詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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感覚的限界。
人間の計算能力にどうしても限界がでることはこの前示した。
宇宙が不連続であるかぎり、これは仕方のないことだ。

しかし、特定の文字数で示せる最大の数字はそう簡単には発見できず、日々改良が為されるのだ。

改良といっても、答えは1つしかないはずで、結局不完全なものか、完璧なものしかないのだけれども。

詰将棋の世界で、普通の詰将棋ならば、最長手数は今のところ1525手である。
もっともこれは常識となっているが。
今となっては驚くべきことは、1525手という超手数が作れたことではなく、13年間、この記録が破られていない、ということである。
さらに言うなら、これに一番近づいたのも1205手で、300手以上及ばない上、ミクロコスモスの発表から10年たって、この調子である。
詰将棋作成者の人数はたしかにそれほど多くないのかもしれない。
とくに、マニアの人達は、1000人にも満たないのではないか。
この人達全員が最長手数を目指してつくるわけでもなく、偉大な記録を塗り替えるのはたしかに滅多にないことだとは思うが。
しかし、最長手数というのは、もっとも素人判断であこがれるものである。
もう皆、1525手は超えられないとあきらめているのだろうか。
たしかに、200手以上の詰将棋を作れれば1人前だ、といわれるような世界で、莫大な時間と知能を要するもので、革新的なシステムを作り、何個も組み合わせないとこの記録に近づくのも不可能だろう。
詰将棋の初期配置を全て調べて、その中の最長手数が1525手であるのなら、これは仕方がないが、そんなことはないはずだ。

詰将棋作家は、同じアイデアを使って発表することを嫌う。
これは一種の意地のようなものでもあるが、しかし良い風潮でもあるといえる。
しかし、長手数に限って、同じアイデアでいいから、2000手に近づくようなものを作ってくれないものか、と願ってしまうものである。
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自分が存在しない。
自分が一つしかないんだったらありえないじゃん。すぐ先は違う。

感覚が、そのときを規定してるだけだよ。後で想起するためにね。

後っていうのは今のことさ。想起中。

感覚として少し違うことはあるだろうけどね。

いいかい、これは、同一のものを作ることができないことを意味している。

少なくとも、あるものはね。

どうせ作ったところですぐに変わるだろうね。しかし、その瞬間すら否定されるんだよ。

今ここにいる意味は、ここからは導きだせないんだ。なぜなら想起中なんだから。

なら、もっと大きい視点から自分を見なさい。

常に、想起が楽しくなるようにしなさい。

最後の瞬間に元に戻るとき、それが本当の自分の全てで満足できるようにしなさい。

暇はしないようにしなさい。

時間が多ければ、暇もしにくくなる。

しかし、その濃度はもっと大切だ。

元に戻ったあとは、それ以上情報は増えないのだから。

全ての原理を見つけなさい。

情報は増えなくても知識は広がる。

全て見つけ終わった瞬間、自分は存在しなくなるが、それは宇宙になる。

それだけが、神のようになり、自分になりうる。

超越した存在とは、最後のときを迎え終わった自分が、全ての知識を見つけたときである。

時間という概念が存在限りなく薄いほど無限の時間が待ち受けているのだから。

自分がその原理を見つけられなければ、それは自分ではなかったのだと悟りなさい。

自分が自分でありたいなら、全て見つけ出すまでは、蛮勇を誇ってはいけない。

人類が最後まで見つけられない答えはここにあるのだから。
不可能の存在のしかた。
昨日は、昨日中に寝るつもりだったのに、今日になってしまった。

数学やチューリングマシンでちょっと白熱してしまってね。


チューリングマシンには計算能力の限界がある。チューリングマシンでは解けない問題が存在する。

さて、人間はチューリングマシンでは解けない問題を解くことができるので人工頭脳はチューリングマシンを使っただけでは無理。

(ちなみに、人間はチューリングマシンの能力はすでに持っている。持っていなかったら今のパソコンを作ることはできなかったはずだからね。
チューリングマシンを作ることが出来た時点でチューリングマシンの能力は持っているのだ。)

言い換えれば、今のパソコンをつかってどんなプログラムを組んでも人工頭脳を作ることはできない。


まあ、ここまではいいとしよう。


人間の頭脳の限界は?

たとえば、ある真理があったとして、それはたしかにあるのだが、人間の脳では絶対に計算不可能である、みたいなもの。

ゲーテルの不完全性定理は公理系から導き出すことができない問題があることを証明した。

しかし、人間の脳には触れていない。

この問題は、人間の脳の理論的限界を越えているので解くことはできないが、たとえば宇宙人なら解けるかもしれない、などということがあるのだろうか?

人間の脳の限界はたしかにある。

単純な証明方法:3→→4と3→→5との間の数字を全て示すことはできるか?
不可能だ。宇宙の組み合わせをどういじってもこの数字には遠く及ばない。
4文字の数字と四則演算と指数の記号を用いてあらわせる数字は、15^4以下だ。
たった50000個にも及ばない。(実際は20000個あるかないか)
ただし、50000以上の数字を作ることはできる。9^99が最大の数字で約2.95×10^94という莫大な数字をあらわすことができる。
だが、15種類の文字4つで、37009を表そうとしても無理だろう。
人間の脳の状態の組み合わせが10^300みたいな莫大な数になっても表せない数字というのは存在する。

これは宇宙の計算能力の限界を現してくれる。

だが、チューリングマシンの計算限界はもっと別次元な問題で示せる。
1秒と5000万円はどっちが重要か?
日本人は(ある一部分は違うかもしれないが)自分の寿命を1秒削って5000万円はいるなら手に入れようとするだろう。
チューリングマシンは、1秒と5000万円の価値の数値化ができない。この問題に答えることはできない。
そういう別次元の問題が人間にもあるのだろうか。
いろいろともうだめだ
ふー、なんとも体の調子が悪い。

昨日布団にはいってたのが12時で、ブラームスのホルントリオ聞き終わってマタイ受難曲の第3曲まで聞いてて、6時に起きたのが原因かな。

それにしても頭が痛い。
焦燥と絶望
ユーゴー「死刑囚最後の日」読了。

なんという嫌な本だろう!一度読むことをお勧めします。死刑反対派も賛成派も。

死刑判決から施行までの6週間を書いた作品。希望は一切無い。

ドラマチックな部分もあるはずもなく、ただ死刑が目前に迫ってくるのを耐えるしかない、というもの。

実際そうだろう。死刑の日程がわかってしまったら、あとは怖がる意外に方法はないのだ!

特に犯罪を後悔し、理性を取り戻してしまった人達は!

途中終身徒刑の人達の描写がでてくる。主人公は終身徒刑になるくらいなら、死刑になってよかったよ、というが、間際になって、終身徒刑でいいから生き延びさせてくれ、と訴える。

この作品をなにより悲痛にしているのは、周りの人間、看守や、死刑執行人、憲兵などなど、あらゆる人が情に深い、良い人間と書かれていることだ。

ただ、残酷なのは死刑という法のみである。

作品は主人公が死刑にならなければ良いのに、という望みを持たせながら、恐ろしいスピード感をもって先へ進みたいという気も起こさせる。

死刑直前の一日の濃度はありえないほど濃くなっている。明日が無い人にとって、今日のことはすべて人生最後のものなのだ。

周りの人は行き続けて、大して変わった日でもないのだろうけど。

死刑に絶望以外の何をもたらすのだろう!
意味不明の曲登場。
ベートーベンのピアノソナタの楽譜をぱらぱらめくってたら、謎な曲に到達した。

ピアノソナタ28番

この曲は・・・?

1楽章がとにかく謎である。主張という主張が見当たらず、ただ曲が流れていくだけ?
音源を聞いても(2つ)、演奏者が曲をつかみきれず、ただ演奏しているだけ、という気がしてならない。

まったく謎な曲である。

2楽章になると、わかりやすくなり、構成的にも音楽的にも納得できる。

3楽章になると、また謎。これ、どこまでが3楽章なんだ?という感じである。1楽章の再現したところで4楽章?それとも最後まで3楽章?
それ以前にこのAdagioはよくわからないが、最後の即興的なnon prestoはなるほど納得という感じで、唐突に1楽章の再現。今回は比較的わかりやすいかな、という感じで、対位法的なAllegroに突入。
そしてフガート。このフガートは結構いいね。そのまま感動的に再現して、終了。
1楽章は再現のためにあったのか、なんだったのかよくわからないが、何かがありそうな曲ということで理解には至らかったのであった。
お守り。
国立大学の入試は明後日ですね!

ということで、お守りを作ってみた。

おまもり

このなんともいえない左右対称図形を持ち歩けばこの迷宮のごとく迷うこと間違いなし!

・・・

作り方は、1/3456789で長さ16の線からはじめればいずれできます。(←わかったらすごい)
ライフゲーム再び
ライフゲームをまた調べてしまった。

集合の濃度の話を調べていて、対角線論法にいきついて、
対角線論法によって、停止性問題を解決できる、という話になって、
チューリングマシンからライフゲームにいきついた次第。

なんか結構進歩しているね。

グライダーガンよりも簡潔なのが示されていたり、いろいろ。

ライフゲームはこの宇宙に結構似ているという点で興味深い。

ライフゲームに、ある時間に無作為にブロックが生まれる、みたいなものをつけたら、そのまま宇宙になってもおかしくないね。
巾着の閉じる強さは紐の強さに依存する(布が十分に強い場合)
なんか、最近、精神が弱くなったなあ、と感じる。

すぐに腹をたてちゃうんだよね。まあ、それを抑えるだけの理性はさすがに保ってられるが。

今日は、それが連続して2度も3度も続いたので、溜まってしまった。ゆっく~り発散させていかなければならぬ。

そう、今日見た夢について書こう。3つ見て、一番最後の。2つめと3つめは滑らかにつながっていて、船に乗って海にでようとするところ。

ちなみに、2つ目の時点で墓場のよこをあるいているのび太が主人公のようで、そのキャラクターが続いている。

食料を積み込まなければいけない、ということで、とうもろこしの粉を10tつむ。

こんなんばっかたべてたら栄養失調になるよ、とか思いながらスコップでがんがん積み込む。

そして、こんどは船に乗るのだが、すでに船は出発していて、飛び乗らなければならない。

プールに大きい机が浮いているような状況を想定すればいい。

まず机に飛び乗って、そこから船に飛び移る。

まずはジャイアンが行った。しかし机までの距離は6mちかくある。

バッシャーン!!

プールの中には7匹の蟹が放されていて、早く逃げないと殺されてしまう。

逃げようとして、まず机の上に上がるが、蟹が迫ってくる。

そして、プールの岸まで泳ぎきり、なんとか振り払ったと思ったら、ジャイアンのすぐ下の死角に蟹がもぐりこんでいたのだ。

そのままジャイアンは気づかずこちらが叫んだ瞬間、蟹は股をスパッと切ってしまった。

なんていうところで目が覚めた。
なぜ?挙動不明
なんか1ヶ月には一度ある、謎のインターネット接続不可のせいで、PCから更新ができない。
まあ困っているわけだが、今日携帯電話を買い替えたためこれで更新するのも悪くないかな、と。
普通のを買えばいいのにキーボード式のを選んだりしてこれが案外使いにくいことに絶望、ってほどではないのだけれども。

文章が速く書けるのはいいことなのだが、スペースキーや句読点の位置などが微妙に違って苦労する。

でもって、インターネット接続のためにあるような携帯電話でありながら、通信料を恐れてろくにつかえないという本末転倒な状況をおこしているわけである。

それにしても体調が優れない。車酔いかなあ。

今日、電車にのっていたところ、となりのお兄さんが、音洩れしまくっているイヤホンをつけながら長電話していた。音洩れに関しては僕は文句をいう権利はないのだが、長電話は微妙である。
ちなみにその人ではないのだが、やはり長電話をしていて、内容が俺体調悪いから病院いく途中なんだ、仕事頼んだ、というもので腹がたつ。もちろん、元気そうに電車から下りていったのであった。

腹がたつとは書いたものの実際はそんなでもないのだがね。

最近はよく夢のなかで腹がたっている。
いろんな事件
今日はニュースも新聞も、二つの事件を大きく取り扱っていた。

体外受精の取り間違えと、飲酒。

まあ、両方とも思うところはあるのだが、飲酒のほうは変な噂まで持ち上がってるみたいね。

噂というのは扱いに困る。

信じて嘘だったらバカみたいだが、経験からいって、6割くらい本当のことなんだ。

とくに噂が本当だった、とか嘘だった、とかで損害利益が出るわけではないので、別にいいんだけどね。
ブラームスに全てを賭ける。
来る2/25、2/28、3/?のためにブラームスの弦楽室内楽、ピアノ3重奏全曲で乗り切ってやる。

というわけで、ブラームス君、これから2週間ほど付き合ってもらうよ。

で、楽譜を買った。弦楽室内楽全集(?)は4000円、ピアノ3重奏全集(?)は3000円。

ピアノ3重奏って実は、クラリネット3重奏、ホルン3重奏も含むという、なんとも親切なつくりになっている。

安い。

本当はメンデルスゾーンに頼もうと思ったんだけど、ブラームスのほうが時期が遅いから良いかな、と。

で、弦楽四重奏1番を聞く。世間の評判は知らないが、これ名曲でしょ。

綺麗な旋律の展開のしかたとか、惚れ惚れする。4楽章とかあらゆるユニゾンがカッコいいしね。

全ての楽章が一つのまとまった雰囲気を持っているような感じがして、これも好印象。

ということでした。

実は今日は、人権について思ったことを書こうと思っていたが、内容があまりにキツイのと、文章を作るだけの精神力と時間がないのでやめる。

いずれ書くと思うが、あんまり公に出せるような問題でもないような・・・。
滋賀、餓死。
2411年の話である。地球は深刻な食糧問題に侵されていた。

そこで、京都と大阪の府知事が二人で会談した。

大阪「こりゃたいへんやなあ」

京都「うん。私の東が滋賀。しかし菓子が鹿しか。しかし樫が鹿四、餓死から守ってくれているので、なんとか持ってるのだ。」

大阪「それは誰の情報?」

京都「歯科、しかし姦しい。まあ、でも情報くれるだけ・・・、」

大阪「姦しい医師マシか」
謎の理論
フラクタルを調べていたとき、「1/fゆらぎ」というものを発見した。

いや、言葉自体は前から知っていたが、調べる気もおきなかったし、大して気にもならなかった。

今見たから思い出しただけで、そうでなければ永久に思い出さなかったかもしれない。

で、調べたんだが・・・はっきりとした説明はなかなか見つからない。

その「1/fゆらぎ」のもたらす結果を知りたいわけではなく、どういうものかを数学的に知りたいわけだ。

それが不可能ならば、数式抜きで理解したい。

それが不可能なら、そういうものがある、ということだけにとどめておく。まあ、僕のいつものパターンだ。

で、数学的には案外簡単であった。

出力=1/波長^係数

これが、1/fゆらぎ。

音でいえば、係数が1のとき、440Hzのとき、出力が50dBだったら、4400Hzのとき、出力が40dBになるようなもの。

・・・だからどうしたんだ?って感じだが、実は、上の音のたとえは、数式上で合ってるだけで、実際のものとは違うらしい。

では、どういうものか、というと、揺らぎが、この数式になる。

440Hzの音を流し続けたときに、たとえば人間の声でだしたら、一定でこうは絶対ならない。

音の高さが変わったり戻ったりするだろう。

で、そういう、大きな視点でみてのゆらぎが、「1/fゆらぎ」の対象のゆらぎだ。

0.1秒後に、445Hzになって、0.2秒後に440Hzになり、また0.3秒後に445Hzになった、みたいな場合、5Hzの揺らぎがある。

で、この揺らぎの大きさの逆数が揺らぎの強さになるわけだ。

意味がわからんね。

実際の測定方法を見れば多少つかめる。

音の場合25msおきに、つまり、1秒に40回ごとに区切りをいれ、波が何回0を通ったかを確認する。

それを1分なら2400個ならべて、その回数を並べていくと、その回数に波ができる。

ってか、さっきからわからなかったのは、出力ってやつだな。

なんだこれ?

もとの式は

P=1/f^λ

Pはパワーとのこと。これがなんなのか全くわからん。波のゆれ具合かな?

というわけで、意味がわからないまま、終わってしまったのであった。

数学的な理解をあきらめて、ただその事象を理解するなら、つまりこういうこと。

自然が作った波(周期)はランダム性がかくれている。

このランダムがあると人間は自然を感じることができて、心地良いらしいよ、っていうのが、結果。

ただし、この結果は必ずしも当てはまらないどころが、逆のパターンもあって、少々説明としてはこじ付け感があるが、こう言い換えてみれば納得できるところではないだろうか。

単調なのはつまらない。
見直した傑作。
どうも、作曲が上手くいかないなあ、ということで、いろんな曲を模索する。

iPodのなかに、フーガだけまとめて入れているプレイリストがある。

実に129曲入っていて、バッハの48個のプレリュードとフーガのフーガや、オルガン曲、フーガの技法などにはじまり(これだけで半分くらいいく)、ベートーベンの大フーガ、メンデルスゾーンの弦楽四重奏、サティのフーガや、ショスタコーヴィッチのプレリュードとフーガ、ジャズフーガをなど経て、学習フーガを末尾にいれてある。
名前にフーガとついてなくても構成が完全にフーガと認められるようなものは入れているが、フゲッタは入れてない。
まあ、まだ探しのこりがあるかもしれない。

さて、そんななか、この中には入らなかったものの、懐かしいものを見つけた。
「fug」という語を検索にかけて探していたから、Fugatoというのも当然見つかる。
見てみると、リスト。
リストの幻想曲とフーガもあるが、僕はあれはフーガと認めたくないので入れてない。
で、それとは別にFugatoがあり、何かな、と思ってみると、ロ短調ソナタ。
これは、僕が小学生の時に一時期はまり、この曲を聴いて作曲しようと思いたって、そのときに作った曲が、初めての曲となる、思い出深い曲だ。
ちなみに、その曲とは、このブログでも前に紹介したことある「無題1」で、今となっては駄作としか思えないが、とにかく作曲第一号の作品だ。
愛用していた盤は中国のピアニスト、ユンディ・リ、の盤だが、なぜか紛失しているので、探せばあるだろうけど、別の人のを聞く。あまり上手くないと思う。
まあ、そんなのはおいといて、曲を楽しむというコンセプトだから、とりあえず、聞く。
まずは、無防備に聞く。懐かしい。さすがにフガートに入るとわくわくする。
リストにしてはめずらしく対位法的だ。そこまで対位法的ではないが、いくつも旋律が重なるという点では対位法的だ。
次に自分で弾いてみる。もちろん弾けたものではないが、案外ピアニスティックなので、それらしくはなる。
ここで、アルカンの「騎士」と全く技巧があって、どっちかが真似した?と疑う。
いや、実に単純な、両手ともオクターブで跳躍しまくる、ってだけなんだが、執拗に繰り返したり、伴奏と旋律で分かれていたりするあたり、似ているなあ、と思う。
まあ、そんなこんなで、約30分の近所迷惑を行ったあと、楽譜を見ながら聞く。

リストってのは、僕はあんまり好きじゃない作曲家で、好きな曲もあるんだけど、全体的に好きじゃない。
無駄に音が多いような気がするし、アルペジオばっかりで、アンコール専用作曲家、みたいな。

でも、この曲を聴いて見直した。
歌曲風な場面やコラールや、いつものリストが一つか二つの主題のもとに絡み合っていて、なんとも素敵だ。
転調も大胆で、それなのに違和感は無く、あらゆる不協和が美しい。

というわけで、今日はこの曲に浸っているわけだが、これに近い曲ってあるのかな。
ショパンのピアノソナタ3番は大好きな曲だが、ここまで大胆な転調は行ってないし、どちらかというと、古典的だ(といっても、相当すごい転調も何度もやっているが、リストのこの曲ほどではない)。

そうそう、ロ短調ソナタは、一部ピアノ協奏曲みたいな場面があるね。
ピアノのソロとオーケストラの入り方みたいな場面がいくつかある。
ある部分はヴァイオリンの音やチェロの音みたいにも聞こえた。
そんな感じで弾いてると楽しい。
自分に無いものにあこがれる。
子供とは、発展途上の状態にあるもので、しかも新しいものを受け入れることができる、自由な時期である。

大人とは、発達が飽和状態になって、新しいものを受け入れることができない代わりに、下の世代を教育できる威厳を持つことができる。

さて。

常に子供のように自由な発想を持ち、新しいものを受け入れなさい、とはよく聞く言葉だが、こういう思想がある限り、その人は大人の域から抜け出せない。

それはそれで良い。大人とは節制がある人のことでもあり、社会に害という害は及ぼさないからだ。

ちなみに、新しいものを受け入れられない、節制が無い、などとひどい状態の人は、精神病院行きである。
もちろん、比喩的な精神病院に送られる可能性も高い。

大人は、子供になりたいとあこがれるものだ。自由な発想ができた時期に戻りたい。

しかし、子供は大人になろうと望むものだ。子供にとって大人とは、知識を多く蓄えた人であり、この世の全てを知っているような人である(実際にそんな人はほとんどいないだろうが)。
つまり、自分を超越した存在のことである。

自分に自由な発想が欲しいのであれば、子供になろうと望むことではなく、大人になろうと望むことだ。

自分は、大人という超越された存在になりたいと望むこと、その超越された存在に対しては、常に畏れること。言い換えれば謙虚であれ、とも。



こんなこと書いているときに、すごいことになった。

つまり、←って書いてるときに、「つまり」と「、」の間に「n」キーを押してしまい、「つまりん」という言葉が生まれてしまったのだ(ちなみに、この文頭の「つまり」は、接続詞と例の二つの役割を持っていることに注意)。

いいじゃん!「つまりん」

可愛い。

つまらん。

さて、可愛いって言葉を書いているときに、すごいことになった。

名前は忘れたけど、カービィの雑魚キャラのあれ、あれ思い出した。雰囲気が似てる。
あの、ビーム放つやつとかのあれ。

秀逸作
僕は前にも言ってるかもしれないが、毎日新聞の余禄と川柳と将棋欄は毎日欠かさず見ている。

A級はめっちゃ混戦模様になっているようで、これを記事にしてもいいのだが、今日は川柳に秀逸なのがあった。

「まだかいナ 解散の句は できたのに」

すばらしい!なにがすばらしいって、皮肉のきつさとそれを川柳に結びつける率直さ!

なるほど、この情景を思い浮かべるだけで楽しくなる。

ま、その解散の句はたいしたことないのかもしれないが、こういう意地悪な皮肉のすばらしさを存分にだしてくれた。

どうも、最近の川柳は、政治批判ばっかりで、肯定的なのはない。

もちろん、他人を攻撃するから川柳は楽しいのだが、普通なのに秀逸なものは無いだろう。

秀逸マークがついているのも便宜上つけているだけ、みたいな気もするしね。

もっとも、こういう秀逸なものと出会う楽しみがあるから川柳をみているわけだが。

今日の毎日新聞トップは、死刑に関する記事で、死刑反対に傾いた記事だった。

だが、文章構成がいまいちわかりにくく、感想をなんとも抱きにくいものだったのだが、どうも最近気になってるのは、なんで裁判に感情を取り入れるの?ってことだ。

それこそ裁判は、犯罪の種類と信憑性だけが重要なのであって、人柄や動機などで罪の重さが変わるのはどうか、と思うわけだ。

これは、直接裁判員制度も反対していて、法的に裁くなら、法に特化した人だけが裁くのが一番適当である。

世間の感情など全く排除できるから、これが一番優秀だ。

なんだが・・・裁判員制度を導入した理由が、世間の感情を投入するため、というわけのわからない理由になっていて、宗教国家とからともかく、法治国家でこれはありえないだろう。

それと、僕が最近心配しているのは、どこかの組織のトップクラスの人が死刑とかになったりして、その判決を下した一般人に害が及ばない保障があるのか、ということだ。

もし、こんなことになってしまったら、裁判員を決めるくじはロシアンルーレットのごとく悪魔的なものになってしまう。

もともと、裁判員に任命されると、長時間拘束され、守らなければいけない秘密を持たされ、知りたくもない情報を知らされ、など、いろいろな害が及ぶわけで、もともと凶くじなんだけどね。

大衆って、一番自分勝手な存在で、政治家もほとほと手を焼いている。
政治家が自分の利益を求めると怒られて、大衆は、最大の利益を確保しようとし、その欲望のとどまることをしらない。
そして、自分が一番正しいと思うのも特徴だ。自分が間違っているかもしれないと謙虚な心を持っている人は大衆失格。

まあ、なんだかんだいって、日本は世界でもトップクラスの犯罪率の少なさを誇り、識字率100%の治安、教育が非常に優秀で、さらに総理大臣が変わりまくっても経済が壊れる影さえみえないという安全すぎる国なので、大好きだ。まあ、経済が壊れなさすぎて困ってる人もいるみたいだが。
あったかい・・・暑い?涼しい!
今日は、涼しい真夏という感じの日だった。

毎日が暑くて、そのなかに救いのある日、そんな感じ。涼しいともいう。

外にでると、さすがに暑い。家の中は涼しい。

扇風機もクーラーも要らないくらいだ!

まだ2月も中旬ですからね、暑い時期はまだまだ続きます。

とまあ、皮肉はこれくらいにしといて、今日、涼しいと感じた、というのはポイントで、暖かい、よりも涼しいのほうが温度が高いということがわかりました。

なに?これ、いわゆる地球温暖化?

地球温暖化は人間のせいなんかじゃない、と、常に主張している(?)僕ですが、さすがに今日は異常だと思った。

人間が、地球温暖化を引き起こしてるなんて人間の思いあがりで、どうせ自然のうごきで暖かくなってるんだと思うよ。

地球の酸素が1%増えれば山火事が8倍増える。1%減れば、生命の90%が死滅する。
1%太陽に近づけば、もう生命なんて生きていけないでしょう。こんなぎりぎりの状況に成り立ってるんだから、ちょっとのズレはたまに修正が聞かないくらいになったりする。

生命はカオスの増幅器の上に座ってるようなもんで、いつ死滅してもおかしくないわけです。

まあ、数秒後、数分後というのはおそらくないだろうけど、数百年後、数千年後ならありえる。

おそらく生命はあと5万年生きれるかどうか、くらいだと思う。それより生き延びるならば、それこそ人間が自然を支配できなければだめだ。

どんなに楽観視しても、10億年しか生命は生きられない。10億年と5万年はだいぶちがうが、それでも短いのだ。

10億年というと、約4000万世代だが、この間に生きる人数は最低は1億人くらいである。

日本の人口を時間軸にのばすと、10億年はいってしまうのだ。

のこされた時間の短さを自覚せよ!

といっても、人間は生き延びるために頑張ってると思うけどね。


・・・なんて謎の理論を展開してみた。本気で言っているわけではない。ほとんどね。
とっぷぅ
今日は、春一番らしい。

なんとも、なんとも。

強い風って大好き。いや、好きという感情より、恋している、という感情の方が強い。

恋というのもなんか違う気がする。愛でもない。なんだ?

まあ、とにかく、強い風は好きだ。

気温は非常に高く、ストーブをつけている室内よりも外のほうが暖かいという現象まで。

今日は、ゴルドベルク変奏曲を一通り弾いてみた。

自分でもびっくりするほど解釈が変わってた。

ゆっくりな変奏を相当速く弾いたし、やや速い(Allegretto系)のは殆どスタッカートに近いノンレガートで弾いてた気がする。

18変奏のPesante奏法はやめたが、22変奏はPesante奏法がさらに強烈になり、重くて重くて、なんとも。だが、スピードは相当速い。

学校でフゲッタ(10変奏)を弾いたとき、めちゃくちゃなPesante奏法を披露したことがあるが、あれよりひどい。

あの奏法、楽しくてはまる。CDのまねをしていたつもりだが、実はCDは普通に弾いていて、僕のほうが暴走している、というパターンだったりする。

25変奏からは最後まで変奏と変奏の間に間髪をいれず暴走。29変奏はめちゃくちゃ速く弾く。

今回は、音の正確さは全然重視していないので、はずれまくったりしてるが、結構快感だったのでよし。
ながっ!
今日は、9時に起きた。

せめて、12時におきなさい、と忠告を受けたので、9時に起きてみた。

ああ、久しぶりの朝ごはん。2ヶ月ぶりくらいだろうか。

いや、センターの時に食べてるか。

いつもなら、もう夕方という体内時計で、時計を見ると、12:45

なんということだろう!一日はこんなにも長かったのだ!

しかし、ここで、強烈な眠気に襲われるが、お米を炊いて、しばし待つ。

結局昼食は14時ごろになってしまい、眠いので15時に紅茶で一服。寝てたまるものか。

いつもなら、もう風呂入って夕食食べているような体内時計で、まだ17時!

一日は!一日は長かった!

まるで、朝起きてから4日もたったような感覚だが・・・まだ18時ですらない!
わずらわしい
最近、毎日いちいちPCつけるのが面倒になってきた。

でもPC禁はやりたくないので、仕方なく付けるしかなさそうだ。

それにブログの更新をしなきゃならんしね。

最近変な夢ばっかりみる。

落ち着いてない証拠である。

情けない・・・。
残念すぎる。
今日、山野楽器に行ったら、メンデルスゾーンの弦楽室内楽全集を4800円で売っていた。

なんという破格の安さ!ということで買いたかったのだが、ぎりぎりお金がたりなくてやめた。

っていうか、買えたところで、残り所持金が二桁とかになるのはいただけない。

何かあったときに、家までたどり着けなくなるというのは最悪だからね。

和声集を眺めてたりしたら、すでにやったことのある課題の実施があった。

もちろん、自分がやった和声はほとんど覚えているので、比較してみたのだが・・・

う~ん、自分のほうがよくできているような気がしてならない。

ま、もちろん自分の力で書いたわけではなく、ほとんど先生が書いたものなんだけれどもね。

自分のほうは、相当シンプルで、無駄な半音階とかが一切無い。和音は殆ど同じだったけど、綺麗な装飾と無駄な装飾の区別の見分けは自分のほうがよくできているような気がするのだ。

ま、そんなわけでした。

レナーカルテットのベートーベン弦楽四重奏が決定盤らしい、ということをずいぶん前から聞いていて、探しているのだが、全集みたいなのは売ってない。

資金不足でどうせ買えないが。
クソゲー中の名作
今日、これだけで3時間近くつぶせた、というような、謎のゲームである。

歴史は意外にあさく、このゲームができたのは2009年2月10日、15時~16時のあいだである。

その記録を紹介しよう。

僕「このゲームは意味がわからない!だが圧勝だ!」

そのとき、郵便馬車というゲームをやっていた。

ルールは間違ったまま進めていた。

その後3人でグダグダ話す。

ゲームをしていた人とは関係ない。

囚人の扱いについての話だった。

刑務所の中で、豆まきをして、鬼は外ーってやると、実際に外に行かれると困るよな、というもの。

獅子舞やなまはげをやって、「悪い子はいねーかー」

遺族が豆まきしにきて、犯罪者にぶつけたりしたら、本気で反省してる受刑者は心が痛すぎるよな、という話にもなる。

文章が書くのはうまいが、なにも趣味が無い人の自伝っておもしろそうだよな、という話になる。

すべて、箇条書きでかかれた小説ってつまらないよな、という話になる。

そんな人達も解散し、また郵便馬車をやっていた3人がもどる。

それに一人追加されて、トランプを使ったクソゲーをやろう、という話になる。

始めはただのダウトだった。

ちなみに、ダウトはまったくクソゲーではなく、非常に戦略と運を使うゲームである。

もちろん、一度に4枚しかだせず、ダウトを宣告したら出されたカードから1枚しか真偽を確認しない、というもの。

さて、ダウトも飽きて、新しいゲーム、ということで、大富豪をやったりする。

ただし、3人で、始めの手札は5枚スタートというもの。

毎回シャッフルの神経衰弱は企画倒れになった。

こんどは、ダウトババ抜き!という謎ゲームになる。

裏向きに二枚同じカードを出し、嘘はばれなければ良いというもの。

そのうち、ババ抜きなのに、ジジばっかりになり、しかも、全員ジジを2枚持っているという状況になって破綻。

ルールを何回か改正したが、順番が数えられなくなって破綻。

7並べやろうということになって、普通に7並べ開始。

将棋部でさんざん鍛えられた僕は圧倒的に強く、5回中3回ほどトップを取る始末。

ここで、僕が、こう提案した。

僕「7並べで嘘をつけるようにしない?」

「どういうことだよ」

僕「カードを出すとき、裏向きにだして、嘘をついてもいい」

「それ、嘘ついたら、誰か他の人が絶対持ってるからばれるじゃん」

僕「じゃあ、マークは問わない」

つまり、説明するとこういうルールである。

まず、トランプ52枚を全員に配る。

7を持っている人は全て表向きに縦に並べて置く。

ダイヤの7を置いた人から始め。(ここまでは普通の7並べ)

次に、それと隣り合った場所に、カードをおくが、それは裏向きにおく。

マークは問わず、数字だけの7並べと同じようにおかなくてはならないが、嘘をついても、ばれなきゃいい。

嘘だと思った場合、「ダウト!」と宣言し、そのカードをめくり、

正しかったら宣言した人がパスを使える回数を1回減らす。そのカードはめくったまま続行。

間違っていたら、宣言された人が、自分の出したカードを回収し、パスを使える回数を一回減らす。それで、その人のターンは終了。

パスは3回まで可能で、4回目のパス、もしくは3回パスをしている状態で、宣言して間違っていたり、不正をあてられたりしたら、その人の負けとし、手札を全て既定の位置に自由におく。(マークは問わない)

すでに9が3枚おかれているのに、負けた人の手札に9が2枚あったら、そのどこかの裏向きの9に重ねて置き、"気にしない"ということでのこった人達のプレーを続行する。

自分以外全員負けになったら勝ち。また、自分が全てのカードを置ききっても勝ち。

AからKまで、その列に全てのカードがおかれたら、皆でそれを確認、嘘をついていたのが明らかになったら、皆でそれを笑い、全て嘘でなかったら、「心が洗われるようだ」と言う。

貫通あり(Kが出された時点で、その列はAからしか出すことができない。またA方面についても同じ)

このゲーム、実はめちゃくちゃゲーム性があるのでは?ということに気づき、始めは指摘するのがおもしろくてしていたが、指摘しない人が意外にトップを取り続けているということに気づく。

そこで、ジョーカーを入れる。

ジョーカーは、自分が他のプレーヤーに置いて欲しい場所におき、自分の次の手番の人がそれを置かなくてはいけない。

それに、ダウト、と宣告も可能で、間違っていたら、それを手札にもどし、さらに次の手番の人がそれを置かなくてはいけない。

それも宣告され、間違っていたら、、と続き、いずれはジョーカーを出した人に戻ってくる。

その人ももちろん嘘をついてよい。

それも宣告され、2回目周りとなったときは、その場所を持っている人は必ず出さなければならない。

(ここにルールの不備があります。皆が嘘をつきまくって、たとえば6の場所に3が4枚おかれたような時に、3の場所にジョーカーを出すと、誰もだすことができません。そのときに宣告し続ければ、皆パスを使い切って負けるまで周り続けます。この場合は、やはり、そのままのルールで続行し、先にパスを使いきった人から負けていくということにするのが妥当でしょう。自分で自分の過ちを指摘することができないため、ゲーム性は崩壊しません。逆に、一つの戦略となるでしょうが、そのような状態は滅多にないと思われます)

ジョーカーは使い切り制で、置いた場所におき続けます。

ジョーカーを裏向きに出すことはできません(だしてよいとしても、それは一つのゲームだが)

実は、これ、初手から、正しいことができるのにわざとうそをつく、というのが非常に有力だったりする。

8の場所にKとかおくと、ばれなければ便宜上8が5枚となって、1枚あまる。それを持った人は、嘘をつかなければ、そのカードを手札から取り除くことができない。

リスクを増やしてしまう。

ただ、ダウト宣言するときに、生命線にも等しいパス1回をかけるのですから、そうとうの理由がなければしないというのが正しいと思われる。

同じ数字を3枚と、ジョーカーを持っているときは、非常に強い戦略がある。

ジョーカーが無くても同じカード3~4枚保持は非常に有力。

ただし、こだわりすぎると負けることも多い。

自分が4枚持っている場所にジョーカーをおかれることはよっぽどのことがないかぎり無いとおもわれる。

ゲームの進行上の思想として、皆が本当のことをやっている、というものがある。

つまり、5枚目にあたるカードが出ても、みんな正しいことをやっているので、あえて問わず、"気にしない"という方針が大事。

最後二人だけになっても、従来の7並べとは違い、相手のカードが全てわかるわけではない。

あまりにもゲーム性を持ちすぎたクソゲーということで、これは未来があるゲームとなった。

この文章を書いているとき、丁寧語で書いてしまい、あとからなおしていくのが面倒だった。

一部、わざと丁寧語で書いたのがまずかった。

ではでは。皆さんも良いダウト7並べライフを!
四重奏
やっぱり、音楽の基本は弦楽四重奏っしょ。

ベートーベンの弦楽四重奏15番にD,Es,C,Hがめっちゃ目立つ形で出てるね。

なんか既出のような気しかしないからあまり話題にしたくない。

弦楽四重奏は、やっぱり、ショスタコーヴィッチの15番がトップだ。

これを超える四重奏なんて、ベートーベンの大フーガくらいしか聞いたことないよ。

あ、ってことは大フーガがトップか。

あとは、ベートーベンの弦楽四重奏14番、これは間違いなく名曲。1楽章は特にすごい。

バルトークの弦楽四重奏は、最近良さがなんとなくわかってきたが、なんか野蛮な感じがして、西洋音楽の高潔さ、というのがあまり感じられない。

ブラームスの弦楽四重奏は、なんか普通だなあ、というイメージ。ロマン派弦楽四重奏はあまり好きじゃない。

メンデルスゾーンも同じ。グリーグはつまらないと思う。

ハイドンは聞いたこと無い。いつか全部聞きたいものだ。交響曲すら全部聴けてないけどね。

ただ、弦楽四重奏は、音色が結構きついから、長時間聞くのはつらかったりする。

バーバーの弦楽四重奏は(オーケストラ編曲は)有名だが、あれはあんまり感傷的すぎて好きじゃない。

もっと短ければ良い曲だったかもしれない。

弦楽四重奏ではないが、フーガの技法四重奏版は相当高貴で、良い感じだ。あの曲は純粋に対位法だけで書かれた曲で、純粋に音楽の世界だけになってしまっているので、すごいのは音というよか楽譜なんだけどね。
表現記号は全く書かれていない。楽器の指定も無く、弦楽四重奏はもちろんのこと、金管四重奏や、鍵盤楽器にも非常に適しているように書かれている。
おそらく、鍵盤楽器で演奏するためにかかれたのではないか、と思われるほどピアニスティックだ。

弦楽四重奏で気に入ってる順に並べると、
ベートーベン:大フーガ
ショスタコーヴィッチ:弦楽四重奏15番
ベートーベン:弦楽四重奏14番
ショスタコーヴィッチ:弦楽四重奏13番
みたいな順番になる。大フーガはあれは別格として、やっぱりゆっくりなのが好きだ。
速い音楽とか、音の多い音楽は、あまり好きになれないことが多い。
曲芸みたいに感じてしまうと、もうだめだ。


そうそう、ミサ・ソレムニスについて、前から言いたいことがあったんだ。
どっかのブログかなんかの記事で、ミサ・ソレムニスは、第九のために書かれた、みたいなのがあった。
これは、僕は断定できる。はっきり嘘だ。
ミサ・ソレムニスは、第九よりよっぽど高潔で、純粋な音楽だ。第九は、やはり俗世間に目が向いているが、ミサ・ソレムニスは、純粋に音楽に進んでいるように感じられる。
そりゃあ、耳に心地よく、涙を流して感動できる、という点においては、第九のほうが勝っているかもしれないが、芸術家である音楽家達が本当に目指している音楽には、ミサ・ソレムニスのほうがよっぽど近い。
それは、キリスト教という宗教をはるかに超え、もっと全体に近い音楽だと思う。


そうそう、キリスト教といえば、ユダの福音書のDVDを見た。そして、翻訳文を全部読んだ。
ちょっと、ユダがかっこよすぎてってか、すごすぎて感動できる。
イエスがまあ、最高の位置にいるのはいいが、その位置を認識できたのはユダだけであるという感じで、他の11人や、民衆達とは全く別の次元で話しているような、感じを受ける。
こりゃー、グノーシス主義達にとっては最高の文章だろう。
なんというか、高級な感じがするんだな、これが。
実は、仏教の経典も負けちゃいないほどすごいことを言っているが、意味をわかって読んでいる人は殆どいないんじゃないか。
仏教もユダの福音書も、宇宙の真理について解明しようとし、その方法を語ってくれる。これはプラトンの著作にも見られるようなものだ。
そして、どれも対話編で書かれているというのも一致しているかな。(経典は一方的に話しているが)
だけど、イエスとバラバが同一人物だとしたら、イエスよりユダのほうが高貴な人物になってしまうんだなー、これが。そこら辺を解釈できれば、自分なりのキリスト教感覚を手に入れられるかもしれない。
教徒になるつもりは無いが、宗教を理解することは、非常に重要なことである。
あー頭が・・・
今日は、重力って光速で伝わることをテーマとした文章を書きたかったが・・・
大音量でリゲティの曲を流しているというのと、ご飯食べ終わった直後というのと、結構疲れているというので、頭が働かず、思考実験ができないので、どうも書けないなあ、ということにした。

実は、重力は何かを媒介している、ということは実験で証明されているらしいね。

ま、それに重力子って名前付けるのもいいけど、発見はされてない、いわば仮想の粒子(波かも?)なのか。

存在はわかっているのに、確認できないってそれもすごいな。

それが及ぼす影響も確認できているのにだ。

そうそう、今日、東京を歩いていて、こんなことをふと思った。

水面の波ってマクロでみれば波だけど、ミクロで見れば波じゃないよね、と。

水面って波が動いていても、水の粒子はたしかに上下に移動しているだけなんだが、

波が高くなった場所ってあきらかに水の量は増えてる。

その水ってどっからやってきたんだ?

やっぱり、水は横にも動いてるじゃないか。

水って不思議だ。

最近その魅力に取り付かれた。

変な動きをする。

直感的でない動きばっかりやってくれる。

さらに、簡単に分けられるというのもこれまた不思議で、切り取っても、形は変わらない。

また、水は少なくなると、多いときと別の動きをする。

少ない水は、人間が自由に扱える、なんと扱いやすいものだろう、ということになるが、

その量が、増えると、逆に人間は水に逆らえなくなる。

そのなかから少量の水を取ると、やはり、それは平和に、無邪気に見える。

変な物質だ!
a-,
恐怖!
今日、夢を見た。

内容はそれほどでもなかったのだが、潜在的に、自分は結構怖がってるのかなあ、と、ま、そんな印象を受けたりした。

3つに分かれていて、
アンケートをとる病院の夢。
学校のピアノの夢。
丸くなって身を守ろうとする動物の夢。

特に3つ目のは衝撃的すぎた。

目が覚めたとき、あまりにも時間が経ってる気がして・・・まだ今日であるということが信じられなかった。
ほわほわほわ~ん


ぴよぴよ

ちちち

ちっちっちっち

ちっ・・ちっ・・

ぴーんぽーんぱーん

あ、1分ずれた!
使わない言葉。
「http://」が含まれる文章はコメントできません。

とりあえず、主張しないとね。

これをするまえ、一瞬、「w」「w」を制限しようかと考えたこともあった。

僕はあまり好きな表現じゃないんでね。

しかし、これは善意の書き込みの6割近くを制限してしまいそうでやめた。

実際、微塵も悪意を感じていない人も「w」はあんなに使っているではないか。

僕もこの表現は、よくできたものだなあ、と思う。生き生きとした表現のひとつだ。

たまに非常につかいたいことがある。僕はいろいろあって、「(笑)」という表現もあまり使わないし、使いたくもない。あまりというのは、稀に、これを使わないと誤解を与えそうな文章に対してしかたなく付け加えることがあるからだ。

文章の最後に付けるのは、僕は「・・・」「・・・。」「。」「―」「―。」「?」「!」「!!」「!?」くらいだ。
このなかに、「w」のような表現は見当たらない。

困るんだ、本当に。

僕は、なぜかだんだん皮肉が強くなりすぎてきていて、このままでは、文章でもひどいことを書いてしまいそうだ。

そのときに、皮肉とわかってくれるような表現を使わなければ嫌われてしまう!

「・・・みたいな」

とか

「なんちゃって」

とかでごまかすこともあるけど、下のほうなんて、もう死語だよね!

絵文字も僕は使いたくないし、正当な文章をもっと綺麗に書けるようにしていかないといけないなあ。

これだこれ、もう、口語調の文章しか最近書いてない!

がんばって普通に書いたら、今度はこういわれる!

「上から目線なんだよね」

悪いか?丁寧語を使わない文章なんて全部偉そうじゃないか!

僕はね、自分を高く評価することはあっても、人を低く評価することはあんまり無いよ。

だから、見下すつもりは無い。僕が付き合ってる人達は、皆高いレベルだと思うしね。

あ・・・レベルって、潜在的なものね。自分も今のままじゃ全然駄目みたいなもんだ。

僕の周りの人もそういうの多いと思う。すでに開花してる人もいるっぽいが、まだ潜在的価値はあるはず。

はっきり言っておく!

上から目線を嫌う人は、自分の潜在的な能力を信じられない人だ。

自分に自信がある人は、自分を卑下されることをそこまで嫌わないはずだ。

人間ってのは、誤解されたときよりも、図星のときのほうが嫌な思いをするもんだ。

謙虚でないのは悪いことかもしれないが・・・自虐的なのは、これを通りこして最悪だ。

人から認められる善さではなく、自分本来の善さを出すべきだ!

自慢なんてのは、人に認められたいがための衝動的行為で、とくに意味はないだろう。




「もっとも戯れの場合は別だがね」
プラトンの至言。

ソクラテス「もっとも戯れの場合は別だがね」


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