詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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ひどい世界
テレビを録画した。

DVDに焼いた。

PCに取り込んだ。

ここで、なんとかiPodに取り入れるように工夫したが、全然できないようだ。

どうも地デジだと無理らしい。

ダビングテンというシステムがある。

これは、著作権の観点から、録画したテレビは10個までしか複製できない、というもの。

10という数の決め方もいまいちよくわからないし、実際よくわからないシステムであることは言うまでもない。

まあ、これはいまの話題ではないのだが。

問題は、10という数字があって、それを破る気はまったくないのに、動画を複製できない、ということである。

10の使い方が、DVDだろうがメモリーカードのなかであろうが、PC内部の情報であろうが、かまわず総計して10というシステムということではないのか。

これは、複製を10までに抑えるということ以上に、動画を変換したり移動させたりすることを禁じているという点が非常に重いシステムということになっている。

世の中はいままで便利な方向に発展してきたかもしれないが、いまは不便に退化する一方である。

人間社会の破滅を垣間見る現象。
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歌を
ある事のために歌を作ろうと思ったんだが、今までに作った歌は人生観くらい!

どうしたものか、どうされたものか、

う~ん、なかなか書けないものです。今月中に書かないといけないのになあ。
始まってた!!?
気づかないうちにオリンピックが始まってた。

なんというか、もう全部見ようとする気力はないなあ。
年度が・・・
フランス語を始めて入るのだが、ラジオやテレビを使おうとすると、2月はすでになかなかハイレベルで困る。
と言っても分からないわけではないのだが。

というわけで、両方ともやっている。

語学は英語が撃沈しているので、まあ、苦手ではあるんだが、嫌いではない。

そして、フランス語はどうやら英語よりは簡単らしい。これはやっていてわかることである。


最近不安ごとが一つ一つ解消されていくのを感じている。いいことだなあ。
そういう人だったのです。
ある人に、あなたは音楽の厳しさが全然分かっていないと言われました。

その通りだとも思います。

僕は、世の中の厳しさというものを全く知りません。厳しいことで知っているのは、せいぜい腹痛くらいなものです。

あらゆるところで厳しさを知らない僕は、無謀でもあり、また恐怖もほとんど知らないのです。

僕には、後ろに引く能力を持ち合わせていません。

しかし、進み続けるだけというのも、今はいいのでは無いでしょうか。

僕は阻害するものを避け、乗り越え、とにかく進むのが、今やるべきことなのです。
感性のおもむくままに
自分が頭に浮かんだことをただ移していくだけのものが自分の作品であることは、この前に述べたことと思う。まあ随分前だけれどもね。

大体は、それはとてもくだらないもので、二度と確認するには及ばないのだが、すくなくとも自分の書いたもの、ということとして意味がある。

僕は、それを発展させることができる。少なくとも、発展させないことはない、と確信している。

さて、上に3行の文章、とてもくだらない文章であるということは、いうまでも無いが、その中に内包されている世界はとても広い。自分の意識から生まれたものが、なんらかの意識と関連しあって、すべてに影響するかもしれない。

もっとも広くない文章もあるかもしれないが、そこから、何も得ることが無い文章、そんなものが存在することはありえないと思う。

何か情報が入ってきて、それに対して、何も反応しないというのは、難しいことだから。これに対して深く突っ込むことはしない。

さて、上から4行書いていたときの話であるが、とても書きたい衝動に駆られたことが5つくらいある。また、この数字は概算であって、正確な数字ではないのだが。

挙げていこう。

確認すべきものがどういうことか

世界がどのくらいの広さを持っているか

発展の過程はどのようなものか

そして、すでに4行目の文章は、前の3つから生まれた発展であること、そのようにして世界を作っていっている実例である、ということなどだ。

最後のは特に語るべきものである。だが、それを見せることが出来てそれを認識させる文章を書いた、そのことだけで十分であろう。

最後に、どれだけこの文章から威圧的なものを感じ取るかはわからないが、またそれも発展の対象になるのである。
ついに復活!
詰まった!!は本日を持ちまして、
復活させていただきます!

実にほぼ数ヶ月のブランクを経て、この経緯に至ったのは、自分が地に堕ちつつあることを認識しているからであります。

ひとつだけお話をいたしましょう。

自分が地球上のあらゆる動物と同じ動物という区分ができるということがわかったとき、自分のこの文明の海に沈んでいる状態を海の上から見ることができると思います。

そのときに、自分が実はこういう状態にあるということをとても不思議に、そして不自然に感じることがあると思います。

そういう状況になったことが少なくとも僕はあります。他の方にあるかどうかは知りません。

そこにおける自分の位置づけ、これに対して、ものすごい奇跡を感じるというのは、多くの昔の人達、また現在も活動している方達にあることだと思います。

それになんらかの意味を見出す、それが、人生を考える上でのひとつの方法かもしれません。

もしこれが正しいとしましょう。

自分のその奇跡を十分に活かしきれない場合、これは、奇跡への冒涜だと考えます。

一方では慎重であると捕らえることもできます。

たとえ話をします。

あなたは、100mを9秒で走れる素質を持っていたとしましょう。

あなたはこの奇跡、なにに使うことになるでしょう。会社の遅刻に間に合わせるために走ることに使うでしょうか。

爽快な気分を味わうために、時速40km近い速度で走ることを楽しむでしょうか。

大会にでて、優勝し、名声をあげ、世界の頂点に上り詰めるでしょうか。

それとも、この能力を使う意味を見出さず、そのままこの能力が朽ち果てるのを受け入れるのでしょうか。

もしあなたが、最後の選択肢を選ぶのならば、社会一般の人からみて、どうも堕落していると見られるのは仕方がありません。

そして、もったいないことであり、これは社会の利益への損害であるともいえるでしょう。

なぜなら、どれも自分の意志でできることだからです。もっともあまりに束縛された人なら無理かもしれませんが。

では、この100mを9秒で走る素質というのを、この文明社会に生きていく人間としての素質ということにおきかえてみましょう。

お分かりでしょうか。社会一般の人からみて、この能力を使わず、生きていく行為を捨てた場合、これは社会への利益の損害であり、堕落であるということがわかるでしょう。
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