詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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(特に人間の)死について。
このブログも3周年を迎えました。この記事は981記事め、一日あたり0.894回の更新率。なかなかがんばったかな。

さて、プラトンの「パイドン」を読了。強烈な本だった。(ネタバレ注意!)

ソクラテスは二回、魂が不死であることを主張する。両方とも、あのいつもの弁論術である。

ソクラテスが弁論術を使うとき、いつも、ソクラテスが本気で言っているのかどうか、怪しいと思うことがよくある。

特に二回目の主張は、
生きているということは魂があるということである。

魂は生きているということを内包する。

背反するものは受け入れない(奇数は偶数になりえないし、熱いものは冷たいものになりえない)

生の反対は死である

ある性質を内包するものは、その性質と背反するものを受け入れない(3は奇数という性質を内包する。3は偶数という性質を受け入れない)
―↓―
魂は生という性質を持つので、死という性質を受け入れない。

魂は不死である。

魂は不滅である。

死んだとき体は死ぬので、魂を受け入れない。

魂はどこか(ハデス)へ去っていく、が不滅である。

とまあ、いかにも頓知であるわけです。

しかし、これは饗宴のディオティマと相反することを言っているかな、とも思う。

エロスは美しいものを求める。

求めるものは自分に無いものである。
―↓―
エロスは美しくない
・・・のではなく、美しいのと醜いのと中間なのです、というのがディオティマの主張。

ということで、魂は生と死の中間なのです・・・なんだこれは、意味がわからん。
やっぱソクラテスは正しい?いや、そんなはずは・・・。

まあ、ソクラテスが本気で言っているという説が主流のようですが(これに逆らう説あるのか?)、あえて僕は逆らってみようと思う。

ソクラテスは、これは本気で言ってないと思う。

ソクラテスは証明が終わると、すぐに、ギリシャ神話とはまったく違うような(多分。ギリシャ神話を読んでないので、よくわからないが、こんな神話ギリシャにあるのか?)神話を語りだす。

この神話は、地球が中心にあるという前提で話すのだが、中心にあることを言及するさい、確証はもてないが、ともかくそれは認める、みたいなことを言っているので、これも本気で言っているとは思えないわけだ。

そして、その神話の内容に、無意味に人を殺したりする者は永遠に苦しみ続ける、といったことがある。

だが、ソクラテスは、ずっと前に、魂になれば、あらゆる苦しみなどを知覚しなくなって、純粋に知へ向かうことができる、みたいなことを言っていて、矛盾。つまり、どっちか(もしくは両方)は嘘ということだ。

おそらく、この神話は、ソクラテスが大衆向けに、良い(善いではなく)生活をしなさいよ、みたいなことを言っているのであろう。そして、善い生活を送った者達、特に哲学者は、魂はより善いところへ行き、なんていってるのかは忘れたが、この世よりもよっぽど善い天国へ行ける、みたいなことを言っているのは、・・・なんでだ?

このパイドンは表面上はすごく滑らかで、すらっと読めるようにできている。何故なら、魂は不死で不滅であるということをとてつもない説得力を持って説明してくれるのだから。それに、わかりやすい(が理論的には危険な)例をいくつも使っている。
おそらく、大衆向け(少なくとも読んで欲しい、読まれても安全)の本。

するとすれば、やはり、善い生活をおくりなさいよ、そうすれば天国に行ける。善いって何?
①無駄な殺人をしないこと、着飾ったり、驕ったりすること。
②哲学者になること。
で、大衆はもともと哲学者になどなれないのだから、①だと信じるわけで、社会の秩序は守られるのでしたー。

で、僕は①に矛盾を見るわけだ。
ソクラテスは、肉体から魂を解放することを善(へ向かう道)だと(少なくとも表面上は)言っているわけで、殺人は悪いことだとはどうしてもならないわけです。プラトン風にいえば
「今までの結論から魂は肉体から解放されるほうが、知の探求に対してよいということだね」
「その通りです」
「ならば、哲学者は、死を望むわけだ」
「今までの結論からそうなります」
「ゼウスに誓って、哲学者は死を望むのだから、哲学者は殺されるのも望ましいと考えるわけだ。つまり、哲学者を殺すことは、悪いことではないね」
「どうしてそうでないことがありましょう」
ということになるわけで、哲学者を殺すことは別に悪いことではない。さらに大衆にたいしても、驕り、快楽を求めるような、"悪い"生活から解放するのだから、哲学者的にみれば悪いことではない。ならば、あらゆる人を殺すことは哲学者から見れば悪いことではない。
人を殺すことは悪いことではないのに、人を殺すと悪いとみなされ地獄へ行く、まあおかしいよね。

ならば、①はおかしい。
だが、②を選んだところで、哲学者は天国に行きたがるか?という話になるのだが、哲学者にとっての天国、それはつまり知であろう。ここで哲学者と大衆に対して言っていることが違う、ということになったわけで、哲学者には何を言いたいのかが気になるところである。

ところで、大衆はこんな本を読んだところで、やったー死んだほうが善いんだばんざーいとかいって自殺などをしたりはしないだろう。所詮、本を読んだところで、死への恐怖は消えないから(体験済み)。
こんなことを言うのは、ここで大衆が不用意に死ぬことはないという保険をかけておかなければ、社会のためにならないから。

では哲学者にプラトンは何を言いたいのか、探ってみることにしようではないか。
・・今思いついた結論は、ヤバイので、とりあえず書いておくだけにして、別のこと考えてみよう。
つまり、哲学によってたどり着いた結論は、どのようなことであれ、それで善いように実践するべきである(だからソクラテスが死んだ)。・・・やめてくれ。こんなことを言って「国家」の結論を実行してたまるか。

ちがう、何か別のことがあるはず。

今思いついたのは、それほどやばくないが、そんなことをここまで隠して言うかな?
哲学は死によって消滅することはないのだから、哲学に虚無性を感じる心配はない。
・・・う~ん、なんか違う。
こう発展させてみる?
魂とは、実は受け継がれていく哲学のことであって、哲学者が死のうとそれは残り続ける、みたいな。
・・・なんかずれてるよなあ。

後で考えるとして、ソクラテスがパイドンで言った内容が本気でなかったことの証明。
ソクラテスが、死ぬことを本気で心配していないんだったら、少しでも生への未練が発見されればいい(と思う)。
生への未練、死刑が確定してから30日間も死ななかった。ってかむしろ、魂の不死にたいする■■を思いついた瞬間に死ななかった。
ちなみに、■■ってのは、弁論っていれるか、証拠っていれるか、真理?ちょっとちがうな、良い言葉が思いつかなかった。
むしろ、哲学仲間に対しては、後を追ってくることをあまり歓迎していなかったような・・・。
自殺禁止論を述べているな。
あれ、ちょっとまて、読み返すと、この自殺禁止論すげー変だ。
まず、自殺することはいけない、ってのは、社会の通説であること、神がいることを、そして人間は神の支配下に置かれていることを前提としてること。つまり、ここにおいてソクラテスは一時的にソフィストになってるな。法廷に立たされた人のように言わなくてはならない、とも言ってるし。
で、そのあと哲学者は死ぬことの練習(哲学)をしなくてはならない、と言っている。
意味がわからん・・・。練習なんかせずに死ねばいいのに・・・?
ソクラテスは、哲学者は死ぬのが最善だが「なんらかの事情によって」すぐに死ぬことはできず、練習しなければならない、と。
この事情がわかればプラトンの答えも近い気がするぞ。

もし、この事情がないとしよう。みんな哲学者は死ぬ。むしろ哲学者になった瞬間にみんな死ぬ。
すると、哲学を教えるものがいなくなる?次に哲学をする人がいなくなる。実際プラトンは80歳まで生きていて、自殺をしたわけでもなし、と。
すると、ソクラテスが今まで生き続けてきたこととつじつまが合うが、なんでもっと生きようとしないのか。
もし、ここまでの考えが正しければ、ソクラテスがもう後に哲学者を自分の力で増やすことができない、とわかったから、あとは、自分の望みどおり死ぬこととした?ならば、ソクラテスはパイドンで本気で言っていたことになって、魂は不滅だと本気で信じていたことになるな。もちろん、プラトンはそれを読者(特に哲学者)に伝えようとしていたことになる。(ここに循環論法があるね。だけど、ソクラテスが本気で言っていたならば、おなじ説明が通用するから、この結論が成り立つ)
すなわち、哲学者は後に哲学をする人を作って、それ以上作れないのであれば、すぐ死になさい、と。
プラトンが80歳まで生きたのは、プラトンの本を書くという行為、これが哲学者を作り出すことだから。
プラトンが最後の本を書いたのが何歳かわからないな・・・これがわかれば良いのだが。
と思ったが、wikipediaにはこんな記事。

>晩年のプラトンは著作とアカデメイアでの教育に力を注ぎ、紀元前347年(紀元前348年ともいわれる)、80歳で死亡した。

(レスリングが得意だったのか←気にしないで)
これは、、、強烈な証拠ではないか!すくなくともぴったりつじつまがあうぞ・・・。

まさか・・・プラトンは本気で魂は不滅で、哲学者は死ぬことを望むと思っていたのか?
直感とは反するし、どうも蟠(わだかま)りのようなものが残るなあ・・・。

あえて反論するなら、なぜ哲学者を新たに作る必要があるのか?ということになるが、哲学者が哲学者にとって一番善い存在なのだから、宗教人がその宗教を人に固執に勧めたがるのと同じか?
う~ん、社会全体に(哲学者になるという)善をばらまくのが(社会的に)善いことなのだから、たしかにそうなるとも言えるなあ・・・。反論できない・・・だれか助けて。

ここまで来て死にたくならない僕はきっと哲学者じゃないんだな。この結論が正しければ死にたくなるし、正しくなければ読み取る能力がない大衆になるわけだ。

両方でないとしたら、いずれ、本当にプラトンが言いたくなることがわかったとき、の話だ。

ここまで読んでくれた人はいたかな?僕の理論に不合理などがあればコメント書いてくれると本当にうれしいです。
プラトンに詳しい人とか、別の整合性のとれた考えがあるとか、そういうのも書いてくれると本当にうれしいです。

あと、これに反論できない人に言っておきますけど・・・死なないでくださいね。僕、大衆だから、人が死ぬことはいいことだと思えないし、きっとどこかに傷があるはずだし、プラトンが狂ってるだけかもしれないし。

3周年めの記事は、今まで死は悪だと説いてきたのに、全く逆となりましたっと。



追記:2:42
なぜ大衆には①(より良く暮らしたほうがいいよ)を勧めたのか。これは、哲学者育成と相反するじゃないか、という指摘に対しては、潜在的な哲学者だけにそう見えるようにしたかったからという説明ができる。
とすると、宗教人が固執に人に勧めるように、という説明は宗教人が本当に敬虔な人が欲しいように、という説明に入れ替える必要があるな。
つまり、哲学する価値もないような魂が分離することもないよ、みたいな。

追記:2:47
僕(この記事の筆者)は哲学者じゃない(と主張している)のに、なんでプラトンが哲学者にしかわからないようにわざわざ隠した文章を読み取れたんだ、という指摘に対しては、プロの将棋の棋士だって、アマチュアが奇跡的に(それはもう天文学的に低い確率で)最善手だけを指し続けたら、必然的に勝てるようになるように、今回もそういうのが起こったんだ、という説明ができるな。ま、この指摘は冗談みたいなもんだから、本気でする人はいないと思うが。
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