詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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少年時代~青年時代~壮年時代
人間のできてから、完成するまでを3段階に分ける。
少年時代と青年時代と壮年時代とする。
年齢は関係なくて、どれほど条件をクリアできるか、で次の時代にいける。

まず、誕生とともに、その瞬間から少年時代は始まる。
一般常識は教えてくれないが、言語については、生まれたそのときから触れることになる。
知らず知らずのうちに覚えていき、それが通じるようになると、日本の教科書的思想に基づく道徳を教えられるようになる。
さらに現代のおおまかな宇宙論、すなわち地球は太陽の周りを回っているだとか、太陽が宇宙の中で特別な星ではないとか、
おおまかな数学、算数、数字を足すことができる、0が存在する、など。
経済学にも及ぶ。お金の使い方と価値。
そして、小学校に入ると、一つの義務に長い間縛られることになる。そして、集団生活が待っている。
集団生活の中で、自分の思想は「作られる」
教員による圧倒的な権限と直接的な力、精神力の強さによって、自分の意志を持つことができない。
そうして、先入観をどこまでもたたきこまれ、自我が発育する余地が無い。
ここで、常識という先入観を叩き込まれて、少年時代を終える。
ここまできた人間は、非常に成育されていて、犯罪など起こそうともしない。いたって健康な人間である。
一番常識力がある時代でもあるが、この段階を過ぎると、青年時代に移行する。

少年時代では、その心に悪いものをなるべく入れてはいけない。
しかし、青年時代は、その人の行動範囲もひろがり、本人にその気はなくとも悪いものに触れることになる。
それは、いままで叩き込まれていた少年時代のごく一部の常識を否定する。
ここにおいて、本人は、はじめて選択するということができる。
つまり、悪いものにさらに触れようとうするか、それを遮り、少年時代の常識に戻るか、である。
そうして自我が発生する。
少年時代の常識は強いが、悪いものの魅力も偉大である。
そうして、考えつくす。その時間は、少年時代のとき縛っていたはずの義務が逆に与えてくれる。
そこで、自分は十分な時間をもって偉大な精神の持ち主に助けを求める。
このとき、偉大な精神の持ち主以外のものに助けを求めてしまった場合、その人は、人生の中の貴重な時間を無駄に過ごすことになる・・・堕落する。
偉大な精神の持ち主とは誰か、それを教えてくれるのが、学校である。
そして、偉大な精神に触れた瞬間、また少年時代にたたきこまれた常識が覆される。そのとき覆されなくとも、別の精神に触れればまた覆されることだろう。
今度はあまりにも選択の幅が広がることになる。
ここで精神を創作することもできる。それを助けるのは芸術だ。

余談だが、俗に18禁とされるものは、この偉大な精神に含まれないものであるべきだ。
まったく、青年時代に余分な言葉に惑わされるのは、その人の人生をかきむしり、蹴落とし、使い物にならないものにする。
まさに塩気のなくなった塩である。
18歳を過ぎれば・・・余分なものに触っても良いとされるのは、この歳になって、偉大な精神の分別がつかない人は、人間としての味を失っても仕方が無いからである。
暴力描写や性描写が18歳未満に有害なのではない。それに偉大な精神を見る時間を奪い取られるのが有害なのである。

では、ここで、自我を形成した者は、壮年時代に到達することができるが、破棄することもできる。
壮年時代とは、自我を行動に出す時期である。
自我を社会の中で動かすことのなかで、青年時代の自我の採点が始まる。
×をつけられたものは刑務所や精神病院に送られ、△をつけられたものは乞食として過ごし、○をつけられたものは一般家庭をつくることができて、◎をつけられたものが、上級家庭もしくは政治家となることができる。

放棄した人間は、波乱が待っている。すなわち、少年時代の一部の否定ではあきたらず、さらにさらに、何重もの層をかきむしってはがしていって、その奥にあるともないともわからない、「人」に到達しようと試みる。
この時期は長くなるため、自由な時間はもう与えられていない。自分でなんとか作らなければならないのである。
あまりに堅くて、到達地点かと思ってしまう層も存在するだろう。
それを破れた人は、歴史上に何人いるだろう。まず、そうはいない。
さて、「人」に到達できた人間はいるのだろうか・・・。
これを求めるのが第二青年時代とでもいえるだろう。

ちなみに、少年時代は0歳からはじまり、終わりは9歳から16歳くらいが一般的のようである。
青年時代は9歳から16歳からはじまり、18歳~30歳くらいで終わるようだ。誤差は10年くらいあるかもしれない。
壮年時代は、18歳~30歳から、22歳~75歳くらいまでであろう。壮年時代が終われば、人生は終わりである。その余りが名前のごとく余生であろう。もちろん、余生など存在しないのが理想的だ。
第二青年時代は、16歳~22歳あたりから永遠に続くであろう。「人」に到達できれば終わりだ。
そこで人生は終了する。
この場合、人生とともに、人間も終了するかもしれない。
狩が終わって弓がしまわれるように・・・探求が終わって人間の価値がなくなるのだ。

さて。偉大な精神以外のものが入ってくる危機を退けなければいけない18歳にあと40分でならなければいけないようだ。
僕は、自分の全てを総動員し、余計なものを退け、偉大な精神で「人」を探求しなければならない。
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