詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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ミサ・ソレムニスを愛する日々
今日はミサ・ソレムニスを4回聞いた。もちろん全部通してだ!

聞き流してはいけない!4回だ!

一曲70分以上する曲を4回もだ!5時間は費やしているのだ!

一回目はトスカニーニ。音響効果があまりになさすぎてあまり好きではない。
いつも思うけど、この人の演奏は合唱が下手だ。
でも楽譜通りという点ではこの人はそうとう忠実。

二回目はバーンスタイン。映像つき。
この前かったDVD。音質は悪く、そうとう音われをしていて、画質もあまり良いわけではない。
ただ、映像の迫力はすごいし、演奏自体も悪いわけではない。

三回目はトスカニーニ。
なぜならこのまえDVDと一緒にトスカニーニのCDも買っているからだ。

四回目はカラヤン。
これもおとわれをしている。全ての録音で音割れしている。
カラヤンがいちばんはじめに聞いたもので、これに親しんでいただけに、これがいちばん耳に優しい。


クレドの188小節目からは秀逸。変な和声とヴァイオリンのすさまじい効果。
グローリアのアーメンも尋常ではないすばらしさ。さいごのグローリアも良いね!


ちなみに、ミサソレムニスのCD、DVD他に、ブラームスの室内楽全集、メサイア全曲も買ったりしていたのでした。
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むにむに完成
http://cva.kakurezato.com/muni.html

3問のむにむに。

非常に難しいはず。簡単にとかれたりはしない。

以下はヒント。無しで解ける人はいないと思うが、いたら驚愕。

1問目
垂直
フィールドに置かれたのは一つのブロックと旗のみ。
ただし、なぜかチップがでてくるまでに3マス分も余裕がある。
一見じゃまのようにみえる赤チップがあるが、この使い方は必然的なものとなる。
白チップは言うまでも無く、赤チップのタイミングも非常にシビアなので、コマ送りで安全にいかなければおそらく失敗する。

2問目
がれき
僕のブラウザではなぜか最後赤チップの後の白チップが3枚になってしまうバグがあるのだが、実際は2枚。
ただ、3枚でも1枚あまるだけで、作為以外の解き方は無いと思う。
1問目よりおそらく簡単なこの問題。だが、1問目同様タイミングはシビア。
解き方が1問目より自由な分、難しくも感じるかもしれない。

3問目
シュレディンガーのチップ
非常に難しいはず。
見た目、チップ5枚、赤なし、とくに複雑な地形なしで、解けるものなら簡単そうに見えるが、いろいろやってみても、解ける気がしないと思う。
解法は「純粋に」1通りしかない。
題名が非常に重要なヒント。これがまず第一の難解な場所であって、手探りで探すしかないだろう。
そして、その場所が見つかった後、それは何箇所かしかありえないことに気づくが、宙に浮いているのを取ろうとすると下のがとれず、下を取ろうとすると、宙に浮いているのが取れない。
そこで、ある特殊な技術を使ってまず宙にういているのを取ろうとするが、ここで一番始めの問題と絡みあって、さらにタイミングはシビアになる。
そして最後、このときにこういう動きをするということを知らない人は最後まで解けないものだと思いこむ。
そうして、手探りで実はできることに気づいたとき、ようやく下への道筋が整っていることに気づくのである。
まさに奇跡のタイミングで押さなければ解けない、究極の問題に仕上がった。

・・・余詰を発見した・・・。
直す方法はあるんだが・・・う~ん、ちょっと簡単になっちゃうんだよなぁ。
余詰は3通りくらいあるみたい。ちょっと残念。
改作むにむに
前回のはしょうもない余詰めがあったんで、改作。

$STAGE
Standard Map
$LEVEL
1
$CHIPS
1111311131111
$MAP
##################
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###F#............#
#................#
#................#
###..............#
.................#
##################
$SPAN
20

マップダミー(意味もなくマップにそれらしいことをしてある)注意。

っと今回は高級手筋(これつかった人いるのか?)で余詰があった・・・。もうどうしようもない。
というわけで、こうなったら姉妹作とかにしてごまかそう。

$STAGE
Standard Map
$LEVEL
1
$CHIPS
1111311131111
$MAP
##################
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###.F............#
#.#.#............#
#................#
#................#
###..............#
.................#
##################
$SPAN
20

これで、作為は守られたはず。

$STAGE
Standard Map
$LEVEL
1
$CHIPS
111131113111
$MAP
##################
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###.F............#
###.#............#
#................#
#................#
###..............#
.................#
##################
$SPAN
20

ちなみに余詰はこっちでできる。もとの図よりチップが一枚少ない。

嘘。上の図はまだ余詰が消せてない。
上の図、余詰消せなかったりして・・・

とりあえず、下の図は余詰がないはず。

もっとわかりやすい方法を思いついた。作為のほうの改作。

$STAGE
Standard Map
$LEVEL
1
$CHIPS
1111311132222
$MAP
##################
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###.F............#
#.#.#............#
#................#
#................#
###..............#
.................#
##################
$SPAN
20

最後の4枚を緑チップに変えた。
これで余詰検討してるときに、DIVINGの応用手筋があることがわかった。
壁壁壁□□
壁壁壁□□
壁□□□緑
壁壁緑み壁
壁壁壁壁壁

壁=壁
緑=すでに固まった緑チップ
み=動いている緑チップ
□=空間

このときに、
動いている緑チップは、はねて上の緑壁にあたり、そのままおちることなく左の空間に行くことができる。
うむ、不思議だ。これを使った問題できないかな。
思い違い
なんということだ!
今の今まで思い違いをしていた!

僕は、人は真理を獲得するのが最終目標だと思っていた。
だがこれは間違いだ。
人類は真理を獲得するのが目標だが、個人にしては違う。
人類が真理を獲得するために必要なのは、衣食住、ほかにもあるだろう。
これらを支える人がいなくては真理を獲得には至らない。
つまり、個人の目標は、人類が真理を獲得するための支えが殆どなのだ!
真理を獲得できるのは、おそらく人類の一番最後の人だろう!
未来に生まれるであろうその人を支えるために今の人間がいるのだ。
ここにおいては、個人的な摩擦が現れて当然だ。
どの道がいちばん真理に近いかなど、わからないのだから。

さて、夜も更けたし、メモで終わり。
別の場所にて
今日もまたブックオフに行っていた。家にもうちょっと近い場所。
前行って来たのは、駅から2~3kmしかはなれていないのでこれも近いが、今日の場所は、別の市にあるものの、距離的には5kmくらいしか離れていなくて、道も整備されているし、田んぼばっかりで見通しが良いから余計近く感じる。途中森の中にはいると、坂道が急で結構きつかったりする。

で、買ってきたもの。
ニーチェ:ツァラトゥストラはこう言った(下):105円
ゲーテ:若きウェルテルの悩み:105円
ヘミングウェイ短篇集(上下):210円
アリストテレス、他:詩学、他:400円
あずまきよひこ:あずまんが大王3巻:400円

うむ、岩波文庫は偉大すぎる。とくに青はね。赤も結構好きだ。
難点はフォントが読みづらいといったところか。でもカヴァーしてる分野が広すぎる。最高だ!
あまり古本屋には置いてないのが残念だが。

で、今はショスタコーヴィッチのジャズ組曲聴いてる。
うむ、大衆向けなのはよくわかるとしよう。・・・ジャズ?
めちゃくちゃクラシックやがな。
昭和のにおいがする。
消滅した週間。
そうそう、最近、~週間が無くなったなあと。

ちょっとねえ、ベートーベンのミサ・ソレムニスがやばくてそれどころじゃないんだよ。

ライヒとか聞いたらほかの曲聞けないし、何気に今はグリーグ聞いてるし。

グリーグはペールギュントしか有名じゃないみたいだけど、グリーグの真価は歌曲だよ。ペールギュントじゃない。あれも悪い曲ではないが。なんかポピュラーっぽくて微妙。

ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏15番をまた聞いた。僕はこれがショスタコーヴィッチ最高の音楽だと思っている。
ノクターンと葬送行進曲はなんか微妙なのが残念。
悪くはないんだが、あの強烈なインテルメッツォの後だと、霞んでしまう。
まあ、あんなすごい曲がずっと続かれても困るので、いい休憩かもしれないがね。
エレジーはあいかわらずすごいが、倍音を聞かない技術が要求される。
セレナーデはやっぱりすごい。何度聞いてもすごい。あそこまで単純化された音楽もすごい。
複雑な和声も使ってるけど、十二音から導き出せるからね。
インテルメッツォは、失神しそうになる。ヤバイ。
バス保続音Esの上に鳴る、A-C-E→A-D-Fis-Hの和音。これはもう意識が吹っ飛びかけるほど強烈な効果。
その余韻として11小節後に現れる、Es上のAs-Cis-Es→As-Des-Fes-Bes
ものすごい効果だ。いつものあのおちゃらけたショスタコーヴィッチを微塵も感じさせない。
全てが混ざったようにも聞こえるエピローグ。これもまた終わりにふさわしい強烈な曲。
すごいねー。

音楽はやはり単純であれば単純なほど良い。
余計な音はまったくいらない!
あのリストの無駄な分散和音や、現代音楽特有のよくわからない音の羅列にはうんざりだ!
ああいう曲は、芸術に至る道としては必要な曲かもしれないが、決して完成形ではない。

完成形というのは・・・やはりベートーベンのミサ・ソレムニスだろう。
あれに無駄な音が無いって言っても説得力に欠けるほど膨大な音符が書かれているが、いや、たしかに無駄な音符は無い。
冒頭のそれと感じさせない弱起からすでにベートーベンワールド。
ぱっと聞いただけでは、始めの音の1/5の長さの音が打ち直され、拍子がよくわからない。
それをまさぐっているうちに、もう盛り上がり始めている。
そして、合唱の第一声Kyrie!その中からでてくるテノールソロKyrie、もうここの時点でものすごい感動的である。
もちろん、始めだけがすごいわけではない。Kyrieが終わると、Gloriaが盛大に始まるが、速くて込み入ってる曲でここまで精神性を出せるのはベートーベンくらいだろう!
フーガもでてきて、ものすごい世界に引きずり込まれる。
しかし、ここまできて、さらに芸術が用意されている!Credoだ。
単純な主題を展開するフーガが雄大に始まる。あーもう狂いそうになる。
Sanctusでは、音楽が落ち着いて、ヴァイオリンソロが歌いだす。決して技巧を見せるためのソロではなくて、純粋に音楽に向かっているソロ。音形はとても単純だが、美しい。
Agnus Deiにおいて、音楽が最終盤にはいると、今度は軍隊調になって、ティンパニとトロンボーンのファンファーレが始まり、一瞬景色ががらっと変わる。
その後の、二つの特徴的な主題が交じり合って、威厳をもって堂々と曲が閉じる。
第九より全然良い曲ですよ。
第九も最高の音楽だし、これに勝る音楽を挙げろといわれたら非常に苦しむが、このはるか高みにいる曲がミサ・ソレムニスだ。

ちなみに、ベートーベンが弦楽四重奏14番で使っている主題がミサ・ソレムニスにも、あまり目立たないが出てきていて、これは、バッハの平均率24番プレリュードの一部とフーガの嬉遊部の一部と同じ音形である。

ファミレドレミーーミレドシドレーー
っていう形。
非常に単純なのにもかかわらず、ものすごい感動的な音形なので、これはバッハを拝借したということになるのだろうか。
きにゃー!
むにむには簡単すぎる余詰めがあった・・・もうだめだ。

防ぐ方法もあるけど、露骨になるしなあ。

こんな看板は面白い。

「明日この看板は取り外されます。今日は取り外されません。」

さて、今日の時点では、明日取り外されると確約されている。
しかし、明日になってしまうと、明後日取り外されると確約されてしまい、明日には外すことができない。
つまり、確約を破棄されてしまう。
自己矛盾の看板である。

そうそう、しゃっくりを止める方法は、柿のへたを煎じて飲まなくたっていいんですよ。
ちなみに、柿のへたは砂糖で煎じます。

えっとねえ、しゃっくりは、体のある部分を極度に緊張させれば止まる。普通ならね。
そこで考え出された方法が、息を止めるだとか、舌を引っ張るだとか、眼球を圧迫するとか、なんだが、一番有効なのは、舌を引っ張る。
手で引っ張る必要もなく、舌を出せるところまで出してみるってので十分止まります。
さて、思考を全く別のところに追いやってもとまるので、10の階乗を計算する、という方法を編み出したことがあります。
7!=5040までは常識なので、ここからどうするか。
8!は、5x8、4x8、ならべて、40320。
9!の計算がしゃっくりをとめるポイント。
320×9は暗算するには、270+2x9をしなければいけないのだが、ここで、40000の4と2700の27を記憶にとどめつつ、2x9を計算するという、3段形式の記憶になっているので、普通ここで他のことは考えられない。
これでとまらんかったら11!までやるしかないだろうね。


さて、時間をいろいろ奪い取られている暇はないのだ。なんとか先へ進まねば。
むにむに
今、僕から強力な力で時間を奪い取っているものが3つある。

バッハの音楽の捧げもの

あずまきよひこのあずまんが大王

むにむに
である。

さて、上の二つはともかく最後を知っている人はいるだろうか。

http://wwajp.com/

ここを参照していただきたい。

すでにいくつかのステージは用意されていて、最後の4つは結構難しい。
2つは解けたが、まだ2つは解けてないし解く気もあんまりない。

そして、自分でマップを作成できるのだ。

というわけで、作成してみた。
作成のメモ帳に以下の文書を貼り付けていただきたい。僕ので遊べます。


$STAGE
Standard Map
$LEVEL
1
$CHIPS
11113111311111111
$MAP
##################
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###..............#
###.............F#
###F.............#
###..............#
###..............#
###..............#
.................#
##################
$SPAN
20



おそらく唯一解のはずだが、非常に怪しいところもあるので、余詰があるかも。
あまりの単純さに解けるならばすぐ解けそうと思うかもしれないが、左の旗は普通の方法では取れない。
いかにも意味なさげな赤チップが気になるところであるが、ダミーか必要かは判断してもらうしかない。
なお、このステージは作る側にとって、あまり無駄なことはしていないので、何故こんなことをしているのだろう?と思ったら、それは答えに近いかもしれない。
解けたら、どういう順番で旗を取ったか、赤チップはダミーが何枚あったか、を言ってくれれば作為と照らし合わせられると思います。
お買い物。
さて、ブックオフに行ってきて、本を買ってきたわけだが、
この秩序のなさがなんともいえない不思議な雰囲気をかもしている。

本当はプラトンのまだ買っていないやつと、アリストテレスの天体論、詩論、ニコマコス倫理学かなんかが手にはいればいいかなあ、とか、クセノフォンのソクラテスの思い出かなんかが手に入ればいいかな、とか、ニーチェのツァラトゥストラはこう語ったが手にはいればいいかな、とか、ハイデガーとかカントとか、いろいろ狙いを定めて行ったわけだが、見事に撃沈し、何も無かったというしだい。
アリストテレスの詩論に関しては、置いてあったのだが、本の中に書きこみがあるってのと、400円で定価と大してかわらないっていうので買わなかった。
で、2000~3000円は使うつもりで行ったのに、何も手にはいらないのはさびしいなあ、ということで、無理やり衝動買いをする。

手塚治虫:ミッドナイト1~4(350円→200円×4)
ダン・ブラウン:ダヴィンチ・コード上下(105円×2)
J・J・ルソー:孤独な散歩者の夢想(300円)
ユーゴー:死刑囚最後の日(105円)
ヨースタイン・ゴルデル:ソフィーの世界(100円)
あずまきよひこ:あずまんが大王1.2.4(400→200円×3)
高橋留美子:高橋留美子傑作短編集1,2、Pの悲劇(100円×3)
合計2435円

この関連の無さがいかにも僕っぽくていいと思う。
少年時代~青年時代~壮年時代
人間のできてから、完成するまでを3段階に分ける。
少年時代と青年時代と壮年時代とする。
年齢は関係なくて、どれほど条件をクリアできるか、で次の時代にいける。

まず、誕生とともに、その瞬間から少年時代は始まる。
一般常識は教えてくれないが、言語については、生まれたそのときから触れることになる。
知らず知らずのうちに覚えていき、それが通じるようになると、日本の教科書的思想に基づく道徳を教えられるようになる。
さらに現代のおおまかな宇宙論、すなわち地球は太陽の周りを回っているだとか、太陽が宇宙の中で特別な星ではないとか、
おおまかな数学、算数、数字を足すことができる、0が存在する、など。
経済学にも及ぶ。お金の使い方と価値。
そして、小学校に入ると、一つの義務に長い間縛られることになる。そして、集団生活が待っている。
集団生活の中で、自分の思想は「作られる」
教員による圧倒的な権限と直接的な力、精神力の強さによって、自分の意志を持つことができない。
そうして、先入観をどこまでもたたきこまれ、自我が発育する余地が無い。
ここで、常識という先入観を叩き込まれて、少年時代を終える。
ここまできた人間は、非常に成育されていて、犯罪など起こそうともしない。いたって健康な人間である。
一番常識力がある時代でもあるが、この段階を過ぎると、青年時代に移行する。

少年時代では、その心に悪いものをなるべく入れてはいけない。
しかし、青年時代は、その人の行動範囲もひろがり、本人にその気はなくとも悪いものに触れることになる。
それは、いままで叩き込まれていた少年時代のごく一部の常識を否定する。
ここにおいて、本人は、はじめて選択するということができる。
つまり、悪いものにさらに触れようとうするか、それを遮り、少年時代の常識に戻るか、である。
そうして自我が発生する。
少年時代の常識は強いが、悪いものの魅力も偉大である。
そうして、考えつくす。その時間は、少年時代のとき縛っていたはずの義務が逆に与えてくれる。
そこで、自分は十分な時間をもって偉大な精神の持ち主に助けを求める。
このとき、偉大な精神の持ち主以外のものに助けを求めてしまった場合、その人は、人生の中の貴重な時間を無駄に過ごすことになる・・・堕落する。
偉大な精神の持ち主とは誰か、それを教えてくれるのが、学校である。
そして、偉大な精神に触れた瞬間、また少年時代にたたきこまれた常識が覆される。そのとき覆されなくとも、別の精神に触れればまた覆されることだろう。
今度はあまりにも選択の幅が広がることになる。
ここで精神を創作することもできる。それを助けるのは芸術だ。

余談だが、俗に18禁とされるものは、この偉大な精神に含まれないものであるべきだ。
まったく、青年時代に余分な言葉に惑わされるのは、その人の人生をかきむしり、蹴落とし、使い物にならないものにする。
まさに塩気のなくなった塩である。
18歳を過ぎれば・・・余分なものに触っても良いとされるのは、この歳になって、偉大な精神の分別がつかない人は、人間としての味を失っても仕方が無いからである。
暴力描写や性描写が18歳未満に有害なのではない。それに偉大な精神を見る時間を奪い取られるのが有害なのである。

では、ここで、自我を形成した者は、壮年時代に到達することができるが、破棄することもできる。
壮年時代とは、自我を行動に出す時期である。
自我を社会の中で動かすことのなかで、青年時代の自我の採点が始まる。
×をつけられたものは刑務所や精神病院に送られ、△をつけられたものは乞食として過ごし、○をつけられたものは一般家庭をつくることができて、◎をつけられたものが、上級家庭もしくは政治家となることができる。

放棄した人間は、波乱が待っている。すなわち、少年時代の一部の否定ではあきたらず、さらにさらに、何重もの層をかきむしってはがしていって、その奥にあるともないともわからない、「人」に到達しようと試みる。
この時期は長くなるため、自由な時間はもう与えられていない。自分でなんとか作らなければならないのである。
あまりに堅くて、到達地点かと思ってしまう層も存在するだろう。
それを破れた人は、歴史上に何人いるだろう。まず、そうはいない。
さて、「人」に到達できた人間はいるのだろうか・・・。
これを求めるのが第二青年時代とでもいえるだろう。

ちなみに、少年時代は0歳からはじまり、終わりは9歳から16歳くらいが一般的のようである。
青年時代は9歳から16歳からはじまり、18歳~30歳くらいで終わるようだ。誤差は10年くらいあるかもしれない。
壮年時代は、18歳~30歳から、22歳~75歳くらいまでであろう。壮年時代が終われば、人生は終わりである。その余りが名前のごとく余生であろう。もちろん、余生など存在しないのが理想的だ。
第二青年時代は、16歳~22歳あたりから永遠に続くであろう。「人」に到達できれば終わりだ。
そこで人生は終了する。
この場合、人生とともに、人間も終了するかもしれない。
狩が終わって弓がしまわれるように・・・探求が終わって人間の価値がなくなるのだ。

さて。偉大な精神以外のものが入ってくる危機を退けなければいけない18歳にあと40分でならなければいけないようだ。
僕は、自分の全てを総動員し、余計なものを退け、偉大な精神で「人」を探求しなければならない。
気づいたら・・・
今日は一日掃除とベートーベンの曲を聞くのと、スティーヴ・ライヒの曲を聴くので終わった。

ライヒは最近再評価中。

30分が異常に短く感じた。

生で見たいなあ。

そうそう、今日、プラトンの本がとどいた。

古典文学全集で、
ソクラテスの弁明○
クリトン○
パイドン○
饗宴
プロタゴラス
メネクセノス
メノン
エウテュプロン○
ラケス
ヒッピアス
アルキビアデス
テアイテトス
国家
エピノミス
第一~第十三書簡
(○はすでに持っているもの)

保存状態は少々悪い。焼けていて、ところどころシミあり。送料手数料込みで3500円。安いといえば安い。
ちなみ、原価は2100円。でも昭和46年。
一番の欠点は、箱から本が非常に取り出しにくいこと。もうちょっと余裕をもって作ってもいいのに・・・。

そして、ソクラテスの弁明(エウテュプロン、クリトンつき)、パイドンの本が不要になってしまったのが一番の問題。書き込みがある部分があるけど、欲しかったら上げます。

とりあえず、これを全部読まなければ少年時代は終われない。
創作意欲。
なんか最近創作意欲が高い。

といっても音楽のことではない。

どちらかというと文学的な方向で。

なんというか、前提を考えるのが苦手なので、なにかきっかけが欲しいんだけれども、自分の中に備わった知識が少なすぎる。

時間はやけに短い。こう感じることもできる。

長い時間において、人生という知る地を一瞬だけ借りているのだ、と。

今までの人生を一瞬におきかえ、また、それが過ぎ去っていくところを想像しなさい。

人生は短いが、そこに死の怖れはない。それを超越した、はるか高みから人生を見ることができるからだ。

まず、魂が幼児になるところからはじめようではないか。

・・・ニーチェが言っていることも理解できる気がしてきたな。あきらかに常識を外したことを言っているニーチェはわざと批判されるように書いているように見える。何故?と考えなければ。

批判は最後に実行せよ。批判するときに、自分はそれにミスリードされていないか。なぜわざわざ批判されるようなことを相手が発言するのかを考えなければ。
そこに考えが無くて、もしくはその考えが間違っていると確信したときのみ批判できる。
そうでない批判は、真の批判ではなく、途中経過としての批判である。ゴールではない。
プラトンの冗談?
国家を読んでいるわけだが、なんとも可笑しい場面に出くわした。

そもそも本自体ネタみたいなことを主張しているのだが、これは直接的。

「ぼくの思うところでは、節度のある人は」とわたし(ソクラテス)は言った、「叙述を進めていって、たまたまよき人のある言葉づかいや行為に出くわす場合には、まるで自分がその当人であるかのようにして報告しようと望み、そのような模倣をすることを恥ずかしくは思わないで、よき人がそつなく思慮深く行為しているところはこれをできるだけ多く模倣するが、しかしよき人が(・・・中略・・・)打ちひしがれているところは、なるべく少ししか、そして程度も弱くしか模倣しない。ところが、自分が相手とするに値しない人のところへ来る場合には、(・・・中略・・・)本気で似せようとは思わず、むしろそれを恥じる。それは一つにはそのような人たちを模倣するのに慣れていないためでもあり、また同時により劣った人々のなかにみずからを嵌め込み、身にうつしとるということを、心のなかではそういう人を軽蔑しているから、腹立たしく思うためでもある。もっとも戯れのためなら別だがね」
「ありそうなことですね」とかれ(アディマントス)は言った。
(国家396-c~e)

この文章をプラトン自身が書いているところを想像してみてほしい。あきらかに、自分のことを意識したはずだ。たとえそれがソクラテスが言った言葉であろうと、プラトンが考えた言葉であろうと、自分のことに照らし合わせているのはまず間違いないのではないだろうか。
すると、プラトンが対話編で書いているというのは、自分より優れた人だ、と思っていたということと、優れた人を書く場合は対話編が望ましいものだと考えていたことがわかる。
ソクラテスの弁明で対話編じゃないというのは、アテナイ市民や原告者メレトスが、話すに値しない人だったから、ということで、ピッタリ合致しないだろうか。
メレトスはソクラテスと直接対話している場所があるが、メレトス自身殆ど喋らず、ソクラテス自身、

メレトス、それ、ごらん、君は黙っていて、口がきけないではないか。それでも、それは恥ずかしいことであって、私の言ったちょうどそのこと、つまり、君が少しも心にかけていないということの充分な証明であると、君は思わないか。
(ソクラテスの弁明24-d)

と言っているので、ソクラテス自身すごくやりづらそうだし、メレトスを語るに足る男だと思っていなかったのうだろう。

とまあ、こんな感じに、プラトンは冗談めかして自分のことを言っているのではないか、と思われる。

それから、国家の結論として、理想国家は哲人支配である、ということになっていて、一般的にこれはめちゃくちゃに批判されている。
もちろん、その批判は正しいと思う。少なくとも哲学者が支配したら、この世は崩壊しそうなものだ。
しかし、前提を忘れていないか?
国家のうちに正義をみることによって個人の正義をみるのが目的で国家の議論を始めた。
出発点は、個人の正義である。
哲人支配が個人の正義の終着点であるのなら、
個人が哲人に支配されるべき→個人は哲学者になるべき
と言いたいということは明らかではないか!
そもそも、プラトン自身、こんな国家はありえないということをほのめかしているし、
正義が見出せなかったからといって、人間に欲望をわざわざ与えたり、もうめちゃくちゃやってるし、
哲人支配が本物の国家に適用されるなんて、プラトンにしてみればひどい誤解だ。

ちなみに教科書的理解:理想国家は腐敗したアテナイを立て直すための策というやつは、おもしろいからもっとやるべし。
50年。80年。100年。
昔の人の寿命は50年だった・・・。今となっては80年。日本はそうだ。
そして、100年生きることも不思議なことではない。

なぜ時代が経つにつれて、寿命が長くなるのか?

あらゆる人はこう答えるだろう。

医学が進歩したからだ、と。

だが、全く違う発想で、医学の進歩もたんなる過程にすぎない、というこのような説はどうだろう。

人間は、既存の知識を身に付け、発展させ、宇宙を理解するために生まれてきた生物である。

発展させ、理解する、というのは、最悪の場合、肉体が無くてもできる。・・・この部分にイデア論を感じるかもしれないが、そういうこともあるけど、単に考えるだけなら寝たきりでもできるし、そんな感じだと思ってくれていいと思う。

知識を身に付ける、というのが肉体の仕事だとすると、寿命が延びているのはこう説明できる。

知識を身に付ける時間を長くしてくれているのだ・・・と。

なお、それがどのようにして長くなるのか、というのが医学を使って、ということになる。

つまり、知識が多くなれば、それを知る寿命を伸ばすために必然的に医学が生まれる。

発展途上国では、可能な身に付く知識が少ないから医学は発展しない。

若いころ事故で肉体を失った人は不幸である。少ない知識から発展させ、理解に至らねばならない。

寿命をまっとうした人は不幸である。無駄な知識を排除してからでなければ理解に至れない。

あらゆる人は不幸である。この世に、真理だけを教えてくれる人などいないのだから。

80年が短すぎるなんて思ってはいけないよ。

あまりにも長すぎるんだ。この世にある真理を知るだけなら、これで十分だ。

ただ、無駄な理屈がそこらへんに転がっているから、80年が短いように見えるだけ。

さあ、肉体を失ってからが大変だ。・・・やっぱりイデア論じゃねえか。
めんどい。
さて、mixiに書いた記事をそのまま引用しよう。僕のポリシーにより、前後の一部を省略する。

その前に、今日、ある友達から、「英語勉強すれば(お前なら)絶対できるようになると思うのになんでしないの?」みたいなことを言われた。自分でいうのもなんだが、そう思う。

理解力があるのに理解しない人は不幸である。

・・・ソクラテスならこう言うな。
「自分から不幸になろうとする人はいるだろうか?」
「決していません」
「では、医術を使えるにも関わらず医術を使わずに不幸になるような人はいないだろうね」
「もちろんです」
「同じく、航海術が使えるにもかかわらず、航海術を使わずに不幸になるような人はいないだろう」
「そのように思われます」
「では理解力があるのに理解しない人はいない」
「まったくその通りです、ソクラテス」
「では理解しない人は理解力がない、ということだ。つまり、医術を使える人は、医術を使って不幸にならないようにするはずだし、航海術を使える人は航海術をつかって不幸にならないようにするはずである。であるから、理解できる人は理解するはずであり、理解しない人は理解力がない人である」
「どうしてそうでないことがありましょう」

ぐにゃ~。これだからソクラテスの弁論術は・・・って僕が作ったんだけどね。

では引用。

僕は、人前で勉強するのが嫌いだ。

なんとなく、自分が無知であって、さらにそれを必死にカバーしようと抗っている様が相手に伝わってしまうのは恥である気がする。

最高の才能の持ち主は、勉強なんてしなくても、最高の理解力と思考力はあるはずで、公理を与えれば全ての定理を導ける人である。

こんな人になれるとは思わないが、すくなくとも、勉強している姿を見られている時点で、底が割れてしまう気がしなくもない。

特に、必死に勉強しつつも、受験戦争の波をはるか高みからみおろすことができない、という"普通"な状況になりたくない。

もちろん、まったく勉強しようとしないで、海の底から、水圧につぶされつつ波すら感じない場所にいるのもどうかとは思うが。

必死に浮き上がろうとするものは惨めだ。

本人は、惨めさをアピールして、哀れんでもらうことを期待しているようである。

それは、真の愛知者とはなれない。

こんなことを引用するのもどうかと思うが、イエスはこう言っている。

祈るときは、人に見られないように祈りなさい。
わざわざ人に見られるようなところで祈るのは偽善者である。

こう入れ替えてみたらどうだろう。

勉強するときは、人に見られないように勉強しなさい。
わざわざ人に見られるようなところで勉強するのは、非愛知者である。

わざわざ愛知という面倒な単語を使っているのは、これに相当する日本語が思いつかないからで、僕の語彙力の少なさが伺われるところである。

人に自分が抗っている場面を見られるのを恥と思え。

常に冷静に、自分の内に秘めた能力を高めよ。
良いこと言うねえ
毎日新聞の読者の投稿コーナーみたいなので、ちょっと良い文を発見した。

要約すると、
花を見つけて、誰のために咲いてるんだろう、と思った。
そのとき、自分は勘違いしていることに気づいた。
花は人間のために咲いているわけではなく、自分のために咲いているのだ。
人の目を気にしていては、綺麗に咲くことなんてできないだろう。
ああ、この花は綺麗だなあ。

と、まあ、こんな感じである。実際はもっと整った文章でかかれているのだが、まあ、意味としては大体あっているだろうね。

この文章を読んでいて、僕も同じようなことを思った。

この文章はどうせくだらないんだろうなあ、と思った。
そのとき、自分は勘違いしていることに気づいた。
自分以外の文章が、なんでも悪いと決め付けることはできない。むしろ自分の文章のほうがくだらないかもしれない。
人の書く文章や思想を自分より下等なものだと決め付けることなんてできないだろう。
ああ、この文章は良いこと言うなあ。

そんなわけで、世界を閉じてはならないんですよ、という教訓にはなるのだが、
逆に開きすぎて汚染されるのもいやだし、一体どうしたものかなあ。

防御力は高すぎてもいけないのだ。
わかりやすい言葉
やはり、わかりやすい言葉というのは必須だ。

説明するときの話である。

自分がこれだけのことを知っていると自慢するのであれば、おおいに難しい言葉を使って結構。

文章が意味わからなければなるほど、その人は賢く見える。

それは、本当に意味の無い場合と、深い意味がある二つの場合にわかれるだろう。

深い意味があることを考え付ける人なら、人に本気で説明したいと思っていれば、とてもわかりやすい言葉で書くことができるはずだ。

わざわざ難しい単語を使って書くのはなぜか?

さっき言ったとおり、自慢したいから、というのもあるが、もうひとつ可能性が考えられる。

その単語がわからないような人にはわかって欲しくないような文章を書きたいから、である。

さて、自分の意志をはっきり伝えたいのであれば、どこまでもわかりやすく述べることが必要だろう。

小学校高学年には確実に伝わるくらいの簡潔さだ。

相手が集中力があれば、小学校低学年にでも説明できるくらいでなくてはいけない。


なお、簡単な単語しか使っていなくても、意味がつたわらないことがある。

詩などがそれにあたる。

詩に全て意味がある、とか、簡単な単語しか使っていないとか、そんなことを言うつもりは全くないが、

詩に含まれている意味を読み取るのがとても難しいことは無いだろうか。

説明する文章で、また、こういう状態に陥ってはならない。

理解が簡単であることは絶対必要だ。

もちろん、それが理解できない人には伝えたくないとして、こういう状態にするのならかまわない。

それができるほどの文章力がある人はそういないだろうが。


そして、簡単な単語しか使わないのに、相手に意味がわからないようにして遊ぶのが、

「皮肉」

だ。

相手に気づかれたら、それはただの悪口になってしまう。なんと下品なことだろう。

相手に気づかれないように、強烈な皮肉をぶちかます、それが大人の喧嘩だ!

そして、自分がそれに気がついたら、悪口を返したり、殴ったりしてはいけない。

さらに強烈な皮肉を返すのが、大人の流儀!

これは相手に気づかれても一向に問題ないが、気づかれなければ、相手は勝った!と無駄に喜び、真の勝利が自分の内にあることに気づくだろう。

もし、気づかれたなら、相手が真の大人であれば、さらに強烈な皮肉を返してくるに違いない。

よく聞きなさい!大人の喧嘩に負けるというのは、皮肉を返せなかったときか、直接的な悪口を言ってしまったときか、手を出してしまったときである!
邪魔する倍音
倍音を聞く訓練をしまくっていたのは、いまさら主張する意味もないことだ。

昨日、現代音楽のコンサートに行って来た。

なんともまあ、不快な音楽も2曲ほどあったが、それより不快なのは、観客の態度だ。

終わったあとに、やっぱ現代音楽はわけわかんないね、とか、

演奏中にぱらぱら冊子めくって音を立てる人だとか、

それを(終わったあとに)注意されて、独り言で「神経質な人だね!」とかぼやく人とか、

もうひどいひどい。

さらに、「現代音楽には精神病院が必要だ」とか言い出す始末。

そんなに文句ばっか言うなら来るなよ、と言いたいところだが、現代音楽をけなすことで楽しんでるみたいだったから、それはよしとしよう。

さて、特筆すべきは、フルートの特殊奏法だ。

フルートを吹くときに、トランペットを吹くようにしてふくど、

ブオーって音と、ホーっていう普通の音とが鳴る。

音の高さは同じだが、これは面白い。

さらに、クラリネットの特殊奏法で和音を出したり。どうやってるんだ?って感じ。

ヴァイオリンの特殊奏法は言うまでもない、sul ponticelloなど。

チェロの特殊奏法、バシッってやつも聞けた。譜面台がじゃまだった。

弓ではじく奴もやってた。なんとも荒々しい音。

ヴィヴラホンはめちゃくちゃな技術!

これって普通にもこういうことやるのか?

撥を片手で二つ持ちながらやるのは、いつもの事っぽいが、4声体をあの速度でやるのはわけがわからない。

さらに、琴をたたきながら撥の持ち替え(2回中1回失敗してたけど)、など、ありえない技術!

普通なのかなあ・・・。

チェロの7、9倍音が非常によく聞こえる。チェロがEの音を鳴らしたとき、Dの音が聞こえるが、別の楽器がDを鳴らし、不協和に聞こえるとか、よくある。もともと倍音と別の音って調和しないんだよなあ。

クラリネットは1回11倍音が聞こえたりしたが、基本は3倍音と5倍音だろう。5倍音の長三度が良く聞こえるため、微妙な調性感が出たりして困る。

ただ、暗い時には倍音を耳のほうが勝手に拒否するので、ちゃんと単音でも暗く聞こえる。

ピアノの倍音はそんなに聞き取れなかった。というのも、鳴らす音が多すぎる。

でも1回11倍音は聞こえたし、3倍音は和音でも簡単だったら聞こえる。

ところで、弦楽四重奏が一曲あって、途中は僕は理解できなかったが、倍音奏法が下手なのは、そう楽譜に書いてあるからか?やっぱり下手なんだろうね。

となりのおっちゃんが、いつも独り言を言っているんだが、五線紙らしきものを見て、

「五線紙にかかれているうちはまだまともだよなあ」

とかぼやいて、頭にきたが、それもそうか、と思った・・・(謎)
うーむ
今日の東京散策ですっからかんになってしまった。わずかに1000円ほど残して帰ってきたものの、これは相当苦しい・・・。

ヘンデルのメサイアの楽譜を入手。西洋音楽に多大な影響を与えた音楽っぽいからね。

アリストテレスの形而上学を入手。天体論と二コマコス倫理学も欲しかったが、天体論はぱっと見見当たらなかったし、二コマコスのほうを買うだけ資金に余裕が無かった。

プラトン全集が欲しかったが、全て買うと軽く50000円は突破するので無理。というか一冊でも無理。
学校にある世界古典文学集みたいなので、2冊にまとまってるのがあって、それが欲しいけど売ってるのかな?ブックオフなんかで探してみるか。
ということを思ったとき、文庫本をブックオフでまず探せばよかったことに気づき落胆。まあ、新品をそろえたかったということにしておこうか。

論語と般若信教とかの訳とか、仏陀の言葉などを入手。なんだかアレゲな方向に向かっている気もするが気にしない。

コーランも手に入れたかったが、全部で2000円近くするために資金不足。

冒頭を読んだが、ついていけない。

学問のすすめも手に入れたかったが、全て古文調だし、きっと読めないだろうと思い、買わない。

ゲーテのファウストも手に入れたかったが、そもそも家にあるかも?と思ったり、資金不足で買わない。
フォントが読みにくいということもある。

プラトンの国家が1800円ほどで買えたが、訳が学校の図書館のほうがよさげなのでまずは見送り。

図書館のやつは、書簡集とか入ってるし・・・。

・・・ネットで買えばいいじゃん!

クレジットカードが使えない・・・。

世の中って難しくできてるねえ。
禁断の行為
あなたは時計というものをご存知ですか・・・

時計の前でやってはいけないことがあるのです。

そのいくつかを紹介しましょう。


①振り子時計の前で。

チッ・・チッ・・チッ・・・

と振り子はゆれています。

それにあわせて頭を振ってはいけません・・・。


②目覚まし時計の前で。

ジリリリリリ・・・・

と目覚まし時計はなります。

それにあわせて合唱してはいけません・・・。


③クオーツ時計の前で。

チチチチチチ・・・

とクオーツ時計は進みます。

それにあわせて自分をカクカク動かしてはいけません・・・。


④砂時計の前で。

サーー

と砂時計の中の砂は落ちていきます。

それにあわせて、自分も上から下へと滑らかに落ちていくようなまねをしてはいけません・・・。


⑤日時計の前で。

ゆっくりと、ゆっくりと、

日時計は進んでいきます。

何時間もかけて影にあわせて動いてはいけません・・・。


⑥はと時計の前で

パッポー、パッポー、

とはとが出てきます。

それに「よう!今日も元気そうだねえ」と声をかけてはいけません・・・。


⑦117時報の前で

パーン午前3時23分ちょうどをお知らせします。

などとなります。

それに向かって人生相談をしてはいけません・・・。



なお、ここでは7つしか紹介しませんが、12個の禁断の行為を1時間ずつやると、あなたは時計に取り付かれてしまいます・・・。
なんだかなぁ・・・
考察したいことはいっぱいあるのに、なんとなく頭が回らないというか・・・そんな感じ。

なんだかんだで、ブログという完全公開の状況より、mixiの不完全公開の状況のほうが、世界が広かったりして、って思ってきた。

世界が広すぎると、余分な情報も多すぎる。それが必要な情報、有意義な情報だとしても、そういう情報すら多すぎて、人間の手に負えなくなってきている。

もちろん、ここから知の統合への話とかいろいろ発展できるのだが、そんなことではなく、僕のブログ自身、その情報の波に飲まれて、大して光らせることができないのではないか・・・という風に思ってきたわけだ。

僕の実力不足かもしれないが・・・。

閉鎖空間の中では、ある地点までたどり着く道もはっきり見えるが、広がった空間では、道がありすぎて、目的地すらわからなくなってしまう、と、こういうことだ。

といって、所詮閉鎖空間は閉鎖空間、外から少ない可能性によって来客することがなくなってしまう。

そういう点では、mixiよりブログのほうが圧倒的に優れている、と思うわけで。

そのせいで、ブログに書くことははばかられること、というのもあるわけで、そういうことはmixiに書けるし、閲覧者を選別する、という点に関しては、mixiのほうが圧倒的に優れているわけだ。

そういう両極端な発信源を持ったんだなあ、とつくづく思う。


このブログも3年の間に、ものすごい方向転換をし続け、今となっては、自分でも手に負えないほど重い話題も多くでてきたなあ、と思うわけだが、意外にも読んでくれている人は多いわけだが、結局、読んでるのは直接の知り合いの人間だけなんじゃないだろうか、と思ったり。



明日、朝起きれてたら、東京めぐりでもしてこようかと思う。

なんでこんな時期に?という話だが、明日は結局東京に行かなければならず、欲しい本も結構あるので・・・ということ。
まあ、お金はあんまり無いんだけどね。
フーガの技法を分析
暇というわけでもないのだが、フーガの技法を分析してみる。

まー、間違ってるところもあるかもしれないが、こんな感じだと思うよ。

音楽理論なんか学ぶより、こっちのほうが実践的だしね。・・・汎用性は少ないかもしれないけど。

分析するのはこの部分。フーガの技法コントラプンクトス1の開始
フーガの技法1開始

構成はこう。
フーガの技法1構成

さて、4小節のこの主題は拡大しても縮小しても、反行形にしても優れているというすばらしいもの。
ただ、このままでは追迫にはむかない。

1小節:Altoによる主唱の導入★
第一提示部のはじまり

5小節:Sopによる答唱の導入★

6小節2拍目:Altoによる対唱の導入●
この対唱はあまり重要ではないらしい。

9小節:Bassによる主唱の導入★
Alto→Sopという導入とBass→Tenという導入に対称感がある。

11小節2拍目:Altoによる対唱の導入●
これはめちゃくちゃ変形されていて、4拍目からSopに移される。

13小節:Tenによる答唱の導入★

15小節4拍目からAltoが7小節に渡って休む。次の導入に備えたとはいえ、長い。

17小節:第一嬉遊部のはじまり。
対唱のラシドラファーーシミーーファミレ
のファーーシミーー
の変形を組み合わせている。
だんだん上がっていって落ち着いていく、一種の聞かせどころ。

23小節:Altoによる主唱の導入
ここから第二提示部

25小節からSopのが3小節半の長い休止をする。次の導入のため。


さて、これが構成。

次に、和声分析
フーガの技法1和声

7小節目2拍目がよくわからない。
Eは間違いなく係留音。そうでないと2転になってしまう。
Ⅴ度からは普通Ⅰ度かⅥ度、Ⅲ度(これはあまりない)にいく、というのと、15小節めに、BassとTenで同じ形が出てきて、このときは、上にCがあるので、Ⅵ度かな、と思った。
EがFに解決する、というのも少し変だが。
だが、7小節めは、SopのAを和音構成音、Hを経過音ととり、EがDに解決するⅣ度と取ることもできる。
反復進行のところ、和音構成音も刺繍音としたが、これは、19節3拍めのCisが和音構成音ではなく、刺繍音なので、これに準じた。

ちなみに、Ⅲ度とか、-Ⅴ度とか、普段見慣れないのがばんばんでてくるのは、バロックの書式にのっとって書かれているからで、教会旋法っぽい雰囲気があるのもそのためである。
だから、ちょっとくらいおかしい和声進行がでてきても普通なのが、バロック音楽なのである。



今回、この記事を書くのに、合計4時間を費やし、大変な労力であった。
この楽譜も手作りである。

一番最後、バスはGではなくFなのだが、もう直す気力もなくなって止めた。
もう二度とこんなことはやりたくない、ということで、この記事を終わろう。
倍音を極めた・・・!?
今日、また訓練をつんだので、電子ピアノではどれくらいになっているかを確かめる。

あー11倍音うるせー、これじゃあ集中して13倍音聞けないよ。

とか言ってたんだが、途中から、あー13倍音うるせーというところまで発展。

逆に7倍音とか9倍音とかのとり方を忘れたが、追っていけば簡単に取れる。

あるとき、

ボーンと鳴らすと、上のほうで、とーーっても小さな音で、シャーンというクラスターにも似たような音が聞こえた。

そのなかから特に響いてくるのが、17倍音と思える、Des音

良く聞くと、明らかな22倍音や26倍音もある。

13倍音の音の大きさに負けないように、注意深く何度も聞けば、不思議なことに、やはり、上のほうでクラスター。

あまりにも間隔が狭すぎてつかめないが、17~30あたりの倍音が一気に聞こえる。

おそらく、普通の楽器だったら、どんなものにも存在するであろう、倍音のクラスター、これが聞こえるようになれば、倍音は完璧なはずだ!


・・・気のせいじゃない、、、はず・・・。

しかし、重要なものがとれていない・・・15倍音である。

追記:22:14
倍音を固定することができると、基音で旋律を流したとき、複調のようになって、高いところで別の調の旋律が聞こえる。
実際にやってみるとわかるが、ピアノは相当難しい。
クラリネットの3倍音が一番らくだろう。
だが、倍音マスターになるためには、ピアノでそうとう高次の倍音の複調を聞かなければ。
3倍音は楽。
5倍音も楽。ラヴェルのボレロを思い出す。
7倍音も楽。っていうほどでもないが楽。連続七度が汚くていい。
9倍音はぎりぎり聞こえる。7倍音が下のほうで聞こえるのに、9倍音がその3度上っていうのがいい。
11倍音まではなんとかなった。13倍音はまだ試してないというのもあるが、ほぼ無理。
メシアンが11倍音まで聞けたっていうのは、このレベルのことなんだろうか。
13倍音は訓練で聞けるようになる。暇があったらやってみるべし。
倍音を極めよう。
電子ピアノでの倍音聞き取りは、13倍音までできた。

これはなんという無上の喜び!
しかし空虚な感じがするのは倍音だからか。

実際のピアノでないと、やはり意味が無いということで、ヤマハのアップライトピアノでやってみる。

実はこの前、自分の声の倍音を聞き取っていた。

3倍音はなんとか聞こえる。

そして、昨日1時間は訓練した倍音聞き取りを実践する場面が来た。

もちろん、中央より2オクターヴ下のC

ボーン

そして弱まっていき、

ホー

3倍音

ホー

4倍音

ヒー

5倍音
(やはりドレミで聞こえるのが絶対音感の弱点である)

ホー

6倍音

へー

7倍音

ここまでは訓練してきたのだし、実際前にも聞き取れていたので、自信はある。

8倍音も聞こえる。

が、9倍音はなかなか聞こえてこない。

なぜか11倍音は聞こえる。

何度もやる。

ボーン

ボーン

ここらへんで9倍音が聞こえる。

11倍音は相変わらず聞こえる。

11倍音は人間の限界とも言われる。もちろん、僕はただの人間でいる気はない。

ボーン

ボーン

聞こえない・・・。

低い音のほうが聞こえやすいので、ちょっと下げてHでやる。

11倍音はもはや簡単に聞こえる。

減4度より結構狭くて減4度ほどきつい音はしない。

これでも13倍音は聞こえない。

さらに下げてB。

もちろん、11倍音は楽に聞き取れる。

何度もやっているうちに、13倍音は聞こえないものの、14倍音は聞こえる。

これはおかしなことだが、とにかく聞こえたのだから、13倍音もすぐ近くのはずだ。

もう一回Cでやってみる。

ハァアァアァアァア

とビブラートの掛かったAsとAの中間みたいな音が聞こえるじゃないか!

これぞ13倍音!

13倍音が聞けたのだ!

やけにビブラートが掛かっているのは、おそらく弦が2本の場所のとき、実際はうなりにもならないわずかな振動数の差が13倍に増幅されたからうなりが聞き取れるようになったのだろう。

Hでも挑戦、13倍音。

これも、ラで聞こえる。

ソ寄りかな?って感じはするが、ラに相当きつい♭が掛かったような感じだ。実際はGに近いのだろう。

ここまでくれば、5倍音、7倍音、9倍音なんて簡単に聞こえる。11倍音ももはやデフォルトだ。

14倍音もたまに聞こえるので、15倍音を聞こうとするが、これは全く聞こえない。

いつか聞いてやりたい代物である。
倍音
音楽には欠かせない現象のひとつの倍音について。

ピタゴラスが音階を作ったときにも倍音をもとにして作られた。

3倍音を12回重ねると、ほぼ2^19倍音になることに由来する。

これは、完全12度を12回重ねると、19オクターヴになることを意味し、

完全5度を12回重ねて、7オクターヴ下げると、もとの音とほぼ同じ音が聞こえるということである。

なぜか人間の耳は、2倍の振動数を持つ音は同じ音のように聞こえる。ただ、高いだけで、響きが同じように聞こえる。

まあ、そんなわけで、12音音階が作られたわけだ。

もっとも純正律はさらに倍音だけを基にしてつくられている。

基音をFとして
3倍音をC
5倍音をA
9倍音をG
15倍音をE
27倍音をD
45倍音をH
とする。
FACの和音とCGEの和音とGHDの和音、すなわち、下属和音と主和音と、属和音は非常に調和して響く。

まあ、いろんな調律方法はあるわけだが、実際に倍音を聞いてみよう企画。

チェロとクラリネットとピアノの倍音を聞いてみよう。

高い音の楽器は殆ど聞こえないので。

実際のを聞くのが手っ取り早いが、CDでも電子ピアノでもちゃんと聞ける。

ただ、電子ピアノは作られた音なので、正確にはちょっと違うかもしれないが、同じ音色であればいいんじゃないかな。

チェロは、5倍音が相当大きく聞こえるように思える。

ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏15番1楽章で、チェロの保続音上にヴァイオリンが分散和音を奏するところがあるが、チェロのCの音の上に、どうしてもEの音が聞こえる。
始めは主和音なので、別にかまわないが、次に下属和音になると、FとEがぶつかって汚く聞こえる。

クラリネットは3倍音が相当大きく聞こえるように思える。

メシアンの世の終わりのための四重奏曲、クラリネットソロの場面で、だんだんEs音(だったっけ)を大きくしていく場面があるが、Bがはっきりと聞こえます。
むしろそっちが気になって基音と同じくらいに聞こえてきたり・・・。

ピアノは、いろんな倍音が聞こえますが、中央より二オクターヴ下のCの音を鳴らして、どこまで聞こえるか。
ピアノの音は減衰するので、鳴らしてから3秒くらいたってからのほうが聞きやすい。
まずは、3倍音Gを聞きましょう。これはそんなに難しくないです。
つぎに5倍音Eを聞きましょう。これも難しくない。聞こえない人は、中央のEを鳴らして、そこを聞こうとすれば聞こえるはず。
6倍音Gも聞こえます。5倍音と近いので、探しましょう。
7倍音Bも聞こえます。結構小さいですが、これは結構響いて聞こえます。
7倍音が聞こえると、ピアノの単音が属七で聞こえるようになり、中途半端な感じがしてきます。
ここで、5、6、7倍音を全部聞くこともできます。
さらに、勇気ある人は、9倍音Dを聞きにいきましょう。7倍音の上のほうに注意するとたしかに気のせいか、どうか、微妙なところで聞こえます。
7、8、9倍音と聞こえたら、音階的に10倍音Eを聞きます。これは聞こえますが、5倍音に惑わされそうです。
そして、メシアンの領域、11倍音、Fis(よりちょっと下)を聞きます。
これはまず聞こえない、との話でしたが、聞こえました。
気のせいかどうか、何回も聞いたのですが、なんとか聞こえます。
ここまで聞こえると、ピアノの音が単音なのにもかかわらず、相当不協和な感じがして聞こえて面白いです。
12倍音は、3倍音、6倍音に邪魔されて、まず聞こえないと思います。聞こえませんでした。
13倍音も探ってみましたが、ありませんでした。
う~ん、13倍音まで聞こえればメシアンを超えられるのに・・・。

不思議なのは、倍音なのにかかわらず、不協和に聞こえるというところですね。まあ、2倍音と3倍音は倍音関係じゃないので仕方ないのかもしれません。
しぎょぅ~しき~
今日はいろいろと疲れたが、いろいろあって楽しかった。

冬休み、知ってのとおり、僕のブログが変な方向に暴走したわけだが、意外と全部読んでるって人が多くて嬉しい。

もちろん、人に見られてるからって、自分に表現の規制とか全くかける気なし。

今日もいろいろ考えたことはあったが、眠いので書くのは無理だろう。

そうそう、mixi登録させてもらった。あまり好きなものではなかったが、登録しておいて損はないよ、とのことなので。

というわけで、mixiには全く日記などつける気の無い僕です。いつも20分~2時間かけて書いているこの「詰まった!!」が僕の生きがいになっているので、これからもよろしく~。

この詰まったでは、いろんな方面で書けば、あらゆるところで楽しんでくれる人がいるみたいなので、あまり閲覧者のことを考えて書かなくてもよさそうですね。
バロック週間
今日浅草寺に言ってきたわけだが、お経を唱えているのが、エオリア旋法だった。
だが、FとHがでてこないので正確にはフリギア旋法の可能性とドリア旋法の可能性がある。

さて、グレゴリア聖歌週間から時代を上げて、バロック週間。バッハ以前の。

もちろん"以前"なのでバッハも入れば、ヘンデルもスカルラッティも入るよ。

まあ、ここらへんを聞きまくるのはきっと楽しいことだろう。
どうでもいい四元論
この世の学問は4つに分割できる。
哲学と科学と芸術と体育だ。
哲学は意味を求め、
科学は理論を求め、
芸術は調和を求め、
体育は実践を求める。
哲学から科学が派生し、科学を体育が使い、全てを芸術が統合させる。

・・・なんてどうでもいいことを考えていた。

人間の恋は4段階に分けられる。
まず始めに肉体に恋をして、
次に性格に恋をして、
次に精神に恋をして、
最後に魂に恋をする。
次の段階に進めば、前の段階の比重は極端に下がる。まず最終段階まで行くのは無理だが。3段階目もほぼ無理。

肉体⇔体育
性格⇔科学
精神⇔芸術
魂⇔哲学
と関連付けることができる。

・・・なんてどうでもいいことを考えていた。

今日、親と芸術とはいかなるものか、ということで話していたが、僕とのズレ具合がいかにも面白かった。

しかし、はっきりと理論的に展開してきたので、それはとてもよかった。

問題点はいつも思うことだが・・・前提から考え直さなければならないということだ。

世の中は前提を問わないことが多すぎる。あたりまえだ。時間がないのだから。

ましてや会話という数時間しかないような場で前提から全て問い直すなんて無理なことだ。

もしかしたら一生使っても無理かも。

だから地球に与えられた人間の本能を前提とおく。即ち死の恐怖と快楽の追求の本能だ。

不思議なのは、恐怖とおかれた死を悪とおいたうえで・・・さらに快楽まで悪とおくことが多いこと。

もちろん、これはキリスト教があまりにも普及しすぎたため、そういう考えが一般的になってしまったのであって、本来の人間がそうでないのかもしれないが。

地球がわざわざ人間に与えた欲望はなくては滅びるようなものである。それを封じるのがはたして善であるのか?

もちろん、滅びるのが悪であるのか?という根本的な部分から問い直さなければならないのだが。

ま、こんなことを言って、目先のことができなくなるのはいやなので、今はあまり深く考えないこととしよう。


そういや、若者特有の生きることについて考える欲求っていうのがあるよね。最近僕もそれに支配されているのだが・・・、これって殆どの人が知らず知らずのうちにはまる欲求だ。もちろん、これが無い人っていかにも浅そうな人間になりそうなものだが、これもやっぱり必要な欲求なんだろうね?
この場合、その欲求に支配されることを悪いことだという人は殆どいない(奴隷制の国とかだと違うだろうが)。
これって一般的に答えを見出せた方が多いのだろうか?否定的な答えになってしまったらどうなんだろう?人によってあらゆる答えが用意されていると考えるのが普通っぽいが、共通の答えって存在するんだろうか?
もちろん価値観の差っていう、どうにも超えがたい壁があるのだけれどもね。
でもねえ、価値観の差が埋まらないって答えになったら、人によって善なんていくらでもあることになる、とすると、自分の考えが正しいんだから、善なんて追究する意味が全くなくなる。それはそれで朗らかな人生を送れるかもしれないが、わざわざこの宇宙に意志をもった意味がなくなるよねえ。
もともとそんな意志は無いって答えが正解だったら仕方なくただ死ぬのを待つだけだが、それって嫌だなあ。
希望が入っている時点で哲学は失格っぽいが、理論的に説明できるのかよ?

ちがうちがう、こんなこと考えてると目先のことすらできなくなるってさっき言ったばっかりじゃないか!
いいかげん落ち着こうか。
良い日
今日はとってもいい日だった。
あまり良いよさではないよさと良いよさがあったなあ。

僕って自分でも結構多重人格に近いなーって思う。

いきなりどこまでも黒くなったり、俗っぽくなったり、わけがわからなくなったり、純粋になったり。

たとえば純粋になったときの僕が黒い僕を見ると、もう耐えられなくなる。自分が嫌いになる。ただ、そのときの自分は嫌いじゃない。

いつだって、自己愛は持っているけれども、別の人格の自己が必ずしも好きであるわけではないんだ。

僕は、他人からどう印象付けられているか、という自覚に対しても、やっぱり黒い奴だ、とか俗っぽい奴だ、とかわけのわからないやつだ、とか純粋な奴だ、みたいに見られていると思う。

所詮は、他人、どう見られてるかなんてわかったもんじゃないけどね。

それにあぐらをかいて、好き勝手に暴れまくるのもあまり良くないことなんだろうね。

ただ、僕自身の望みとしては、あまり繊細な性格になりたくは無いんだ。

繊細にも悪い繊細と良い繊細があるけれども、僕の経験からいって、繊細な人とは付き合いにくいから・・・。

もちろん、繊細なのをわかった上で付き合うけれども、あまりに親しくなりすぎると、回復する前にこちらがトゲトゲしてしまう。

他人と付き合いを拒否するようでは、社会は絶対閉じていくものだと思うから、もちろん、自己に規制をかけたりするんだけども。

こんな損得勘定で付き合ってるのか?と眉をひそめられそんだが、こんな人はごく一握り、それもあんまり親しくない人だけに限る。

やはり、僕の周りは、僕の放つ相当キツイ皮肉(冗談)にも耐えられる(というかさらに返してくる)人が揃ったなあ、と思う。

むしろ、この皮肉が飛ばせない人は、まだ縁を切られるのか、と内心怖く思っているのかもしれないし、まだそこまで親しくないのかもしれないが・・・。


な~んて、けっこう人との関係性というやわらかい核みたいな話をついてみたわけであります。
わお!
ある人から年賀状が届いたが、きったねー字でしかも住所を間違えときた。

・・・なんで届いたんだ?番号間違えというミスだぞ?

まあ、内容はけっこうおもしろかったからよしとしよう。

心当たりのある人、反省する必要ないです。

かと思えばものすごく綺麗な人もいるんだなー。

僕って基本的に嫉妬しやすいから、綺麗な字を見るとなんか悔しい気分になれるんだよなー。

いや、やっぱり綺麗な字は好きだ!

思い出せば、結構友達の字の癖を知ってるなーって思う。

えっと、あの汚い字の人は、楽譜も汚いなあ。書いている内容は高度なことが多いのに。

あの汚い字の人は、意外と好感がもてる汚さなんだよな。数字は書きなれすぎ。

あの癖のある字の人は、結構僕と似たような字を書くと思う。ノートとか写してもらっても親しみを覚える。

あの綺麗な字の人は、いつもボールペンで書いているイメージがあるなあ。ちょっと小さいけど、そんな些細なことはどうでも良いって気になる。僕はこの人の音読がとても上手で好きだ。一時期はあこがれました。

あの汚い字の人は、まるでそのまんまの字って感じがするが、素を貫き通してる感じがして嫌いじゃないよ。

そういやあの人は結構綺麗な字を書くなあ。そこまでではないが、繊細な字を書いてくる。

あの人の字は読めない。すぐに投げやりモードになるんだから。まあ、普通の時は解読可能。普段の接しているときはいつも投げやりモードっぽい感じがするが、嫌いじゃないよ。

あの人は真面目そうな顔して、けっこう汚い字を書くんだよな。いや、真面目でもないか。

あの人は、体格に見合った字?って感じで書いてくるなあ。性格はとても温かくて好きなんだけどね。

やっぱりこの人が一番綺麗だなあ。楽譜書くのもとても上手なんだよね。性格も深みがあって好きだなあ。

そういや、もう記憶から外されそうなあの人も字が綺麗だった。あの人と似た綺麗な字を書くんだよな。でも、同じく小さめに書く印象があるなあ。

あー、結構身近なあの人忘れてた。あの人は汚い字を書く、というか癖が強すぎるんだよね。本人もものすごい癖が強い人(褒め言葉)だからいいかな。

他にも思い出せそうな人はいるが、やっぱり字をとことんまで追究して書くのは、社会科のあの先生でしょう。一回の授業を黒板ひとつ分の面積にぴったり収めるのはあの人くらいだから。
しかも時間厳守っぽい感覚がまたすごい。あの人相とのギャップもすごい。

さて・・・ここを見てるであろう人達についても結構触れちゃったが、自分だと自覚した人もいるのだろーか。
あきらかにわかってくれるだろう、と思われる人が2人はいるな。
ある部分では自分にそっくりだけど、僕の感想が的外れだろ、っていう人は、僕がその人のことをよくわかって無いか、あなたの勘違いです。
ちなみに僕は自分では結構綺麗な字を書いているつもりでいるが、それは慣れているだけかもしれないね。
「い」とか「う」とか「え」とかの離れているような文字や、「ろ」「ら」などのバランスの難しい文字、あまり使わない「む」という文字も苦手。「す」もあまり得意じゃない。特に「す」は力をこめて書いていつも失敗。漢字は「則」が永遠に苦手。

全員名前をふせて、個人批評とかやったらすごいことになるな。特に本人には絶対にわかるような形で書いたら・・・ゾクゾクするような面白いことになりそうだが、今は見送ろうか。
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