ってI度で解決するとよい。

下からF B D BをF As D Bを通って、C G E Cと解決してみる。綺麗というか、かっこいい。


つまり、コードでA♭→B♭→Cって何のことはない、偽終止から変終止だったのだ!
初めての困惑
今日、和声課題をやっていたら、初めて、変な困惑に取り付かれた。

どんな困惑かというと、♯が2つの調なのだが、何調なのかわからないのだ。

3/4: ・  Fis A G Fis - /- Gis H Ais Cis H /Fis
これって何調だ?2小節目が旋律短音階上行形のh-mollのように聞こえるのだが、1小節目はD-durのように聞こえる。4小節目にCが出てくるのも謎だし、終わりを見ても、
/E Fis G - - Fis /Fis - - - - -//
となっていてよくわからん。そもそもどこで全終止してるのか、変終止なのかどうかすらわからん。

ぐにゃ~
気づいたら
あ・・・夜。

としか言いようがない。

あえて付け足すなら、

夜を夜中にするくらいであろう。

結局言いようがないというのは嘘であるのだ。わかるかな?
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