詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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今日。ひどい一日。
親「早く起きなさい。いいことあるから」

7:30に起きる。

ちょっとだらだら(漫画読んだりパソコンやったり)しているあいだに9:00

朝食をとる。

あまりに強烈な眠気によって、10:00まで寝ようとする。

目覚まし時計をかける。

しつこい目覚まし時計の努力によって、10:30に意識を取り戻すが、やはり、11:00まで寝よう。

しかし、11:00に家を出なければ、夏期講習の遅刻は必至。

10:50、もう遅刻してもいいや。

で、気づいたら、12:00

もう、行っても無駄。

・・・気づいたら14:00

これぞ敗者の思考回路。
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うむ。うむ。
今日、銀座の高橋留美子展に行ってきた。

正確には覗いてきた。

チケットを買うさい、ちょっと店員ともめたので、今日はとりあえず引き下がった。(なんかそういう空気になったし、実際そうするしかなかった)

別に、喧嘩したわけじゃないです。ただ、二人の店員が別のことを言ったので、どっちが本当なんだよ、って聞いたら、僕にとって都合の悪いほうだったから、今日は無理だった、ってだけの話。

で、いろいろ調べたところ、犬夜叉には全く興味がないので明後日行く予定。
何故かといえば
何故、昨日ブログを更新しなかったか?

その答えは簡単である。

Yes



これは答えになってない。

まあ、単純に申しますと、

しかじかのことがあったから。



これは答えになってない。ただ、何かが起こったという情報は増えた。

じつはね、パソコンに巨大隕石(直径15km)が衝突して、動かなくなっちゃったんだ。



え?うそだとばれた?おかしいな、多分あなたは確認していないはずだ。


まあ、本当のことを申しましょう。

九十九 徹 (つくも とおる)という人がいきなり、部屋の中に出現したんですよ。

びっくりでしょ?

しかも、格好がいびつなもんだから、とりあえず、間を取ろうとするでしょ。

すると、出口のところに、いつのまにか、徹がいるんですよ。もうびっくり。逃げられない。

携帯電話で外に助けをもとめようかとすると、徹が、携帯電話の電池を切らしちゃうし。

あいつは魔術帥(マジュツスィ)だね。

とりあえず、「お前はWHO?」と聞いてみたんですよ。

するとね、「アッサラームアライクム、Ich昔の東的国人」とか言うんですよ。

確信しましたよ、こいつは、きっとドイツ風アラビア系在日中国人だとね。

で、よくよく話したところ、こいつは、幽霊らしいのです。

なぜか、成仏したくとも、どこの国籍だかも宗教だかもわからなくて、天国にもいけないんですって。

こいつがまた、ハイテクノロジーな野蛮人で、パソコンを見るや、起動させて、鎌で壊しちゃうんですよ。
その鎌の名前が、"Диаметр십오千米उल्का"だったもんだから、パソコンに直径15kmの隕石って言ったわけです。(携帯の人は見れないかも。またパソコンでもインストールしてないと読めないかも。ごめんね)

でも、見ての通り、ハングルが入ってるから、そんなに古い人じゃないよね。

で、僕に憑依したの。

で、携帯からブログを更新することも出来ず、ずっと踊ってたの。

ね?更新できない理由になってるでしょう。


信じないなら、SFの漫画でも読みなさい。あなたたちは、主人公に起こった超自然のことを普通に受け入れ、他の人が受け入れないのをもどかしく思う。今、僕はそんな心境なのだ。
ひでえ
今日は、11時におきて、12時40分からはじまる講習に間に合うわけが無くなった。

準備をするだけで20分、カロリーメイトを食べ、オレンジジュースを飲み、タオルを濡らして巻いて出かける。

自転車高速モード、7kmを20分。
駅に着いたのが、11:40、電車発車時刻は11:40、間に合った。

で、なんと遅刻は4分だけで、しかも先生はまだ来ていないという幸運。


そして、家に帰って、手持ちのマタイ受難曲の楽譜に和訳を書き込む。

7曲目、弟子たちの責め方がひどすぎた。
4声体で、(大きい画面でご覧ください。なお、頭の中で4人がこういっているのを想像してください)
何の為に無駄遣いをするのか?何の為に?・・・・・・・・・何の為に?・・・・・・・・・
何の為に無駄遣いをするのか?何の為に?・・・・・・・・・何の為に?・・・・・・・・・
何の為に無駄遣いをするのか?・・・・・・・・・何の為に?・・・・・・・・・何の為に?
何の為に無駄遣いをするのか?何の為に?・・・・・・・・・何の為に?・・・・・・・・・

何の為に無駄遣いをするのか?
何の為に無駄遣いをするのか?
何の為に無駄遣いをするのか?
何の為に無駄遣いをするのか?

・・・・・・・・・・・・この油は高く売ることができるのに。そうすれば貧しい人に施せるのに。
・・・・・・・・この油は高く売ることができるのに。・・・・・そうすれば貧しい人に施せるのに。
この油は高く売ることができるのに。・・・・そうすれば貧しい人に施せるのに。
・・・・この油は高く売ることができるのに。・・・・そうすれば貧しい人に施せるのに。

・・・・そうすれば貧しい人に施せるのに。そうすれば貧しい人に施せるのに。
そうすれば貧しい人に施せるのに。・・・・そうすれば貧しい人に施せるのに。
そうすれば貧しい人に施せるのに。・・・そうすれば貧しい人に施せるのに。
そうすれば貧しい人に施せるのに。・・そうすれば貧しい人に施せるのに。

もちろんその後イエスが弟子たちを叱るけどね。
そうかい・・・そうかい!!
今日は、ソルフェージュということで、5時から始まるだろって思って、2時過ぎに出て行く。

駅に着く。

いつもほとんど人がいないし、今日もすいているはずだ。

駅の最前まで行く。
となりの二人の子連れとお兄さん(28歳くらい?)が、
「あのお兄さんの傍(そば)に座っちゃだめだよ」
と言う。
もちろん、あのお兄さんとは僕のことである。
いろいろ解釈が出来る言い回しだ。

電車に乗る。

なぜか30~50人ほどの女学生たちがたくさん乗っている。
すべて同じ制服で、話でうるさいから、なにかの帰りだろう。

適当な場所に座る。

「ここ女性専用車だよ?恥ずかしくないのかなぁ?」
みたいな会話を聞く。
そういう話はもうすこしひそひそして欲しい。

ちなみに、女性専用車は、朝9:00までで、平日しか適用されない。つまり、日曜の14時40分など、全く女性専用車とは関係ない。
何人か離しながらこっちをじろじろ見るので、睨み返してやった。

一人は、ずっと女性専用車の注意書きを読んでいる。→誤解は解消された。

たしかに僕の服装は、シャツ一枚で、袖なしだし、タオルを巻いて帽子を被るという結構露出度が高い状態だが、まるで意図して女性専用車に乗ってきたような言い草は不愉快だ。
ちなみに、僕は根っからの女性専用車反対派である。
女性専用車を作っても痴漢率は減らず、被害者の特定化がすすむだけだし、
むしろこれは完璧な差別。100年前のアメリカの白人専用車と差別度合いの差がない。
差別を無くすには、男性専用車をつくる(痴漢は減らないが冤罪はほんの少しだけ減る)のが筋。
ちなみに、僕は、痴漢専用車を作って18禁ビデオとか流してればいいと思ってる。もちろん皮肉。

小田急線に乗ったところで気づく。今日は16時開始だ。

駅に着く。15:58。

走る。

どうやって時間つぶそうか、なんて考えてた僕があほらしい。

・・・

自転車で駅から家まで走る。

天候が不安定で30分耐えてくれるか、不安なところに、自転車に木の枝が引っかかる。

後輪をカバーしている金属がぐにゃぐにゃに曲がる。

直す。(力任せに折る。簡単だった)

走る。

そして、走っているとものすごい神秘的な光景にであった。

ビデオに収めたかったくらいだ。


前のほう(地平線)が真っ白に強烈に光る。雲がぼわっと光る。

その後、手前の方に向かって僕を包み込むように、光が走ってくる。

多分光った場所は20km~30km離れた場所。

そこに落ちた雷が、雲に反射してここまで来たわけだと思うが、手前に向かってくる感覚は(光はものすごく速いので)あるはずがない。
だが、光った雲は左右に見えたとき、その距離は20kmくらい離れているだろうし、そんな巨大な稲妻が走るわけが無い。

これは、もしかしたら、光速が有限であることを確認できた現象かもしれない。

雲はあまりに厚く、雷は、雲の中で発生した。

ものすごく明るい光は、雲を通過してきて、僕の目に入る。
だが、雲はもちろん、水滴なので、反射するのもある。
その後、例えば、0.03秒後何度も反射して、合計1万kmくらい動いた光が僕の目に飛んでくる。
時間がたてば立つほど、光源より遠いところの雲から光が反射してきて僕の目に入る。
こうなれば、0.5秒程度で、雲が奥から手前に光が走るような感覚を説明することができる。

ただ、0.5光秒といえば、15万kmであって、そんなに反射できるものなのだろうか。

この現象を他の方法で説明できるとしたら、教えてください。


これを目の当たりにしたとき、世界がモノクロになったような感覚に襲われた。


神秘的な体験。
4次元へ・・・
僕は時間は次元の一つじゃないと思う。




正多面体の書き方ってものがある。
僕は、すべて自力で開発したが、正12面体だけはあまり美しくない。
書き方は十人十色であろうが、その多面体をじっくり眺めるだけで、書き方が思い浮かぶはずだ。
とくに輪郭に注意すること。
今さっきだだっとかいたものを載せてみる。
3次元、そして4次元へ
さて、本題は右側だ。
4次元を頭の中でイメージできるようになることが、最大の試練であり、目標である。
この4次元超立方体は、見ての通り、a,b,c,d,e,f,g,hの8つの立方体から成る正多胞体のひとつである。
上と左の超立方体を見れば、
aとcが接している、cとbが接している、bとdが接している、dとaが接していることは火を見るよりあきらかである!文句がある奴は火をもってこい!
で、その全てを関連付ければ、aと接していないのはbだけだということもわかる。
それを元にして、展開図を作る。
超立方体展開
a,b,c,dのみ、同じ色で色付けしてみた。
なお、接する面は、90度だけ立方体を転がして接する面同士である。dとhが接する面を確かめたい場合は、dとfとを一緒に倒す。なお、270度転がしたところとは接しないので注意が必要。
一番右の面と一番左の面は接するが、それは、
dとfを同時に手前に転がす
fを左に転がす
cを手前に転がす
cを手前に転がす(fを左に転がす)
で接することがわかる。
この作業は何回やっても問題ない。新しい展開図もこのようにして作ることが出来る。

しかし、本来の目的は頭の中での4次元イメージであって、3次元に変換することではない。

更なる修練をつまねばならないだろう。

では問題。超立方体の左下においてある正5胞体は、ひとつ線が足りない。さて、どこかな?
(もちろん書き忘れただけである!!)

最近、言葉遣いがあらいなぁ・・・
作品を書くに当たって
ようやく、作曲の授業で、自由に曲を書かせてもらえる段階まできたのはいいものの、なかなか難しい。

束縛は、バイオリンとピアノでかかれたもの、というところだけ。
暗黙の了解として、バロック~ロマン派に則った、つまり、和声構造がしっかりしている曲ということもあるだろう。(印象主義的なものは書いても仕方ないだろうし、現代~前衛音楽は論外)

で、いろいろバイオリンソナタを聴いてみたのだが、学校で借りてきたベートーベンのバイオリンソナタ全集は[disc2]がない!!(!!?)
一番聞きたかったバイオリンソナタ5番「春」が聞けないのでは借りた意味も半減というものだ。

仕方ないので、後期のを特に念をいれて聞いてみたのだが、なんかバイオリン独奏にピアノが雰囲気をつけているという感じがする。
かと思えば、バイオリンとピアノが同等に奏でたり、その対比はさすがベートーベン。

そして、バイオリンで思い出すのが、フランクのバイオリンソナタなわけで、これは前回の記事に書いたとおりなのだが、最後に聞いたのは、修学旅行(去年の10月)の帰りの飛行機の中。
一回目のループは聞き逃し、着く直前に聞き始めた、と思ったら、全部聞けてうれしかった。
ほかにショスタコービッチの序曲?もあったのだが、それもちゃんと聞いておけば良かったなあ。

某ブログに反応して、
カノンは、対位法の究極的姿であると言われることがある。
まさにその通り。
対位法とは旋律の組み合わせで、非常に高級な感じがする。
音楽の一番の見せ所は、やはり旋律であって、それが一度に二つも三つも楽しめる。対位法のすばらしさは語りつくせないほどだ。
思いついたもので言えば、バッハ:シンフォニア1番、マタイ受難曲1.「来たれ、娘たちよ、われとともに嘆け、ショスタコーヴィッチ:弦楽四重奏3番、ジェフスキ:ノースアメリカンバラード4番「ウインズボロ製綿工場のブルース」など
そして、対位法の各声部に統制をもたらし、一音たりとも無駄な音を作らない、究極の美しさを持ったものがフーガだ。
フーガは、始めに旋律を歌い、その後5度移調したものを歌い、主調で歌い、と順次声部を増やしていくのだが、その彩の変化は感動的である。
あらゆるところに主旋律が出てきて、それが変化しながら緊迫して開放されるというのは、まさにフーガならではのもので、これ以上にないほど感動的である。

フーガよりもさらに統制をもたらしたのがカノン!
ある旋律を歌い、少し遅れて同じ旋律を歌い始める。
じつは、まともなカノンをあまり聴いたことがない。
バッハのインベンション2番はたしかに前半は完璧なカノンだが、1声の部分、2小節間でひとつの物語が終わってしまっていて、カノンらしくない。パッヘルベルのカノンも同じ。こちらはさらにひどい。(だからといって音楽的に劣っているというのではない。音楽的には両者ともものすごく良いものだと思う)
やはり、カノンならゴルドベルク変奏曲なのだろうか。しかし、ゴルドベルク変奏曲を聴いても、カノンだという喜びが感じられない(なぜだろう。聞き方がわるい?)。
カノン風はいくつもあって、その導入は大好きなのだが、(アルカン:Op.65-6「舟歌」など)導入だけで、他は全く違うのが残念である。
というわけで、これぞカノンというのは、フランクのバイオリンソナタが始めてなのかもしれない。(ちなみに、ゴルドベルク変奏曲を聞く前にこの曲に出会っている)
カノンのすばらしさは、わかるのだが、身をもって経験したことがあまり無いため、いまいちぱっとしない。

だれか良いカノンの曲を教えてください。

ところで、対位法につきものの声部の独立。
これは、次のようなものによって阻害される。
平行進行
融和音程
あまりに三度の連続で動きすぎても一度にいくつもの旋律が歌っているという感動は覚えないし、
完全八度や完全同度で歌われても、二つの声があるとは思えない(完全五度も昔の人はそう思えたらしい)。
だが、僕は次のようなもので、声部の独立が際立つと思う。
音色の違い(歌詞の違い)
音量の違い
とくに音色の違い。
完全八度や同度で音色が違っててもそれはたしかに独立とは言えないが、少なくとも連続五度くらいは音色が違えば許される気がする(フランクのバイオリンソナタを見よ!!)。

まあ、音の3要素に同等の力を与えただけである。

それにしても音色を連続的に変えられる楽器ってないなあ。
音色って何次元に表せるものなんだろうか。
記憶の中の名曲
フランクのバイオリンソナタの4楽章が良曲すぎる!!!

だが、残念ながら10ヶ月ちかく聞いてないうえ、楽譜も持ってないし、CDもないので困る。

さて、脳内で再生しても、数小節で終わってしまううえ、バスすらわからない。

困る。

というわけで、楽譜はなんとかダウンロードできたのだが、音源ないかなぁ。学校の図書館には無いみたいだし・・・。探し方が足りないだけかもしれないけど。

この曲きくと、カノンて不思議だなぁと思う。

時間的に旋律がずれたら普通は和音があわなくなってめちゃくちゃになるはずなのに、なぜか音楽的に成立してしまう。

これぞカノンの神秘!

といっても、ひとつの音は3通りの和音のとり方があるわけで、それを利用すれば、全音符対全音符カノンができるな。

その可能性を書いてみると・・・
主音:1度、4度、6度、2度七
上主音:2度、5度、7度、3度七、4度付加六
中音:1度、3度、6度、4度七←不思議なことに、3和音で中音が入っていると、全てトニックの性質を持ちうる。
下属音:2度、4度、7度、5度七
属音:1度、3度、5度、6度七←一番使いやすい
下中音:2度、4度、6度、7度七、5度九
導音:3度、5度、7度、1度七←3度、7度のときは導音じゃないけどね。
と書いたところで、係留、経過音を考慮すればもっと増えるので、意外と可能性がありそうにも見える。メモ。
はっはっは。こりゃいかん。
ブログの管理人ページを見て遊んでたら、拍手メッセージなるものがあることに気づき、それは本来公開されないものなのだが、答えておこう。

2007年5月24日http://chamoda.blog43.fc2.com/blog-entry-322.html
突然ですが、右と左、どちらが大きいでしょう。(直感だけで)

47+65 ~~ 53+58

112>111
10の位に翻弄されなければ簡単。


6*9 ~~ 4*13

54>52
13を掛けると多くなりそうに見えることにとらわれないこと。


76+57+94 ~~ 11*21

227<231
掛け算はなんだかんだいって強い。派手な足し算でも勝てない。


12^3 ~~ 5^3+7^3+10^3

1728>1468
3乗はものすごく発散しやすい。足し算は発散しにくい。


(6^3)*5 ~~ (5^3)*8

1080>1000
乗せられる数(?)が大きくなっても相当発散しやすい。もちろん、右肩のほうが発散しやすいが。


2^30 ~~ 10^9

1073741824>100000000
これは、2^10が1024であることから簡単にわかる。


10! ~~ 16!! (16!!=2*4*6*8*10*12*14*16)

3628800<10321920
3倍程度違う。ちなみに、ここら辺の大きさの3倍は殆ど違わないのと同じ。二重階乗は急激に弱くなるが、しかしそれでも強かった。


9の3乗根 ~~ 17の4乗根

2.0800・・・>2.030・・・
これは相当意外ではないか。n乗根はそうとう弱める力が強くなるという例。


人間の最長寿命 ~~ 50000日

45000日以下<50000日
人間は120歳以上は生きられないとされる。最高記録は122歳だそうだが、50000日は136歳と360日(ほぼ137歳)ということで、決して50000日以上生きることはない。人生は大切に。


脊椎動物の最長寿命 ~~ 100000日

約102000日>100000日
280歳生きた亀がいるとされる。
280歳は102200日。ただし、誤差が5年ほどで大小が入れ替わってしまうので、本当に100000日以上生きた脊椎動物がいるかどうかは不明。


直感の逆を行くというのは大変興味深い話で、人間のだまされやすさを主張する例となるのだが、そういう問題を作るのも難しく、問題作成者は逆に、人間の直感のすばらしさに気づかされるのではないだろうか。

将棋は直感を思い浮かべてから検討するというし、まず直感が先にある。
アインシュタインは、「答えがわかるまで数式を書くな」といったが、これも、直感がさきにあって、それを検討するのが科学の基礎的な姿だ、と言っている。
よく直感を馬鹿にする例として、誕生日のパラドクスがある。

ある教室に何人かいる。誕生日が被る可能性が50%を超えるのは何人以上いたときか。

という問題。
正解は23人となる。
365通りもの誕生日があり、それを23人しかいないのに、誕生日が被る可能性が50%超えるのはおかしいみたいに思うが、数学的な勘を養えれば、20~30人の間であることは容易に想像できる。
ためしに、硬貨を8枚取り出し、製造年が被っているかどうかを見てみると良い。半分以上の可能性で被っているはずだ。もしかしたらもっと高いかも。
硬貨が全て均等な数あるのなら、昭和27年~平成20年の57年間(昭和64年は省いた)あるわけで、被る可能性が50%を超えるのは、11枚必要となるが、(11枚のとき、56.7%)実際は、硬貨はその年毎に均等にあるわけはなく、昭和27年など稀(昭和40年以下は殆どない)である。
さらに、平成になるほど、枚数は増えていく。こういうばらつきは、被る可能性を押し上げる手伝いをする。今ちょうど財布の中に8枚の硬貨があったので、検証してみる。

1円玉:平成四年、昭和五十八年
5円玉:昭和四十四年
10円玉:平成二年、平成十四年、昭和五十二年
50円玉:昭和五十年
100円玉:平成八年

・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・

ぐにゃ~。

なきの一枚

1円玉:昭和63年

・・・

・・・・・・

その後は重なりまくりだったんだからっ!!
いまだに
いまだに寝違えてて痛い。首がおかしくなったのだろうか。

今日は、漢文の補講。解く気があったところは何気に合ってたところが多かった。

放課後というわけではないが、6人でカラオケ。

いまだに昭和の時代の歌しか歌えない僕。

帰る時、中目黒から帰ろうとして、結構歩く。

気温が34~37℃くらいあって、直射日光を浴びてたので、とても暑い。

むしろ熱い。

途中であきらめたくなったが、あきらめる方法がないので、頑張る。

10分くらいといわれたところから、20分くらいかかったような気がしたが、それは体感時間であって、実際は12分くらいしかかかっていなかった。

で、帰還成功。120円を得するために、多大な被害を払った気がするが、まあ、東京散策できたし、おもしろかった。

家について、時計をみたら、4:44:44になってた。本当は5秒くらい待った。

じゃあね。おやすみ。眠い。夜になったら寝る。
不安すぎる。
今日は、学校の補講があるということで、こんな時間にもかかわらず、徹夜しないで起きていたわけで、ベートーベン:交響曲第3番「英雄」を聞いて目覚めをよくしています。

しかし、補講があるというプリントはずいぶん古いもので信用がもてないし、教室が全くわからないという始末。まあ、学校についてどうしてもわからなかったら取ってそうな誰かに連絡とるしかないか。

しかし、夢が時間に追われる夢ばっかりというのも、精神的に逼迫しすぎだなあ、と感じる。


逼迫(ひっぱく)に読み仮名ふろうかどうか迷った。いつも、自分が覚えていない漢字がでてきたり、おそらく難しいだろうと思われる漢字には読み仮名ふってるけど、「逼迫」は微妙なラインだ。

それから、昨日某テレビ番組ではじめて「潮騒」の読み方を知った。情けない。

さらに、昨日から首を寝違えてて、痛い。
昨日書きたかったこと。
昨日書きたかったことのもうひとつ、思い出した。
ボロディンの、ФАЛЬШИВАЯ НОТА(不協和音)っていう歌。
はじめから最後まで、8分音符でF音が鳴り続ける。
ってアルカンのFa(Op.38-2)と同じ構成じゃん。しかも6/8拍子だし。

っていうことだった。
ただ、調整は、ボロディンのほうは、Des-durなのに対し、アルカンはa-moll。
Fは、ボロディンのほうは、3度音に対し、アルカンは6度音。どちらも使いにくい音には変わりないが、3度音のほうが融通が利かないかな。

まあ、それだけ。アルカンもやる人だなあ、と。
昨日書きたかったこと。
昨日書きたかったこと。日付が変わってしまって残念。
ちなみに書きたかったことは3つあります。そのうちひとつは忘れてしまいました。

そのかわり、今さっき地震があったのでネタは増えたかなあと。
ゆれの強さは10段階中の9、つまり震度6強。
さて、震度、全部言えますか?定義(と呼びたくないほどあいまいだけど)も言えれば文句なし。
9段階しかねえ、とか、震度7強まで!とか言っているじゃ失格。さすがに後者はいないと信じる。
前者のミスは、おそらく忘れがちな、震度0の存在を見落としたのでしょう。
震度0=人間に感じ取れない程度のゆれ
ということで、決まってるんですね。
知ってますか。そうですか。どれくらいの認知度なんだろう。
ちなみに、マグニチュードは地震の強さ。強さって言ってもよくわからないので、マグニチュード5は広島に落とされた原子爆弾と同じ程度のエネルギー。余計わからない。
マグニチュードは1増えると、31.6倍になる。正確に言うと、31.6227766・・・倍。つまり、1000の平方根。
まあ、知ってますか。そうですか。
実は、マグニチュードは0.2増えると、ほぼ正確に2倍になる。(1.995・・・倍)
だから、この前(仙台)の地震で6.8から7.0に変更されたのは、実は2倍の間違いだったということになる。
ちなみに、今回は6.8。この前の地震の半分の強さ。でも深さが120kmとものすごく深いくせに、6強があまり広くないというのは信じがたい。マグニチュード7は超えているだろうと思うのだが。
死傷者がいないことを祈りつつ、次の話題にいこう。

ショスタコービッチの弦楽四重奏8番は、いろんな意味で、すごい曲。
鳥肌が立つ場面もいくつか。それと同じに笑いもでてくるほどやばい場面がある。
一番初めにチェロで演奏される、D-Es-C-H、これがこの曲の全て。全ての音がこの動機からでてきているといっても過言ではない。
よほど自分の名前が好きだったのだろうか、2楽章と3楽章で、この音形が暴れる。
2楽章で、第一バイオリンが、レミドシレミドシレミドシレミドシ・・・と暴れ、第二バイオリンも同調したり、その後、ビオラとチェロでレミドシレミドシってやったり、いろんなパートをレミドシが駆け抜けていったり。
さらに、この不完全な音形、レーシレミーレシレーシレミーレシってのが、(もちろん、ミは♭)
いきなり、レーーーミーーードーーーシーーーって叫んだりするのは感動的。
3楽章で、一番初めに、やはりレレミッドッシーって叫んだ後、ワルツのリズムにのって、レレミッドッシーってしつこく歌うのも綺麗。(しかも3楽章は1楽章と2楽章が混ざってる!!)
4楽章で落ち着いたかと思えば、よくよく聞けば動機はレミドシだし、Fis-G-E-Disと歌ってたりする。
もちろん、終わりはレーミードーシー
5楽章では、わかりやすいレミドシの変形と、露骨なレミドシの対比?ちょっと違う気もするが。
この人はナルシストなのかと思うほどひどく面白い曲だった。(「ひどく」と「面白い」の間に「、」を打っても構わない)

最後。今日、もちろん用事はソルフェージュだったのだけど、会いたい人に会えなかったのは残念だった。別に会いたくて行ったわけじゃないからいいんだけれども。音楽は人とのつながりが重要だしね。
ひとつの芸術に3つの人種(作曲者、演奏者、鑑賞者)が必要というのが基本だし、孤独なのはやはりよくない。別に孤独なわけではないが。
よく考えれば、料理も、農家、料理人、食べる人の3人が必要だな。まさに、音楽の3つの人種と綺麗に重なる形で。
ただ、現代料理や前衛料理(普通の人には理解できない料理と考えて良い)はごめんこうむりたいが。
まあ、音楽の「ジョンケージ:4分33秒」とかを料理化するのならともかく、「クセナキス:シナファイ」とかを料理化された日には、一人が病院に送られることだろう。(一人ですめば幸運である)
それから、会いたかった人は、本当に会いたかっただけであって、用事があったわけではない。本当にどうでもいい話だ。
銀座のヤマハ
今日、銀座のヤマハに行ってきた。

まったく宣伝の逆になるが、品揃えが悪すぎる。

まず五線紙。種類が少ない。
楽譜はまあ、いいとして(春の祭典があったし、世の終わりのための四重奏曲もあったし、おもしろかった。でもパガニーニのバイオリンソロの楽譜がない。探し方がわるかったかな?)、CDの量の少なさは異常。

というわけで、銀座に行くなら山野楽器のほうがいいと思った。
だが、山野楽器は、9月8日から控除率が悪くなる。
今まで、1000円1ポイント、50ポイント=3000円だったのが、
500円20ポイント、1ポイント=1円となる。
見事に数値を全て変えているので、計算が面倒だが、
今までは、50000円で3000円、今度からは、50000円で2000円となる。
ちなみに、火水、夏休み中は土日も、ダブルポイントデーで、今まで500円で1ポイントで、
なんと10%を超える控除率だったのだ(買い方が下手だと、10%を下回ることも十分ありうる)

まあ、ヤマハの25000円で500円よりはよっぽどマシなわけだが。
というわけで、買うなら夏休み中だし、それ以降はもうだめだね、ってことになる。(トリプルポイントデーとかが出来るなら話は別)

猛烈に二つの会社の悪評を書いてみた。
平均の速さ
平均の速さと平均の速度の違いがどっちがどっちだかわすれたけど、
合計の移動距離÷合計の時間が平均の速さだったと思うので、そういうことにしておく。

家から、6.9km(車道で)ある、八千代緑が丘駅までいつも自転車で行っているのだが、
行き始めたころは、だいたい30分だった。平均の速さは13.8km/hということになる。
最近は、20分くらいでいけるので、平均の速さは20.7km/h。
しかし、20分よりちょっとかかってしまうことが、多く、20.0km/hを突破できるかどうかは、結構ぎりぎりのラインだった。
だが、一昨日は違った。
ある道がすいていたので、歩道を走らず、車道を一気に走ったところ信号で2分待ったにもかかわらず、15分で着いた。(正確には15分30秒くらいだと思う)
つまり、平均の速さは、27.6km/h
信号が無ければ、30km/hを超えていたことになり、これは、自転車としては相当速い。
加速の時間とかがあるから、多分、瞬間の速さは40km/h~50km/hくらいは出てたと思う。

まあ、圧倒的に環境がよかったのだ。ちょっとうれしかった。
15時・・・
さすがに15時に起きたのは失敗だった。。。
今日の2時あたりからショスタコーヴィッチの交響曲を11まで聞いた・・・。
まあ、後期の弦楽四重奏とかも聴いた。

で、夢をいくつかみた。

ピアノのお化け?と戦って勝った夢と、TS君と東京散策する夢と、室内でサッカーする夢。

どれも楽しかった!!

追い詰められる夢ってよく見るけど、そのあと戦って勝つことが多いなあ。こういうのは結構珍しいらしい?

室内サッカーはメンバーが謎過ぎた。観戦しているときが幸せだった!


東京散策は途中まで一人でしてたんだけど、途中でN君に会って、少しの間歩いてたんだが、N君は別の人と待ち合わせてしていたため、その近くになぜか歩いていたTS君と銀座を散策することに・・・。ビルの4階とかに上った。

そう、いつもおかしいと思うのだが、夢ってこういうことがある。
A場面→B場面→C場面
で、B場面とC場面が全く関係なく、ぶっ飛んでるのになめらかにつながってる状況。
まあ、これはよくあるとして、
A場面→┏C場面
B場面→┗C場面
と、ひとつの場面に向かって過去が2つある。
実は東京散策の夢で、ビルの4階に行く際、家族と地下駐車場に入っていった過去もあった。

家族といえば、店の屋根のうえにあった巨大人形をパチンコで撃って、下に落ちてきた夢も見たなあ。
またまたアルカン
ということで、アルカンについて、また聞くことが多くなってきた。

しかし、昨晩から今日の昼にかけて、ずっとストラヴィンスキーを聞いていたのは失敗だった。あれ、アルカンの話題じゃない。
2時間に一度春の祭典が戻ってくるはずだが、3回くらい春の祭典を聞いて、他の曲のときは見事にずっと寝てた。ぺトルーシュカとか、火の鳥とかも聞きたかったのに。あれ、アルカンの話題じゃない。

で、ストラヴィンスキーはやめて、ベートーベンの第九の聞き比べをしていた。
どれも一長一短。評価の高いカラヤンの演奏もなんか足りないものがある。
あれ、アルカンの話題じゃない。
2楽章のティンパニの暴れ方が足りなかったり、4楽章の盛り上げが足りなかったり、1楽章が軽すぎたり、みたいな人がいる。
あれ、アルカンの話題じゃない。

で、ジャックギボンズの弾くアルカン:「海辺で唄う狂女の歌」を聞いた。
とりあえず、聞いたことのない人は聞くべし。ムストネンの演奏は、すこし軽いのでジャックギボンズのほうが良い。それから、MIDIの演奏は所詮機械の演奏なので、聞かないほうが良い。
作品番号31「25の前奏曲」―8番変イ短調
ね。(変イ短調って本当かよ。変ホ長調っぽく聞こえる。あーでも聞き方かえれば変イ短調にもなるな)
ちなみに、聞こうと思った人でも、もし、今の気分が少しでもプラスなら聞かないほうが良い。
少しマイナスなくらいなら聞かないほうが良い。
どうしようもなく絶望した人や、もう狂いそうな人が聞くべき曲。
それから、太陽がでている間は聞かないほうが良い。聞くなら部屋の電気を消して、気分を暗くしてから聞いたほうが良い。
それから、CDなら音量は大きいほうがいい。微妙なニュアンスが聞き取れないからね。
それから、聞くより弾いたほうがいい。http://alkan.assos.free.fr/ここで楽譜をダウンロードできる。
演奏するにあたって、ペダル踏みっぱなしは守ったほうがいいし、左手は極限まで小さく、全ての音を鳴らすように。
和声感は捨てたほうがいいかも。右手がどれほど歌えるかが勝負。グロテスクに、美しく。

この曲弾いて自殺したくなっても責任はとりません。たぶん、自殺する元気もなくなるほど落ち込むけど。
ちなみに暗譜できたら、真っ暗なところで弾くと余計に気分がでる。

お金に余裕がある人は、静かな波打ち際で真夜中に弾いてみるといいかも。


はっきりいって、どんな現代音楽より不気味。

ちなみに、25の前奏曲は、この曲を除いてすべて駄作といってもいいぐらいくだらない曲しかないので、(2番とかくだらなさすぎるね)聞く価値も無いと思う。(2番とかね)
弾いても時間の無駄(2番とかね)。
(2番とか)練習なんかするくらいだったら、アルバイトでもやってたほうがお金になるよ。
将棋図巧
将棋と離れて結構な時間がたつが、今日、ひさびさに将棋図巧を見直してみる。

さすがにすごい。詰将棋の原点で最高地。

もちろん、今の作者たちはもっとものすごいものを作っているが、
(「煙詰」は「妖精2」に敵わないだろうし、「裸玉」は「驚愕の曠野」に敵わないだろうし、「寿」はミクロコスモスに敵わないだろう:作者名は省略)

しかし、一人で、もっとも単純で美しい趣向(最小限におさえ全ての駒を消す、玉しかない、長手数)を一応完成させきったという(しかも前例が無い状態で)というのはものすごいことだ。

まず1番からおかしいくらいすばらしい作品だし。


この作品集は現在の詰め将棋の原点にあるようなものだ。

作者の伊藤看寿は音楽の世界でいえば、ベートーベンとかバッハとかそれぐらい偉大な人だ。時代も同じくらいだし。



ちなみに、詰め将棋でもっとも美しいのは「驚愕の曠野」だと思う。これは、将棋を少しでも知っていれば、だれでもヤバイと思える作品だし。
アルカン再び
今日のテスト返却は、最高値と最低値の差が84という、今までのなかで一番大きいもので、もちろん、中間一番悪かったものが期末も最悪になり、中間で2番目に良かったものが期末で最高点となった。(ちなみに成績表の最高値と最低値の差は58)

ああ、音楽って授業があったころは94点差があったっけ、まあいいや。

で、帰りにアルカンのCDを買った。

といってもアルカンだけが作曲に関わったわけではない、という珍品。

NAXOS;Romantic Piano Concertos
演奏:piano:Dmitry Feofanov
オーケストラ:Razumovsky Symphny Orchestra
指揮:Robert Stankovsky

入っている曲がまた珍品。
短調練習曲8番(独奏のためのピアノ協奏曲1楽章)のKlindworthによるオーケストラ編曲
室内協奏曲2番嬰ハ短調Op.10
室内協奏曲3番嬰ハ長調(CDにはC sharp minorと書かれているが誤り。アルカンが作曲したと言われる失われた協奏曲(Op.13-2としてピアノ曲は現存)のHugh Macdonaldによる復元版。つまり、3番というのも正確ではない)
室内協奏曲1番イ短調Op.10

とくに、短調練習曲8番のオーケストラ編と室内協奏曲3番は相当のアルカン通が知っているか知らないかというぐらい知られていない曲。まあ、相当なアルカン通ならうわさだけは耳に挟んだことはあるかも。
運がよくないとこのCDと出会うことは無いだろう。なにせ、この曲をgoogleで検索しようとしても、解説ページはひとつも引っかからないのだから。

という僕も、ロマンティックなアンダンテ(Op.13-2)がオーケストラで作曲されていたというものだったということは知らなかったし、それが復元されているなんてことを知る由もない。

室内協奏曲1~2番は、アムランの質の高い演奏がある(ヘンゼルトとカップリング、hyperion)。

ちなみに、短調8番の編曲は、完全に再現しているのだが、始まりと終わりがちょっと甘い。
とくに終わりに主題を入れたかった気持ちはわからんではないが、無理やりという感じしかしない。
アルカンがカデンツァとして作っただろう場所は、管弦楽とティンパニが暴れまくるステージとなって、カデンツァとしては見る影もないが、盛り上がりとしてはなかなかの出来。


ちなみに、アルカンは、スティーブンソンという人によって、アルカンの饗宴という編曲メドレーが作られている。音源は市販されていないそうだし、楽譜も正規ルートでは手に入らないみたい。
しかし、アルカンを知る人にとってはとても面白い曲なので、一度は聞いてみるべし。どうやって聞くのかは知らんが。
恐怖と絶望
眼鏡をベッドの上に置いたまま、気づかずにねっころがり、背中で押しつぶしてしまっていた。(せめてこのときに気づくべきだった)
そして、そのまま寝返りをうったとき、ぐにゃっとなって、眼鏡があったことに気づき、みてみると、がたがた。しかし掛けられないことは無い。
直そうと思って力を加えたら、ばきっ







で、どうせ眼鏡が使えなくなったんだから、散歩でもしてこようとおもって、チョコレートを2欠片たべて、自転車にのって住宅一区画を周ってくる。
財布をとって、町を一周してくる。
携帯電話と時計をとって、隣町までいってくる。

で、隣町に着いたんだが、雨が降りそうだったので(せめてこのときかえるべきだった)そのまま、本屋に駆け込んだ。
そこで30分くらい時間をつぶし、帰ろうとすると、あたりは暗闇、眼鏡なし。

・・・。

・・・。

こわいよ~

で、ライトの反射の形で道があるかないかを予想し、真っ暗闇を通る。
しかも、いままで1回しか通ったこと無い道で、道がよくわからない。

しかも、道が狭い!!

しかも、急な(下りの)坂道!!

こわいよ~

ということで、なんとか川まで戻ってきたのだが、川沿いで道を間違え、田んぼの真ん中を突っ切っていくと、橋があるはずが、茂みがあるのみ!

横道にそれて、走る。いつ道がなくなるともわからない農道、なんとか橋までたどり着いて帰還できた。

それにしても30mほどまで近づかないと車がいるかどうかすらわからない視力の悪さで、あまり変なことを思いつくものではないと実感した。また今度裸眼でサイクリングしてきたい。
つばね
「つばね」って言葉ありそうなのに、無かった。
探し方がたりないだけかもしれないが、とにかく無かった。

だって「つばね」だよ?ありそうじゃん。

語感がいいし。

それだけ。
なるほど、バカみたいだ。
森下唯の日々の駄文録を見てみて、たしかにひどいと思った。
とりあえず、ここでも解説しておくと、
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080714/crm0807141624011-n1.htm
(存在しない)埼京線の上野駅で「殺しまくる」と書き込んで逮捕
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080716/crm0807161657034-n1.htm
小学校で(魚の)「小女子を焼き殺し」て食べる、見たいな事を書き込んで逮捕

これは、書き込んだ人が悪いとか、警察が悪いとか、そういうことではなく、この記事事態が、強烈な風刺になっている気がする。
言論の弾圧の一角が見える、常識を知らない人が多い、という点で。
埼京線の上野駅の方は、存在しない駅で殺人予告を書いても予告にはならないみたいなことも一緒に書かれていたそうで、これは、警察が早とちりしたと考えてもまったく非難されないと思う。
たとえば、僕が、「銀河鉄道のカシオペア駅で2008/7/25正午に大量殺人を行います。この記事を見た人は近づかないように」とか掲示板に書いただけで、逮捕されるのである。たまったものではない。
いや、もしかすると、このブログにこのように書いただけでも逮捕されてしまうのかもしれない。
まあ、僕が逮捕されたら、皆さん、僕の無実を証明してくださいね。

そして、小女子のほうは、どういうものかは、
wikipediaのイカナゴ
を見ていただければわかるだろう。
つまり、女郎人を殺すってかいても、逮捕されるな、この勢いでは。
たしかに、小女子(こうなご)という言葉は一般的に使われる言葉ではない気はするが、これで逮捕されてしまったのでは、警察は自分がバカだといっているのようなものだ。

それにしても、風刺としてもこういう冗談が書けなくなっているというのは危機的な事態だ。
昔から、悲惨な事件が起こった後は、かならず、それを風刺するようなものが出てきたといっても過言ではない。
本人にとって痛烈で、世間を笑わせながら考えさせるというのは、風刺の役割だ。
しかし、風刺を理解できない人は悪質な冗談と受け取ってしまうのかもしれない。
アメリカのオバマ夫妻がテロリストのような格好の絵で雑誌の表面を飾ったという記事もあったが、
これは風刺ではなく悪質な冗談だ、という論争もある。オバマ氏はひどくお怒りのようだ。

確かに秋葉原事件の模倣犯を怖がる必要は絶対にあるとおもうし、それに対して神経質になることが悪いことだとは言わないが、また、冗談を冗談と受け取れるセンスを養って欲しいものだと思う。
恥ずかしい話題?
ちょっと今日話題に出てた、「恋愛」についての考察。段階を踏んで考察してみる。

第0章「まえがき」
ここで主張することは、僕自身だけが考えたことであって、他の材料を一切借りてない。つまり、すでに僕が持っている知識だけで考察することであるので、たどりついた答えが正解である可能性はほとんど無い。
なお、ここで書かれる記事は、可能性として、あきらかに社会通念から離れていること、社会倫理に反することがあるかもしれないが、それは無視する。
ここで考察する内容は、「恋に落ちることは、恥ずかしいことなのか?」という問いにする。

第1章「恋に落ちることの定義」
恋におちるとはどういうことか。それを考える前に、恋がどういうものであるかを考える必要がある。
同性愛、近親愛は、恋に含めても構わないのか?
まず、恋におちることは、ある対象に猛烈に心を奪われることのひとつとする。(この場合、対象はなんでもよい)
心を奪われるというのは、(数学的に定義することは不可能であるが)長い時間その対象のことを考え続けてしまうような状況、対象のことを考えずにいられなくなるような状況としてみる。
また、その対象と接したとき、(音楽なら聴いたとき、絵画なら見たとき、人なら会ったとき、話したとき、触れたとき)快感、幸福感をえられるような状態としてみる。
恋におちるとき、その対象は人間であり、多くの場合異性である。
同性(親戚も含む)の場合は、歪んだ恋であるということにして、正常(統計の7割以上がそう答えるようなもの)な恋とせず、次章からの対象とはしない。

第2章「羞恥心を感じる瞬間」
まず、羞恥心を感じる人と感じない人を区別してみたい。
人前で堂々と恋人と抱き合ったり出来る人がいる。
一方で、相手に想いを告げられず、悶々している人もいる。
前者が、羞恥心を感じない人、後者を羞恥心を感じる人と区分してもよさそうだが、後者の立場から前者の立場へ変換されることも十分に考えられる。
少なくとも、羞恥心を感じる瞬間が、自分で恋に落ちていることに気づいてしまった瞬間、他人に恋に落ちていることに気づかれてしまった瞬間の二つがあると思う。その両方を考察しなければならない。
まず、次章で、前者について考察し、その後、後者について考察する。

第3章「自分で勝手に恥ずかしがる人」
まず、この羞恥心は、本来の羞恥心(と呼べるかどうかはわからないが、他人に自分の弱みを知られることとする)とかけ離れているようにみえる。
しかし、恋に落ちることが、他人に猛烈に心を奪われることであるのなら、自分が、自分の中の相手にたいして弱みを握られたような感覚になってもおかしくない。
つまり、この場合の羞恥心は、自分の中の相手に対する羞恥心である。この場合、潜在的なリーダー気質を持っている人が、この羞恥心を持ちやすいように感じる。相手に上位に立たれることを嫌うのであるから。恋に恋するような人はこの羞恥心は持たないのではないだろうか。

第4章「他人に気づかれるのが嫌な人」
他人を恋した人以外の他人として、これは、年齢とともに減っていくように思われる。
小学生たちが、好きな人いる?みたいな話題で盛り上がれるのは、根本的に好きな人を知られると恥ずかしいという感覚があって、それをつかんで冷やかしたい(結局相手の上位にたちたい)という気持ちを持っている人がいるからである。
それが、高校~社会人になるにつれて、彼女(彼氏)がいないことが冷やかしの対象であるようになっていく。
ところが、基本的にどの世代にも共通して、恋した相手には、想いを告げられないことが多い。
この場合、振られるのが怖い、相手の下位に立ちたくない、という二通りの躊躇があると思う。
とくに振られたときに、その相手が、「バカみたい」と笑い出し、他人に言いふらすようなことがあったら最悪である(その人の人間性も最悪である!)。しかし、そうなる可能性が振り払えず、想いを伝えられないというのは十分にありうる。しかし、これは羞恥心からくるものではない(結果的に恥ずかしい思いをすることはあるかもしれないが、直接的な理由ではない)。
ただ、後者(相手の下位に立ちたくない)の場合、これは、相手に好きだと知られてしまったら、こちらの弱みを持たれているような感覚になってしまい、これは3章で考察したことの自分の中の相手が現実の相手になった状況である。
結局こういう状況に陥る人は、リーダー気質を持っていると考えられる。

第5章「恋に落ちてしまった場合、それは相手の下位にたったことになるのか?」
恋に落ちてしまった場合、それは相手の下位にたったことになるのか。これは、根本的に違うと思う。
正常な(もちろん7割以上はそうであるような)人間なら、だれしも恋におちるものだし、人間以外の動物たちをみれば、雄が必死に雌に求愛行動しているのはだれしもがしる事実である(ただ、人間は言葉という独特の武器を持っているから話がかわってくるのかもしれないが)。
ただ、好きになったということが知られてしまうということは、自分のなかの大きな一つが知られてしまうということである。
人間は、基本的に、わからなければ神秘性が増す。
顔も声もわからず、名前と実力だけが知れ渡っている人は、ものすごく威圧感がある。
写真が無かったころの英雄が、神格化されるのはこのためである。
神秘性が薄れるときは、私生活が知られてしまうとか、眼鏡をはずして素顔を見られるとか、そういう時である。
例を挙げれば、夏目漱石の「こころ」において、第二部までは先生が神格化されているのにもかかわらず、第三部で先生の本質が知られることによって、先生はなんだかよくわからない人から、人間へと「引き摺り下ろされてしまう」。
また、神秘性を薄らせる要因を知りたがるのも人間の習性であるように思われる。
つまり人を好きになってしまったことがばれると、自分の中の大きな一因がさらけ出されることにより、神秘性が薄れてしまう。これを嫌がることが恥ずかしがるといった感情のなかにでてくるのである。
これを恥ずかしがらない人というのは、つまり、自分の神秘性を放棄している人である。
それよりも、恋愛の表面的な快感を選んだといえる。

第6章「あとがき」
この文章の本質を書くことになるので、これは続きにゆずる。
[恥ずかしい話題?]の続きを読む
あせる。
iPodはとてもデリケートな精密機器だ。

故障しやすいといううわさもよく聞く。

常々不安であったが、その魔手は、僕のiPodにもふりかかった。

充電機に数十時間つないで、離したところ、iPodがまったく起動しなくなった。

このときに感じたあせりは尋常ではない。中の容量は136GBちかくあるにもかかわらず、まったくバックアップはとっていないからだ。

なぜとっていないかというと、パソコンの容量が少なくて、iPodのデータが入りきらないから、という、単純な理由である。

で、動かない。

どうしたものか。

しかたなく、この深夜だというのにパソコンをつけ(2分前までつけていたのは気にしない)、
直し方を調べる。

どうせ調べても無駄だろうが。なにしろ、ボタンをどうおしても、パソコンとつなでもまったく反応がないのだから。

と、ある場所に、HOLDをON→OFFとすばやく動かし、中央ボタンとMENUを同時に長押し(相当長く、6秒~10秒)すると、再起動される、という記事を発見。

藁にもすがる気持ちで、やってみる。


なんと簡単になおったことであろうか。データは全く死んでいないし、インターネット、感謝、感謝である。

ではおやすみなさい。
夢・再び。
夢を見た。前にも同じような夢を見た気がするが、おそらく記憶が操作されたんだろう。

南の海に浮かぶ島。照りつける太陽。

「レースに参加してみないか?」

レースというのはスキーのレースだ。まったく季節はずれ、とかそういう問題ですらない。
指定された建物に行って、階段を登る。この先にレース会場がある。

「お前、ちゃんと防寒の用意してきたの?」

気づけば、短パンに半そで、これでは雪の寒さに耐えられない。
しかし、もう引き返せない。

「12人ずつ、こちらの扉を通ってください」

係り員が言う。2度目だったこともあり、なるべく早く通りたかった。(もうレースは始まっているのである!!)

扉をくぐると、その先に、開いている扉があり、映画のようなものの上映をしていて、30人くらいの人が椅子に座って鑑賞している。
映画は、戦闘シーンに入る。
そして、1人が銃で撃たれた。

「わぁっ」

映画を見ていた人の一人が仰向けに倒れる。

「うっ」

苦しそうに、また一人が倒れる。
そして、その惨劇は続く。

そして、T君も撃たれる。

「うわっ、、、うん?これじゃあ瞑想できない」

扉の前で見ている僕たちは、みんな顔を見合わせる。瞑想ってなんのことやねん。

しかし、人が倒れる仕組みは大体わかった。誰かが撃たれると、椅子が変形して、ショックを与えるしくみだ。もちろん、椅子の背もたれが倒れて、仰向けにたおれる。
そして、我らが映画を見る番になった。

「なんとかして裏をかこうじゃないか」

というわけで、椅子の背もたれの角度をはじめに指定できるのだが、撃たれたときのショックで、定数を変えるという仕組みなので、みんなそれぞれ工夫して数値を入れた。
僕は、1-2
はじめからマイナスにしておけば矛盾する。
前の人は、5cos(cosθ)などという複雑なことをやっていた。(あれ?これある値を決めてるわけじゃないね?)

映像は、グラフィックで作られた、オブジェ(関数によって作られたようなもの。パソコンで立体をつくるときの一番基本みたいな形式の立体)の間を通り抜けていくというもので、いきなり、



という記号がでてきた。

そして、銃撃シーンにはいる。
何人も工夫むなしく、倒れていくが、僕はもともとの座席の形が尋常でなかったこともあって、助かった?

そして、ある空間に飛ばされる。

その空間は、-1の空間(とH君は言った)。

8方が囲まれた広い空間のなかに、とがって側面が負にゆがんだ中が空洞の四角錐が規則正しく上と下に並んでいる。
僕は、トーラス(ドーナツ)。
ものすごい勢いで、移動することができる。なにせ素粒子なんで、光速で移動することができる。

敵は、鎖。これにつかまってしまったら負け。触れるだけでもだめ。

逃げる。
逃げる。
逃げる。

「光速で逃げ回っているんだから、つかまるわけないよ」

とS君。それを信じて逃げるが、光速をだしていると、なかなか体が言うことをきかない。

そのうちに、四角錐にぶつかりそうになって、ぎゃくに、鎖を四角錐のなかに閉じ込めたり、絡めたりできないだろうか、という発想にいたる。

敵は、鎖を持った子供。
なんとかよけて逃げ回る僕。
周りには3人の人がいる。
そのうちに、一人が、子供の振り回した鎖に捕らえられて消滅。

しかし、逃げ回ること数分。
子供(の鎖)は変態して、鎖の先に鉄球をつけるようになった。

遠心力がついて加速しやすくなった鎖は確かに脅威だった。

さらに、でかい鉄球小さい鉄球の逆側につく。
だが、子供の手にそれを持ち上げることはできず、小さい鉄球を投げるも、重い鉄球が反対方向から引っ張り、まったくこちらがわまで届かない。
苦戦している間に、その45kgの鉄球を転がす作戦にでた。

「ここまで苦労させた相手は50年ぶりだよ」

僕を含めた3人は、急にその50年前の人に勝ってやろうという、対抗意識をもやす。

そして、鉄球の数は3つになり、新しいのは50kgの玉、
を出したつもりが、112kgの玉を出してしまった。これにあたると痛い。

というわけで逃げる。そのうちに、子供がもう一人出現。この人物こそ、この夢の最高管理人。

「どうもお騒がせしました。それにしてもふがいない!!」

といって、新しく鉄球を投げてくる始末。
さすがに、50kgもある鉄球を投げられてはよけるのに精一杯。しかし、一人がそれを受け止め、投げ返した。
それが、はじめにいた子供のほうにあたる。

「わーっ!!」

泣き出してしまった。
そのうちに、二人とも、部屋の隅に追い詰め、玉をがんがんなげて当てていく。
狙いは、はじめにいた子供のほうだが、最高管理人のほうばかりに当たってしまって、仕返しされたらいやだなムードがたつ。
そして、狙いをさだめて子供に玉をぶつけまくると、

がらっと背景が変わって、勝利した。

「では、この部屋から出ましょうか」

「この部屋でまけたものは、その悪夢を食べられてしまうんですよ」

なるほど、勝利に酔っているさなか、目が覚める。悪夢でなくても食べられてしまうのね。


・・・・・・・

じつは、この夢を見る前にもひとつの夢をみていたのだ。
しかし、それはどう考えても、「○○○や○○」の影響を受けすぎだと思うので、書くのはだいぶ気がひける。
校舎が半壊して、鍋が大量に散らばり、喜んでいたら、その鍋は、動物の脂だった、とかいう脈絡のある話。

欲をだしてはいけません。それにしてもキャラオール出演だったような。新しい話がひとつ見られたと思って喜ぼう。
トランペット
何かに感化された、というわけではないが、今日、トランペットを吹いてみた。
なぜこんな楽器があるかというと、小学四年生のときに、父の友達の家に遊びに行って、そのときにおいてあったトランペットを試しに一吹きしてみたところ、簡単に音がなったので、それに感化された父が次の日2万円のトランペットを買ってきたのである。

ちなみに、うちには、他にも、グロッケン、ギター、フルート、ベース、ピアノ、電子ピアノ(2台)などの楽器があったりする。なぜグロッケンがあるのかは不明。もちろん、リコーダー、オカリナ、その他の楽器もある。

で、トランペットを吹いてみたんだが、低音の音のだしかたと高音の音の出し方がまったく違って困る。
はじめ、高音しかでないため、なんとか中央ド(B管なので、実音はシ♭)を出そうとがんばる。
吹き方を変えたら簡単にでた。

音階は途中で音色が悪くなることがよくあるが、なんとかできた。


しかし、その前に持ち方がわからん。
ぼく・・ふつう
僕、普通の人。
このブログも普通。
純粋な気持ちで思うがままに書いているにすぎない。

もしこれが異常だと感じる人がいるのならば、感じる人が異常なのだ。

たとえ、日本人の90%が異常だと感じたとしても、日本人以外の人間が全員まともだと思えば、約2%の人しか異常だと思わないことになる。
たとえ、世界中の90%の人が異常だと感じても、宇宙人からみればまともなんだよ。

全宇宙人が1000億人超えていれば、たぶん、このブログも普通のものとしてみなされるだろう。

異常というのを不純とおきかえても良い。

というわけで、普通の(純粋な)曲を書いてみた。
交響曲一部
なぜD-durを選んだかというと、もともと作ってあった交響曲の一部がD-durで、それを1楽章にする予定だからだ。
つまり、これは最終楽章・・・?
もちろん、これは楽章の中の一部だから、ものすごい中途半端なところで終わっている。
そのあとは、Em→B→Em(もしくはAm→B→Em)
といくのが聞こえてくるようであるが、そうするかどうかは未定。

それにしても、コードだと、シはB、シ♭はB♭になるんだよな、厄介。ドイツ音名に慣れすぎか。
いいね。
今日、ツタヤでGilbert O'SullivanのCDを借りてき(てもらっ)た

30年くらい前の洋楽だが、とても良い。

現代の堕落した感じがしないし、クラシックの硬い感じもしない。

大衆向けの高級な音楽って感じ。まあ、いってみればジャズのようなもの。


話は変わるが、今日庭で芝刈りしていたところ、光化学スモッグ注意報がでたが、気にせずやってたら、めまいがして倒れそうになった。
光化学スモック注意報がでた千葉県と、普段の東京なら、東京のほうが空気が汚い気がするが、病み上がり、というか、まだ回復してない体に、直射日光に、軽い脱水症状をくらったから、相当なダメージになったのだろう。

そのあと、水分を急いでとり、氷枕と熱さましを貼って、28℃の冷房をつけて寝た。もうすこしでやばかった。
もう、ミントの香りの幻香がしてたからなぁ。(雑草のように生えたミントも刈ってた)
一息。
昨日よりは確実に体調が悪いが、これでも落ち着いている。
体温も約37℃だ。

今日は、ずっと寝てたので今夜眠れないことが心配だが、ひとまず動けるだけの元気はでたのでよかった。

でも、そんなに元気があるわけではないので、ここら辺でこの記事を終了しよう。とりあえず、更新だけ、ということで。。。
風邪・・・
風邪をひいた。

症状:喉の痛み、鼻水、微弱な頭痛←パソコンの画面見すぎ?
体温:36度5分6厘(最小単位の1/10まで見るのが実験の基本!)

それにしても、厄介だ。風邪というくらいで、直す方法はないのだからなぁ。(どこらへんが風邪というくらいなのかなあ)

最近、というか、ずっと、括弧( )の多用をしている。
ちょっと回りくどい冗談を説明しなじゃいけないときとか、ちょっとだけ脱線したいときとか、そこだけボケてみたいときとか、使うとすごく便利だ。

しかし、最近は、外国語の翻訳っぽい冗談を使うことも多くなってる気がする。

あんまり多用したくないのに、ついしちゃう。

・・・あーだめだ。風邪をひいていると、どんどん弱気になっていく。


そうそう、昨日、プロコフィエフの交響曲&協奏曲全集を買った。1750円なり。
CD6枚セット。

と、これだけだと、バカみたいに安いので、種あかしをすれば
5250円の輸入品5%オフで、4750円(なぜ?)。
そして、ポイントカードで-3000円。安い。

ただ、このCD、ひとつ難がある。すべてロシア語で書かれているため、曲名が意味不明なのだ。
コンツェルトは「Концерт」(これを打つだけで5分かかるとは)
英語よみっぽくすると、コーエプトとか読みそうなところだか、
К=カー
о=オー
н=エヌ
ц=ツェー
е=イェー
р=エル
т=テー
このままそれっぽくよめば、
カオエンツェィエルテー
って、速くすれば、コンツェルテーみたいになるな。

いや、ロシア語講座をする気はない。ロシア語がわからなくて困っているだけのことなのだ。

頭が痛くなってきたから、寝る。(漫画を読むともいう)

プロコフィエフのКонцерт3番はとても良い。もしかしたら2番かもしれない。どっちだかよくわからないのだ。
Ромеоってポメオじゃなくて、ロメオか。ジュリエットの文字が複雑怪奇。
Джульeтта
もういい。寝る。
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