詰まった!!
僕の窮屈な頭蓋骨の中身。
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ものすごく強烈に響いた言葉たち。
二つあります。
一つ目は、多世界解釈は、意識のある自分の不死を予言するかもしれないということ。
詳しい説明はちょっとまとめる能力が無いので無理ですが、意識のある自分は次にいく宇宙を選ぶことができないが、他の宇宙に行ったら、その宇宙に行った事に気づく前に自分を殺してしまえば残った宇宙の自分だけが意識をもつため、それを連続的に繰り返せば、永遠に生きていることになる、ということ。(だいぶ違う気もするが、こんな感じ)
しかし、重要なのは、これはこの宇宙では、僕にしか通用しない話だってこと。
つまり、お前たちは死ぬんだよ!俺だけ不死だぜ!ワッハッハーとかいうことを言いたいわけではなく、
この宇宙では自分からみて自分だけが唯一の観測者であるから、意識があると自覚していると観測できる人なら全員に適用されます。(僕からみたら僕だけなんだけどね)
まあ、自分が生き残っても、他の人の殆どまたは全員は普通に死んでいくから、そういうことを考えたり、自分以外は意識がないと認識する必要にせまられると、自分が孤独に感じたりするかも。

でも、僕と同級生や、年が近いこのブログの閲覧者は、こういう文明が発達しすぎた現代に生まれたのは、不死の技術が生まれてくる年だから、というような整合性がとれないだろうか。
つまり、余命が短い人達というか、不死がもう絶対無理だって人は、意識がないということになるのだが、もしかしたら、本当にこの世界での意識はないのかも。(まあ、それは僕意外の全員に言えることなのだが、他宇宙でも意識がないのかもしれない)

まあ、つまり、年寄りは腑抜けだろ、とか言ってるようで、失礼みたいだが、そのことに関連することで、二つ目。


思考の自由は常に確保されるべきである。ただし、実践知のあるものに限る。

いままでの学生生活の中で、一番心に響いた教えかもしれません。これを聞いた瞬間鳥肌がたつような感動を覚えた。

なぜ、こんなことを教えてくれる先生が今までいなかったのだろう。多分、その教えは、実践知のあるもの以外には教えてはいけないと思っている先生と、もともと、そういうことを考えていない先生しかいなかったのだろう。(そして、大半は後者だと思う)

この教科の一番始めの授業で、教室内は、社会とは別空間であるべきだといっていたが、その意味がとてつもなく重要であるということが今になってようやくわかりはじめた。

そして、ネット上は、社会であって、思考と発言が束縛されるところであるということもまた事実なのかもしれない。不特定多数の人が見れるようなところで自由な思考と発言をすることは、非常に危険だからである。

だが、それを隠す才能のある人はその限りではない。その篩(ふるい)は、間違いなく多くの大衆を取り除いてくれるだろう。
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コメント
この記事へのコメント
いいよね あの授業は。
他のが辟易してくる
2008/06/21 (土) 11:59:44 | URL | 44111 #9E8hg6wc[ 編集]
他が辟易というのも言いすぎな気がしますが、まず授業をする意味から教えてくれるのが、目を開かせてくれた感じがします。
本当は全ての授業の前に(小学校のはじめに)そういうことを知りたかったものですが、それは不可能なのが、授業の葛藤といったところでしょうか。
2008/06/21 (土) 23:31:47 | URL | えのき #-[ 編集]
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