詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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めんどい。
さて、mixiに書いた記事をそのまま引用しよう。僕のポリシーにより、前後の一部を省略する。

その前に、今日、ある友達から、「英語勉強すれば(お前なら)絶対できるようになると思うのになんでしないの?」みたいなことを言われた。自分でいうのもなんだが、そう思う。

理解力があるのに理解しない人は不幸である。

・・・ソクラテスならこう言うな。
「自分から不幸になろうとする人はいるだろうか?」
「決していません」
「では、医術を使えるにも関わらず医術を使わずに不幸になるような人はいないだろうね」
「もちろんです」
「同じく、航海術が使えるにもかかわらず、航海術を使わずに不幸になるような人はいないだろう」
「そのように思われます」
「では理解力があるのに理解しない人はいない」
「まったくその通りです、ソクラテス」
「では理解しない人は理解力がない、ということだ。つまり、医術を使える人は、医術を使って不幸にならないようにするはずだし、航海術を使える人は航海術をつかって不幸にならないようにするはずである。であるから、理解できる人は理解するはずであり、理解しない人は理解力がない人である」
「どうしてそうでないことがありましょう」

ぐにゃ~。これだからソクラテスの弁論術は・・・って僕が作ったんだけどね。

では引用。

僕は、人前で勉強するのが嫌いだ。

なんとなく、自分が無知であって、さらにそれを必死にカバーしようと抗っている様が相手に伝わってしまうのは恥である気がする。

最高の才能の持ち主は、勉強なんてしなくても、最高の理解力と思考力はあるはずで、公理を与えれば全ての定理を導ける人である。

こんな人になれるとは思わないが、すくなくとも、勉強している姿を見られている時点で、底が割れてしまう気がしなくもない。

特に、必死に勉強しつつも、受験戦争の波をはるか高みからみおろすことができない、という"普通"な状況になりたくない。

もちろん、まったく勉強しようとしないで、海の底から、水圧につぶされつつ波すら感じない場所にいるのもどうかとは思うが。

必死に浮き上がろうとするものは惨めだ。

本人は、惨めさをアピールして、哀れんでもらうことを期待しているようである。

それは、真の愛知者とはなれない。

こんなことを引用するのもどうかと思うが、イエスはこう言っている。

祈るときは、人に見られないように祈りなさい。
わざわざ人に見られるようなところで祈るのは偽善者である。

こう入れ替えてみたらどうだろう。

勉強するときは、人に見られないように勉強しなさい。
わざわざ人に見られるようなところで勉強するのは、非愛知者である。

わざわざ愛知という面倒な単語を使っているのは、これに相当する日本語が思いつかないからで、僕の語彙力の少なさが伺われるところである。

人に自分が抗っている場面を見られるのを恥と思え。

常に冷静に、自分の内に秘めた能力を高めよ。
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コメント
この記事へのコメント
「知を愛する」って哲学(フィロソフィー)の語源だよね。
2009/01/17 (土) 22:43:14 | URL | えな #-[ 編集]
もちろん!
なんだけど、「哲学者」っていうと、今だと「知を愛する人」とは受け取ってくれず、"考える人"みたいなイメージがあって、全然違う方向に誤解されそうでいやだ。
「知を愛する人」って意味で哲学者じゃ誤解されるから、直接的に愛知者、他にどういえば良いんだろう。
2009/01/17 (土) 22:47:27 | URL | えのき #-[ 編集]
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