詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
濃度と範囲
言葉とは、極度に抽象化された概念を表す記号である。

特に単語は。

ある名詞や動詞を出したところで、それが具体的に何を表しているかは人によって違うことが多いだろうし、具体的に何も思い浮かばない人もいることだろう。

しかし、文学は、非常に鮮明に具体的な場面を描くことができる。

絵画の表現主義のように、ぼかして描くこともできれば、捉え方を二重以上に持たせたり、騙し絵のような立体感を出すことまで可能だ。

なぜ可能なのか。

ある単語を出したとき、その抽象化された概念は、範囲と濃度というパラメータを取って設定されているように思う。

机、という言葉をだせば、範囲は、足が付いていたり、物を載せることができたり、という、とても大きい意味での机であり、ダンボールを机代わりに使っていたり、また、支えるもの、とか、土台、とかいうイメージにもつながる。そのイメージの許容できる部分を範囲と呼べると思う。部分というからには、全体が必要であるが、全体とは、人間の想像しうる概念の全ての可能性を示す。

そして、机という言葉で、ダンボールよりは、足つきの机を想像するし、学校の机のようなものにたどり着いたりすることが多いと思う。そのどの概念が想像されやすく自然であるかの度合いを濃度と呼べると思う。
もちろんこれは人によってちがうが、ある程度一般化もされうることだと思う。

さて、抽象的な概念を表す記号である言葉が、なぜ具体的なものを描けるかというと、単語、特に名詞や動詞や形容詞によって、範囲と濃度を提示し、助詞によって、その重ねあわせ方を提示することによって、はっきりと濃い部分をつくりだすことができることだと思う。

そして、その濃度は掛け算的に定義されることができそうだ。

50個の単語があり、そのうち30個が名詞、形容詞、動詞などの、抽象的ではあるが、ある概念を表すことばだとして、そのうち一つでも濃度が0の部分に入ってしまったら、そこである可能性は全く無くなると思う。

また、一つが限りなく0に近ければ、その部分である可能性は否定できないが、読者に迷いを生ずることになるだろう。
それを狙うのも技術だし、避けるのも技術だ。


そのような掛け算的な濃度の合成によって、一つに特定することを具体化と呼ぶことができるし、二つの濃い部分を作れば、ダブルミーニングとなりうるし、濃度を平坦にすれば、抽象的な文をつくることができる。

イメージを喚起させる文章というのは、はっきりした濃度分布とその構成や秩序がわかりつつも、一点に定めることができず、多くの概念を関連付けてその世界を飛び回ることができるような文章であると思う。

単語の選びかたと接続の仕方という技術のみによって、無限の概念の世界の地図を描くことができる、というのが、文学の素晴らしい魅力となるだろう。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright © 2005 詰まった!! all rights reserved.
Powered by FC2ブログ.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。