詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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体の重さ
五日間の介護体験を終えてきました。詳しい内容や思ったこともいろいろありますが、守秘義務という建前で、それはあまり述べません。

まあ、本音を言えば辛かった。往復4時間半かかる場所に6時間の拘束で、結局一日11時間は介護体験に束縛され、55時間は費やしたことになる。
拘束のうち半分は立たされていて、足も大変だったし、その間、いろんな用事もあって、家に帰るのも11時をすぎることが多く、睡眠不足にもなやまされた。

そして、やはり慣れないので、スタッフに迷惑をかけたり云々。

それでも、得るものは多かったと思う。高齢者との話は高齢者自身はそう考えていなくても、こちらには重く響いてくることがある。
優しく、平易なことばでゆっくりと語りかけてくる、というだけでも、年季の違いを感じる。

作業中でも、感傷的になってしまうこともあった。

これは、慣れの無さからくるものだろうと思う。慣れてしまえば、無感動に高齢者のことばを受け入れ、「対処」していく―ということが続いていく。

自分にも問いかけなくてはならないと考えさせられる。

―自分は、接する人を人間として扱っているか?
―人付きあいを作業にしていないか?

挨拶やお礼ひとつとっても、そこには感情がある。
相手に良い一日を過ごして欲しいと思う感情、感謝の気持ち、お詫びの気持ち、名残惜しい気持ち、
それをただ習慣としてこなしていると、若干さびしい気がしてきてしまう。

そこに、理性が感じられなくなってしまう。

という、自己反省がひとつ。

そして、高齢者達の体の重さである。

特別支援学校に介護体験に行ったとき、「重力は敵」という話をしてくださったが、高齢者にもまったくそのまま当てはまる。
重力は敵で、壁は敵なのだ。
ただ、じっとしていることが一番心地よいし、考えたり創作する、ということもあまりしない。

本当に、人生の最後の時間、段階を、時間を浪費するということで過ごしていいのか。

どうしても疑問に感じてしまう。

もっとも、高齢者達は、僕に多大な問いかけを残してくれた。あらゆる人にそういうことができる能力を持っているのかもしれない。

それでも、自分自身の命が光っているその瞬間に、何もしないというのは、耐え難いことではないのか。

そこで、僕は思う。

残り何十年かという命で、自分が無為に過ごすことは、結局死ぬ直前に無為に過ごすことと同じように愚からしいことではないか。

しかも、いまからだはそんなに重くないのだ。重力は快い友達だ。

時間は今ある。その大切さ、というのを教えてくれたかもしれない。

55時間分の時間を取り戻してなお何倍ものおつりがくる、そんな気づきになればいい。

このように、自己反省点がおおくみつかった体験だった。
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