詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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詰まらない。
なんか、最近このブログつまらないね、って言われた。

まあ、それは僕も自覚してるんだけど、コメント率が高くて、見てる人が多いmixiの方に書いちゃうのは仕方ないことだよなあ。

いっそ同期させれば楽なんだけど、それはあんまりしたくない。

このブログの意義が薄れつつある。なんとかしなきゃなあ。このブログは僕の歴史が詰まってるんだから!
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いいね!
うーん、今日このブログの存在を教えなければいけない人ができたんだけど、まだ電車の中なのだ・・・。

行きの電車で小学校の同級生と会って、その人と話した事でも書こうか、と思ったが、少々相応しくないこともあるので、自重しよう。

さて、ここが公開スペースでなければ僕はいくらでも色々と書くのだが、この僕にでさえ、人には知られたくない事情があるのだ。
そんな時、僕はいつも深読みしなければ真実に辿り着けないような書き方を心掛けてきた。
それは人にはわからないけど、自分にはわかって喜んでいるもの。
もしそれがわかってしまったらそれは恥ずかしいかもしれないけど、逆にそういうのを望んでいたりしたりもするのだよね。

もちろん、これは僕は大好きなことばだ。いや、正確にはつい最近大好きになった言葉かもしれない。
二重に意味を含ませる、その絡み合いは僕は大好きなのだ。



今日の文章はそれが面白いように出来た・・・、と言っても関係者以外はほぼ理解するのは無理だろう。関係者ですら理解がほとんどできないように書いているのに!
それにしても今回は笑みがこぼれるほど二重の意味だ!やべー!テンション上がってきた!
活字離れ
最近活字離れが激しい。
受験生時代は結構読んでたのになあ。

しかも新しいアニメを入手してしまったし。

しかしこれはタダのアニメではないのだよ!

さて、見続けられるかな?
飛来?そりゃそうだろう。
空気中のクリプトン濃度を調べれば、世界のどこで核実験をやってもやったことがわかります!

というのは(たしか)事実なので、どこぞの朝鮮が実験すれば、放射性のクリプトンが日本にやってきても全く問題ないし、英国にでもチリにでも飛んでいくだろう。

あんまり増えすぎるのはそれはよくないだろうけど、微小なものなので、とりあえず無視できる。

広島原爆のときも長崎原爆のときでも中東のほうで花火大会やったときもクリプトン濃度は増えているわけだからね、今騒ぐのはそういうことではないと思う。

問題は、ある人の声という空気の振動がどこまでも増幅されて、この日本が粉々になってしまうことの恐怖である。

それはカオス系ではなく、むしろ必然にそうなってしまうのだから、これは危惧するべきだ。

さて、日本のとる行動は。
グロテスクなもの。
やはり音楽は綺麗なものであるべきだ。

グロテスクな表現も時として効果は絶大だが、それは相手を不快にさせることに他ならない。

つまり、相手を不快にさせたいときにグロテスクな表現を使えばいいのだ。

それは、強烈な意志表示である。

痛烈なメッセージにもなりうる。

その表現としてのグロテスクさ、それはすばらしい効果があると想うが、やはり音楽は綺麗なものであるべきだ。
音楽化
今、ユーゴーの死刑囚最後の日を音楽化している。

金曜日、即興でやったこの音楽化があまりにも成功してしまったため、これはせざるをえなくなったのだ。

しかし、だいぶ違うものになってしまった。

さあ、完成するかな?
予想通りは恐怖
関係者には知られたくない非常に面白い事態が起こってしまったが、それは予想通りの結果で、そういうと、大分失礼になってしまうなあ・・・。

ということで、前提を省略させて頂こう。本編はそれについて語っているが、何のことかわかる人はいないだろうなあ。


人の価値観というのはそれぞれ違うということがよく言われるが、それは間違いで、好みが違うだけなのではないか。
ある人が美しいと思うものは別の人にとっても美しく、それが印象に残るか残らないか、好きか嫌いかというような違いがあるだけだと思う。
美しいものを嫌う人がいるものか、という指摘もあるだろうが、美しさの方向によっては十分ありえる。
美しさが正のベクトルで醜さが不のベクトルという考えがおかしいのであって、美しさと醜さは対極にあるわけではない。
辛いのと甘いのが同時に存在できるようなものだ。
あるものを辛いと感じたらだいたいほかの人も辛いと感じるだろう。
たまにそういう根本的な面でも合わない人はいるが、大体がそうなる、という点でだ。
では、好みの差は何によってあらわれるか、というと、親近感の差であると思われる。

ちょっと体力がつきたのでここまで。
勘弁してくれ
祖母と買い物にって、トイレにいってくるというので入り口で待っていたら20分戻ってこない。
肝臓が悪いとかいってたし、倒れてる?と思って母に確認してもらうも、ひとつ開いてない扉以外は全部違う。
そこで倒れてたら大変、と警備員やら掃除のおばちゃんやらを連れて確かめるも、中に人はいない。

どこに消えた!

ちなみに、入り口は二つあったので、逆側から出たんだろうなあ、ということになったが、それにしても僕にかばんを預けたまま居なくなるとは・・・。

そして、サービスカウンターで聞く。(母が。僕は聞いてない)

えのきさんですか?伝言が届いています。
婦人服売り場にいる

なんのこっちゃ。勘弁してくれー。
居場所
あらゆる場面において、居場所は必要だと思う。それは、実際の場所に限らず、精神的なものにおいてもだ。

自分の部屋が一番落ち着く居場所だが、社会に出た時にも自分の机というものが居場所としてある。(今の僕には無いが・・・)
精神的なものとしては、たとえば勉強をしているとき、数学をやっていると自分の居場所のような気がする、とかね。
また大きな目で見れば日本に戻ってきたら落ち着くだとか、そういうのもあるだろう。
何にしても居場所というのはある。それは何か?

自分の最も普遍的に愛しているもので、常に追い求めつつ、実際に手にしたものである。(断定表現は好きじゃないが)
自分の居場所から離れた時、始めは感じないが、長期間それが続くと、居場所が非常に恋しくなる。
そして、ようやく居場所に戻った時、それは懐かしいという、人間の最も強い快感の一つが得られるのだ。

この緊張と解決の関係が人間の感動する、ということに一番近いのではないか?
僕はいまマタイ受難曲を聞いているが、これは僕の音楽の居場所だ。
まったたまたまた
またまたまたまた
「芸」
  「大」
    「現」  「代」
 「音」   「楽」 
           「か」


といいたいところだが、たしかに悪い曲もあったが、名曲があった!

よくこんなの学生のうちから作れるなあ!むしろ学生だから作れたのかな?
終わり方もめちゃくちゃかっこよかった!ってここで言ってもだれもわからないか。

旧一年生の二重奏作品演奏審査ってやつで、一年の修了作品の演奏を全員やるわけです。

その感想。
集中力?
音楽を聴きながら作業すると、集中力が落ちる。いや、知っている曲だと集中力が落ちる。

やっぱり次どうなるか、とか意識しながら聞いちゃうからだろうなあ。

音楽は音楽だけで楽しむのが一番良いのかもしれないが、目をどこにおいておけばいいのかよくわからなくて、楽譜が無い場合、CDの音楽だけに没頭するのは少々難しい。

ブラームスのピアノクインテットは結構良い曲。怪しい感じがする。ブラームスの旋律を作る力ってものすごいよね。
詰まっている。
桃の缶詰には・・・桃源郷が詰まっている・・・。。

美しく甘美な物語が、俗界に汚された缶の中に入っている。

俗界は装飾に隠されている。

しかし、内側から見れば、その真の姿が見える。

なんと醜いことだろう。

それにくらべてなんと桃は美しいことだろう。
大学の意味
大学で提出される作品が毎回不愉快で仕方ないのだが、こう言われて反論できなかった。

大学に入っている時はそういうのも習っておいて出たあとに自分の世界を作ればいいんじゃない?

確かにその通りだった。自分が習いたいことがあると思って大学に行ってるんだから、わざわざ逆らうのはどうか、というのとだ。
しかし、大学は世間の波から一時守ってくれる場所で、本当の意味で言論の自由が保障されるのはこの時しかない。
この千載一遇のチャンスに自分が表現したいことをしなくていいのか、という気もする。
しかし世間的に大学の中でも言論の弾圧があるべきだという人が多すぎる。
そういう風潮をまず先にかえなければいけないのかもしれない。
まず目の前だ
最近、ちょっと情緒不安定?なんとなく落ち着かない。
まあこういう時期もある。気にしないのが一番←気にする時期がこういう時期か?

こういうときはまず目の前の課題をこなすことだ。

さて、今年の1月あたりの自分のブログを読み返してみた。

途中からめちゃくちゃ高度なこと書いてるな、と思う。多分今の僕にはあそこまで思考がまわらないかと。

その前は高度なこと書こうとして失敗して、なんか低レベルな感じになってる気がする。おもしろいね。

自分の成長が感じられてちょっと嬉しいかもしれない。

いつだって自分に圧勝するのは無理なんだなあ。
肩こりに効きます!
肩こりに湿布が効くと思ったので、貼ってみる。

エレクトーン弾いてたら、めちゃくちゃ肩こって痛いの何の、だったからね。

貼る。

冷たい。逆に肩こりそう。

でも、なんだか痛みはやわらいできた。

なんかオヤジっぽくて良い感じだなあ、とか思いながら。

いや、なかなか肩こりに効きました。良い経験。
文化祭おわり
高校の文化祭に行ってきた。まあいつもどおり。

懐かしいとか言う感覚はさらさらなく、いつもどおり。

まあ、他校生などいろんな人が学校内を歩き回っているのに少々違和感を覚えるだけで。

今日学校になんのために行ったか、全く謎が広がるだけになってしまった。

それにしても最近ブログの更新率が悪い。どうにかしなくては。

mixiと両立させようとすると、違う話題二つを同時提供しなければいけないのは少々つらいんだよなあ。

全都新入生歓迎祭というものには出ますよ。何がどうなってるのかさっぱりだけど。
中世音楽やばい
最近中世音楽にはまっている。11~13世紀くらいの西洋音楽。
グレゴリア聖歌の流れを汲んで、並行オルガヌム~3声、4声オルガヌム。
声部が少ないほど、重厚になる気がする。多くなると、華やかな分、軽くなる。
重厚なのが聞きたいと思ったとき、やはり1声が一番重いが、2声のほうが音楽的喜びが大きいと思う。よって2声のほうを聞いちゃうかな。
3声になると、軽くなっちゃって、グレゴリア聖歌の神秘性は薄れているが、今度は和声的な響きも楽しめる。
4声である必要は無いと思う。声部は少ないほど良い。
つまり落としどころが3声なんじゃないかな、といった感じ。
3声になくて、4声にある音楽的喜びというのはあまり無いから。
3声はものすごく立体的だから。

困ったことに、この時代の音楽を聴くと、バロック音楽が華やかな音楽で、重厚さを欠いているように聞こえてるのだ。
時代が進むほど、華やかになり、軽くなっていく。教会から世俗へと進んでいく。神秘さから華麗さへと移っていく。
このおとしどころはやはりバロック音楽かロマン派な気がするが、突き詰めた音楽として中世音楽は聞けると思う。
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