詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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授業(3)
授業(1),(2)から先にどうぞ。

Yさんに
「君は科学ってなんだと思う?」
理科っていうイメージ、という答え
「理科好き?」
いいえ
「一番好きなのは?」
・・・(略)
「理科で感動したことってない?たとえば磁石が引き寄せあうこととか、あたりまえ?」
あまり感動したことが無いとのこと。
「僕は鉛筆が落ちたらその重力という力だけで感動したことがある。そういう経験ないかな?
山登りをしたときに、なぜこういう風景がひろがっているのか、その風景に感動したことは?
宇宙の話を聞いたときに、このように広い世界が広がっていて、太陽や地球が存在することは不思議に思わなかった?
もっと身近なことでは、消しゴムで鉛筆の文字が消えることすら不思議じゃない?」
消しゴムの例だけなぜか賛同された。
「別に感動を強要してるわけじゃない。それは個人の興味と感覚の範囲だから。でも、身近なことや、あたりまえのようなことでも、不思議であるという感覚は大事だと思う」
身近なことを不思議に思うってあんまりしたことないですけど、必要ですよね、というので
「別に、身近なことじゃなくたっていい。科学館とかで、不思議な体験をしてもらったこととかないかな?」
科学館には行った事がないらしい。
「今度行っておいで」

「さて、今回の例では、山登りの人が、経験的に、天候や危険を察知することができる、という話だったよね。これが科学とどうからんでくるのか、そろそろ文章にできてこないかな?」


次、Hさんを見ると、8行くらいの文章が書かれていた。恥ずかしいので声には出し読まないで、というので、僕は黙読。
それにしても、前でやってる話楽しそうですね。鉛筆を落として重力を感じる楽しさとか私大好きな話です、などと言われたので、重力に関してちょっと話す。

Hさんの文章は、僕との対話がまとめられているものだった。僕は、論理の抜けや、倫理的な矛盾を次々と突いていく。

Yさんのほうも、文章の要約が3行ほど書かれているだけだった。やはり、考えというのは、文章化するのは非常に難しいらしい。

「君自身がどう思ったか、というのを書く必要がある。もちろん、これには慣れや、語彙力が非常に必要になる。でも、今回、その考えるという事に対してヒントはいくつかあげられたと思う。じっくり自分で考えてみて」

授業終了。

YさんとHさんは友達だったらしく、Yさんは悪、哲学に興味があったらしく、Hさんは、科学のほうの話にも参加したかったとのこと。

二人でお互いに考えたことを話し合ってみて、と最後のアドバイスをして、授業が終わった。
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授業(2)
そもそも国語の文章題で、題名と著者名というのは、非常に軽視されがちだ。
よほど重要な人でなければ、それは無視される。

だが、詩などで、その作者がどのような年代の人で、環境はどうで、家柄がどうで、性別がどうで、どのような時期に書き、どのような心境があり、他にはどのような作品があり、詩に対してどのようなコメントをしていたり、ということは無視できないところである。

もちろん、家柄や性別や国籍やその他で、詩の良し悪しが変わるわけではないにせよ、非常に分析や作者の意図を読み取るのに役に立つ。教科書に載る詩は、作者の簡単なプロフィールと写真はあるが、いつの時代で、どういう環境で書いたかということまで書いてない。問題集だとなおさらである。国語の授業の問題点は、まさにここにあると思う。つまり、文章だけのアプローチに留まり、深く追求するにも限界がある。

僕は、もちろん、指示語を読み取ってもらうだけ、のようなことなら機械的も技術的にも教えられるし、それが点数に結びつくかもしれないとしても、深く思考する、ということが点数に結びつくこともあるだろうし、せっかく教えられる機会があるのだから、ということで、今回は深く追求することにした。

まずHさんのほうから質問をした。
「題名は、「悪の哲学ノート」だが、なぜこのような題名になったと思う?」
いきなり言われてもわからないという返答
「では、この題名の悪とは何か?哲学とは何か?筆者が考えている悪とは何で、哲学とは何か、それに対して君はどう思うか、書いてみて」

Hさんは、悩む。

それで、今度はYさんに向かって、
「この論説は、「科学的思考」とあるが、筆者の考える科学的思考とはなにか?また、君自身はどう考えているか?」
Yさんは、科学、という言葉と、思考という言葉がわかりません、と言う。
僕はこの質問に大変感動した。
当たり前に見える言葉に対して疑問を持つ力、それをぶつけてこれる力、その言葉の意味がヒントになりそうだという直観力、卓越している。
「ここで辞書を引いてみよう。辞書は客観的な事実しか書いてくれないから筆者の使っている意味にたどり着けない可能性は十分あるけれども、助けになることも多い」

―科学 
一定の目的・方法のもとに種々の事象を研究する認識活動。また、その成果として体系的知識。・・・

―思考 
①考えること。経験や知識をもとにあれこれと頭を働かせること。
②哲学で、広義には、人間の知的精神作用の総称。狭義には、感覚や表象の内容を概念化し、判断し、推理する知性のことをいう。
・・・
(大辞泉)

Yさんは、「広義」「狭義」「表象」「概念」の意味を質問。全て解決させる。

「あまりこれに深入りすると戻ってこれなくなるから、もし深入りしたければ、自分でやってね」(90分授業のため)

「さて、僕自身は、科学というのは、観測、実験から演繹的、もしくは帰納的な推論によって得られる知識体系と認識している。これは僕の認識であるから間違ってるかもしれない」
ここで、演繹、帰納の二つの言葉を説明。
「さて、そろそろ科学について、筆者がどう考えていると思うか、書けるかな?また君自身がどう考える?とりあえず、何か書いてみて」


Hさんもなかなか進まない。3行か4行書いていたが、恥ずかしいので見せたくないとのこと。その気持ちもよくわかるので、見るのは強要しなかった。

どう考えていいのかわからない、というHさんに対し、僕なりに考えたヒントを与える。
「シロアリは、まず私達人間にとって、害虫か益虫かを考えるとうまくいくよ」
害虫だと思うという答えに対し、
「害虫ってことは、とりあえず、「悪」ではあるよね?」
「悪」ってなんですか?との質問。

僕は本当に嬉しくなった。しかし、これは難しすぎる上に、それが答えに直結してしまう可能性がある。
少なくとも僕には答えられないので、これを考えることにした。

「「悪」の対義語を考えよう。何だと思う?」
「善」だと思うとの回答。
「「善」って英語だとなにかわかる?」
そんなの習ってないよ、などというので、
「「善」は"good"だよ、とりあえず、goodを辞書で調べてみたら」

good
役に立つ、立派な、有効な、十分な、シリアスな、知的な、幸福、長所、善、徳を成し遂げる力、・・・
(ジーニアス英和大辞典)

「その対義語ということをまず考えよう」

「役に立たない、立派でない、不要な、、、徳を成し遂げる力がない・・・、だよね」

難しいです、と言うので

「今はそれを考えるのが目的だから」

それから哲学って何ですか?と質問するので、

「哲学の創始者はタレスで、古代ギリシャではじまり、ソクラテスにひとつの全盛期を迎える。その頃は、宇宙がどうなりたっているかを研究する学問だった」

ブリタニカ大百科でタレス、ソクラテスを調べ、教える。

「哲学は、思考によって宇宙の成り立ちを考える学問だと僕は思う。科学は、観測と実験、そして、工学は、それを役に立てる学問ということで、工学は科学に頼り、科学は哲学に頼るというような一種の力関係も生じているように僕には思われるね。哲学と科学は、実際どう役に立てるかは問題にしない」

「時間もないので、本当はじっくりとやりたいんだけど、考えることの雰囲気をとりあえず味わってもらう。90分は短すぎるよね。とりあえずここでいう筆者の悪とは何だと思う?」

とりあえずシロアリは、人間には害をなしてるけど、自然界では、必要なものとなってる。等の言葉で、迷う。

「害を為すと思われているものでも、視点を変えれば善になって、必要なものになるのかな?」

そうだ、というので、

「では、自爆テロのときとかに、テロリストは、その団体の中の人にとっては、神のようにあがめられているかもしれないし、感謝されているかもしれない。ではテロリストは一部では善なので、必要なものかな?」

いや、それは違うと思います。

「じゃあ、ある部分にとって善ならば、通用する(ここでの通用というのは本文中の言葉だった)というのは、この例と矛盾してしまう。そこらへんをよく考えて書いてみて」


Yさんは、僕とHさんのやりとりに気づいて、
先生、後ろでもこんな話してるんですか?
「別に教科書どおり進めてもいいけどつまんないじゃん?こっちのほうが考えられて楽しいでしょ」

続く。
授業(1)
今日とある生徒に教えた国語の授業はなかなか秀逸だったと思う。

中三のYさんとHさんに対して。

ほとんどなんでもできるYさんと、
説明文が苦手というHさん。

別のとても短い論説文を読ませた。7行~10行のごく短い文章。
問題は指示語の内容把握問題だったが、それは二人ともよくできていた。若干Hさんのほうが、具体性が足りなかった。

Hさんのほうは、著者名は忘れたが、「悪の哲学ノート」の一部分で、シロアリの自然界にとっての必要性を説いていた。

Yさんのほうも著者名は忘れたが、「科学的思考ーものづくりの立場からー」で、登山者は天候を察知する能力があり、木のあとや土などから、危険な動物を察知できたりすることは驚きである、というような内容であった。

HさんにもYさんにも、なぜこのような本の題名になるのか、ということを質問した。もちろん設問ではない。

二人とも、この質問の意味がわからなかったが、ここから一気に深い思考へと導くことに成功した。

続く。
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