詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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綾こそ彩なり。
言葉の綾って、言葉の彩だと思う。まあ後者はいろどりとよんでもあやとよんでもいいや。

こういうことができるのも、言葉の彩だが、そもそも文とかいて、あやと読むのも彩な気がしてくる。

あまりに綺麗な言葉の綾であれば、彩という漢字を当てるほうが適切な気さえしてくるのだ。

実際、このブログで過去に一回やっている。

もっと文に彩を。
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すべりこめっ
残り三分、すべりこめっ!

で更新成功なわけですが、

すべるって受験前の禁句と言われるが、滑り込むって良い意味だよなあ。
飛んでった
ニコニコ動画渾身のバグ?


ばぐ

180分超えると、一回再生を押す度に3秒ずつ再生されていく。
それはいいのだが・・・

なぜか急に230分まで吹っ飛んだ。何があった。
おお、プレリュードよ
今日、ちょっと思い立って、アムランの練習曲12番のプレリュードとフーガを弾いてみた。

いきなり強烈な不協和音、うお、ちょっと耐えられん・・・?あれ?

半年前は綺麗だぜーとかいって弾きまくってたのに、不協和音耐性が無くなった?

まあ、下手になったのはいいとして、、

フーガ、ここまでくればだいぶ慣れてる。主題がわかりやすいからなあ。

しかし、不協和音について、結構不快に感じることが多くなったのはどういうことだ。

ショスタコービッチのプレリュードとフーガもずっと聴いてた。なんか神秘的で大衆的でいいぞ。
明日はあるらしい。
明日から中間テストだと思っていたので、行かなくていいや、と思ったら平常授業らしい。

行かなくていいや。

いや、違う、机の上を整理しないと、テスト当日、ものすごい迷惑をかけるので、掃除に行ってきます。

明後日は休み~!



いや、初日、とってる科目ないんだよね。
20世紀最大の難問
20世紀最大の難問とはっ!

そうだ!、この扉がひらくかどうかである!

なんだってーっ!!

いや、間違いないぞ、開くかどうか閃くか?

ふーっとやったらスーッと開く、これぞ、難問の答えに相違ない!

実際、そんなもんじゃないのかな。

ただ、もちろんのことながら、この問題点は、20世紀はすでに終わっていることである。
神は存在するか。
今週は、イエスの突然の出現もあったことだし、ちょっと宗教的な話をしてみよう。

僕は、無宗派的な思想を貫きたいが。


信仰がどのようなものかを知りたいとき、次のような質問はよくあることだろう。

問:神は存在すると思うか?

僕の答え:すると思う。

そもそも神とは、僕の中で、
①(人間から見て)超越的なもの
②この世の成り立ちと進行を操るもの
③それに逆らったら自分に確実に害をなすもの
のようなものだと思っている。
すなわち、自然は神であると思う。
自然は、大地を作り、太陽を作り、僕自身を作った。
自然を創ったのは何か、と言われれば、パラメータだということになろうか。
プランク定数や宇宙定数(←多分あるよね)などのパラメータを設定したのが誰であるのかは、想像もつかないが。
神が人の形をしている必要は無いと思うし、言語によって人間と交信できる必要も無いと思うが、突発的なひらめきというものは、神(自然)からの啓示であるような気もする。


問:神はどこに存在すると思うか

僕の答え:

これは全く意味の無い質問だと思う。どこというのを、僕から何km離れている、だとか、そんな答えしかできないが、神が自然もしくはパラメータだとすれば、この宇宙全体ということになるだろうか。
僕は、基本的に、神棚に拝んだり、神社で拝んだりはしない。その対象物に神秘性を読み取ることが出来ないからだ。

問:霊は存在すると思うか

僕の答え:

すると思う。霊とは空気である・・・空気といっても、酸素や窒素の混合物ではなく、読み取る空気。
死んだ人をけなすような行動は罪悪感や、周りの人の顰蹙によって抑圧される。

この答えには、次のような問が発せられるだろう。

問:死んだらどうなると思うか

僕の答え:

自分は永久に不滅の存在である・・・僕が死んだら、この宇宙は存在がどうでもよくなる。
あえて言うなら、僕と、僕以外の人との決定的な違いは、僕は宇宙の存在を確定できるが、他の人には無理だということだ。
だが、この世界は意識によって成り立っているだけであって、実在しないという説には反対する。
少なくとも、僕は死は怖いし、避けているが、いよいよ迎え入れるしか無くなったときには、この永久の問題を自分だけが知ることができる喜びと、この世にある知識を得られなくなる絶望を受け入れるしかないだろう。
この世の全ての知識を得たのなら、死んでも全く問題ない。


問:宗教についてどう思うか。

僕の答え:

この世の一番の悪は、思考の停止と知識の悪用である・・・と思う。
悪を問うているのに、悪用という言葉を使うのは循環論法であるが、
あえて、悪と悪用ということを別々にしてみよう。
悪用というのは、自分にも他人にも害しかないこと(実害という意味で)をすること。
(他人に害しかなく、自分に利益があることは悪なのか善なのか、これに僕は未だに答えられない。
ある他人には害があり、ある他人には利益があることが悪なのか善なのかも同様である―ここに害と利益の数値化がある程度必要になるような気がするが、それ自体が不可能なのであるような気もするので、善とも悪とも言いがたいものが存在することを認めなければならないと思う)

こういう意味で神のみに従えばよい、という考えの宗教に同意は出来ない。思考の停止を誘うからである。
他の宗教を阻害するのにも同意は出来ない。知識の悪用である。


僕の根本的な思想は、
人間の最終目的は、知識の総統合で、全ての人に目指す権利がある、ということだ。
だが、全員が学者になったら、確かに人間社会は成り立たなくなる。
生活を支える者、生産者は生産するという行為が、知識を生み出すのに必要な行為であり、むしろ学者達は、それをどう使うかという重大な責任を負っているものだと思う。

上の文章の中にも矛盾はいくらかあるなぁ。もっと自分のなかで組み立てていかなければいけないと思う。
突然の出現
今日、新たな、誰にも言えないような悩みが出来てしまった。

しかし、言ったところで信じてくれることは無いだろう。と書いたら、余計信じなくなるだろう。

だが、これは、今日の夕方突然現れたことなのである。


いつもの通り、マタイ受難曲を聴きながら家に帰って、そのままスピーカーに出力を移して寝る。
本当にいつもの光景だ。

そして、寝るとき、何か考え事をすると、スルっと眠れて、夢のなかでも考え事が出来るのだが、
急に中断されてしまった。

そこに現れたのは、十字架につけられたイェスの姿。
それは、恐ろしく巨大で、自分の視野に入りきらないほどなのだが、視野に入っていない部分まではっきりと認識できる。
彼は、生命を魔の手から救え、と言い放つと、消えていって、僕の眠りを覚ましてしまった。

今のはなんだったんだ、僕はキリスト教信者じゃないのに、とか思ったが、しかし、なんでこんなことをいきなり言われなければならないのだろう。

不思議なこともあるものだ、と思って、(もうマタイ受難曲は終わっている)そのまますごしていたら、今度は、十字架につけられていないイェスが現れ、
罪のあるものを殺すな
と言ってまた消えていってしまった。

後者はまだ実現できることかもしれないが、前者は生命全体を指すのならば、実現不可能なことだ。

僕としては、十字架自身にそれほどの特別な意味合いは無いと思っている。
十字架は、ただ単に、死刑の方法であって、拷問の方法であるだけだ。レベルとしては、首かせや、ギロチンなどと変わるわけではないはずだ。
後世の人が、十字架で手を広げているのは人を包みこむためだ、とか、隣人への愛を指し示しているなどとか言っているが、十字架につけることを望んだのは、イェスではなくて、イェスに嫉妬した民衆だったはずだ。

しかし、この思考の途中に入ってきたそれも恐ろしく巨大な十字架とイェスの姿と、普通の人間としてのイェスとの対比は、何かしら暗示をしているような気がしてならない。
誓い
誓いを立てるときは、その誓いをなんらかの対象に移したほうがよい。それはどんなにくだらないものでも良いから。

過去の誓いは今の思いつきに劣るとも言うように(ほら、ここで言ってるでしょ)、過去に立てた誓いというのは、簡単に破られてしまうのだ。

自分がはっきりやったとわかる行為、そして、それが嫌でも確認してしまうような行為が誓いを立てるのに適している。

そのことを実際にやってみたら、たしかに誓いは守られた。
もっとも、今の思いつきが過去の誓いと同一のものだったから、上が有力であることの証明にはならないのだが。

あー、証明っていうと、演繹的じゃなきゃいけないのか、え~と、上手い日本語が思いつかない。



話はぐるっとまわって横を向いて、ワンと叫んで穴を掘って半回転したくらいかわるが、
今日、ブランデンブルグ協奏曲の楽譜を買った。
ホルンとトランペットとバイオリンとチェンバロが無理な曲だ。
ホルンの弱音16分音符無窮動(Allegro)
トランペットの高速16分音符(ポロネーズなど)
バイオリンの32分音符(Allegro)←これはやばい
チェンバロの32分音符(Allegro)←これはひどい

ふー、仕方ないな。
今日、起きたのが、7時半、今から行っても、学校は10分遅刻か、、行く気なくした。

以上ーー、と思ったが、ピアノのレッスンはしっかりでる。

コンサートのチケットあったけど、大したものじゃないし、行かなくてもいいや。


そう、この前は、朝起きて、ゴルドベルク変奏曲のテーマが流れて、1変奏まで聞いていくか、とか思って、気づいたらテーマが流れていたということもあったし、明日からは、しっかり起きよう。

900回めの更新でした。
実は気づきにくいが
この記事は、899回目の更新ということで、(entry-numberは901だが、あるとき2つずれている)あと一回で900回更新ということになるのだ。

まだ、3年たたないが、900回更新はよくやったほうだとは思うが、最近の更新頻度の少なさは結構気になるところである。

ネタが出尽くした感はあるし、短編小説を書こうとすると、どうしてもネタが続かなくなったり、ここに載せるが(人間的な意味で)不適切なほどひどい話になったりするんだ。

前、亀の甲という題名で書いた話は、頭の中で完結してるんだが、本当に書けないんだよ。
どんなけ残酷なんだ、って話になるしなぁ。
というわけで、このまま話は進みそうにないので、続きを要約だけ書こう。

亀の甲~完結編~

名前の無い、途中で脱出した人のその後
実は、縄はちゃんとあったのだが、一人で脱出したほうが安全だと考え、嘘をついて逃亡。
どうしても、最後に2人は下の部屋に残ってしまう。ならば、たとえもう一人助かったとしても、その後、結果を村の人たちに話すとき、2人で話をあわせるのは大変だし、意見の食い違いを避けたかったため。
だが、一人では、崖を降りる勇気が無く、さらに、登ってきたときに突き刺した骨も崩れかかっていて、無理に降りようとした結果墜落死。

3人のその後。
最後の日より2日後、柊は杉か松かのどちらかに襲われる。
柊は犯人を許すことが出来ないが、どちらが犯人かわからないし、もちろん、犯人は自白などしない。
杉と松は犯人がどちらであるかは当然わかっているが、柊に決定的な証拠を突きつけることは不可能なため、犯人がどちらであるかの証明はできない。
そのことはとりあえず無かったことにして、共同作業で壁を掘り続けていく。だが、3人は完全に信頼を失った状況になる。
数日たっても、なぜかわずかな太陽光からもたらされる食料と、もともとあった食料で生き延びることができる。
ある日、柊が寝たあと、杉と松の二人だけの対話が行われる。二人だけの状況なのに関わらず、お互いに無実を主張しあう。そのけっか、杉が興奮して、松に殴りかかって、二人の喧嘩が始まるが、その音で起きた柊に一旦とめられてその場は落ち着く。
約1週間後、ついに、壁が外に貫通し、高さが20mくらいのところに出る。松は、杉をそこから突き落とそうとするが、失敗する。そのことで、柊は杉の味方をするが、松の、
「犯人はこいつなのに認めようとしないから、いらだって突き落とそうとした」
という発言において、余計に疑心暗鬼が深まりどちらの味方も出来なくなってくる。
強い風が洞窟の中を吹き抜けてくる。一時身を取られそうになるが、なんとか持ちこたえる。
柊が一番始めに降りていき、なんとか脱出に成功する。
柊が下り終わった後、杉、松の順番に下りてくるが、残り10mくらいのところで松が杉の頭を思い切り踏みつけ、そのまま落ちて、瀕死の重傷となる。
そのまま、バランスを崩した松もそのまま落ちて瀕死の重傷となる。
村人達は、その後の様子を見て、3人が墜落、一人も、精神的にも体力的にも非常に疲れ果てている状況を見て、この崖には近づいてはならないと、強く確信する。
柊が、松とか杉とか呼んでいるのをみて、村人はひどく困惑するが、名前という概念を手に入れる。
杉が自分の無実を訴えた後、非常に苦しみながら死んでいく。
松は、何も喋らずに死んでいく。
柊はひどい人間不信に陥り、家族も含めた村人達と話すことを全くしなくなり、外にすら出なくなる。
食事を運んでもらっているときにしか、顔を会わせない。そのときも、話すことはしない。
ずいぶんと時が流れ、柊に子供が生まれるが、ひどい難産で、柊は死亡する。
子供は、頬に、松の葉のような鋭い傷と、手の甲に亀の甲のようなひび割れがあった。
子供が15歳になったとき、いじめにあって、そこから逃亡し、村人達から話を聞いた、崖に登ってみることにした。
彼は、その当時、何が起こっていたのかをその状況から推測し、この崖が人を狂わせるように仕組まれているような気がして、その場から離れる。だが、名前という概念は非常に面白く思って、これを村人達の間に、いろいろな手段をつかって広めていく。
いままで、何事もなかったかのように、平和だった村は、急に、名前によって、他人との区別がつくようになって、区別は差別になり、差別は争いの元となっていく。
彼は、非常に頭がよかったので、いろいろなものを開発したが、60歳くらいになったとき、村を脱出し、あえて、亀の甲のしたにおいて生活をしようと試みた。
あまりの孤独さに耐えられなかったが、なんとか正気を保ち続け、そのときに考えたことを、壁にいろいろ刻んでいった。
彼は、最期、亀の甲の中で、ここに人が来るならば、おそらくここに刻まれたことを見て、莫大な力を持つことになるが、亀の甲によって人間不信になり、上手く使うことは出来ないだろうと、言って、死んでいく。
亀の甲1

亀の甲5
コホコホ
あーー、風邪~ひいた~~。

コホ

あーー、いや、これは~前からだ~。

あ、う~ん、頭が、あーー、頭が、

おかしくなりそうだ。

あ~~、いや、わかってくれないだろうねえ。

あーー、深い、深いよ~。

読み取ってくれればねえ。

あ~~、

コホ

風邪ひいた~。

風邪、嫌ですね。
達成
学年行事は落語鑑賞。

曲芸や、漫才も見れた。楽しい人は楽しい。

声の大きさは非常に重要だと思った。声の大きい人ほど楽しい。


前からの夢であった、ゴルドベルク変奏曲で寝させることに成功した。前、驚愕の餌食になった母親であった。以上。
音楽Ⅲ
音楽Ⅲの受講者がまた一人増えた。おめでとう。

和声学の始めを教えるのは本当におもしろい。

五度圏めぐりと、不協和の勧め。

五度圏をめぐりまくって、違和感なく不協和にかければ、もう和声なんて出来たようなもんだという気がする。
まあ、違和感なくってところが異常に難しくて、僕は全くできないんだけれども。

しかし、なんで、人間は、あんなに不協和な音を好むんだろう。

下から、2音間はオクターブ以内で、A、E、H、Cとか大好きすぎる。

現代になって、協和音程にたいする許容度が増えた気がする(一般的には不協和音程にたいする許容度が増えたというが)。
第595回「失恋したとき、どうやって乗り越えますか?」

こんにちは!トラックバック担当本田です。今日のテーマは「失恋したとき、どうやって乗り越えますか?」です。みなさまは大失恋をされたことがありますか?片思いで思い切って告白をしたら断られた・・・付き合っていた相手に別れを告げられた・・・そんな、苦しくて切ない失恋から、あなたはどうやって乗り越えますか?泣き・..
FC2 トラックバックテーマ:「失恋したとき、どうやって乗り越えますか?」



さて、こんなテーマで記事を書くのに、わけがあるかどうかはご想像にお任せということにして、
失恋したら、マタイ受難曲を聴きまくります。
この曲って、本当に、自分の家に帰ってきたような感じがする。ものすごく落ち着く。
それでいて感動的だし・・・。自分の曲って感じかなぁ。
iPodの再生回数を見てみる。ばらつきはあるが、一番多い1曲めは65回再生。
その次は、3曲目のコラールで、62回再生。
その次は、2曲目のレスタティーヴォ、4曲目のレスタティーヴォ、はじめのほうのアリアなど、61回再生。
ちなみに、一番少ないのは、37回再生だ。30回くらいは通して聞いているみたい。

なお、マタイ受難曲の次は、ゴルドベルク変奏曲で、39~32回再生。

次にアムランの練習曲などがきている模様。26~21回再生
その次は、もちろん、ベートーベンの大フーガ、24回再生
ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏は14回か、大して多くないな。

やっぱりマタイが一番!


でも、福音書は、ルカのが一番いいと思う・・・。

そういや、ユダの福音書の話もみてみなきゃ。
イエスが、敵も愛しなさいといっているのに、なんでユダはあんなに憎まれているんだ?
ユダも愛されるようにならなければこの世に平和はこないと思うよ。
逆も成立する気がする。キリスト教に限った話になるかもしれないが。
発展
「この七つの文字」
という言葉を貼り付けてくれた方がいたのだが、僕には、この言葉に深い意味はないと思った。

で、算数的な話なのだが、こういうのはおもしろいのではないか。
「ここに九つ文字がある」
これでは矛盾している。この矛盾を直そうとすると、こうなる。
「ここに十 文字がある」
やはり矛盾してしまう。

よく次のようなことを考えたりする。
本で「一四五ページ参照」などとかかれているのは良く見かける光景である。
九九ページ参照とかくと、九十八ページめに参照事項がのってしまい、
だからといって、一○○ページ参照と書くと、九十九ページめに参照事項がのってしまうようながんじがらめになったらどうしよう、とか。(一文字多く書くと、行がひとつ増えてしまうような状況)
しかし、今解決した。九八ページ参照とかけば良い話だ。

とりあえず、
ここに九つ文字がある
ここに十 文字がある
これは解決できない問題であるような気がする。
ラウタヴァーラ
こんな作曲家がいるらしい・・

ラウタヴァーラ

何者?
スペルはrautavaara、そのまんまやね。

火の説法を聞いてみたが、そこまで不協和じゃない。

交響曲8番は良いCDがあるらしい。
おー、すげー
今日の毎日新聞の川柳で、秀逸なものを見つけた。

立地骨炎 作
ジャンケンに ハンデをつけて 左手で

名前も川柳も記憶によるものなので、間違ってたら失礼。(とくに接続詞があやしいな)

いやー、これはすばらしい。何がって、この川柳自体が、無意味なことだ。
指し示している内容も無意味だが、川柳の存在自体が無意味であるようなところが、妙に面白い。
なんでこんなに面白いんだ。


マタイ受難曲のDVDを全部見た。
イエスが弟子に寝るなっていっているとこ、いつも眠くなる。
学校行くときも、そこは寝ちゃうし、今日も寝ちゃった。これはバッハの巧妙な策略なのか?
起きていられない。

しかたないので、イエスが捕縛されてから鮮明な意識で見た。
第二部、やはり、バラバは衝撃的。

二部の最後の一つ前のコラールとソロがあんなに感動的だとは思わなかった。
これは学校のCDよりはるかに良い。
最後、DVDの調子が悪いようで、途切れ途切れに。一番最後の感動的な部分なのに。。。

すっきりしない気分で終えることになってしまった。2時前から見はじめて、見終わったのが4時半。すごい大曲である。
ふ~う、ため息。
意外にも、僕の精神はデリケートだったらしい。

先週のきつい緊張(コンサートだけなわけでもなく)が、一気に全部解消した、と思ったら、風邪をひいた。

風邪の症状はつらくないのだが、別な面でつらいこともある。食欲も減退気味である。

あー、しかし、こんな暗いことを書きこんでも仕方ないか。


こんなことを考えてみる。

ある人からみて、意識のある人は一人だけである。

つまり、他人から僕に意識があるのかどうかなんて、ものすごい数の人間に隠れてしまって見えないのだ。だから、自分が意識があるということを隠し通すことができる。
基本的に、自分が何をしてもそれが善いことであるのなら、恥ずかしいことはない・・・。
崩壊寸前の恐怖。
ついに当日。ろくに練習もしない、海兵隊賛歌。
なお、演奏前にあたえられた20分で、海兵隊1回、シチェドリン「ユモレスク」、ショパン練習曲10-1番9番などを弾くという、余裕っぷりである。

本番前

・・・う~ん、暗譜もできてない、間違ったらアドリブにするしかない。どうやって後のほうとつなげようか。
そのまえに、普通に演奏するんじゃつまらんな、どういう挨拶にしようか。
・・・
う~ん、イメージトレーニングですら失敗するなあ。終了か。わはは

楽屋、

さすがに、緊張する。今まで張ってきた虚勢が暴露される瞬間がくるのである。

ここまでくれば仕方あるまい。椅子にすわる。妙にやわらかくて一瞬で緊張が解ける。

ゆっくり弾こう。

・・・

あ、ミスった

(好きな数だけリピート)

あ、ミスった

ごまかしの技術で曲を知らない人を欺き、ついに加速部分に到着、ここまでくれば一安心である。

フルで加速!両手グリッサンド!

ありえない跳躍!、お、意外にミスらない!

最後、普通はいやだ!アドリブ全開!!

というわけで、最後は楽譜通りに弾かず、引き伸ばしてグリッサンドをひとつ付け加えました。

ここではずしたらめっちゃ恥ずかしいはずなんだけど、なぜか外さない。幸運である。

ドーン。

さあ、みんな、僕のために拍手をするがよい!

音を鳴り終えると同時に立ち上がり、そのまま立ち去る。やべえ、思っていたより成功した!

ミスの数もおそらく80個くらいに抑えきったはずだ。

と、なんともすがすがしい気分でこの恐怖のコンサートを終えたのであった。


来年、僕の後継者はあらわれるのだろうか・・・。


さて、見逃した人々よ、最後の救いを差し伸べよう。

→http://www.nicovideo.jp/watch/sm4899459
・・・。(・・・)
10/10,10:10:10を電波時計で見届けてきた。1秒間の至福。

明日は、ファミリーコンサート、壊滅大惨禍になる演奏会用パラフレーズを演奏します。

今日は、あるひとつのことについて、深く考えたいので、練習する気もないし、そんなことを不安に思う気もない。
大変な一日。
今日は、MPもHPも使い果たした気分だ。

ああ、昨晩の日付はまだ今と同じであることが信じがたい。

ひどい興奮と緊張の状態で、朝5:30まで起きていて、なんとか眠りにつくも、6:00に起こされる。

そして、そのまま7:00に家を出て学校へ行こうとする。駅に着いたとき、財布が無いことを確認。

どこかで落とした!?と思って、通ってきた道のり(6.9km)に財布が落ちていないか確かめるが、無い。

家に帰って、自分の部屋を見たら、素直にあった。よかったが残念だった。

これで、今日の唯一の受けたかった授業「倫理」を受けられず、大変残念だ。

もはや、体力も精神力も限界のはずなのだが、どうやら、全く疲れは感ぜず、眠くもない。そのまま家に帰って、マタイ受難曲のDVDを受け取る。

早速見る。

遅い。

何がって、演奏が。

第一曲は、持っている音源の半分くらいの速さ。合唱の迫力はあるが、スピーカーの能力が足りない気がする。

レスタティーヴォも、イエスの会話はものすごく遅い。

第一部は全部見て、第二部は好きなところだけ見る。
アリアやコラールなど。

最後にみた、判決の部分、
イエスとバラバ、どちらを助けるか?
「バラバ!」
このときのカメラワークが異常。アニメみたいな使いかた。
その後の、「十字架につけろ!」も恐怖。あんな民衆はいやだ。

今は、22:00前。劇的な一日の終わりはもうすぐである。
認めること。
自分が、必死に抗っても、自己に勝てないことがある。

本来の意味は違うだろうけど、「自分」というのを、自己の一部分とし、その部分とは、表面的に考える(計算をするような、言語にできる考え)ということにする。

フロイト的にいえば、自我は、超自我には勝てないということだ。
そのさらに深い、無意識については、ここでは関係ないとして。

自我が、超自我に勝てなかったことを意識するのは簡単だが、認識するのは非常に難しい。
意識する時点では、まだ抗っているように自我が働くが、認識とは抗うことをやめ、認めることであるから。

誰に負けているわけでもなく、悔しいことも恥ずかしいことも無いはずなのに、認めることは心理的な苦痛を伴うことがある。苦痛というほど苦しいわけでもないが。



・・・この文章の真意をわかってくれることは無いように書いているが、書いていることが誰かに真意を汲み取って欲しいことの現われかもしれないね。

また、このブログの真意をこめた文章の真意は、大抵、くだらないことであることが多いが。
お疲れ。
大韓民国はお疲れ様です。

今日、電車のなかでナンパしてる人を見た。

初めて見た。

犯●者にしか見えなかった。

(ああ、黒丸の文字隠しは、このブログで初めて使った、、と思う)
時効
告白します・・・

それは、小学5年生のときのことでした・・・。

理科で、食塩の結晶について習った後の話、家でコップに濃い食塩水を入れ、上から糸をたらして、結晶を作りました。

それを小学校にもって行きました。

自転車で通学なので、慎重に、です。

そして、学校に置いて、みんなが見れるようにして、食塩の結晶はどんどん成長していきました。

その3日後あたりの放課後の話、教室にはだれもいません。

僕は、手袋を丸めて投げて遊んでいました。

もちろん、食塩水の入ったコップに当たりました。

びじゃーっとこぼれた食塩水。ロッカーの上に置いてあったのですが、それにぬれた物はありませんでした。

僕は、う~ん、ま、いっか、と思ってそのまま帰りました。

次の日、なぜか食塩水が元に戻っていることが前提のような気分で行ったら、やはり、こぼれていました。

「あー、食塩水がこぼれちゃってるよ!」

と友達が言います。

先生も来て、後始末やら、だれがやったのかを確かめようとするやらですが、友達の一人が、

「こんなことされて悔しくない?」

というので、僕は、さらっとこう答えました。

「これを倒した人は、たとえ名乗りでなくても、心のなかで責められて悔やんでいるだろうから、別に良いよ」
退廃
基本毎日更新だったこのブログも、ついに退廃の道をたどり始めたか。

―そんなわけは無いと思うのだがね。

いまは、99%が感動で、残りの1%が衝動のような状態だ。つねにこうあるべき。
見てはいけない
今日の朝、なるべく見たくなかった夢をついに見てしまった。

自分の気持ちを確認できたという意味ではよかったのかも知れないが・・・。

だが、夢には、登場人物や、事件、物質が希望されていた登場人物・・・と交換されるという、比較的良く起こる現象があるんで、本当のところはわからないのだが・・・。

まあ、こんな夢を見たからといって、これからどうなるというわけでもないからいいか。


テスト中に見た夢によって、2点稼いだこともあるし、夢には多くのことを感謝しなくてはならないと思う。
さぼりぎみ
う~ん、タイトルがひらがなになってしまった。悪いわけではない。
しかし、ぎみ、が「儀身」とか「偽み」とか変換された時点で変換する気をなくした。

あれ、、、文字を入力するのが遅くなっている。
1日サボっただけで、ずいぶんスピードがおちたもんだ。

今は、だんだん精神的に切羽詰まっている時期ではあるが、持ち前の楽観主義と、低温太陽の助けによって、なんとか生きていくつもりである。

生きていくのがいやになったら、そのときは生活しよう。
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