詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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汚れた解釈
プラトンが次のように書いている部分がある。

自分に無いものに恋をする。

例えば貧乏人はお金を欲するが、裕福な人はそれほどでもないだろう。
病気の人は健康を欲するが元気な人はそれほどでもないだろう。
また男性は自分にはない女性的要素を欲することによって女性に恋をするのだとなり、つじつまがあう。

では美しい物を欲するということは、欲している者が美しくない、もっと言ってしまえば醜いということになる。
逆に醜いものを欲する人は美しいのだろうか。

ある部分は美しくてある部分は醜い人もいるだろうが、どうやら僕は音楽に関しては醜いらしい。

美しさと醜さは同時に存在できるとも思うけどね。
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岐路
最近、このままの人生で良いかな?って思うようになってきた。

理由は、2日にいっぺんくらい芸大の作曲音楽を聴いていて、どうも違和感しか覚えないからだ。

僕は現代音楽は嫌いじゃないし、興味を持っているが、どうも不快な音楽というのは好きになれない、というか良さがわからない。

管弦楽曲を聴いたとしたら、その管弦楽法の上手さというのはたしかにわかるが、それは組織的な上手さでしかない。
つまりその奥がない。

たとえばピアノ曲だったら、非常にピアニスティックに書かれていて、華やかな技巧が聞こえるが、ただそれだけで、芸術的な内容が無いようなものだ。(駄洒落ではない)

文化的な生活を送るために、お金は必要不可欠で、それを稼ぐ方法も考えなければならず、この状況をこのまま突っ走るのはある意味で一番安全だと思うが、そうなったときに満足のいく人生を歩んだか?と問えば、おそらく違うと答えるだろう。

もちろん、まだ新しい環境に入って1ヶ月で、実態はまだまだわからないのだけれどもね。
とりあえず、この1年を本気で生き抜いてみて、そのときも違和感を感じるようだったら、どうにかしなければ。
自分でその環境を変える、環境に自分が変えられる、その環境から抜け出す、など、いろいろ選択肢はあるはずだ。

たしかに今までの環境は信じられないくらい恵まれていたと思う。
その全てを最大限に利用して、自分なりの最高の人生を設計するために、全力を尽くさなければ。
ヒョアァ~~アオアオォ~
ストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲を聴いている。

この前芸大の卒業演奏会で聞いて、もう一度じっくり聞きたいと思っていた。

1楽章の冒頭と2楽章の冒頭と3楽章たまらんな!

渋い。

1楽章は相変わらず面白いがやっぱり3楽章が好きだ。

ストラヴィンスキーといえば、春の祭典の連弾のセカンドピアノを練習中。

セカンドピアノを録音したあとファーストピアノを重ねると面白い。

とくに最後らへんのいけにえの踊り、ピッタリくるとなんともいえない愉悦が・・・
失敗
明日は休みだひゃっほ~い!

とか浮かれてるのは、単純にピアノの授業が無いからだ。だって練習してないんだもん。

今日の作曲の授業はいろいろハードだったというほかない。


電車の中から更新計画頓挫。

理由は(A3サイズ)五線紙を抱えてたから。ちょっと恥ずかしい。

結局自転車乗っている間にだいぶくしゃくしゃになってしまった。


さて、題名を何のためにこうしたのか忘れてしまった。それを理由としてこの題名としよう。
方針転換
もうブログは携帯電話から更新しようか、と思っている。
長文書くには適さないが、キーボード式の携帯電話ではたいして問題にもならない。
電車の中の更新を前提としてるから盗み見られる可能性とかもあるんだけど、こういうことを書いているのすら盗み見られているかもしれないと思うと、その人にむけての発信にもなっていて、逆に面白いからいいや。
って書いているうちはいいんだけど、こんなこと毎回書くわけにもいかんなあ。

今週こそ土曜日までに宿題終わらせるぞ、と思って気づけば月曜日、提出は火曜日、まだ終ってないピンチ。
しかし、和声の本質の一つを理解した。
それを理解したときは数学の一見不思議な定理を見つけた時の如く嬉しい。
理解したと言っても全部理解したわけでないことは、和声の課題をすらすら解けないことから明らかだ。
しかし、本当のところは即興で実施して、そのまま熱が入って終りまでやっちゃって、はじめのところをどうしたのか忘れて、また即興というのを繰り返しているのにすぎない気がする。
しかし和声は楽しいなあ。

ところで今、身近な目標が無いのが大きな弊害になっている。
日々をただ消化しているような感覚。
高校生のときのほうが、情熱があった。
これではいけない、なんとかせねば。

まだ電車は半分も進んだわけではない。これ、電車の中で書き続けたら相当な量になる気がするぞ。
今日はもうこれでいいや。
まあまあ
マーラー交響曲6番聞きにいった。

その前にウェーベルンやってたけど、これははっきりいって理解できない。

理解できないというのは、ちょっと複雑な事象であって、

音楽的な理解はできるが、芸術的な理解はできない、といった感じ。

理解で分割されることが許されるのならば、音楽の理解は3分割される。

音の理解と音楽の理解と芸術の理解だ。

音楽を聴いて、ただ単純に、音が綺麗だ、とか、劇的だ、とかドラマチックだ、とかそういう感覚を抱くのが音の理解。耳に心地良いとか、そういう感じの。

音楽を聴いて、それが、どういう主張を持っているのか、どういう考えがあるのか、ということがわかるのが、音楽の理解。この感覚をもって、感動できれば、それは深い感動が得られる。

音楽を聴いて、さらに奥が見えるというか、音楽という域を超えて、なんらかの核心に迫れるものを感じるものが芸術の理解。この理解をもって、感動したとき、うまく言葉で説明できないか、言葉で言いあらわせられない感覚になる。
この感覚を得た音楽は3つ、バッハのマタイ受難曲と、ベートーベンのミサ・ソレムニスと、ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏15番。

何を言ってるんだと思うかもしれないね。

自分でもよく分からないんだけど。

とにかくウェーベルンはそういうことだった。

マーラーも同じ。

ただ好き嫌いのことを大げさに言ってるだけかもしれないし、そうでないかもしれない。
失望もするよ
本当に芸大現代音楽というジャンルは好きになれない。

今日聞いたのはまだよかった。ドラマチックだったし、迫力もあった。打楽器の使い方も上手かったし、旋律線もあったし、音は立体的だった。それでも耳障りであることにはかわりなく、嫌いだ。

しかし、次の曲に衝撃が走った。

次の曲は現代音楽からかけ離れたヘンデルの曲!

チェンバロの簡素で美しく、また威厳のある音色と殆どビブラートをかけない美しい弦楽器!
声楽もしっかりしていた。多少の音のはずれはほとんど気にならない。

なんと美しい音楽だろう、バロック音楽は!

現代音楽のあの複雑さは、ただの醜いものにしか見えないのだ。バロック音楽の清楚な音楽に、音楽の喜びが詰まっているような気がする!

すばらしい!

その次のストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲もすばらしかったが、ヘンデルの美しさの前には色あせてしまう感じまでする。

なぜ人間がバロック音楽から離れたのかが理解できないが、バッハやヘンデルらが残したあまりにも美しい音楽に匹敵する曲を作ることができないことからの逃避ではないか、とまで思わせる。

バロック音楽の前には、ロマン派や印象主義的なものまで安っぽく感じる。

現代音楽に失望し、バロックに目覚める時代がやってくると信じている。

ただ奇をてらったものだけを考え、美しさと芸術性を捨ててしまうような曲から離れよう。

純粋に音楽へ向かう道は、不快感、醜さもまた一つの道であるとは思うが、それが最終的な到達地点だとは思えない。

もちろん、バロック音楽が最終地点だと言い切る気はないし、その力もないが(そもそも最終地点があるともいえないが)、人類のたどり着いた最も美しい音楽が今のところここにあるような気がしてならないのだ。
早寝
早起きはどうでもいいが、早寝はすばらしいということに気づいた。

10時ごろに寝ると、すばらしく長く寝た気がする。実際の時間はそんなにかわらなくても。

すばらしい!

というわけで、こんなところに長文を書いている時間はないのだ!

おやすみなさい!
しかしよく考えると
部屋が汚くなってきた。ついこの間掃除したばっかりなのになあ。

汚くなるのは一瞬だね!

しかし!よく考えて欲しい。

汚くなるのにたとえば1ヶ月かかるとしよう。その時間は720時間だ。
片付ける時間を3時間としよう。
その差はなんと240倍である!

なんと片付けるのが早いことか!

とか思ったら気が・・・軽くならねえ。

寝むいからもう寝る。早い(9:37)
1111
記事番号1111番!

4桁のぞろ目は初!

始めてから三年とちょっと、この1111回の記事の間には人生がぐるぐる動いてた気がする。

まだまだ続ける予定。

詰まった!!はまだまだ現役!
嫌いなんだけど。
マーラー交響曲第六番を聞いた。

どこが悲劇的なのかはよくわからない。1楽章は勇ましいし、2楽章はなんかふざけてるけど。
3,4は印象にない。

楽譜見ながら聞かないと印象に残らないのは悪い癖だよなあ。

マーラーは3番を聞いて、ただ長いだけで、音量がすごいだけで、なんだかよくわからない作曲家だった。

歌が入りだしてちょっとは聞けるようになったんだけど、1楽章とか長すぎてとにかく疲れる。

今となっては嫌いな作曲家と言って、真っ先に答えるのがマーラーだ。

さすらう若者の歌とかも嫌いだ。まあ、嫌いというだけで、どこが良いのかは多分わかってるんだけど、なんというか、音が多すぎるんだよね。

できる限りシンプルのなのが好きだ。
3×4将棋
どうぶつ将棋なんてのを作った人がいるそうだが・・・
僕だって3×4将棋は前に考案してるんだから!

3×4

ルール
駒の動かし方は普通の将棋と同じ。取った駒は持ち駒として使える。
角が敵陣(奥から1段)に入ったら成れる。成ったら龍馬になる。これも普通の将棋と同じ。
★打って詰めるのは禁止!移動して詰めるのはOK。もちろん打って王手もOK
勝敗の決め方も普通の将棋と同じ。相手の玉を詰ます、動けなくする、投了される、などで勝ち。
千日手のときは前後入れ替えるなり、引き分けにするなり。

この将棋の特徴
初手から結構変化があり、なかなか同一局面にはならない。
打って詰めるのが禁止でなければ先手が必勝という結果は出ているが、このルールによって、さらに複雑化した。
角と金はほぼ同じ価値で、駒損すればまず勝てない。駒損で勝つ変化は一通りしか見つかっていない。
打って詰めるのが禁止なため、わざわざ逃げ道を作るなどの手筋を使う必要があったりする。またこのルールでぎりぎり逃げるなどの妙手があったりする。
両取りには常に注意を。

これ以上マスの少ない将棋は考えられなかったが、3×3で2三に自分の王、3三に自分の飛車、相手は点対称に配置、というのがあった。
変化は多いが、千日手になるという結論がでている。
なんかもっとこう
詰将棋の長手数3位が更新されたのをついさっき知って、手順をすべて見てみた。

題名は「アトランティス」

なるほど、理解できる手順だ。

さすがに結構細かいところが上手くできている。機構もシンプルだし、ここまでできるのはすごい。

収束で馬を取るのかと思いきや横に逸れていくのもなんか面白い。

長手数の機構が理解できるために、もっと意味づけをつけられれば手数も倍増するような気がするんだが、やっぱりするだけなんだろうなあ。
勉強のありかた
中国で勉強のしすぎで死亡するケースが増えている、だとか、日本のレポートはネットのコピペが多いだとか、まあ、そんな記事を読んでいた。

さて、僕には到底無理な話かもしれないが、理想の勉強像を考察しよう。

まずはやはり本を読むこと!これは一番優秀だと思う。

よほどの天才でないかぎり、昔の人達の書物を読まずに、現在まで発見されていない事実を見つけ出すことは不可能だ。
なぜなら、今まで百数十億人が何千年とかけてようやく手に入れた知識ようやく現在のこの状況を作っているわけで、その分の発想を一人だけで手にし、さらにそこから新しいものを生み出そうなんて到底不可能だからだ。

その過去の偉人達の努力を全て読むには、人間の一生は短すぎる。
そこで、選別する、という作業が必要になる。

その選別の機関をするのが学校だ。あるいは、過去の偉人達の努力を要約して教えてくれるのが学校だ。

だが、それを教えてもらう前に、まず文章を読み解く力というものを身につけなければならない。
人間は生まれたときは知識が全くない。その状況から、文章を読み解く力を形成するのだが、これにあまり長い時間をかけてはいられない。

小学校か、中学校までに、文章を読み解く力を形成するのが望ましい。もっと早いくらいのほうがいい。一生が80年だとしたら、その6分の1は使ってしまうのだから。

そして、その後10年から30年くらい使って、過去の偉人達の書物をとにかく読むことだ。
この瞬間のことを勉強と呼べば良いのではないだろうか。

ついに十分なだけの知識が揃ったとき、そこから新しいものを生み出す。
だが、そのことは後日考察するとしよう。

勉強は既にある知識を手に入れること。だが、やっぱりそれと同時進行で文章を読み解く力も形成し続けなくてはならない。さらに高度な勉強ができるように。つまり、さらに高度な知識を手に入れるために。

それだけで満足してしまう人種もいるだろうが、近い未来か遠い未来か、最高の能力を持った人間の出現に備えて、最高の環境を整えるのが、人間の仕事ではないだろうか。
あなたはその最高の能力を持つ人間かもしれないし、その親かもしれない。
もしくは永久に現れない存在かも。だが、その人間こそ神となるのだ。


最後がやけに電波になってしまった。ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏を大音量で流しながら書くからだ。
哀れな民主主義人間
20歳まではお酒を飲んではいけません。

なんてこと言われるけど、18で飲んだって平気でしょ!あんな法律のほうがおかしいんだよ!

とまあ、こんな感じに、法律違反をしたときに、法律のほうがおかしいということ、結構ある。

あまり車の多くないところに信号ができて、赤信号のときに渡って、車もきてないし、安全だし、こんなところにそもそも信号つけるのが違反のようなもんだ、とか。

さて、僕もこの例のような人間になっていて、あまり偉そうなこと言っても説得力がないが、これに説得力を持たせるための話は後にすることにしよう。

人間は基本的に自分勝手だ。

大衆は、よく政治家のことを自分勝手で貪欲で民のことなど考えていない、などとよく言う。
そして、自分達だけに有利なことを履行しない政治家を怒る。
マスメディアはその情報伝達の上手さによって、いかにも大衆が正しそうにみせかけるが、結局、自分のことをまずさきに考える、という点では政治家も大衆も同じ。

とくに民主主義の民衆は自分勝手だ。民が主体になる主義であるのが望ましく、民が自分勝手になる主義であるのはあまり好ましくないと思う。

法律は限度を超えた自分勝手を抑止するためにある。それを破るのは、限度を超えた自分勝手なのである。

飲酒が20まで禁止なのは、行き過ぎた自分勝手の抑止であり、もしこれに反対するのであれば、飲酒という行為によって反対するのではなく、しっかりと自分の意見を世間に伝えようと努力しなければならない。それは政治を通してであったり、新聞を通してであったり、インターネットを通してであったり、いろいろな方法はあるだろう。文化的な生活を保障されている日本国民は、十分に自分の意見を世間に伝えることができるはずだ。


酒飲んでる奴に、酒飲むなって言われたくないんだよな、みたいな話も聴くが、たとえ酒飲んでるやつが20未満だとしても、この忠告は守るべきこととなる。
賢者も百に一つは間違いを言い、愚者も百に一つは正しいことを言う、という。
愚者の言葉のなかから正しい言葉を読み取るのも人間として重要な力であり、それが劣るのは、人間として劣った者である。
では、愚者の忠告は非常に腹が立つかもしれないが、その中にもその正しさを見つけ出すことはできるかもしれないのである。

だが、正しいとは何かという問いには時間がないので考察しないことにする。

以上。
他人の追従をゆるさない。
今日は麻布学園にいってきた。

いつもの見慣れた風景、もうこれからあまり見ることないのか、と思うと、少々感慨深いものがあったりする。

で、図書館に行ってきた。

CD借りた回数トップは僕のもの!
1位246回
2位95回
3位77回
4位67回
5位43回

なんという圧勝!これは気持ちが良い!
ちなみに、1位3位5位は高三である。こんなことは滅多にない。
なお、去年は高三は本の借りた回数10位だけしかなく、
おととしはCD借りた回数38回の2位があるだけである。(その前の年は数え方が違う)

なお、歴代のCD借りた回数トップはおととし48回、去年74回となって、
去年のトップは今年の4位にしかならないという、今年はものすごい年であった。

おそらくここ10年はこの1位246回の記録は塗り替えられないとは思うが、なにしろ3学期の自由登校という足かせがある高三だけに、中学生あたりにこの記録を塗り替えようと挑戦されたら、おそらくかなわないことだろう。

だが

今年の本を借りた回数トップ
245回

1回勝った!
忘れてるっ!
プラトンの「国家」をひさしぶりに読むのを再開した。
やっぱり楽しいけど、前の部分結構忘れてるんだよね。
大筋は覚えてるけど、細かいところをちょくちょく忘れる。

今は四段譜を読む練習に明け暮れている。
ソプラノ記号はもうなんの苦も無くよめる。ヘ音記号とかと同じような感覚だ。
アルト記号もほとんどそんな感じ。直感的に読める。
やっぱり強敵はテノール記号。中央のラか、その下のファから上は殆ど直感的に読めるのだが、加線がついたり、ミより下だと、急に読めなくなる。これは練習するしかないな。
バス記号は読めない理由がない。
3声までだったら、結構すらすら読めるんだが、4声となると・・・。
しかし、さすがに今月中には会得しないと大変そうだ。
Re:って書くな!?
携帯電話のメールでRe:っていう題名がつくと不愉快な人がいるようで。
僕は気にしたこともないし、気を使ったこともないし、とくになんとも思わなかったんだけど・・・。

たしかに、今まで送った題名の半分以上がRe:だ。相手の機種にもよるが、
RE:RE:RE:RE:RE:RE:RE:RE:
っていう題名を送ったこともあるし、
Re: Re2: Re2: Re2: Re2: Re2:
っていう題名を送ったこともある。
基本的に僕は初メールのときとか、題名が必要なときとかしか題名つけないから、題名には無頓着なんだよね。

Re:ってたとえば
Re:申し込みについて
とかっていうふうについたとき、「申し込みについて」っていう題名に対する返信を強調している、とも考えられるよね。
たとえば、本文が
「了解」
だけだったら、何を了解したかわからないから、そういうときにRe:使うのが本来の使い方じゃないかと。
そういう利便性もかねてるRe:なだけに、Re:そのものに嫌悪感を感じるのは、僕としては今ひとつ理解できないのだが、題名という一番見える部分に気を使ってないというのは、たしかに相手に対する気遣いが足りないと思われてもそれは仕方ないのかな、と思ったりも。
ただ、あんまり気を使いすぎる人と付き合うのも疲れるし、やっぱり、Re:はつけたままでもいいと思うんだ。

皆はどう考える?
ストリンジェンド
あれだな、ブログよりmixiのほうが記事を書きやすいのは、見てくれる人が多そうだからだな。
こっちも負けずに書かなければ。

大学の先生は、宿題を直前にストリンジェンドするのはよくないとのことだが、もともとフェルマータ状態に僕はどうしようもないようだ。
だが、自称全休符の人もいるようだ。
土曜日が休みというのが少々新鮮で、2日休みというのが今までになかったものだから、明日学校と勘違いして、今日ストリンジェンドすることができた。もう一つ曲を書いていったほうが良いらしいが、結局明日やろうなんていうドルチェな考えになってしまって、できそうにない。授業中テクトしてそうだ。

以上。
韻と繰り返し
文章でも音楽でも、繰り返しはなるべくしないほうが良い。

今日は僕は学校でした。

などと「は」が続くと気もちわるい。

今日は晴れで気分が良い。
しかし、少々暑すぎるようだ。
しかし、暑いのは嫌いではない。
私は今日の天気は好きだ。

このように、大きな目で見ての繰り返しも避けるべきだ。上の文章ではあまり気にならないが、文章が長いときに文頭が同じだとすると、気持ち悪かったりする。

今日は東京まで行ってきた。
しかし、明日は外に出ないかも?
明日家族みんな家に揃うかも?
その可能性があるため、あまり外に出たくはないのだ。

文末が重なるのも非常にわるい。丁寧語の語尾とかはいいけど、「だ」とか「(す)る」とかが重なるのはあまりよくない。「い」などを使い分けて、なるべく同じ文末が連続しないようにしたほうがいいのだ。

「る」と「だ」が続く文章というのは、結構読んでて気持ち良い。リズミカルな感じがする。
「る」→「だ」の順番は、ちょっと弱めに終止したあと、はっきりとめた感じで、これはドラマチックで好感が持てるし、「だ」→「る」というのは、冒険しにいった感じがする。どちらにしろ好印象の文章だ。

たとえば上の文章を見てみると、文末は次のようになっている。
「い」「る」「る」「だ」
三つ目の文章が長いため、連続はあまり気にならないような工夫はしているが、それでもわずかに違和感は感じる。
そのかわり、「い」と「る」の間は短いし、「る」と「だ」の間も短い。手が勝手に文末を使い分けているような気がする。経験的に気持ち悪い文章は避けるようだ。

音楽で、対位法の教科書には、同じことのくりかえしを旋律にいれてはならないというのが存在する。
これは、おそらく、こういう文章の中にみられる気持ち悪さと同じ気持ち悪さなのではないかな、と思う。

行頭の文字が被るのは非常に気持ち悪いので、僕は結構避けることを心がけている。もちろん、直感的な文章に行頭が重なることはほとんどないが、重なっていることに気づくと、直したくなる。

しかし、韻を踏むという、上の禁忌を破りまくる技術が存在する。

今日の学校の校庭の桜の木の下には、たくさんの花びらが散っていた。

「の」を執拗に繰り返すことによってリズム的校歌を高めている。

何故、速いのだろう。
何故、そのような技術を持つに至ったのか。
何故、手がつぶされることはない?
この餅つきは!

わざと文末は被らないようにして、文頭を韻の効果を強調してみたがなんと緊迫感のでることだろう。

これは赤くはない。
しかし、青いわけでもない。
なぜ、赤にも青にもならない。
この黄色信号は。

こんどは文末を被らせる。文章は意味不明だが、リズム的効果は感じ取れるだろう。
文頭ほどの緊張感は得られないが、何か知的な緊迫を感じさせる。

なお、餅つきの話と信号機の話で、餅つきにはマークをつかったが、信号機にマークは使ってない。
この重複を避けるのは前半で説明したとおりだ。こういうところにも適用されるのはおもしろい。

まったく、音楽の世界でも反復進行はすばらしい緊迫感をもたらせてくれるから、この文章の性質は音楽にも適用される。

12音技法が非常に綺麗と感じるのは、同じことを繰り返さないという前半で説明したことを究極に突き詰めた音楽なのだな、と思う。
12音のうち、7音目を4音目の音とおなじにしてみるなどすると、非常に気持ち悪く聞こえるだろう。これは同一の反復が気持ち悪いからだ。

という、僕の直感的文章と音楽の理論に述べてみたが、皆はどう感じるかな?
いつかは・・・とは思っていたが
iPodの故障によるデータ破損はとりあえず立ち直れそうにない。

といっても、別に気分は平常なんだけどねえ~、データの復旧作業とか思うと気が遠くなる。

いつかはiPodが故障するだろう、とは思っていたので、バックアップはとっておきたかったが、パソコンの容量がおいつかないことと、まだ大丈夫だろう、という思い込みがこのような悲劇を生んでしまった。

これを契機に、iPodは音楽専用にしようかと思っている。

動画の量は莫大なことになってきているし、DVDの量も増えてきているので、どちらにしろiPodではまかないきれない。

ノートパソコンを買って、そっちを動画専用にしたいな。

ただ、DVDをつけられるパソコンは現時点で一番安くて19万、これは絶対買えない。

これから定期券圏内に秋葉原が入るし、もっと安く手に入らないかなあ。

ポータブルDVD再生機とパソコンを別々に買えば安いが、それだとかさばるし・・・。
探検。
今日は学校を探検してた。
いろんな穴場を巡ったりできた気もするし、楽しかった。

ピアノフォルテやハープシコードとか見れるとちょっと感激してしまう。

同期生って皆年上か同い年なわけなんだけど、どうしても敬語とはいかなくても丁寧語を使ってしまう。

あんまり堅苦しくなるから、できるかぎり崩そうと頑張ってるんだが、どうも、気を抜くと丁寧語つかっちゃうんだよなあ、これが。

で、だんだん慣れてきてこんどは逆に失礼かな、っと思い始めたり。う~ん、難しい。
まあ、一番気楽にできるのでいいや。

今回の記事を過去と記憶の関連性と過去と現実の虚無性について書くことにしようと思ったが、めんどいのでやめ。
内積っと。
今日は学校でいつもとは違うメンバーと一緒に話してた。

入試の話をしてたら・・・和声、僕の考えてたのと、全然違うぞ!ってか違いすぎるぞ!
僕は基本的によく休んでたけど、みんなばっちり4声体でつけてるしねえ。
フーガに関しては僕の直感とあわないところが多数あったし。
曲は僕が悪すぎるから話についていけないし。

曲は1回、フーガは2回しか書いてないから、圧倒的に経験不足なわけで、どうも話についていけないことばっかり。
ブルックナーとかビゼーとか知らないのもきつかった。
というわけで、大学では知ることに重点を置いて勉強しようと思う。
理解することはとりあえず置いておこう。

ショパンのバラード1番を小学校の時に弾いたのは、みんな驚いてた。やったね!

そんなことがある前に、電車のなかで手持ち無沙汰だったんで、二乗の意味を考えながら電車にゆられていたところ、ベクトルの内積って図形的な意味はなんだ?ってことを思い立って、えなじ~に質問してた。

もちろん、定義くらいは知ってる。図形的にどういう計算をしてるのかも知ってる(始点をあわせて垂線を下ろして掛けるってやつ)。あれが、とても便利だったことも覚えてるが、で、内積って何よ?

なるほど、なかなか綺麗に説明してくれた。が・・・疑問は広がるばっかりでね。
まあ、どうせ疑問が広がるなら、次元も広げてみようぜ!ということで、頭のなかで3次元の内積ってどうなるかな、と考えてたが、これははっきり言ってつまらんね。始点をあわせれば平面状のはなしになるんだから。
そうすると項が3つ以上ある内積ならいいのか?
これってどうなんだろ。直感的には交換法則が成り立たなくなるだけな感じがするんだが・・・。
深く考えてないからよくわからないや。
直感と知識だけの数学ではやはり限界がくるね。

あと、面積にベクトル量ってないのかな、って考えたけど、難しいね。
ベクトルの二乗はなぜか実数になっちゃうし。
あ!x軸とy軸を複素数にとったベクトルならいいかも!?

夢は広がる。
マンデルブロー集合
マンデルブロー集合楽しい!
たしかに入り込んで魔女の行列
こういうのを作るのもたのしいが、それ以外の意味でも。
この魔女が何人も連なっているように見えるこの一つひとつの塊が、全て違う形でできているらしい。
たしかにマンデルブロー集合はフラクタルだが、完全な相似性を持ってない。
これは、無限の複雑さを持つという点でも興味深いし、同じ形でなくても似た形という認識ができる、という点でもおもしろい。
しかし、何故色がつくんだ?マンデルブロー集合がなんであるかは理解できたものの、何故色がつくのかは教えてくれなかった。
ところで、無限に入り込める地点ってあるんだろうか。
ある一定の画面の大きさをもつ顕微鏡を用意して、何倍に拡大してもすべて連続的に違う映像に変わっていくという状況はありえるのだろうか。
たしかに無限に入り込むことのできる図形だから、座標に無理数をとればできそうなものだが、できる条件は?とか聞いてみたくなる。
マンデルブロー集合は内側と外側の境界を示す集合だから、なんか簡単に答えてくれそうな気もするけどね。


どうでもいいが、mixiに書くべきこととブログに書くべきことの区別がつかなくなってきた。
カードゲーム
僕の高校は他の学校に比べてカードゲームが強い、みたいな記事があった。

そうだと思う。トランプに限って言えば、

大富豪
ハーツ
7並べ
ポーカー
ダウト(特に将棋部ルール)

大富豪とハーツは僕はルールを知ってるだけなので、そこまで強くないが、したの三つなら、同級生とまともに張り合う自信がある。

おそらく他の学校の人たちに比べて研究量も勝負量も桁はずれに多いはずだ。

高三の受験シーズン(12~3月)ですら、すくなくとも週に一回はトランプに触ってたからね。

7並べはおそらく他校生相手には殆ど負けないだろう。もちろんカードが悪ければ一回も出す暇もなく負けてしまうことがあるが、むしろそういう状況になるまで打ち続けた人がどれほどいるか。
少なくとも、運の要素が50%以上あると思ってる人には勝てる。
(究極的には全員最善手なら運だけの戦いになるが、それほど強い人は見たことがない)

ポーカーは他校生相手には絶対負けないだろう。カードが毎回ひどくても勝てると思う。
まず打ってる量が半端な量ではないし、殆どの状況の数学的な確率と勝率を知ってるのはもちろんのこと、相手の表情、交換枚数による相手の手役の限定、レイズの癖などを見抜く力は圧倒的である。
さらに、金額に圧倒されない力も相当なものだと思う。

ダウトは、このルールで打ってる人がほとんどいない以上たぶん圧勝だとは思う。
しかし、もともとのダウトがクソゲーだからしかたない。

そうそう、上には書かなかったけど、ババ抜きはただ単に運のゲームじゃなかったようだ。
同級生と打ってたら、みんな呑気に手札をどこにしまったかの情報を見せてくれるんだから。
とりあえず、これを読んでれば負けない。

基本的にみんな研究量がすさまじいんだよな。
だからこそ打ってて楽しいんだけど。
やはり他を寄せ付けないような能力に立ち向かっていくのは楽しい。

またそういうのと研鑽しているうちに、自分の力が上がっていくのを感じるのも楽しい。

一段上の境地から見下ろす快感はやみつきだ。
これは・・・今まででもとくにひどい。
今日の起床時間、16:00丁度。
というわけで、朝ごはんを作って、食べて、食器洗い終わったころには、もう日が沈み始めている。

太陽と失恋したものに未来はないよ!

えっと、北朝鮮の人工衛星打ち上げはどうなったんだろう。

今日中にやるとか言ってたような気がするが・・・、あれって夜にやるものなのか?

誤って日本のどこかに落ちてきたら怖いねえ。花火師が作った花火は安全だが、素人がつくった花火は大変危険だ。

そんなこんなで速報を待ちながら暮らす一日。
プレリュード3冊
今日ついつい銀座に足が向かって、何も買わないのもしゃくなので、楽譜を三冊買った。

ショパン:プレリュードとロンド
カプースチン:24のプレリュード
ショスタコーヴィッチ:24のプレリュード

つまり、24のプレリュード3冊ってことだ。

本来はメシアンの世の終わりのための四重奏曲を買いたかったんだけど、なぜか売り切れ。残念。


大学の同期生に将棋指せる人結構発見!これは・・・いけるか!?
予定
4月1日:教員発表
4月2日:オリエンテーション
4月6日:健康診断
4月7日:面談
4月8日:面談&奨学金申し込み
4月10日:入学式
4月13日:授業開始

ということで、これ以降は全く不明、何が起こるかわからない。

忙しいのかどうかもわからない。ただ、同じ日にいろんな行事が重なるのは、交通費的に助かる。

ちょっと気を抜くと単位足りなくて早速留年の危機が訪れる。4月13~17日は正念場である。

時間割は非常に分かりにくいし、単位もどうなってるのか不明。まずは相談相手を作らなくては。
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