詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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楽しい・・・!
あちゃちゃちゃ、、あちゃー!!昨日更新し忘れた・・・!

ま、休み中ってのもネタがなくて大変なもんだ。

最近は何よりも、考えることが楽しくなってきたよ・・・、全く。

このブログに過去一回書いたような気がするが、
なぜ人を殺してはいけないの?
という疑問について、もう一回考えてみた。

ところで、考えるのはやっぱり風呂場に限るね。たまに鏡をノート代わりにするけど、まあ、そんなのはめったににない。

とりあえず、余計なものが無いってのがいい。部屋は余計なものと文字が多すぎる。

なぜ人を殺してはいけないか、を考えるさい、前提として、自分の死は悪だというのがあった。

ここから問い直さなくては真の答えがでないではないか。

むしろ、嫌=悪という考えがはたして正しいか?そこからも考えなくてはいけない。

自分がされて嫌だということを人にするのは悪だ、と小学校ではよく教えるだろう。

だが、本当に悪なのだろうか?もしかすると善であったりしないのか?

一見自明に見えることも、ちゃんと理論立てていかなくてはね・・・。

いつも不安になるのは、変な結論がでて、自分が実践しないか、というところなのだが、このブログから一歩でたらいつも世間、考えたことなんて吹っ飛ぶよ。

ま、他人がこのブログを見て、変な結論を信じ込んで、奇行に走るかもしれないのも不安だが、僕にそれほどの説得力があるとは思えないんでいいかな、という甘い読み。

理論とか全く無い。

とりあえず、一般常識で、自分がされて嫌なことが悪でないことの証明を終わらせよう。これは手っ取り早い。

一言で言えば良薬口に苦し、躾なんていい言葉もあったね。されてうれしいもんじゃない。一般常識では善だとされているにしても。

さて、一般常識を語りたいわけじゃないんだ、本当は。

そうそう、理論って破るのは簡単だけど、組み立てるのって異常に難しいよね。

いつも思うことだけど、政治家のすることなすことすべて悪みたいにして、国民が怒りを叫び、ストレスを解消しているように感じるよね。

怒りをぶつけるって本当にストレス解消になるんだろうね。その健康のために政治家がいるのかもね。

殴られ役。

もっと悪いことすれば、もっと怒られる、それでいいんじゃない?

やっぱり、政治家みんなで一人10億ぐらい豪遊をやるべし!

景気も回復して国民は政治家に怒りをぶつけてみんな健康!

冗談はさておき、共通の面で、自分がされて嫌なこと=悪ではないことの証明でもしようか。

さて、これをするには三つの弊害があるね。

自分って何?

嫌って何?

悪って何?

さて、とくに3つ目は究極の問のような気がするが、まずは自分とは何かを考えるところからはじめようか。

なんか、いかにも哲学的な問いだねえ、とか言われそうだ。

哲学的って世間ではまったく意味不明な使われ方してるよね。

生きるってなんだろう・・・哲学的だねえ。

空はなんであんなに青いんだろう・・・哲学的だねえ。

月はなんであんなに近く感じるんだろう・・・哲学的だねえ。

冗談じゃないよね、科学的な問いであって、哲学とは無縁にすら感じる。

空が青い理由なんて、科学で簡単に説明できる。

ただ、青く見える理由に関しては、意識を科学しなくてはいけないが、意識を科学できるかどうかはまだわかって無いらしい(僕の知識内ではね)ので、僕としてはなんとも言えない。

そうそう、これに似た話で、芸術的だってのも、まるで論外な使われ方をするよね。

なんか意味がわからないものがでてきたら、とりあえず、芸術だと言っておく。

これはひどい、話にならん。

芸術は少なくても美か醜が必要でしょうねえ。それすらも無い無を芸術と認められるかな?

最近4:33が感動的に感じてきたのは不思議だね。

どこまでも簡素なんだよね、そこに含まれた精神性は複雑だとしても。

普通にしたら感傷的になるってことかなあ。

さて、もとの話、えっと、自分って何?

僕はずっと、世界を知覚できるもの、だと思っていたよ。今でもそれは変わってないが。

これって求められるのかなあ。

自分が存在することの証明をしておこうか。

意識を持っているものが自分であって、意識というのが行動できる意思だとしたら・・・、

紙と鉛筆を用意しましょう。

そこに、

「自分は存在していますか?」

という問いを書いて、自分の思ったとおりに書いてくださいね。

さて、僕は

「はい」

と書くので、他の人がどう書こうとこれで存在したことの証明になったね。

なぜかを説明しよう。

証明にあたって難しいのは、それはコンピューターでもできるじゃないか?ということ・・・。

実際コンピュータ上に僕の問いが書かれてしまった。つまり、コンピューター自身がその答えを出してしまったということなのだが、この段階に進む前にはっきりさせておくことがあるか。

"自分"で文字を書いたという行動を実践できたことで、意思はある。あとは意識があるかどうか。

それを確認する、「はい」という文字で"意"思を認"識"できた、これで意識の成立ではないかと。

僕の考えている意識の定義がこうだから、違ったら話にならないなあ。

で、意識があれば自分が存在することの証明をしないとね。

世界を知覚するのが自分だと言いましたねえ。さて、世界とはなにか、実際に起きたことでしょうね。もちろん、全てを確認する必要はありません。ごく一部分でもいいわけですね。

さっき"自分"の行動を世界に反映させることができました。それを知覚することができたので、少なくとも世界の一部分を知覚できたので、自分はいます、と。

"自分"と自分とわざわざ分けて書いたけど、これまた循環論法になりそうだなあ。

もっと安全に背理法で行く?

何物かがたしかに、紙に書かれた文字を認識できた、自分がいないと、これは矛盾、でOK?

3が奇数であることの証明に、自然数は偶数か奇数しかない、3は自然数、3は偶数ではない、みたいなことを言っているような気がするが、まあ、同じことです。

さて、では、コンピュータも知覚できたみたいだが、コンピュータに意識があるの?という問いに対してですね・・・・

はい、と答える瞬間が大事!

その瞬間しか意識が確認できてないんですよ。

あれ?意識がなくなったら、この質問と答えはできない?夢の中でこの質問と答えをしたらどうなるんだろう・・・やってみよ。
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