詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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奇妙な
今日は、とある友人に、まあいきなりといえばいきなり、お願いといえばお願いされて、油画科の講評会でピアノを弾くという奇妙な体験をしてきました。

そのピアノは、まず鍵盤が重くて、強いタッチじゃないと鳴らないことがある、真ん中のソの音は、内部の事情で♭ラが鳴る、そして、一番の特徴は、鍵盤とLEDライトがリンクされているということで、単純に言えば、弾くとピアノの上のオブジェが光る、とまあこんな仕組みです。

まあ、曲なんて用意してるわけもなく、電車の中でドビュッシーを聞きながらイメージトレーニングをして、即興演奏しました。

オーストラリア人の方々が講評会に来ていらしゃって、その方々と油画の2年の半分くらいの前でピアノを弾くという、芸祭以降最大の聴衆で、それなりに緊張もして、弾いてきました。

即興も既存曲も聴衆に聞かせるということに対して、一切の妥協は許されませんから、ただちょっと音が自由というだけで、既存曲と変わらない完成度で弾かなければなりません。

タッチもペダルも効かないようなピアノで観客に聞かせる、ということは、また新たな表現練習になったような気もします。

話は変わって、今夜は、副科フルートの先生の木ノ脇先生のコンサートでした。
現代曲や自作曲、クラシックまである演奏会だったのですが、聞かせ方が非常に上手で、(ハインツ・ホリガーの曲はプログラムに楽譜(一部)付き!)皆がどの曲も興味を持って聞いていました。

いろいろな体験ができた今日という一日に感謝!
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昨日の
昨日の日記。
割といろんなことがあった充実した日だった。

朝、なかなか起きれず、しかしフルートレッスンは最重要なので、必死に大学へ向かう。

曲は新しくなって、バッハ作とされているC-durのソナタ

かなり難しい。指使いもさることながら、やはり跳躍、とくに10度以上の跳躍をしつつ、低い方にアクセントというのは悪戦苦闘。洒落になってない。

で、なぜかいきなり全楽章やって、そのあとは、タングラムの練習と循環呼吸の練習をして、終わり。
先生は、「副科のレッスンをすることは専科と同じくらい大事で、基本的な技術や、フルートの根幹について改めて考えさせられることになる。以前は専科だけやってれば良いと思っていたが、考えが変わった」というようなことをおっしゃって、なんとも光栄極まる。

次回は3週間後だが、ピッコロもレッスン対象に!

昼休みはホルンのレッスン。先生が5歳児のための嚥下矯正の本を持ってきて、これで口の形を直すという。そして、こういう実験のために副科がいる、とおっしゃるから、今日は副科がモテモテだ。

レッスンはその場で数千円で買われた院生の方にしていただくことになり、音程の基本と指使いの原理について習う。

13時からは、イタリア語もフランス語もサボって、2年生の歌曲審査へ。
技術と音楽性、詩や日本語との絡みかた・・・、大変勉強になった。

16:20からは作曲レッスンで、
トランペットソロやオーボエソロを持って行くが、全然駄目じゃんみたいな感じになりつつも、オーケストラのほうが酷くて、落ちたら責任感じなきゃいけないの?とか言われる。はい。

マメールロワの連弾と、そのオーケストレーションについての研究を行い、管弦楽の基礎中の基礎で常識なるものを教わる。

夜は作曲の同期を誘って、先生と3人で飲みに。
いろいろあって、酔っ払って帰宅。

さて今日はさっき行動開始。さてさて。
天国と地獄
天国から地獄へ向かう途中のことであった。

誰かが声をかけてきた。
「何の罪を犯したのだ?」

「罪など犯しはしない・・・、馬鹿げたことを」

「なんと堕落していることだろう!折角天国に入り、豊かで快適な生活ができているというのに、下らない欲の為に身体以外の全てを棄てようとは!こうなってしまった以上、お前には拗ねる道しか残っていないのだろう。嘆かわしいことよ」

私は笑い出しそうな気分で歩みをつづけた。なんとも馬鹿らしくて問答すらできない。豊かで快適な生活こそが、堕落であることは言うまでもないのに。いや、確かに豊かな生活をしながら堕落しないことは無理ではない。しかし、私には全く受け入れられない。

背中で声の主は倒れた。寿命かもしれないし、病気かもしれない。精神が致命的に病んでいたのだろう。

私を照らす太陽はただ一つ。私の身体もただひとつ。ただ、私には自然がある、孤独ではない。

地獄への道など知らない。ただこのまま進めば辿り着けることだろう。どんな弊害があろうと、どんな誘惑があろうと。

老人達は、生きることは、堕落することであると思っている。堕落から逃れようとして、さらに堕落しているのだ。
価値もない肉体にしがみつき、己の精神は肉体を支えるためにある・・・、可哀相な人達だ。

私には役割などない。ただの肉体だ。いまさら精神と肉体を分離しようとは思わぬ。私は私であり、操るものなど何もない。

また、歩くということで私を保っている。隣に黒い透明物があろうと、それは私になんの影響も及ぼさず、まっすぐ進むことができる。

地獄こそ、終わりのない目的であり、私はそこに行かねばならぬ。私のみた風景を残すために、私を残すために。

自然といれば餓死はしない。下らないルールなど守る必要はない。
ルールは本能であり、ジャッジは自然である。

巨額の富を注ぎ込んでようやく手に入れたと思っている真面目な人の1日が私の持つ1分にすら及ばない。ただ、地獄へ向かうということで、金銀財宝の価値を超えた時間を得ることができる。

まだ、地獄の入口は見えない。ただ、5匹のケモノが私を導いている。
再開
バイトを再開した。
1ヶ月半以上も休んでいて、それなりに教室のなかも変わっていた。

生徒も多くなっていた。
それでも、皆覚えていてくれて、中には飛び上がって喜んでくれるような子も・・・、こんな瞬間ほど教えていて嬉しい瞬間はない。
時給や経験など、関係ないほど充実されるのである。

初めての生徒も何人かいたが、印象悪くならずに楽しく教えることができている。

しかし、慣れというものの怖さを体験しつつもある。なかなかやる気の出ない生徒にたいして、はじめた当時なら全力を挙げて、なんとか興味を引こうとしただろう。
しかし、他の生徒のこともあり、どうしても真面目な子に集中してしまい、不真面目な子には大人しく何らかの作業をさせておくに留めるような、一種の無視へと進んでしまうのである。

個人指導の目的は、生徒の人間性の充実をはかると共に、特有の方法を発見して個性を伸ばし、苦手を克服するところにあると思う。なんといっても個人ごとに方法を変えられるのが素晴らしいのだ。それなのに、無視というような状況に進んでしまう。

いつまでも、そしてより、親しく、尊敬され、学力や考える能力、人間力を高められるような指導者でありたいものだ。

先生、というのは最大級の尊敬語なのだから。
うなされて
今朝は夢でうなされていました。とにかく、どこか新しい所へ行くというときはうなされますね。

昨日、家に酔った状態で帰り、口の中が気持ち悪かったので歯磨きをし、風呂が空くまで待っていたら、なぜかもう寝てて、、気付いたら2時、すぐに風呂はいり、再び歯磨きをして寝る・・・といっても寝付けないのですが。

さて、新しい場所とはどこかというと、チェンバロのレッスンとして、テシュネ先生の御自宅に行くわけです。いやはや、なんとも楽しみだったのですが、僕が降りたことがに駅・・・、というか乗ったこともない線を使うものですから、遅刻におびやかされ、それでうなされるのです。

実際は2時間で着くのですが、余裕をもって3時間前に家を出ました。あまりにも早過ぎたので、秋葉原で時間を潰していました。

そして、待ちに待ったチェンバロレッスン、と思ったら、隣の家にずかずか入り込んでしまい、その家の方に、はあ?みたいな顔されて、恥ずかしい思いをしました。

久しぶりすぎて、何が何だかもうさっぱり覚えていませんでしたが、平均律3番を弾いて、そのあと武満の夢見る雨を弾いて、最後にBetsy JolasのAupresを初見で弾きました。チェンバロを教えてもらうことは、音楽のスタイルとアーティキュレーションと、文化を教えてもらうようなものです。非常に楽しいですね。

さて、今は帰路。ですが、寄り道しようと思います。
現代音楽と戯れる
日記書く時、なるべく他者に読ませるレベルは維持したいですが、結局自己満足に終わり気味ではありますね。

3ヶ月ぶりのフルートレッスン、宿題ハインツ・ホリガーの(t)air(e)...だったのですが、無理だったので、バッハのソナタを持って行きました。
先生によれば、「いきなりかなり高度なことをしているけど、そのおかげでベーシックな技術も付いてきた」ということでありがたい限りです。

早めにレッスンが終わったので、作曲棟で練習、と思っていたのですが、寝てしまいました。昼休み、ひょこっとキャッスルでたむろしていたら、昼休みはホルンのレッスンがあったことをすっかりわすれていて、終わる10分前という時間に駆け込み、ホルンのもっとも古い楽器(角笛)を吹かせて頂いたりして遊んでいました。人骨トランペットもいずれ吹いてみたいですね。

3限はイタリア語
再帰代名詞でした。フランス語と構造は大体一緒みたいらしいですが、間接目的語の幅が広いみたいですね。

4限はフランス語、ちょっと中級にしては簡単すぎるのですが、、まあ簡単なレベルをしっかり身につけるのが今の目標なので、もしかしたら丁度いいかもしれません。

5限以降はアンサンブルイティネレールの公開講座。
去年、トリスタン・ミュライユが来たときよりもかなりフランス語が聞き取れて嬉しいですね。野平先生の訳とフランス語の相違も聞き取れて、勉強になったのと同時に野平先生の凄さが改めてわかります。
楽譜が見れたのはとても嬉しいことでした。また、演奏者に少しフランス語で質問できたのは光栄です。
演奏は素晴らしくて、情熱が感じられました。本当に現代音楽と向き合って演奏する、ということに日本ではあまり出会わないような気がしていましたので、かなり良い経験になりました。

その後、日野原先生と鈴木純明先生と3人で飲みに行きましたが、いろんな話を聞けて、やはりこれも勉強になりました。叱られっぱなしでしたが・・・、

今日はとても得ることが多かった一日だと思います。
眠いもんだ
昨晩フランス語の宿題をやっていたら夜更かししてしまって、結果今日一日中眠い。(平和な書き出し)

それで、2限のフランス語に遅刻するという失態。
なかなか会話が進まない。どうも、、好調不調の波が激しい。不調のときに、なんとか止まらずに会話できるくらいの技術を身につけたい。

3限の現代音楽ソルフェージュでは、武満のピアノディスカントスだっけ?の初見と、メシアンの20のまなざし12曲めの初見。非常に殺人レベル。

4限~は休講なので、ふらふら遊んでいたら、いや、練習していたら、声楽の方が入ってきて、フルート吹いたり歌の伴奏したりで遊んでた。
そんで、17:30頃作曲棟行けば、見知っている作曲科がヴァイオリンなる楽器を弾いていたので、ベートーベンのソナタを初見&数年ぶり、みたいな感じで合わせるが、みごとににっちもさっちも行かなくなり、そのまま行きつけの中華料理に行って、今帰っています。それにしても足が疲れている。

明日までにイタリア語の宿題やらないとなー。
走り回り
朝、ドイツ語のラジオで起きる・・・多分ドイツ語だと思う。

動詞を始めに持ってくれば疑問文になりますから簡単です、とか言ってた。夢だったかもしれない。

と、気付けば何故か既に9:00、何故?

学校まで2時間弱かかるのに、10:40から授業。しかも先週も寝坊、出席も危うい・・・。
急いで支度すると、親が病院まで行くとかで、今すぐ行けるんだったら駅まで送るとのこと。実に起きてから出発まで8分くらい。

結果割と余裕で学校に着き、途中で買ったおにぎりをぱくぱくしながら授業が始まるのを待つ。
教員が、生徒に静かにして欲しそうにしているのだが、素直に言えないらしく、皮肉で弱く、「質問でもあるんですか!」とか言うので、質問してあげる。これ、やってみたかった。

で、昼休みは久しぶりにフルートでも練習して、
3限イタリア語、4限フランス文学

フランス文学はヴェルレーヌを中心にやっていて、最近は辞書なしでも割と読める。ボードレールやマラルメにくらべて語彙は単純だからかもしれないが。

5限は尺八。
といっても水道管。
音は割と簡単になり、ふうふうやってたら、尺八習ったほうがいいんじゃない?とか言われる。嬉しい。
調子乗って、指穴から息を吹き込んで音鳴らしたりして遊んでたら、そういう奏法はないが、やる人はいる、とか言われて、怒られたりはせず、そして、クラス中に広まってしまった。

尺八を抱えたまま、洗足学園に、アコーディオンのゴルトベルク変奏曲のリサイタルを聞きに行く。先着200名にCDプレゼントと聞き、それを目指して20分前に着くように学校を出たのだが、、、
溝の口で迷い、歩けど歩けど学校には着かぬ。
走って捜し周り、結局5分遅れて学校に到着したのだが、探せど探せど前田ホールには着かぬ。
結局守衛さんに聞いて入った時にはすでに10分遅刻、汗だくで演奏中に3階から入り、流れてる曲は妙な和声の現代曲。あれ?ゴルトベルク変奏曲じゃないの?とか思っていると、聞き慣れたゴルトベルク変奏曲が。
1曲~3曲おきに現代曲が挟まれながら演奏されるという、ずいぶんマニアックな演奏会であった。
知ってる部分で何回か暗譜飛び、ミスタッチと思われる部分があったが、それにしてもアコーディオンという楽器は美しい。
結局はパイプオルガンなのだが、音量の調節が出来、しかも呼吸するが如く歌えるというものだ。ストップによっていろいろな音色が出せ、いわば、究極的にロマンチックなオルガンと言える。
特に掛留によってもたらされる2度の美しさは比類ない。クラスター的な和音でさえ美しく響く。
一瞬で虜になり、ミスタッチに少々ヒヤヒヤさせられながらも、心から拍手を送ることができる演奏であた。
アンコールでテーマが演奏され(なぜアンコールに?と思われるかもしれないが、これは極めて必然であった)、聞けなかったもっとも美しい部分を味わい、帰ることができる、とおもいきや、パンフレットの裏に3桁の数字が書いてある方にはCDのプレゼントが、というアナウンス、パンフレットを裏返せば160という数字が!
ありがたく握手とCDを頂戴し、演奏会を知らせて下さった守山先生とも挨拶をして、無事帰宅中である。それにしても水道管尺八をもちながら知らない町を走り回り、足が大変なことになっている。

さて、明日までにフランス語の宿題をやらなきゃなー。
音楽大学的授業
1限、ピアノ
ベートーベンのピアノソナタ31番なり。
「変な曲だけど、あなたは変なだけなのよ」

2限なし

3限、指揮法
何度も振らせて頂いて満足・・・、だが、だんだん申し訳なくなってくる。でも、みんな「振りたい人」って言われて挙手しないんだから、まあいいのかな。
曲はドヴォルジャークの大失恋ソング・・・らしい。

4限、現代音楽技法
ミュライユのデザンテグラシオン。
良い曲だった・・・スペクトルずるいなー。

5限、フーガ
といっても第一提示部見せただけ。主題作るの難しい・・・。

今日は、本当に音楽大学なんだなあって感じの時間割ですね。
異質な授業ばっかりです。

そして、やけに早く帰宅しています。19:30には家につきそうですね。
イタリア語でも明日にそなえてやりたいものですが・・・さて。
金曜日
今日は金曜日、作曲の日は火曜日と金曜日、まさに作曲の日であった。

フルートが休講なので、ホルンに出かける、、のだが、スティーブ氏のニュース・ドキュメンタリーを見ていたら遅刻してしまった。

ホルンには20分ほど遅刻、実に3ヶ月ぶりに楽器を持ち、故郷などを吹く。鼻が痛くなる。

次はイタリア語。試験返却。まあ、studiareの活用ミスなどというあまりにも痛々しいものがあり、95点。内容には満足いかなかったが、点数としてはこんなものだろうか。悔しいミスを減らすのが試験では重要だ。

そして、フランス語中級も試験返却。
気合い入れただけあって、100点。ミスが無かったのは初めてで、語学で満点を取ったのは人生初である。
Harmonie du soirの全文記憶というトリッキーなことを二人でやってしまったため、皆の点数を下げてしまいました。ええ、自慢です。

最後は作曲のレッスン。夏休みの話などして、オーケストラを見せた。
先生の反応
「・・・」
「意外」
「なんか影響あったの?」
僕はもともと作風に固執しない、という癖?があるつもりだったが、ここで炸裂したかな?
そのあとキャッスルの教員専用室でコーヒーを飲み、奏楽堂の卒業生演奏会を聴きに行く。
なんというか、あまり感想が得られない感じだった。
ソリストのトロンボーンは上手いし、ヴァイオリンなんて凄まじい感じで、僕はそれだけで満足できたからいいのだけど。

そのあと中華料理をお腹いっぱい食べて650円・・・安い。

それで、終電で帰っております。
やっぱり大学が始まると楽しいことの連続ですね!
繋がりに向けて
日記を続けます。

今日は2限からフランス語ということで、NHK毎日イタリア語で目覚め、自動車で駅まで行って投稿。
フランス語中級はやけに簡単な内容に見えたのですが、
Je n'ai pas lui en offre.(アクサンは打てないので省略) みたいな文章組み立てて話すのはなかなか辛いものがありますね。

昼休み、ご飯を食べながら、
89.3=3.1に点を4つ加えて式を正しくしなさい
という問題を出題しますが、答を見せてもキョトンとされました。あれ?

昼休みテシュネ先生と話して、次回からのチェンバロレッスンは先生宅で行うことになりました。楽しみです。
それから、12月のフランス旅行の話をしたところ、コンセルヴァトワールの先生に連絡して授業の見学などさせてくださるかもしれないとのことです。本当に願ってもないことです。

3限の現代音楽ソルフェージュでは、譜めくり以来の藤井先生で、楽しくできました。
普段の音階遊びが役に立ったようです。

4限の芸術文化環境論では、試験返却と次回からの発表決めでした。ちなみに試験は満点でした。さすがにねー。

5限のコンサート企画運営論では、特に僕はこれといったことはありませんでしたが、進展させたいところであります。

いろんな繋がりが繋がりを呼ぶのですね、内向的ではやっていけない世界です。
明日は久方の光の作曲レッスンです。さてどうなることやら!?
悪口論
人間だれしも悪口を言われたいとは思わないものです。

しかし、偽りの賛辞のようなものを受け取るのも、なかなか辛いものです。

そもそも、悪口というものは、性質のことなるものがいくつもあります。

「お前は嫌いだ」
「お前は不細工だ」
「お前は努力不足だ」

etc.ですが、全て性質の違うものと言って良いでしょう。

「お前は嫌いだ」タイプの悪口は言ってしまえば好みの問題であって、私と対象との関係の悪さを主張する相対的評価であって、絶対的に悪いと言っています。
弁護するとすれば、お前は視点によっては良いこともあるかもしれないが、全体的に私に受け入れることはできない、といったところです。

「お前は不細工だ」タイプの悪口は、私から見てではあれ、絶対的悪さを主張しています。これは「嫌い」タイプとは違って、ここを直したほうが良いというニュアンスもだせます。進歩的悪口とも言えるでしょう。

「お前は努力不足だ」タイプの悪口は、悪口というより、ただのお叱りです。これは、相手を評価しない、というよりは、評価に値がゆえ、さらに高めたいという意図がある言葉です。

このように、悪口はたいていの場合、それがただ単に否定的評価だけというものではありません。その意図があるといえるでしょう。
このような悪口が喧嘩の元となるのは、その意図が解釈できなかったり、相手の忠告が上から目線に感じてしまうといったような、悪口を言われた人の解釈不足、思い上がりからくるものと言えます。
それに対し不服がある場合は議論に持ち込めば良いのです。

ただ、悪意のある悪口、挑発的悪口となると話は違ってきます。
相手を怒らせることに意味がある悪口はそれが非常な場合でなければ、まず進歩を目的としているわけでは無いように思われます。

僕は悪口の言われ方という技術を提唱します。
悪口は悪というわけではありません。その聞き方、拒否するにしても受け入れるにしても、それだけの容量と謙虚さが必要です。
どのようにすれば、自分が先へ進めるか、相手を先に進められるか、社会が善い方向に向かって行くかということを客観的にとらえて悪口を評価すれば、きっと、悪口はただ拒絶するのが良いとはならないと思っていただけるかと思います。
triste
今日はいろいろ自分にとってのマイナス面を見せ付けられた日であり、悲しくもあり、逆に、頑張る原動力にもなるような、そんな日でした。

まず、深夜までskypeをしていたせいで、起きれなくて、2限をサボってしまうところから、あきらかにろくな一日が始まらないことが確定です。

飛び起きて家を出たのが11:02、そして、バスに乗って、学校に行きますが、その途中、携帯電話が見つからなくなってしまい、学校についてから、いろんな人に掛けてもらったり、バス会社に電話したり・・・それでも見つかりませんでした。

なお、学校についたのは、12:45で、2限には135分の遅刻といえますが、まあ、救いようが無い感じでした。

13:00から、イタリア語の授業がありましたが、試験返却と、解説のみです・・・が、
試験が自分の思った以上に出来てなくて、非常に出来てなくて、
出来ていると思った問題があまりにも多く間違えすぎていたこと、
dovereのような超基本単語の活用を間違えていたこと、
非常にショックでした。
点数自体は悪いものとは言えないかもしれませんが、ケアレスミスの多さや、詰めの甘さや、
根本的理解にまであまり至ってない感じをまざまざと見せ付けられました。

14:40からは、フランス文学の授業ですが、提出したレポートが課題内容に沿ってないとかいう、ひどい指摘を頂き、、また、粗も結構見えてしまったのが残念でした。

16:20からは、尺八の授業で、まあ、なんというか友達、といっても先輩だけど、が教壇に立ってガイダンスという、まあ不思議な感じで、
音を鳴らすことは簡単でしたが、酸欠で頭がくらくら・・・
朝ごはんも昼ごはんも食べてないのが原因でしょう。

尺八が終わったら、フランス語初級にお邪魔し、先生に悩み相談をして。

帰りに家に電話したら、津田沼の交番に携帯電話が届いているとのことで、親に送ってもらい、運転して帰ってきました。
多大なる迷惑を掛けてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいであります。



・・・・最近、このブログは日記化していますが、更新を保つ気分なだけなので、つまらないとかは悪しからず。
オーケストラ
今日、とある人物のモーニングコールで起こされ、そのまま招待券を貰って東京オペラシティに行くことになりました。

聞いた曲はベートーベンやショスタコーヴィチなど。

仙台フィルの演奏で、流石に本気というか、惰性では無いことがよくわかります。
音楽も楽しめて、非常に満足でした。

実は、東京シティフィルの新楽団長に会うのが目的でした。夏休み同楽団と絡みはあったのですが、僕のミスというか行き違いで、失敗してしまった関係を戻す、というか、そんな感じで、今度こそはしっかりと社会的にやり直したいと思います。

学生のうちは失敗が許される・・・といっても、失敗は恐ろしいですし、限度もあります。
出来る限り頑張らないと、ですね。
3ヶ月ぶり
実に3ヶ月ぶりの授業であった。

一番始めの授業は・・・、フランス語演習!

といっても、この授業は履修しているわけではない、が、まあ教科書を買って毎週行っていればまあ履修しているようなものだ。

会話の練習をして下さっているのに、全く発言できない自分が悔しい。

なんとか、なんとか食いついて、前置詞やら活用のミスは気にせず発言することが大事だと思い、なんとか発言するが、それでもなかなかできない。悔しい。

次の授業は、今までに印象に残っている先生を、ということだったので、ssk先生を挙げさせて頂いた。

その後行った中華料理がなかなか凄くて、3人で1800円なのに、たっぷりと鍋や回鍋肉、酢豚などを食べれて満足。味も量も値段も理想を超えていた。立地だけが残念なくらいだ。

帰り道には、2年半、ずっと話し掛けられなかった歌科の方と絡めて、非常に満足している。

さあ後期はどんな楽しい、不思議なドラマや出会いが待っているのだろう!
終焉
夏休みも終わりを迎えた。夏休みが終われば秋なのだから、本当に夏は休みだ。7月中旬から実に2ヶ月半もあった。

大きく分ければ、9月初頭の芸祭前と後で、活動内容も全く違った。

芸祭前については、宣伝で良しとすれば、ここに書くべきことは芸祭後である。

僕はある目的のために、引きこもってオーケストラを書くつもりであったが、芸祭の後片付けや、桐朋に行くような用事が続き、結局9日からが暇な時間が取れた。しかし、13日から飲み会の連続、更には15日から山形への免許合宿ということもあり、結局取れた時間は4日にすぎない。

日にちとはなんとも無情なものだ。

それで、13日の飲み会→泊まってからまた14日芸祭打ち上げで、家に帰ることもできず、山手線で仮眠を取ってから打ち上げに行き、、12時頃家に着き、15日から2週間の免許合宿のための用意をし、その朝6時には家を出るのだから、体力は限界まで近づいていた。(もちろん自業自得という言葉がぴったりであるのは言うまでもないことだが)

結局、寝不足のまま山形に着き、その当日から講義と実習であった。
その晩は眠ったように死に、そして、16日の朝がきた。
21日に仮免の検定があり、技能学科ともに合格しなければ、28日に家に帰ることは不可能となってしまう。
本気の勉強が続く。
20日には効果測定という名の模試があり、これで46/50(合格45)という危ない点数で通るが仮免の検定は48/50で無事に通った。

それにしても・・・、ここまで、一緒に合宿行った人以外との生徒との会話がほとんど無いというのは非常に残念であった。
もちろん、azb生が内輪だからなのだろうが。
検定の日は、台風の影響もあり、嵐で、そんな前も後ろも見えない初路上。
それでも、やっぱり運転は楽しいもので、山に行ったり川を渡ったり、田んぼのなかを通ったり、わりと山形を満喫する。
25日からは、合同演習となり、常に後ろに他の生徒を乗せて走ることになる。

初回はほとんど会話が無かったものの、26日からは調子も出てきて、ようやく内輪から抜け出す良い機会になったのだが・・・、
卒業検定までもうあと2日となっていた。
この日受けた効果測定は100/100で、一安心しながらも、運転面にはいくつが難がある状態だった。

27日には、自転車で闇雲に山形の大地を走った。2時間という時間制限の限界まで走った。
お土産を買ったり、合同演習の生徒のお勧めする店に行ってみたり。

また、27日には合同ディスカッションがあり、ここで、皆の名前や性格や出身が判りかけてきた・・・次の日は卒業検定であった。

決して短い時間とは言えなかったが、もうちょっといろいろ遊べても良かったと思いながら(実際に遊んだといえるのは27日だけであった)、卒業検定も無事に合格し、そのまま別れを惜しみつつ帰ることになったのだが・・・、

東京の御飯は非常に美味しい。山形はなぜあんなに酷かったのだろう。(主に校内の食事である。外食はそれなりだった)

未だに、なんでも美味しく感じられる東京、千葉の食事、そして、山形の記憶は一期一会として残り。

29日には、免許を取得しに行き、時間はかかったが、無事取得し、その日から連日車に乗り続けている。
そして、今日、新しい車が到着する。

それにしても。

同乗者に心地良い運転を提供したいと思う心が、慣れや自信や煽りによって砕かれることの無いように、と願っている。
そして、その心こそが、山形で得た最も重要な事であったと思う。
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