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どうでもいい四元論2009-01-08 Thu 17:38
この世の学問は4つに分割できる。
哲学と科学と芸術と体育だ。 哲学は意味を求め、 科学は理論を求め、 芸術は調和を求め、 体育は実践を求める。 哲学から科学が派生し、科学を体育が使い、全てを芸術が統合させる。 ・・・なんてどうでもいいことを考えていた。 人間の恋は4段階に分けられる。 まず始めに肉体に恋をして、 次に性格に恋をして、 次に精神に恋をして、 最後に魂に恋をする。 次の段階に進めば、前の段階の比重は極端に下がる。まず最終段階まで行くのは無理だが。3段階目もほぼ無理。 肉体⇔体育 性格⇔科学 精神⇔芸術 魂⇔哲学 と関連付けることができる。 ・・・なんてどうでもいいことを考えていた。 今日、親と芸術とはいかなるものか、ということで話していたが、僕とのズレ具合がいかにも面白かった。 しかし、はっきりと理論的に展開してきたので、それはとてもよかった。 問題点はいつも思うことだが・・・前提から考え直さなければならないということだ。 世の中は前提を問わないことが多すぎる。あたりまえだ。時間がないのだから。 ましてや会話という数時間しかないような場で前提から全て問い直すなんて無理なことだ。 もしかしたら一生使っても無理かも。 だから地球に与えられた人間の本能を前提とおく。即ち死の恐怖と快楽の追求の本能だ。 不思議なのは、恐怖とおかれた死を悪とおいたうえで・・・さらに快楽まで悪とおくことが多いこと。 もちろん、これはキリスト教があまりにも普及しすぎたため、そういう考えが一般的になってしまったのであって、本来の人間がそうでないのかもしれないが。 地球がわざわざ人間に与えた欲望はなくては滅びるようなものである。それを封じるのがはたして善であるのか? もちろん、滅びるのが悪であるのか?という根本的な部分から問い直さなければならないのだが。 ま、こんなことを言って、目先のことができなくなるのはいやなので、今はあまり深く考えないこととしよう。 そういや、若者特有の生きることについて考える欲求っていうのがあるよね。最近僕もそれに支配されているのだが・・・、これって殆どの人が知らず知らずのうちにはまる欲求だ。もちろん、これが無い人っていかにも浅そうな人間になりそうなものだが、これもやっぱり必要な欲求なんだろうね? この場合、その欲求に支配されることを悪いことだという人は殆どいない(奴隷制の国とかだと違うだろうが)。 これって一般的に答えを見出せた方が多いのだろうか?否定的な答えになってしまったらどうなんだろう?人によってあらゆる答えが用意されていると考えるのが普通っぽいが、共通の答えって存在するんだろうか? もちろん価値観の差っていう、どうにも超えがたい壁があるのだけれどもね。 でもねえ、価値観の差が埋まらないって答えになったら、人によって善なんていくらでもあることになる、とすると、自分の考えが正しいんだから、善なんて追究する意味が全くなくなる。それはそれで朗らかな人生を送れるかもしれないが、わざわざこの宇宙に意志をもった意味がなくなるよねえ。 もともとそんな意志は無いって答えが正解だったら仕方なくただ死ぬのを待つだけだが、それって嫌だなあ。 希望が入っている時点で哲学は失格っぽいが、理論的に説明できるのかよ? ちがうちがう、こんなこと考えてると目先のことすらできなくなるってさっき言ったばっかりじゃないか! いいかげん落ち着こうか。 |
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