詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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僕のための教育論
mixiのほうに更新する気が起きない。
いや、こちらのほうに更新する気もあまりない。

文章を書く気が起きないのだ。
書きたい(表現したい)ことがあっても、それがなんらかの理由で書く(表現)できないとなれば、その代理の方法を思い付くというより、あきらめてしまう方に走ってしまうらしい。
もっとも、更新をしなかったところで誰にも迷惑をかけることはないのだけれども。

さて、教職を今のところは目指している身としては、やはり教育について考えておいたほうが良いだろう。
教育は、政治機関によって目指すものが違う。
それが、国家を支えるものとしてなのか、個人の才能を引き延ばすものなのか。
前者は自分のための教育であり、後者は相手のための教育である。
そもそも人間は、なんらかの自分の利益がなければ行動しない。もちろん、それが実際の利益であるとは限らないが、少なくとも思い込んでなければならない。
ならば、自分のために教育するということがまず自然であろうと考える。

それはどういう事態をもたらすかというと、被教育者の数が膨大になればなるほど、使い捨てにされる被教育者も増えるという事態である。
もっとも、それらの人々が自分に不利益になるようなことが無いように念はいれられるだろうが。

さて、悲劇は次に起こる。教育者がいなくなった場合、被教育者は自分のためいがいの行動しかできなくなる可能性が高い。
この連鎖によって、生まれるものは、連続的なものでなく、断続的なものになると思われる。
人類すべてに貢献しようという教育者も被教育者もいないのだから、2代後をみた教育はなくなってしまう。

これによって、人類が何を求めているかもわからぬまま、膨大に資源を使い果たし、真の知を手に入れる段階に至る前に滅亡してしまう。

僕は、自分で何も生産しようとしない(日本の)教育者にはなりたくないと思ってしまう。自分が生きている意味を橋としての役割ではなく、大地としての役割をしたい。そこに基盤となるものがあり、そのうえで発展していくように。
それが、すべてとつながれば最高だが。

とにかく、そんなことを考えて、教職に疑問をいだかざるを得なくなった。
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