詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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グレゴリオ聖歌週間
世間では年が暮れるとか明けないとか、いろんなことをいっていますが、ここのブログでは一切関与しておりません。

今日はベートーベンの弦楽四重奏を8曲聴いてきました。

大フーガ最高!

というわけで、晴れてベートーベン弦楽四重奏週間は終わったのでありました。

さて、来週からは、グレゴリオ聖歌週間といたしましょうか。だんだん時代を新しくしていく試み、ということで。
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音楽で思うこと。
音楽関係で、ここに書きたいなぁって思ってたことが、二つある。

ひとつは、バッハの平均率1巻24番ロ短調のプレリュードとフーガ、これすごいね!

弾いててものすごい感動がおそってくる。いちいち綺麗だ。

僕が弾いてる速さは、ものすごく遅くて、多分これより遅く弾いてる人は居ないってくらい遅い。

グレングールドの速さも結構遅いほうだと思うが、その半分くらいの速度で弾いてる気がする。

メトロノームで言えば、プレリュードが、(四分音符)35~40で、フーガが25~30くらい。とにかく遅い。

聞いてるほうは暇になるかもしれないが、弾いてるほうはこれでも十分感動してるんです。

フーガの嬉遊部でベートーベンの弦楽四重奏14番を彷彿とさせる音形があるね。そこも良い。ちょっと普通かな、って感じはするけど。


で、もうひとつ。

Wii Musicの話。

親が、ミュージックベルにはまりきってるわけなんだが、曲目は5曲しかない、とすぐに飽きてしまう設計。

自分で自由に作れればいいのに、となって、妄想は膨らむ。

なぜか半音あげることができるし、オクターブの上げ下げは自由にできるのだから、いろんな曲を編曲できるなー、と思って、やっぱり、難しさを求めるなら、春の祭典、やっぱこれだね。コーダだけでいいからやってみたい。
□:打たないところ。■:打つところ。#半音上げて打つところ。ま、オクターブの上げ下げはいちいち書かないので、まあ適当に味わってみてください。(十分に大きな画面で見てね)

「春の祭典」「むつかしい」速さ=一番細かい単位が252
C:#□□□□□□□■#□□□□■#□□□□□□□■#□□□□□□
H:□□□□□□□■□□□□□■□□□□□□□□■□□□□□□□□
A:■□□□■□□□□■■□□□□■■□□□■□□□■■□□□■□
G:■□□□□□□■#■□□□■#■□□□□□□■#■□□□□□□
F:□□□□□□□□■□□□□□■□□□□□□□□■□□□□□□□
E:■□□□□□□■□□□□□■□□□□□□□□■□□□□□□□□
D:#□□□□□□■#■□□□■#■□□□□□□■#■□□□□□□
C:■□■□□□■□□□□□■□□□□□■□□■□□□□□■□□■

・・・実際にこのゲームが作れるんだったら全部打ち込む気あるけど、できないから又今度。
ぐにゃー
今日、Yahooで将棋を指した。

・・・自分の弱さに絶望した・・・。

いや、謙遜でもなんでもなく弱かった。

まず、相手が振り飛車と見るや、逆棒銀、、、やりかた忘れて敗北。(しかも、最終手はあの桂吊るし・・・に気づかず詰み)

次、あいてが居飛車、とみるや、四間飛車!そして、相手の角をただでGET!

その後、角を取り返され、時間切れ負け!!

もうだめだ。
ほこり
部屋が埃まみれで耐えられません!

いや、それほどじゃないんだけど、鼻炎がつらい。マスク着用中。

ちなみに、今スティーヴライヒの音楽を聴いてる。まー、いいんじゃない?って感じの音楽だね。

なんか最近リアルタイムで人とコミュニケーションが取れなくてとてもさびしい気分。学校始まんないかなー・・・あれ?


プラトンの饗宴読み終わった。なんとも意味深な終わり方だった。(ネタバレ注意!)

というか、これは・・・。

要約すると、酔っ払いが一人乱入して、ソクラテスを皮肉たっぷりに賞賛した後、大勢の酔っ払いが現れて、会場は大混乱。みんな酒とかを飲まされて、もう話し合いどころではない。

その中で残った・・・、アガトン、アリストパネス、ソクラテス。

この3人だけは、話合いを続けていたのだが、詳しい内容は書かれていない。

悲劇と喜劇は同じところから派生するのではないか、のようなことを言っていたらしい、ということしかわからない。

そもそもソクラテスが話し終えたとき、アリストパネスが何か言いたがっていたが、それは物語中では果たせなかった、というのも気になる。

そして、次の日の朝にはアリストパネスも脱落、昼頃にはアガトンも脱落。そして、ソクラテスが、またふらりといつもの生活に戻っていく、というところで終わる。

饗宴の会場が、昇って行ったところにあるのだから、饗宴は哲学の場であることは間違いないと思われるのだが、そこによっぱらいが乱入したというのは、やっぱり、哲学が大衆に荒らされたことを示しているのかな?そのなかで、ソクラテスとアリストパネスとアガトンだけが話し合いを続けられた、、、う~ん、何を意味しているのやら。
夜も更けて、のこと。
最近、3時寝ばっかりしてたから、眠れないなぁー、と。

適当につらつら書いていくことも、読みたくなければ読まなければよしなのだから、非難には値しないであろう、こういうわけである。

見苦しいことを書いてしまえば、見る側にとって、見苦しいことを書いてあるということを知らないわけで、これはとても不愉快な気分になるであろうが、表現の自由の悪の側面ということで、それを代償として、どれほど恩恵を受けているか、考えたほうが良い。

さて、今、ヘンデルのChandos Te Deum HWV281を流している。歌が入っているようだ。今は集中する気はないので、音量は下げよう。

こういう夜は、語りあえるような話相手がとても欲しいというものだ。

そういえば昔、右脳vs左脳という会話を書いたことがあったっけ。あれはあれで楽しかったものだ。

ん~、チャイビーズ秘書達の乱入ということもあった。いやー、懐かしい懐かしい。

途中で終わってしまった小説もよく書いてたなあ。自分のなかで完結したものしか書かないのだが、まあ、途中で情景描写が面倒になってやめるんだよね。

亀の甲は完結はさせたが、細かい情景描写は完全カットだったなー。完成させてもいいかも。まあ、面倒だからやめておこうか。

昔は、詰将棋ブログのつもりで書いてたんだっけ。もう、今は全く面影が残ってないね。イヤー全く。

最近は、将棋は全然指してないし、実際の駒に全く触れていない。よって、詰将棋も全然作れないわけだ。

ばか詰つくるときも、FMにたよりっぱなし。まあ、作為を確かめる程度に使ってるのだから、まだいいか。

書いてて、なんか、手がひんやりしているのを感じる。もう冬至過ぎたんだったっけね。

10月17日が夏と冬との境だったような気がする、変わるのは一瞬だった。正確な月日は覚えてないので、信じないように。

こういう無駄なことを書いていると、某ブログで、つまらないことで、有限のネット空き容量を無駄にしていいものか、ということを書いていたな。

だが、つまらないことを必要とするものたちもいるであろう。低俗な人間というやつだ。ニーチェの言葉を借りれば畜群。

つまらないだけならまだしも、有害なこともあったりするんだよね。児童ポルノ問題とかあったっけ。

毎日新聞で、日本は児童ポルノ規制後進国だ、って言ってたけど、後進国って何?

情報規制の後進国?それって良いじゃん。

児童ポルノで被害にあっている子供がいることは認めるよ。それが流通するのが収まらないから、法規制しようっていうのもわかる。また、単純所持にしたって、まあ、たしかに自分の全裸写真が誰かの手に持たれているのはいやだなあ、って気もするし、法規制しても仕方ないかな。

だが、表現物に関して規制するのはおかしすぎるだろう。

自分の手で書いてはいけないものが存在する、と?行動の規制だ。表現の規制だ。

大体被害にあう人すらいなくて、(モデルがいるにしたって直接じゃないし)閲覧するのは一般大衆の意志しか関係しないじゃないか。もう、何が悪いんだかさっぱりだ。

まー、こんなこと言って、アダルト漫画の描写に吐き気を催すことは多々あるのだが、そんなのは、こちらが見るのがいけないんだろう。見なければいいのだ。

こういうのも、表現の自由の悪い面と良い面の備え合わせと考えれば良い。

法律でおかしいといえば、やっぱり裁判員制度だね。

もう、何度も反対してきたのに、(新聞社にメールまで送ったりしたなあ)施行されちゃったよ。

なんで?これに猛反対しない国民ってアホなの?間抜けなの?やる気が無いの?無関心層?ああ、あれだ、どういう事態か把握しきれる能力が無いんだ。そうじゃ無かったら、僕がアホなだけだな。

僕ははっきり言うと、裁判員制度に反対する意志を見せない人(行動は関係ないとして)はアホだとしか思えない。

裁判の結果が大衆の意志に合わないから大衆を裁判に関わらせようだって?アホじゃねえの。

だったら、まず、意志に会わない人達が、政治家になって、刑法変えればいいんでねえの?金が無いの?だったら、そういう裁判する金も無いだろう。

大体、国家の暴走や民衆の愚行をとりしまるために法律があるんだ。それに沿う形で裁判は行われているはず。なんのために裁判官、弁護士、検察のかたがたが、一生をかけて法律を勉強し、それを実行しているんだ。

また、彼らは、人並み外れた能力を持っていることも確かだ。まあ、僕の周りには、僕なんかよりはるかに優れた記憶力や、文学的、論述的才能を持っている人が多いだろうから、こんなことを言うのもなんだが、論理のひとつもわからないような人が、裁判官や弁護士や検察になることはできない。

裁判員に反対する理由はもっともっとあるが、それは過去にブログで書いたので、検索欄で、裁判員制度、とかで入力すれば、5つ以内の記事におそらく意見の総合が書かれているだろう。そこに書かれたコメントも秀逸だったはずなので、読んでおいてね。もちろん、調べてないので、確証はないけど。;

そうそう、今年の政治のネタはこれだけじゃないよ。定額給付金!

もう、よくわからないね、これ。まず、家庭に4~6万円の臨時収入があった、ってこんなんまず使わないよ。
だいたい、クリスマス・正月景気を逃してる時点で支離滅裂。何?来年のクリスマス直前に施行するって?もうみんな忘れてるよ。(麻生のことを)

大体ね、年金問題も全然解決してないんだよ。解決できた人も、過払いの可能性がある、とかで、払ってくれないとか。過払いの分を給付金の分で当てろよ、っていうのは過論だとしても、こちらの問題は深刻だ。金回りが悪い原因の一因ですらあると思う。

ま、その前に生活保護の分の金を年金に回せってのはあるけどね。生活保護は払いすぎ。

そういえば、極論だけど、政治家が、みんな何億円か持って、いろんな店で豪遊しまくれば景気が回復するんじゃね?みたいな論があったな。こりゃー傑作。おおいにやるべし。

政治家も店の人達もみんなはっぴー。店に来てくれなかった人は悲惨。ま、個人経営がひどいだけで、大企業は結構助かることでしょう。国民の税金でなんてことやるんだ、っていう人がいるかもしれないが、政治家は、成績の良い人の一部がなれる究極の職業だ。成績の悪かった、普通だった、一般大衆は黙ってろ。子供のころ勉強しなかったお前が悪い。

なんか口が悪くなってきたね。

そうそう、年金といえば、粘菌だよね。

某漫画で菌が流行って(病気じゃなくてね)菌展まで開かれたらしい。粘菌もあったらしいが、迷路を解いたりはしなかったそうだよ。

粘菌は生物の思考回路を持っているので、うまく利用すれば、感情らしきものをひきだすことができる。

それが、あこがれの粘菌コンピュータ。
実は、原理形はすでに完成してるとか。そうそう、良い忘れたけど、イグノーベル賞受賞おめでとう。

ただ、粘菌でしょ、ひとつの計算に時間が掛かりすぎる。

だが、こんな問題、たとえば、金と愛どっちが大事?みたいな計算もしてくれる、これが生物の思考回路。いわゆる、卓上打算機(うる星やつらの、あたるとラムが初めてデートする話だったかな?を参照)もつくれるわけだ。

で、異常にはやく計算できるぜって、期待されているのが、量子コンピュータ。ただし、平行世界がないと作ることはできない。

だが、相対性理論は(実際すでに崩壊してるけど)実証される前に、実用化されてたらしいし、別に、実証と実用は必ずしも関係性があるわけではない。

ま、量子粘菌コンピュータってのができればいいわけであるが、粘菌の管理が大変そう。やっぱ、難しいっすよ。

書き始めたのが、1:20で、今、1:55、なかなか経ったものだ。

ここまで、ついてきている人はいるのかな。まあ、おめでとう。まだ道は半ばだぜ?知らんけど。

そういや、今年もそろそろ終わるねえ。年賀状は書いたよ。僕とそれなりに親しくて、こなかった人はごめん。多分名簿から削除されたんだろう。合掌。

忘れているだけ、という説もある。まあ正月にきたら、返事はだすよ、きっと。だが、また正月になったら、このページで、年賀詰、3種を載せるので、こっち見たほうが早いぜ?

そうそう、年賀詰は3種つくったんだが、普通の詰将棋はひとつもないので注意。また人を選んでおくったから。

詰大局将棋が届く人、おめでとう。渾身の作です。まあ、図面から誰に送ったかはわかると思うけど、そこらへんのネタがわからん人にとってはまったくわけのわからない図面であろうと思う。

詰中将棋が届く人、おめでとう。知ってそうな人にしか送ってない。さらに、改作ができた。
おなじ趣向をつかっている作品がすでにあるが、そんなのは気にしない。縁起が良いから載せただけ。

縁起っていったら神だよね。

日本は神教、仏教、キリスト教が主な宗教だと思うが、まあ、みんな適当なんだよね。

いや、敬虔な信者もいるだろうから、その人達にとっては大変失礼だったが。

神無月とか、平気で言っておいて、仏壇を家に置いて、そこでクリスマスパーティをやるような民族だからね。実際。

仏教とキリスト教は、唯一神だが、神教は、八百万、ってか正確な値は決められてないか。

仏教は経典があるけど、意味不明。教えのわからない宗教って何なんだよ。とりあえず拝めればいいってか?

拝むに際しては、聖書のイエスの言葉、祈るなら人に見られないように祈りなさい。人の前で祈るのは偽善者だ、みたいな言葉が大好き。

新約聖書はよくわからないところもあって、イエスが塩はしょっぱいほうがいい?みたいな謎なことを言っていて、それはそれで楽しいのだが、むしろ神聖だからいいか。あー、うん。

↑上の文章、楽しいのだが、の逆接が解決しない。僕の好きな文形のひとつだ。逆接がちゃんと解決したらどういう文章になるのかもちゃんと考えてね。それが、調性感というものだ。

文章のハーモニーってやつだよ。

僕は、キリスト教信者じゃないんで、イエス・キリスト、なんて言ったりはしない。むしろ、ナザレのイエス、のほうが、似合ってる。あと、一番弟子のイスカリオテのユダ、なんともいい響き。

ユダに関しての僕の解釈も、昔書いたことがあったような気がする。素直に福音書から読み取ればこうなると思うよ。

宗教論も楽しいが、キリスト教しかよくわからないというのも、よろしくない。さらに旧約聖書は、創世記の始めと詩篇とかをちょっと読んだだけ。キリスト教もよくわかってないんだよね。

でも、ユダヤ教の経典でもある旧約聖書はちょっと生生しくて嫌いだ。神に復讐を祈っている姿とか、吐き気を催すよ。

もちろん、これが、このことによって気分が収まるとかいう、いわゆる呪いの人形的なものだったら良いんだけどね。誰にも迷惑かけないしね。

こういうの見ると、やはり、宗教は大衆向けなんだなあ、とつくづく感じる。

しかし、大衆と言ったら、やっぱり行動の根源は、酒、女、金だろう、やっぱり。この3要素は欠かせないね。

あー、女性の皆さんには失礼した。まあ、女を男とでも変えておいてください。僕には女心はよくわからんから、なんとも言えないね。

ま、上記三要素、どれも同じなのは、陶酔できるってことだね。酒はいうまでもない。女とは恋に落ちるってやつ、まあこれは善い方で、肉欲てきなものもあるね。金も陶酔できるんだよ。

賭博ってやったことある?これはね、やらないことをお勧めするよ。ま、麻薬みたいなもんだからね。

中毒症状まで起きたりする。ま、金の威力ってやつだ。金はこういう下品な陶酔もできれば、見るだけでなんとなく幸せになるような、(上品ではないな)陶酔もある。

(ヘンデルがなり終わっちゃたよ。スカルラッティでも流そうか。Dスカルラッティを流したつもりが、Aスカルラッティになった。まあ、いいか)

酒は万病の薬である、みたいな話も言うね。ちょっと体をあっためるし、風邪なんかには効いたりするが、飲んだらすぐ寝ること。そうじゃないと、結局体温が逃げて話にならない。もちろん、寝たら布団を被ること、これが酒飲んだ後にしなきゃいけないことなんだから。ま、確証はないけどね。

女は万病の薬である、みたいな話も言うね(言うか?)。ちょっと体をあっためるし、もちろん寝たら布団を被ること、なんていうと妙な意味になってくるね。僕の精神が分裂気味なときにやるピンクジョークってやつだな、そういうことにしといてくれ。

でもね、女性に心を奪われるという感覚はやばいね。まさに抵抗できない力、自然の偉大な力というやつであろうか。そんなことを考えた地球にはほとほと感服するよ。

そうそう、地球に大きなひとつの意志が働いてるのは間違いないように思えるね。

なんで、地球上にほとんど多細胞無性生物っていない?不思議でならないが、必然だよね。

両性兼ね備える生物は多いが、性をなくすことはできなかった。してはいけなかったんだね。おそらく進化のためにも。

だが、進化をするためには、身の回りの変化の対応だけでもよかったはずだ。なぜ、別の生物と交わる必要がある?

だが、結果的には、その目論見は大成功であった。そのおかげで、生物は、地球を脱出し、他の星へと行く望みを持つことができた。

地球の最終目的は、人間にははかりしることはできないのだろうけれども、地球と意志疎通をし、なんとか成し遂げられるように全力を貸そうではないか。

ただ、僕は、まだ、自分の一番根本的なものであると予測される巨大な意志の反駁ができないので、そこからはじめなければいけないね。

ところで、右目に意志があったとしても、左目の意志を読み取ることはできないでしょう。

それは、右脳vs左脳の会話が成立しているように見えるのと同じことである。

つまり、巨大な意志は、地球上全ての生物を通している可能性は否定できませんよ?

これが、地球の意志なのかも。GAIAとはこのことを指しているんじゃないかな?

だが、これを考えたら、背後に潜む意志に怖れを抱かずにはいられない。

おそらく、右目に意志があったとしたら、それ自身が見ているものが、僕にすべて監視されていることに怖れを抱くであろうからね。

こんな感じに、僕の生物論はさらに展開されていくであろう。それが、真理であろうと、まったく別の似非であろうと、僕にはわからないのが残念である。

僕が、中学、高校で、確立した思想は、死刑反対、が一番大きなものであろうと思う。

すなわち、死を悪とすることによって、この世を考えていこう、という思想である。

だが、もちろん、自分でこれを疑問に思う点が無いわけでもない。

一番重要な問題は、人によって善が違う、ということである。

これはどうしようもない問題だが・・・、解決するなら、全通りの思想に対抗しうるものを作る、もしくは、絶対を決める、ということであろうね。

ま、考えられないことは、ここで述べるのはやめておこう。

そうそう、僕の文章を読みやすいって書いてきた人がいて、そいつを笑っていた友達がいたのだが、すなわち、その友達は、僕の文章を読みにくい、といっていることに他ならない。

別に、その友達を非難しているわけでも、苦に思っているわけでもないのだよ。

むしろ、もっと言え、と!

僕の文章が簡単に理解されてたまるか。

僕は全知全能を振り絞ってこのブログの記事を書いている。

もちろん、手加減している記事もあれば、本気でそう思っていない記事もたくさんあるが、本気の記事も紛れ込んでいる。

その文章が理解された、ということは、すなわち、それを理解した人は、僕の才能をわずかにでも上回っているということである。

僕ははっきり言っておくぞ。僕をすべてにの能力において上回る能力の持ち主はまずいないであろうと。

運動とかそういうことで僕を上回る人は腐るほどいるよ。ただ、僕の潜在的な知に敵う人がこの世に存在するだろうか?おそらくしないと思う。

残念ながら、この事実に置いては、僕は謙遜することができない。真理を曲げるということを僕は嫌うからだ。

僕の潜在的能力を上回るというのであれば、僕の今まで書いてきた記事の全てを解釈し、僕の行く末を占ってみよ。

別に、正確に占う必要はない。ただ、こうなる可能性がある、と僕に反論できない形で占われたのであれば仕方が無い。その人間は僕を上回っていたのだ。

だが、上の文章にもし不快感を覚えた人がいたのならば―その人間に能力が十分にあるのであれば、だが―、上の文章を言葉通り理解することをしないであろう。

これ以上言う必要もあるまい。

ひとつ付け加えるとするならば、自分の許容というものは、自分であるていど決められるというもの・・・、人間は生まれつき自由に考えることができる。もちろん、言語の違いはあれども、その言語で表せない言葉があるなら、自分で造語するがよい。

人間の思想が無限に自由なのであるとするならば―もちろん節制は絶対に忘れてはならないとして―、上で僕が言ったことをさらに僕の考えている通りに理解することが容易になるのではないだろうか。

人間の最終的な答えとは、自分の中に内在すると思うか、経験によるものだと思うか、あるいは、巨大な意志によると思うか。

だが、全て同じだとみなすことはできないのか。よく考え、その上でよく考えなければならない。

年寄り寄りより4里よりより年寄り寄り、とかいう冗談を考えている場合ではないのだ。

より年寄り・・(2里)・・自分・・・・・(6里)・・・・年寄り

こんな感じだぜ!もう2:53だぜ!

・・・今までの記事の中で最長かも。でも空行があるから読みやすいでしょ。
もちろん皮肉。
パンドラ。
今日の一言。

パンドラ。

いや、それだけだ。

ちなみに、パン→全部、ドラ→贈り物という意味らしい。べつに確かめたわけじゃないので盲信注意。

未だにプラトンの饗宴を呼んでいる。

この本、もともとプラトンがアポロドロスとその友人が話している場面を書いているのだが、アポロドロスはアリストデモスから聞いた話をその友人に話しているわけだ。ちなみに、アリストデモスがソクラテスやアガトンやアリストパネスなどの話を聞いていて、それをアポロドロスに話したということだが、ソクラテスは、過去にディオティマと話したときのことを喋っていたりする。
すなわち、
ディオティマ、過去のソクラテス→ソクラテス→アリストデモス→アポロドロス→友人、プラトン→(翻訳者)→私達
という経過をたどっていることになって、これまた非常に隔世されていることになる。
つまり、このことは、プラトンがソクラテスの実際に言った内容を自由に変更していることを示しているように見える。(じゃなかったら、アポロドロスとの会話をはさむ必要がない)
実際ソクラテスの弁明では、いきなりソクラテスの話から始まっているし、エウテュプロンでもエウテュプロンとの議論からいきなり始まっている。
これが本当に関係あることなのかどうかはわからないが、少々違和感を感じることは確かなので、気に留めておいて損は無いと思う。
さて、この本では、ソクラテスの弁論術がヤバイ。アリストパネスで雲のいうところの「邪論」が暴威を振るう。
一番初めに、エリュシマコスがエロスを賛美することを議題にしようといったにも関わらず、ソクラテスは、エロスは美しくなく(醜く)、良きものではない、などと言い出す。
ソクラテス自身がその言葉、反駁するのだが、アガトンがソクラテスに反駁できないのは、ソクラテスによれば、ソクラテスの弁論が真理を語っているものだからだそうだ。
だが、ソクラテス自身の反駁は、ディオティマの話によって反駁されるのだが、ディオティマは、哲学者らしき言動が感じられない。女性だということもあるが、
>蘊奥(うんのう)をきわめたソフィストのように
と直接的に書いているので、哲学者でないことは間違いないだろう。
となると、おそらくソクラテスはディオティマの話をもってエロスを賛美していたことになるが、これが本気であったかどうかが疑わしくなる。
だが、ディオティマの話は、エロスは、肉体への愛から魂への愛へと上昇していく、という有名(?)な過程を話しているのであって、それが嘘だということになると、自分の解釈があまりに行き過ぎたことになりそうで怖いというものだが、まあ、あくまで僕の考えということで、ここに書いておこう。
というか、まだ全部読んだわけじゃないので、あんまりはっきりと主張することはできないが、ソクラテスの異常な弁論の上手さ、恋がいかなるものなのかということは結構おもしろく読める。
アリストパネスの説はもはやデンパな感じしかしないが(人間はもともと二人一組で、分かれた誰かを探しているから恋をする。男女の組だったものは、姦通を好むが、男男だったものはそういうことは無い。そして、真の男だったのだから、この人達のみが、哲学者になれる素質を持つ。もちろん男男だった人とは同性愛者のことである)まあ、意外に合っているような気がしなくもないところがすごい。
困難の解決。
僕は寝ているとき、曲を流し続けているのはいつも言っている通りである。

今日見た夢。

あまりにもぬかるんだ道を通って歯医者にいたが、保険証が無くて帰ってきた。

そして、新しく道をつくることになったのだが、ある道から斜めに道を延ばしてY字路を作ろうとすると、父が、

「なぜ道があるのにまっすぐつなげようとしないのか!」

そのとき目が覚めて、流れている曲は、ベートーベン弦楽四重奏No.16最終楽章の「そうでなければならない」の部分であった。

これほど完璧なシチュエーションがあっただろうか!一気にこの曲が好きになった気分だ。
冒険好き
最近、夢をよくみる。

それも冒険ゲーばっかりだ。

今回は、コンサートホールに間に合わないということで、あらゆる手段を尽くして行こうとるするのだが、某倫理教師の運転する車が空を飛んだりする。
途中、崖の上に降りるのだが、そこから下に行くのに一苦労。

そこらへんも詳しく書きたいところだが、上手い表現をするのに苦労するので割愛。

いやー、最近床に入るのがめちゃくちゃ楽しくなってきたぞ。



全然関係ないけど、プラトンの「饗宴」読んでる。
ソクラテスがいきなり、「僕は恋愛以外のことでは無知を主張している」とかいいだして謎。
そういや、ツァラトゥストラも、女性のことは実際見てもいないのに誰よりも良く知っている、とか老婆に言われてたっけ。
なんだ?この世界。
僕の住んでいるところは、光のまったく当たらない世界だ。

そこは規律が厳しく、変な行動、思想は許されない。

僕は、「西の廃棄場」に行ってみたいと思い、その旨を告げた。

「そこは禁じられた土地である。行ってはならない。」
「いや、その向こうに、光のあたる世界があるだろうと思う。行ってみたい。」
「何を言っている。光のあたるのは、地球の表面だけなのだ。そんな場所に出られると思うか。」
「試してみなければわからない。そもそも、誰も行ったことの無い場所ではないか。」
「だめだ。行ってはならない。」
「地上に出れればどんなにすばらしい世界が待っていると思っているんだ!」
「そんなものは空想だ。」
「なんということだ。昔地球が丸いといったことが信じられなかったことの繰り返しではないか。あのときに、人類は何も反省しなかったのか。」
「なんといわれようとも行ってはならない。」

僕は、独断で行ってみようと思った。
西の廃棄場は、なんともごみだらけの場所で、とても奥に進めたものではないが、自転車とかを乗り越え、先に進む。
後ろから追手がくる。
さっさと走り抜けていくと、川が流れているが、やはりごみだらけである。その向こうに、草原が見えるが、やはりごみだらけである。
どんどん進んでいく。なんとか走れるくらいのゴミの量になってきて、走り出す。
追手はもう追ってこない。すると、鉄柵があり、その向こうに飛行機のようなものがおいある場所にでる。
警察がいた。
尋問されると面倒なので、すり抜けようとするが、無理だった。
「住民票を持っていますか」
「いや、持っていません」
「持っていないということは、犯罪者ですね。それ、ひっ捕らえよ!」
僕は、懸命に逃げた。
十字路を曲がり、商店街を通り抜けて、土手を駆け抜け、だれかの家のくぼみに入り、何時間かこもっていた。
もう追手もわけがわからなくなっているだろうと思い、安心して、歩き出した。日が暮れていた。
そして、次の日、すべての家の尋問が入るということで、僕は逃げ出さなければならなくなった。
鉄道のトンネルのわきに木が数本植えてあって、そこに隠れていれば大丈夫だろう、と思い、隠れる。
しかし、何日もここに隠れているわけにはいかない。
そこの窓の下は、絶壁で、海が広がっている。
そこに現れたのは、不死鳥。
「何か困っているのですか・・・」
「はい、なんとか60年くらいは生きられるように」
「そんなことはできません。さようなら」
そういって、不死鳥は去っていった。
「ちょっと待ってよ!」
こういうことで、僕は、絶望に打ちひしがれながら、線路脇の木の下でくらしていた。
時間がたつこと三年。iPodでずっと暇をつぶしている僕。

そして、その世界は終わった・・・。
ベートーベン、弦楽四重奏週間
大晦日、ベートーベン弦楽四重奏を7曲聴きに行くということで、今週はベートーベン弦楽四重奏週間。

メンデルスゾーンはほとんど聞けなかったので、延長します。


えっと、明日は、イエスの誕生日!生きていれば2015歳。。。かな?正確な年代はよくしられていないそう。

まあ、そんなこともあって、グレゴリオ聖歌の楽譜選集を買ってきました。

もちろん、五線譜ではありません。まあ、四線譜といえば正しいっちゃただしい。

読み方は、もちろんその本に書いてあって、もう覚えてあるので、読める。ただ、省いた曲の多さに失望ともいえる。

怒りの日は一番有名だろうが、けっこう良い曲。
もうだめだー
今日は急にインターネットが落ちて、復旧できなかった。もう時間が何時間無駄になったと思ってるんだ。

こういう大事な時期にこういうことになるとは、とことんついてないものである。

まあ、こんな時間に起きる僕にも罪はあるのだが。
気温
今日(昨日)の気温を調べようと思ったらわからなかった。
午前の異常なあたたかさと、冷え込みはもはやネタレベルだと思ったのに。

だが、明日(今日)の気温は、最高気温10(前日差-10)、最低気温5(前日差-13)という怪しい表示であった。
巨大な意識
自分の命が大切なら、
日常生活が大切なら、

次の文章を読まないほうが良いかもしれない。今、自分の命が明らかに軽くなっていて、困っているところなのだ。

[巨大な意識]の続きを読む
飛び越えろ!
飛び越えろ!
向こうの島を!

どこのことかわからないようじゃダメだ!

まずは、わかる努力からはじめよう。

即ち、利益と欲望をかいくぐって求めるもの、それこそ、島である、と。

大きさはわからないが、そんなことどうでもいいではないか!

熱いかもしれないし、冷たいかもしれない。

だが、これだけは言っておこう。

不可抗力に逆らってはいけない!

不可抗力であるかどうかは見極めなければならないが、

不可抗力であったならば逆らってはいけない!

わかるか?

不可抗力は絶対だ。逆らえないのだ。

自分の意志の力を過信するな。

それは表面的な力にすぎない。

すぐに底が割れてしまうだろう。

だが、真実の力によって、絶対に侵入できない力を作り、

そのなかで新たな島をつくるのだ!

それは自分にしか飛び越えることのできない、理想の世界・・・。
期末試験、模範解答集。
学年末試験というのは、えてして自由に書けというのが非常に多い。
それを公開していこう。先生の評価も書きます。

現代文:四
中学時代は、何も考えずに遊んでた時期。あまり得るものは無かったと思う。高校になってから、自分の思想をはっきりさせようとして、言うまでもなく将来についても考えるようになった。ある日突然、人生一回限りだしどこまでもハイリスクハイリターンな人生を送りたいと考え、どうせなら楽しんでできるようなこととして作曲家を目指す。それと平行して、知の探求をやめないこと、思考の停止に陥らないように気を付けると決心した。

評価:10点/10点
本間先生に師事?

感想:
半分ネタで書いたようなものだが、嘘はついてない。


現代文:五
日本の学校制度は―麻布ももちろんそうだが―文系と理系に分かれていて、生徒がこういうことを言うことが多い。すなわち「文系(理系)だから、そのようなことは知らない」と。これは非常によくないことだと思う。文系理系に関わらず、知らないことがあるのは、本人がそれを知ろうとしない(もしくは知る能力がない)だけであって、進路の問題ではない。最終的に知の統合を図るはずの人類が、このような思考の停止に陥ってしまうのは危険な状態である。

評価:10点/10点
その通りだ

感想:
後輩に向けて何か言いたいこと、みたいな問題でもあったから、これは書かずにはいられない。


物理b:余白
~量子論に至るまで~
昔々、光は粒子なのか、波なのか、という論争がありました。
粒子だという人は、光の屈折を根拠としていましたが、波でもそれは説明できます。
さらに回折という現象まで確認されて、粒子説は壊滅状態に。
しかし、それも、なんとか説明できます。
(図省略)
それも一時しのぎで、干渉という現象で、粒子説は消え去りました。
しかし、波動説にも困ったことがあります。波は媒体を必要とするのに、何もないはずの真空すら光は伝わるのです。そこで、エーテルという媒体を想定し、収めることができました。
マイケルソンとモーリーがこのエーテルの存在証明のために実験をしました。
・・・(中略)・・・
ヤングがこの状態を不思議に思って実験をします。
・・・(中略)
どちらを通ったか不可知の時のみ干渉する→ここで平行世界を考えれば納得!
→この世界は確率である。

評価:0点/0点

感想:
何も書いてくれないとはとことんつまんない教師ですね。まあ、出席が甘かったからいい先生だ。


英語総合:時間が余ったり、試験に疲れた(飽きた)ときに、自由に書いてください。
ダロウは決定論をあたかも真実のように言っていたが、不確定性原理が確立された今となっては、決定論など通用しない。
(不確定性原理)→波の位相と位置は同時に決定できない。
→この宇宙はどうなってるか確定不可
→未来はわからない。
だけど死刑の否定には大賛成
死刑のメリットと言われる犯罪の抑制は、統計上意味がない。
(そもそも重大犯罪者は死を恐れないことも多い)
被害者感情とも言われるが、法治国家に感情を入れるのがそもそもおかしいし、僕だったらその人が死の世界に逃げこむことを許したくない。あと、冤罪の可能性は当然。

評価:10点/0点


感想:
実はここで10点とっていないと学年で赤点である、という危機。
先生ありがとう。
ちなみに、この文章はとてもいいたかったことなので結構満足。

リーディング:4 君が麻布学園で学んだこと(学問、人生上のことなど、どんなことでも良い)を英語、あるいは日本語で述べなさい。
学ぶという事は、将来人類が自然全体を解明することを助けること。
もしくは、自分が自然全体を解明するための一歩だということ。
物事を知るためには思考の停止に陥らないこと。
だが、いかに効率良く学んだとしても人生はあまりに短すぎるし、今まで何千年もかけて人類が考えたことを全て得るのは不可能である。
学校で学んだ最大の事は、昔の先人達の何を学べば良いか、ということ、
学ぶとはどういう事か、ということである。

評価:計算上は、26点/14点!?
(最後の二行に赤線)

感想:何故か点数が暴発。そんなにいらないのに。


倫理:②フリードリヒ・ニーチェの哲学について述べよ。
ニーチェの哲学がとのようなものであるか、ニーチェ自身の本である、「ツァラトゥストラはこう語った」を見て検証したいと思う。
この本は印象的な開始をするが、古代哲学に反抗しているのは明らかである。プラトン「国家」に哲学をするためにソクラテスが上に上っていく場面があるが、ツァラトゥストラは、ためすぎた知恵を教えるために下に降りていく。また、その後に、更に明らかになるが、聖書を否定しているのを読みとることができる。そして、ツァラトゥストラが下へ(町へ)降りていく途中、老人が古代哲学者のように、俗世間と哲学者を関わらせないように注意するが、ツァラトゥストラは無視し、「神は死んだ」という有名な言葉を残して、町へ行ってしまう。
だがツァラトゥストラの言うことは、町の人たちには全く受け入れられない。その後語ったことは、人間は超人にならなければいけないこと、精神は忍耐強い駱駝になり、「汝なすべし」と鱗の全てにかかれた龍に対し「われ欲す」と言う獅子の精神になり、最終的に無垢な幼児となる、などである。この事は、人間の意志が自然を克服し、創造性を身に付けると解釈できるのだが、最終的に幼児になるというのは、社会的常識の全く無い存在であって、正義や知恵や会いを捨ててまで創造性が必要なのか、という疑問が残る。
ツァラトゥストラの思想はニーチェの思想であるのだが、ニーチェ自身が、一般大衆に受け入れられない事を自覚しているし、わざわざ幼児という過剰な表現を使っていることはなんらかの意図があると思われる。幼児というのは保護者が必要な存在であり、放っておくと危険である。このことを考えると、哲学者は自由な創造性を必要とするが、実際に行動されると非常に危険であることを示しているように思われる。人間は自然を克服できる強大な力を持つものであるからその力は抑えなければならぬというのがニーチェ哲学だ。
参考:ニーチェ「ツァラトゥストラはこう語った」

評価:100点/100点
私の手には負えない解釈なので・・・→A100
もしや「ネタ」?
(最後の一段落を指して)もっと詳細に!
(最後の段落、放っておくと危険である。の「危険である」を指し)勝手に死ぬという意味では無害だが・・・・。

感想:
これは急にひらめいた解釈なので穴だらけ、ということは十分に考えられる。
でも、ニーチェがあきらかに自分の思想を受け入れられないようにしているのは読み取れるので、そこをどう取るか、である。
100点ありがとう。
帰ってきた人生観
いや、暇だったのと、実験したかったので、やってしまった。(とくに後半は)反省しかしていない。



作るのにかかった時間は、2時間弱といったところか、なかなか早かったものである。

もうちょっと手のこんだことしてもよかったが、する必要も無いと思い、これが最終形。
靴投げ
もはや、理由などどうでもいい。

ブッシュ大統領に靴を投げた事件をめぐってとんでもないことが起きている。

ある人は、ムンタゼル・ザイディ記者に娘をやりたい、とか言い出したらしい。(娘も承諾しているとか)

この後の行方が気になるところである。

ちなみに、記者自身は、許しを請うているということである。

それから、ブッシュ大統領に靴を投げるゲームが登場。ネット上で遊べるので是非探して欲しい。

ちなみにやったところ、当てたくもないのに当たってしまうぬるい仕様と、ブッシュがよける意味がないようなことになっていて、ゲーム自体はそれほど楽しくない。

まあ、風刺の一環であろうか。



あと、全然意図してなかったけど、昨日の記事を書く前に、バミューダトライアングルで、事故が起きてるらしいね。
不思議!?バミューダトライアングル
バミューダトライアングルといわれる海域が地球上に存在します。

さて、この海域に入り込んだ者は、なにやら不思議な力によって存在が消されてしまうらしいのです。

それが、どこか別の世界に飛ばされた、とか、そういう噂が流れていますが、この海域、非常に不思議なのは、

3角形なのにも関わらず、内角の和が184°になる、ということなのです。
なんど測ってもこうなります。

しかし、すでに小学校で習っているように、紙上にどんな三角形を描いても内角の和は180°になります。

バミューダトライアングルには何者かが、余分な角度をたして、空間をねじれさせているようです・・・。
メンデルスゾーン週間
ちょっと不安な状態が続いています。

杞憂ってやつだといいんですけどね。

まー、こういう時期だということもあるし、あまり深く考えないほうが身のため。

人間の精神は肉体から開放されるべきだ、みたいなことを唱えていた人もいたが、肉体と精神の二元論はそうとう怪しいところだ。肉体の状態によって精神はそうとう左右される。もっと根本的な無意識のことを精神といっているのなら、その開放ってどういうことなんだろう。


とまあ、そういうことはおいといて、今日は、メンデルスゾーンの無言歌を買いました。楽譜。
見ておくといいよ、と言われたため。

というわけで、今日からメンデルスゾーン週間にしよう。

メンデルスゾーンといえば、一番有名なのは結婚行進曲かな?真夏の夜の夢っていう曲の一部だが、全体像はほとんど知らない。

ロンド・カプリチオーソとかも有名だ。実にどんな作曲家なのか、楽しみである。
削除
今日、とあるコメントを削除した。結構長い間放置していたので、見た人もいるかも。

文章だけ読めば、至極まともで、別に削除する理由など見当たらないのだが、調べてみたところ、明らかに荒らし行為の一環である、と判断したため。

もし、このコメントを書いた人が善意の書き込みであったならば、申し訳ないが、おそらく本人はまともにこの記事すら読まないであろう。


・・・と、ちょっと怒り調子で言ってみた。このブログで個人的に機嫌を悪くしたようなことをするのは1年ぶりか、それ以上かもしれない。

いや、本当は、今日はとても機嫌が良いです。もうなんともいえないすがすがしさというか。

こんな一日を過ごしたのは人生で初めて。


まあ、僕の個人の感情とは全く関係なく世間は暗くなっているように見える。
今日の新聞の一面は自殺の記事だったし。

派遣社員切りとかで自殺する人も多いらしい。そこまで無気力になったならこの先何をしても無駄かもしれないが・・・、逆にこういう場面は人間としての器を見せ付ける、そんな時期でもあるのではないか。

僕は全て無責任に主張するが、僕が、この死の直前まで追い込まれても、死にはせず、賭けにでたいと思う。
今、自殺する人がこんなにいるのならば、逆に、誰にも使われていない人が、それだけ多いということになるのであれば、仲間は簡単に見つかる。
僕は残り少ない資金であっても、自力で自殺志願者の中から仲間を探してみると思う。
そして、4~5人、まだ人生に未練が少しでもある人が集まったなら、頭をフルに回転させて、新しい事業を起こすなど、失敗したら人生終了となってもいい最大の賭けをするだろう。

たとえ話をしよう。

昔の中国、秦の始皇帝が暴政を振るっていた時代、工事のために人が徴収され、時間に送れれば鞭打ち、1日以上遅れれば、死刑などと、そういう規則があった。
そのときに、川が氾濫し、一週間は遅れるであろうという見通しがついた瞬間、山賊に身を落とした人がいた。
しかし、持ち前のカリスマと、統率力と、決断力によって、死刑が確定したような人を集めて一大集団を作った。
もちろん、山賊といえど、規則は厳しく、また、罪のない人は殺さないようにする、そういう集団であった。
各地で反乱が起こりそうになると、そのどさくさにまぎれて、一気に、県を落とし、秦を陥落させ、他の群雄もつぶしたった6年で中国を統一してしまった。
もちろん、その名は劉邦である。

現在となっては、反乱など起こすことは出来ないが、合法的に新しい会社を作ったり、つぶしたりすることは出来る。
6年で中国の統一が出来たのに、6年で日本の統一ができないことがあろうか。
もちろん、そうするには、"巨大"な頭脳が必要であろうが。

だが、僕の経験では、最高の手段と、ちょっとの運で、最悪の状態から取り戻す、もしくは良くなるということを知っている。
最強の在野武将は果たして出現するか。
自由は必要か?そもそも自由とは何か?その1
とあるブログに、みんな同じようなこと(今日は勉強をあまりできなかっただの、テストの点数が悪かっただの)を書いていて、もはや不愉快だ、みたいな文章があった。
それに対するコメントに、そういうのを書くのは個人の自由じゃないか、みたいなものが載っていたわけだが、いろいろな事情により、転載はせず、アドレスだけ張っておく。

http://d.hatena.ne.jp/gobrin/

でだ、僕が議論の対象にしたいテーマは二つ、自分を卑下することによる自慢と、自由について、だ。
別に悪い奴が自分のことを嘆いてるだけだったら、自分の部屋でいつまでもやってろ、とそういうことなんだが、妙にできてる奴の癖に、そんな風に自分を卑下しつつ、自慢するのはどうなのか。
これは、(とくに僕と同じ学校の人に)よく自分に当てはめて考えて欲しい。
自分を卑下することによって自慢していることは無いか。
悪さ自慢をしたりするのとか、あきらかに突拍子も無い状態(昨日19時間しか勉強できなかった、これじゃあ勉強不足だーみたいな明らかに常識はずれな冗談)のような場合は別にいいとして、まさに上のブログに書かれているような状態になっているとするならば、改めたほうが良いと思う。
自慢したいなら素直にすること、ただし、それが本当に人が追いつけないようなものであることが条件だと思うが。

しかし、こんなのは、そこらへんのどうでもいい人間の本質をついただけの話であって、深く議論する対象ではない。

問題は自由である。
自由の問題はそこらへんにたくさん転がっている。
個人のブログに35過ぎたら羊水が腐るとか書いて非難を浴びすぎた芸能人や、家の周りをゴミで囲って市役所などからずっと勧告を受け続けているにも関わらずどかない人とか、児童ポルノの単純所持規制、および漫画などの規制とか、歩きタバコだとか、未成年者の深夜の外出だとか・・・、
規制されたほうが良いのに規制されなかったり、規制されるのがおかしいのに規制されたり、と個人が思うものはたくさんある。

日本の憲法では、公共の福祉を侵さない限りの全ての自由を許している。
これは、近代哲学が自由を追い求めて、それに賛同した結果ともいえるのだが、古代哲学では自由を悪とするのがもはや前提とすらなっている。

ひとつ例を挙げよう。
ネット界において、特定の人に不愉快な文章が掲載され、それを不愉快だと文句を言うと、そんなの見なければいいじゃないか、という風に言われる。もはや日常の風景であるが、全て自由が許されるならば、おかしいことが起こる。
まず、不愉快な文章が掲載されるのは、自由である。
不愉快だと文句を言うのも自由である。
見なければいいじゃないか、と言うのも自由である。
もちろん、不愉快な文章を見るのも自由であるが、自ら規制するのも自由である。
このような状態に文句を言うのも言わないのも自由である。
究極的に、喧嘩になっても自由、殴り合いになろうが、殺し合いになろうが自由。
これはおかしい。
少なくとも、喧嘩になる前にどこかに規制をかけないと、国家が崩壊する。
よって自由は全て許されてはいけない、ということが証明される。

その前に自由とは何か、考えて見なければいけない。
言葉の意味そのままに取れば、まあ僕なりにだが、

・自由の第一定理・
「自分の意思を実行(実践)することができる」

ということだと思う。もちろんこの言葉の姿だけを捉えなければならない。責任とか、節制だとか、そういうのはまったく必要としない。
責任を働かせないのも節制をきかせないのも"自由"である。
こう見ると、自由はどこまでも危険な存在だ。
自由を全て認めたら、全人類は欲望のままに走り、税金のゲーム理論の最悪系になる。

ex)税金のゲーム理論
選択肢
自分:①税金を払う②税金を払わない
国民:A税金を払うB税金を払わない
自分に最善は②A、次善は①A、次に②B、最悪が①B
(全員が税金を払わないよりは自分も払って国が安全なほうがマシ(よっぽどいい))
ゲーム理論では、自分は②を取るのが、国民がどっちの選択肢をとっても良い結果になる、が全員これを適用すると①Aよりも非常に悪い状態になってしまう。

よって税金は払わなければならないように規制するのが、すべての国民に利益になる。
これによって次の定理が導き出される。

・自由の第二定理・
「規制されなければならないものが存在する」

最終的にどういう答えに落ち着くかは僕もわからないが、今日はここまで。続くかな?
無言歌
メンデルスゾーンの無言歌をちょっと弾いてみる。
以外にピアニスティックな気もするが、弾きにくいっちゃ弾きにくいような気も。
なんというか、西洋音楽の一番基本をついたような音楽って感じかな。
歌ってだけのこともある。

↑は題名重複を防いだ記事。

バッハのフーガの技法と音楽の捧げものが良すぎる。
フーガの技法で、一曲全部鏡写しにしても大丈夫っていう曲が数曲ある。
完璧なのが18番、不完全なのが、16番と17番。
なんで成立するのか不思議である。
特に18番の終わり方が、音楽的に無くてもいい装飾、
正規版でバスがA G Fis G A- D -------
鏡写し版で、ソプラノが、D E Fis E D- A -------
というのがとても感動的だ。感傷的ではないが。

13番はカデンツァつきのカノン=フーガであるが、曲の偉大さに負けてこの2声の曲より充実したカデンツァを弾けないような気がするのだが、意外とすっと入っていけるような感触がとても良い。

19番は一番初めのバスから始まるフーガAと115小節め、アルトからはじまるフーガBとその二つを組み合わせた(対旋律も含め)三重フーガと、BACH旋律を使ったフーガCと、全部を組み合わせた四重フーガが何故成立するのか不思議―しかもBACHという和声音楽に使いにくい旋律を使ってまで―である。

だが、とても残念なことに、この四重フーガになった瞬間原稿が終わっている。
次にd-mollの属和音に入ろうというところで、、なんとも残念である。

ちなみにBACH音形はここだけに出てきているわけではない。8曲目の二つ目の対旋律を見ると、
AAAFGGGEFFFEDCis・・・
だが、
159小節めなどにあらわれるこの音形の移動された形
EsCisDDDHCCCABBBAGFis
これを逆から読むと、BACHが現れる。

こじつけのように思われるかもしれないが、もともとこの曲集は主題を回転させたりひねったり広げたりするのがテーマなので、これを考えていたことは十分に考えられるし、そもそも言われなくてもしっかりとBACHの逆と感じ取れるくらいである。

もはや人智の及ぶところではない。
ゆめゆめ
ここ2日、変な夢ばっかりみるもんだ。
昨日は気持ち悪かっただけだが、今日は冒険とアクションの爽快とスリルと夢だった。

学校の図書館の前の道の下に水族館があるというのがテーマ(七不思議の影響か?)で、変態と化した校長などと絡みながら謎を解いていく。

特に印象的な場面は受付の前でなにやらやっていたときに、後ろから普通のおじさんが来るわけだが、それは敵であると直感し、受付が終了すればすぐに逃げられるような体勢をとって、瞬時に逃げる。これがなんと成功し、相手の計画が崩れるというところだ。

また、裏門から逃げると、(ここは実際の地理と異なるので注意)前と後ろから自転車で敵が囲んでくるので、仕方なく塀を乗り越えて学校内に戻ったり、
3階から別の建物に飛び移ったり。

生徒室という本拠地があって、高一の5がそれにあたる。そこも敵に占拠されるのだが、最終的にはハッピーエンドを迎える。

最近の夢はスリルの後にハッピーエンドがくるという、珍しい(?)形式が多い。
七不思議
やっぱり、学校といえば怪談なきゃだめでしょ、ということで、

 創作! 麻布の七不思議!

まあ、僕でも答えを知っているものもあるが、まあいいとして、普段は語られないようなヒミツの場所を探していく。

①地下食の入り口、トイレの奥にある扉
言われないと気づかれない人すらいそうだが、ここには扉がある。位置的には事務所裏の駐車場の下あたりである。さらに突き進めば大使館の下へと行くのだが、果たして?

②校舎の校章があるところにある二つの扉
普段は開かれることのない扉。一部の生徒が使用しているという噂もあるのだが、果たして?

③図書館棟の屋上
3階から行こうと思えば行けるのだが、普段は鍵がかかっていて行くことができない。
8角柱の形にくりぬかれた入り口もそこにあるはずだが、果たして?

④休憩室
4階の立ち入り禁止の奥に休憩室と相談室という二つの部屋がある。その奥からはたまにテレビの音すらするという、ホームチックな感じなのだが、果たして?

⑤女子更衣室
男子校にあるまじき部屋が3階の円形トイレの上の部分に存在する。その内部はともかく、経緯がとても気になるところであるが、果たして?

⑥講堂楽屋の地下
講堂の楽屋に入ったことのない人も多いかもしれないが、中に入ると、地下へ続く道がある。
なんとも不気味な感じがする鉄階段の下は果たして?

⑦講堂裏
講堂の近くには、多くの空間がある。空中に浮かぶような階段を見ることも多いと思うが、その全貌は果たして?

まあ、あとは、教科書保管室とか、社会科準備室とか(中からいろんな音楽が聞こえてくる)、ELV室とか、図書館閉架とかいろいろあるが、あまりネタが思いつかないので、ここまで。
平均率二巻
J・S・バッハの平均率第二巻を聞いた。

なんか、ショスタコーヴィッチを感じた。一巻の重々しさに比べて二巻は軽い感じだろうか。

さて、学校がないと、事件がなくてあまり書くことがなくなるのだが・・・

暇というわけではないのだな、これが。さすが受験生というものか。
円やばいっすね
円相場、ついに1ドル=90円突破!

ん~、

為替といえば、結構前から注目されてるジンバブエ。wikipediaでは・・・

>2008年11月、非公式ながらインフレ率は年率換算で897垓%に達していると報じられた

ということだそうですが、まー、

ペンゲー(年間1矜羯羅那由他阿庾多洛叉倍=上数で、百万億兆秭%)に比べれば、全然大したことないですけどね。

ちなみに上数というのは、指数を2進法的にあらわしたもので、

一=10^0
十=10~1
百=10^2
千(不要)=10^3
万=10~4
億=10^8
兆=10^16
京=10^32
垓=10^64
秭=10^128
穣=10^256
で、
2000000000000000000010040000000500000(5×10^5+4×10^14+1×10~17+2×10~37)
は、
二十万京百万億四十億五十万
となる。

まあ、使われないが、無量大数までいけば、10^266144まで単位として使えるので、相当大きな数まで(この2乗-1)正確に表すことができる。

これで、どんなインフレにも対応することができるね!
フーガの技法
音楽の捧げもののあと、フーガの技法にはまってる。

同じ主題の展開ってなんかいいな。曲集通して、巨大な変奏曲って感じもする。

良く知ってる主題が出てくるときの喜びというものも楽しめる。

最後、BACH主題のフーガが完成してないのがとても残念でならない。

いずれ完成させたいなあ。(すでにやっている人もいるみたいだが)
バッハのフーガ週間
J・S・バッハの音楽の捧げものはだんだんすごさがわかってきた。聞けば聞くほど評価が上がっていく。

王の主題のよさも印象的。
導入がわかりやすく、反復進行しやすい。主題自体に係留はひとつしかないというのも、バッハの手腕によっていろいろな係留が楽しめるようになって、逆に良い効果になっている気さえする。
結句の潔さ(?)もすばらしい。
バッハが考えたものとしか思えない。

もちろん、主題の展開、各種カノンとフーガの美しさは人間業とは思えない。

というわけで、今週は、バッハのフーガ週間。
バッハはフーガを数え切れないほど書いているが、フーガの導入だけ、とかそういうのは認めない、純粋なフーガ作品を聞こう。

オルガン曲のトッカータとフーガやプレリュードとフーガ、平均率クラーヴィア、フーガの技法などなど。
BAROQUE
今日は山野楽器銀座店でCD60枚買った。

曲は・・・
バッハ:
ブランデンブルグ協奏曲
序曲集
音楽の捧げもの(これは楽譜も買った)
オルガン曲集
フーガの技法
ゴールドベルグ変奏曲、イタリア協奏曲
インベンションとシンフォニア
一部の平均率
リュート曲集
ヴァイオリンソナタとパルティータ
チェロ組曲
Motets
カンタータ集
クリスマスオラトリオ(一部)
ヨハン受難曲、マタイ受難曲(一部)
ロ短調ミサ
magnificat

ヴィヴァルディ:
beatus vir gloria

ブクステフーデ:
オルガン曲集

コレルリ:
concerti grossi
ソナタ「La Follia」

クープラン
Royaux協奏曲

フレスコバルディ:
Fiori Musicali

フックス:
レクイエム

ヘンデル
・・・
・・・
・・・
・・・
(日が暮れる)
・・・
・・・
・・・
・・・
(知らねーよって感じの名前がたくさん並ぶ)

D・スカルラッティ
クラヴィアのためのソナタ

・・・

ヴィヴァルディ

・・・

まあ、こんな感じ。

今、音楽の捧げもの聞いてる。

この曲、楽譜から入ったが、楽譜を見るだけで鳥肌が立った。ってか、感動して涙がでそうになる。ヤバイです、この曲は。
なんか、もう、完全にバッハの領域が遠すぎるのを確認させられる羽目になった。人間の領域じゃない。
戦争なんて大っ嫌い!完結編
Oさんとどうするか打ち合わせをしたが、とりあえず、AさんとKさんに連絡を取ることにした。

Aさんにメールを打とうとするが、あせってなかなか文字が打てない。なんとか駅にいるということを打つ。

そして、Kさんに電話する。

・・・

「はい、なんでしょう」

Kさんは女性だが、ここで出てきた声は男の声だった。何も言わずに切る。不安が胸をよぎる。

そうこうしている間に電車が行ってしまった。次の電車が来るまで20分、追手が来ないことを祈る。

とりあえず、Oさんとホームの先端まで行き、最悪の場合は、線路を走って逃げられるようにする。

20分経って、電車が来る。Aさんが来ないかどうか見ていたが、あきらめ、電車に乗る。

この電車は終電であった。

そして、電車を降りると、自転車で、小学校のほうに走っていく。途中の道はグアムから持ってきた木を植えていて、森っぽくなっていた。

そのまま森の中に逃げ込む。

すると、父親が車で迎えにきてくれた。Oさんと一緒に乗り込むと、父親は家のほうに向かって走っていった。

家にいると余計危なそうな気がしていたが・・・。

家の手前の交差点に、人が立っている。あわてて顔を隠し、車は急カーブして、道を変える。

そして、家に何とかたどり着くと、台所に隠れていることになった。

そこに人がやってくる。

「ここからこの家を調べる。5分調べて何もなかったら出て行くから」

そして、台所をついに調べられるときがきたが、入り口の死角部分に隠れていると、案外やりすごせた。

ついに5分たつ。そこで、僕が出て行くと、

「あっ、見つけた、ついてこい!」

というので、とっさにその人に体当たりして、気絶させる。

これで、家の中を安全地帯として、一件落着である・・・。

が、他の人の安否も気になっていた。

ここでこの物語は終わるが、Kさんの安全は確認されました。
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