詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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韻と繰り返し
文章でも音楽でも、繰り返しはなるべくしないほうが良い。

今日は僕は学校でした。

などと「は」が続くと気もちわるい。

今日は晴れで気分が良い。
しかし、少々暑すぎるようだ。
しかし、暑いのは嫌いではない。
私は今日の天気は好きだ。

このように、大きな目で見ての繰り返しも避けるべきだ。上の文章ではあまり気にならないが、文章が長いときに文頭が同じだとすると、気持ち悪かったりする。

今日は東京まで行ってきた。
しかし、明日は外に出ないかも?
明日家族みんな家に揃うかも?
その可能性があるため、あまり外に出たくはないのだ。

文末が重なるのも非常にわるい。丁寧語の語尾とかはいいけど、「だ」とか「(す)る」とかが重なるのはあまりよくない。「い」などを使い分けて、なるべく同じ文末が連続しないようにしたほうがいいのだ。

「る」と「だ」が続く文章というのは、結構読んでて気持ち良い。リズミカルな感じがする。
「る」→「だ」の順番は、ちょっと弱めに終止したあと、はっきりとめた感じで、これはドラマチックで好感が持てるし、「だ」→「る」というのは、冒険しにいった感じがする。どちらにしろ好印象の文章だ。

たとえば上の文章を見てみると、文末は次のようになっている。
「い」「る」「る」「だ」
三つ目の文章が長いため、連続はあまり気にならないような工夫はしているが、それでもわずかに違和感は感じる。
そのかわり、「い」と「る」の間は短いし、「る」と「だ」の間も短い。手が勝手に文末を使い分けているような気がする。経験的に気持ち悪い文章は避けるようだ。

音楽で、対位法の教科書には、同じことのくりかえしを旋律にいれてはならないというのが存在する。
これは、おそらく、こういう文章の中にみられる気持ち悪さと同じ気持ち悪さなのではないかな、と思う。

行頭の文字が被るのは非常に気持ち悪いので、僕は結構避けることを心がけている。もちろん、直感的な文章に行頭が重なることはほとんどないが、重なっていることに気づくと、直したくなる。

しかし、韻を踏むという、上の禁忌を破りまくる技術が存在する。

今日の学校の校庭の桜の木の下には、たくさんの花びらが散っていた。

「の」を執拗に繰り返すことによってリズム的校歌を高めている。

何故、速いのだろう。
何故、そのような技術を持つに至ったのか。
何故、手がつぶされることはない?
この餅つきは!

わざと文末は被らないようにして、文頭を韻の効果を強調してみたがなんと緊迫感のでることだろう。

これは赤くはない。
しかし、青いわけでもない。
なぜ、赤にも青にもならない。
この黄色信号は。

こんどは文末を被らせる。文章は意味不明だが、リズム的効果は感じ取れるだろう。
文頭ほどの緊張感は得られないが、何か知的な緊迫を感じさせる。

なお、餅つきの話と信号機の話で、餅つきにはマークをつかったが、信号機にマークは使ってない。
この重複を避けるのは前半で説明したとおりだ。こういうところにも適用されるのはおもしろい。

まったく、音楽の世界でも反復進行はすばらしい緊迫感をもたらせてくれるから、この文章の性質は音楽にも適用される。

12音技法が非常に綺麗と感じるのは、同じことを繰り返さないという前半で説明したことを究極に突き詰めた音楽なのだな、と思う。
12音のうち、7音目を4音目の音とおなじにしてみるなどすると、非常に気持ち悪く聞こえるだろう。これは同一の反復が気持ち悪いからだ。

という、僕の直感的文章と音楽の理論に述べてみたが、皆はどう感じるかな?
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